軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第163話 街道の影

王都へ戻る朝は、よく晴れていた。

屋敷の前には、すでに馬車が用意されている。

御者は手綱を整え、護衛につく騎士二人も鎧の留め具を確かめていた。

荷はもう積み終わっている。余計な荷紐ひとつ垂れていないあたり、間違いなくミアの仕事だ。

「準備は整っております、リオン様」

その本人が、いつも通り笑顔で言ってきた。

「ありがとう」

「では、道中で何かあっても困らぬよう、替えの手袋と厚手の上着は箱の上段へ入れておきました」

「完璧だな」

「当然のことです」

父は屋敷の玄関の段の上で腕を組んでいた。

母はその隣で、俺の襟元を見ては「寒くない?」と気にしている。

ノルは少し離れたところに立って、もう出発後の段取りまで頭の中で並べている顔だ。

「排水路のほうは、こちらで見ておきます」

ノルが短く言う。

「帳面も続けます。工房、石切り場、土木の三か所はお任せください」

「騎士団長にそこまでさせて申し訳ないな」

「ええ、心得ております」

父はそれだけ聞いて、軽く頷いた。

「こちらのことは任せておまえはお前のやるべきことをやりなさい」

いつもの言い方だ。

「分かってる」

「ならいい」

母が小さく息をつく。

「ほんとに、もう少し何かないのかしら」

「十分だよ」

俺が言うと、母は困ったように笑った。

「体を冷やさないこと。ちゃんと食べること。夜更かししすぎないこと」

「わかってるよ」

そう返すと、母は笑った。

最後にミアが一歩前へ出る。

「王都へ着いたら、一度だけで結構ですので無事の文をください」

「一度だけでいいのか」

「毎日でも構いません」

「じゃあ一度は送る」

「承知しました」

父、母、ミア、ノル。

四人の顔を順に見てから、俺は馬車に乗り込んだ。

領都の朝は、もう動き始めていた。

馬車が大通りへ出ると、店を開ける準備をしている者、荷を運ぶ者、工房へ向かう若い職人たちの姿が見える。

以前より、人の流れが早い。街が目を覚ますのが少しだけ早くなった気がした。

ちょうど工房へ向かう途中だったのか、見習い職人が数人、こちらの馬車に気づいて足を止めた。

「あ、リオン様だ!」

「王都に戻るんだろ?」

「若様ー!」

手を振る声が飛ぶ。

俺が窓から手を上げると、向こうは思った以上に嬉しそうな顔をした。

その後ろを、部材を積んだ荷車がぎしぎしと工房のほうへ向かっていく。

道の端では、排水工事の続きに入る人足たちが縄や道具を運んでいた。

馬車はそのまま領都を横切る。

街灯の柱。

工房へ入る石材。

道の脇に積まれた地下水路の蓋になる石。

朝の光の中で見ると、どれも特別なものには見えなかった。

俺はその景色をしばらく見ていた。

今回の冬休みでやったことは、思ったよりちゃんと形になっている。

そう感じられた。

領都を離れると、人の気配は少しずつ薄くなっていった。

街道そのものは広く、馬車の揺れもひどくない。

ハル領と王都を結ぶ道は、そう簡単に途切れては困る。だから整備もされている。

けれど、領都近くの活気はやはり特別だ。外へ出るほど、景色は静かになっていく。

御者台の後ろに控えた騎士の一人が、後方をちらりと見てから言った。

「今のところ異常なしです」

「うん、ありがとう」

俺が返すと、もう一人も軽く頷いた。

護衛は二人。

多すぎず、少なすぎず。

馬車の中でぼんやりしていると、昨日まとめた帳面のことが頭に浮かんだ。

工房。

石切り場。

領都土木。

それぞれ、初めて“中身”が見えた。

人数だけじゃなく、領民か、出稼ぎか、移住希望か。

熟練か、補助か、見習いか。

数字にした途端、見えてくるものは思ったより多かった。

石切り場の増員分のかなりがグレイヴ領からの出稼ぎだったこと。

工房は人数の割に熟練が薄いこと。

土木は総数よりも固定戦力の少なさが問題だったこと。

順調に見えていたものの足元は、まだ思った以上に細い。

「……結局、人なんだよな」

昼を過ぎた頃には、街道の空気はさらに変わった。

ハル領の端へ近づくにつれて、すれ違う馬車も少なくなる。

道の両脇の森が深くなり、時折、冬の風が枝を揺らす音だけが聞こえた。

「この先を越えれば、もうすぐドラウゼン侯爵領です」

御者台から声が返ってくる。

「そうだな」

その時だった。

前方を見ていた騎士の一人が、わずかに身体を強ばらせる。

「止まってください」

声は低かったが、迷いがない。

御者がすぐに手綱を引く。馬車が速度を落とすと、俺も窓の外を見た。

道の先、右脇に、妙に不自然な荷が寄せられている。

荷車から崩れたにしては整いすぎていた。

しかも、その向こうの林に、ほんのわずかに動く気配がある。

騎士のもう一人が剣の柄に手をかけた。

「いますな」

次の瞬間、道の脇から男たちが飛び出してきた。

「止まれ!」

「荷を置いて行け!」

五人。

いや、奥にもう二人いる。

数だけ見れば大したことはない。けれど、最初の一声からして荒れていた。

威圧感より、切羽詰まった響きが強い。

騎士の一人が、ほとんど同時に馬車の前へ出る。

「下がれ!」

鋭い声が飛ぶ。

男たちは一瞬だけたじろいだ。

そこでもう分かった。

本職の盗賊じゃない。

武器の持ち方も間合いの取り方も雑だ。

服は擦り切れているが、盗賊らしい統一感はない。むしろ農具を無理に武器へ持ち替えたような感じだ。

「来るぞ!」

誰かが叫び、半ばやけになったように突っ込んでくる。

だが、勝負にはならなかった。

騎士の一人が最初の男の腕を打ち、剣を落とさせる。

馬車の横にいたもう一人が別の男の足を払う。

後ろから出てきた二人も、林を抜けきる前に引き戻されるように叩き伏せられた。

数合もかからない。

殺してはいない。

だが、十分すぎるほど勝負はついた。

「武器を捨てろ!」

騎士の声が響く。

男たちは顔をこわばらせたまま、ひとり、またひとりと手を離した。

最後まで震えながら刃物を握っていた若い男も、騎士に見下ろされた瞬間、諦めたようにそれを落とした。

縄で縛られ、道端に座らされた男たちは、近くで見ると余計に“賊”らしくなかった。

頬はこけ、手は荒れている。

日に焼けた腕。

土と木のささくれが染みついた爪。

畑仕事か、荷運びか、そういう手だ。

俺は馬車から降りて、その前に立った。

「お前たち、どこの者だ」

最初は誰も答えない。

騎士の一人が一歩前へ出ると、年かさの男が観念したように口を開いた。

「……グレイヴ領の村の者です」

「村の者、ね」

「はい」

やっぱりか。

「盗賊じゃないな」

俺が言うと、男は苦い顔をした。

「なりたくてなったわけじゃねえ」

「じゃあ、何でこんな真似をした」

「……」

また黙る。

その横で、若い男が唇を噛んだ。目の下に隈がある。

こっちを睨み返す力もない。ただ、追い詰められた獣みたいな顔だけをしていた。

騎士の一人が低く言う。

「正直に言え。隠して得することはない」

少し間があってから、別の男がぼそりと漏らした。

「金だ」

「誰の金だ?」

俺が聞くと、男は首を振る。

「名前は知らねえ」

「知らない?」

「街道で待ってりゃいいって言われただけだ。立派な馬車が通る、荷を取れ、金は出すって」

完全な嘘ではなさそうだった。

だが、全部を喋っている顔でもない。

「相手は何人だった」

「一人だ」

「顔は」

「……よく見てねえ」

そこまで聞いて、俺は男たちの格好をもう一度見た。

粗末な外套。

補修だらけの靴。

腹を満たせていない体つき。

道を塞いだのは悪い。襲ってきた以上、放置はできない。

でも、こいつらは街道を荒らして食ってきた本職の賊じゃない。

明らかに、どこかの農村か人足場から崩れた人間だ。

「何でそんな金が要った」

俺が聞くと、若い男が吐き捨てるように言った。

「食うためだよ」

「……」

「戻っても仕事はねえ。税は取られる。冬は越えなきゃならねえ。

向こうで何とかなるって言われて、何もならなかった」

そこまで言ってから、はっとしたように口をつぐむ。

向こう。

つまり、グレイヴ領の外へ出ていた時期があるということだろう。

「どうします?」

騎士の一人が俺に聞く。

答えはもう決まっていた。

「ここで終わらせない」

俺は言う。

「ハル領側の最寄りの詰所へ連れていく。

身元と村を確認して、誰に動かされたかも絞る」

「承知しました」

男たちの顔色が変わる。

何人かはあからさまに怯えた。

「殺しはしない」

俺は先に言った。

「でも、襲った以上は話してもらう」

年かさの男がうつむいたまま、小さく息を吐いた。

騎士たちが男たちを立たせ、縄をまとめる。御者も馬を落ち着かせ直していた。

ドラウゼン侯爵領はもうすぐそこだ。

けれど、まず戻る先はハル領側の詰所になる。

その準備を見ながら、俺はさっき領都で手を振ってくれた見習い職人たちの顔を思い出していた。

同じくらいの年頃の男たちが、片や朝から工房へ向かい、片や街道で刃物を握っている。

違うのは、才能や根性だけじゃない。

流れだ。

どこへ流れ着いたか。

誰に使われたか。

そこからこぼれた時、拾う仕組みがあるかどうか。

昨日まで帳面の上で見ようとしていた“人の流れ”が、今日は街道の上で、もっと生々しい形になって俺の前に現れていた。

「リオン様」

騎士の一人が声をかける。

「行きましょう。日が落ちる前に詰所へ着かねば」

「ああ」

馬車へ戻りながら、俺はもう一度だけ縛られた男たちを見た。

ハル領では、働き手の流れを数え始めた。

けれど街道の上では、その流れからこぼれた者たちが、もう別の形で現れ始めている。

王都への道はまだ先が長い。