軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第159話 排水路

翌朝。

俺は父の執務室で、領都の簡単な見取り図を机の上に広げていた。

公衆浴場の裏から街外れまで、何本かの線が引かれている。昨夜、頭の中で考えた候補を、寝る前にざっと書き出しておいたものだ。

父はそれを見下ろしながら言った。

「思ったより早いな」

「考えるだけなら夜でもできるからね」

「だが、決めるには現場を見る必要がある」

「だから今日見る」

俺が頷くと、横に立っていたノルが腕を組んだ。

「見る場所は三つですな」

「浴場の裏。街中を抜ける線。そして街外れの受け場」

「その三つを今日中に押さえれば、応急措置と本工事を並行で始められるのか」

父が言う。

「そう」

俺は地図の上を指でなぞった。

「ただし、全部を一度に俺が見て回るのは非効率だ。方針と線だけ俺が決めて、あとは班に分けて動かす」

父が少しだけ目を細めた。

「人手は要るぞ」

「要る。でも、やるなら今だ。春になってからじゃ遅い」

「分かった。浴場の管理役、土木の現場役、それと領都の古い井戸の位置に詳しい者をつける」

そう言って父は席を立った。

「リオン」

「何?」

「近い道が、良い道とは限らん」

「分かってる」

それはまさに、今日見に行く理由そのものだった。

主だった人が揃い今回の工事内容について説明した後、最初に見たのは公衆浴場の裏だった。

昨日も見た流れだ。使い終わった湯が細く流れ、用水路側へ落ちていく。今朝は番台の男に頼んで、湯を落とす口の位置と、一度に流れる量も見せてもらった。

浴場の管理役、土木役、ノル、それに井戸の位置をよく知る年配の男が後ろにいる。

「まずここだ」

俺は裏手の地面を見た。

「このまま落とさず、裏で受ける。浅くていいが、泥や重い汚れが一度止まる場所が要る」

「受け枡ですな」

土木役が頷く。

「そう。その先は地下に落とす」

管理役が少し驚いた顔をする。

「地上に溝を作るのではなく?」

「街の真ん中に汚れた水の流れを見せたくない。人も荷車も多いし、冬はまだいいが、春以降は臭いも出る」

ノルが低く言う。

「なら、問題はどこを通すかですな」

「ああ。見に行こう」

候補の一つ目は、浴場の裏からまっすぐ外れへ向かう最短の線だった。

確かに近い。歩いてもすぐだ。

だが、少し進んだところで俺は足を止めた。

「井戸が近いな」

年配の男がすぐに答える。

「ええ。この先に共同井戸があります。近所の家が何軒か使っております」

「却下だ」

俺は即答した。

土木役が少し惜しそうな顔をする。

「ここが一番早く掘れますが」

「早くても駄目だ。井戸の近くは避ける。用水と排水を分ける話をしてるのに、取水の近くへ寄せたら意味がない」

「……なるほど」

そこで候補一つ目は消えた。

次に見たのは、裏道沿いに曲がりながら抜ける線だった。こちらは人通りも少なく、井戸からも距離を取りやすい。

だが、歩いていくうちに今度は別の問題が見えた。

「ここは後で家が増えそうだな」

俺がそう言うと、年配の男が頷く。

「ええ。最近はこのあたりにも家を建てたいという話が出ております」

「まだ空いてるが、空いてるからこそ今後使われるということですな」

ノルが言った。

今だけ見れば、ここも悪くない。

だが数年後に街が伸びた時、排水路の真上に家や店が並ぶようでは後から困る。

ここも、候補から一段落ちた。

三つ目の候補は、少し遠回りだった。

浴場の裏からいったん人通りの少ない脇道へ逃がし、そのまま緩やかに下る外れ側へ落としていく。距離は伸びる。だが歩いていて分かったのは、この線が一番素直に下っていることだった。

俺は何度か立ち止まり、足元と周囲を見比べた。

「悪くない」

「遠いですが」

土木役が言う。

「多少遠くても、流れが止まりにくい。途中に井戸も少ない」

「人家も少なめですな」

ノルが周囲を見回す。

さらに先へ進むと、領都の外れに近い菜園地と、その向こうの少し低くなった荒地が見えた。

俺はそこで立ち止まり、しばらく黙って地形を見た。

「若様?」

管理役が声をかける。

「ここだな」

「受け場ですか」

「候補としては一番いい」

人家から少し離れている。

井戸も遠い。

地面も低く、水を集めやすい。

すぐ隣が畑というわけでもない。

何より、今後しばらくは街の中心がこちら側へ一気に伸びる感じでもない。

「ここで一度受ける」

俺は地面に棒で円を描いた。

「大きくしすぎなくていい。まずは浴場の分を受けられるだけでいい。

その先は様子を見ながら整えてもらおう」

「沈殿池というやつですな」

土木役が言う。

「そう。ただし、街中みたいに見た目は気にしなくていい。ここは機能優先だ」

ノルが少し考えてから言った。

「すると、街中と外れで工法を分けますか」

「分ける」

俺は振り返った。

「街の中は石で固めて蓋をする。地上に見せない。人も荷車も通るからな」

「地下水路ですな」

「そう。逆に外れ側まで全部をきれいな石管で揃える必要はない。時間がかかりすぎる」

「全部を石の管で通すのではなく?」

管理役が聞く。

「うん、全部石の管にするのは無駄だ」

俺ははっきり言った。

「必要な石の量も、加工の手間も大きすぎる。

俺があと三週間で王都へ戻るから、それまでに要所だけは完成させたい。

街の中心部は地下水路。外れへ向かう部分は、もっと簡素な石組み排水路でいい。

点検しやすいように、曲がりと分かれ目に枡だけ置く」

土木役の顔が少し明るくなる。

「それなら工期がかなり縮みます」

「だろ。理想を全部盛るより、まず通すことが大事だ」

領都へ戻る途中、俺はノルと土木役を呼び寄せた。

「班を三つに分ける」

「三つ?」

ノルが聞く。

「そう。ひとつ目は浴場裏の応急措置班。受け枡を作って、用水路へ直接落ちるのを止める。これは最優先、今日から動いてほしい」

「はい」

土木役が即答する。

「ふたつ目。街中の本線班。俺が切った線に沿って、中心部の地下水路を掘る。

ここは井戸と人家の近くは必ず確認をして欲しい」

「承知しました」

「みっつ目。領都外れ側の整地班。受け場の場所を空けよう。

排水を溜めて沈殿させる予定地の周囲を見て、水が集まる向きを確認する。

ここは後で広げられるように余白も残してほしい」

ノルがそこで頷いた。

「つまり、若様が見るべき場所と、現場に任せてよい場所を最初に切り分けるわけですな」

「そういうこと」

全部を俺が見ていたら間に合わない。

でも、見るべきところを最初に押さえておけば、工事自体は並行で動かせる。

「必要人員は増えますぞ」

ノルが言う。

「増える。でも今の領都なら何とかならないかな?」

「西の森を開拓している人員を動員すれば必要な人数は揃うかと。」

「うん。他にも出稼ぎで来ている人や移住希望者にも手伝ってもらおう。」

土木役が低く唸った。

「かなりの工事になりますな」

「なる。だからこそ、どこに人を集中させるかが大事なんだ。」

領都へ戻ってから、俺は父に結果を伝えた。

「最終的に選んだのは、少し遠回りだが下りを取りやすく、井戸と人家を避けられる線にした」

俺は地図の上に新しく引いた線を見せた。

「街中は地下水路。外れ側は簡素な石組み排水路。受け場はここ」

「菜園地のさらに外か」

「ここなら人家とも井戸とも距離が取れるからね」

父はしばらく地図を見ていたが、やがて息を吐いた。

「人はどうする?」

父が言う。

「人が増えてるとはいえ全員をこの作業に充てるわけにはいくまい」

「うん、分かってる。今回は西の森開拓の方からも人を手配してもらうつもりだよ。

あとは班を分けて、俺が見なきゃいけないところを優先的にはじめて、そうじゃないところは春までに終わる予定で人員を組めばいい。」

「わかった。おまえの言うとおりに進めてくれ」

父は地図をたたんで机に置いた。

その日の夕方、俺はもう一度だけ公衆浴場の裏へ立った。

ここから、あの外れまで一本の線を通す。

街の真ん中では見えないように。

人が使う水とは交わらないように。

そして最後は、街の外で受けるように。

街灯の時は、夜を照らすための線を考えた。

今度は、街を汚さずに済ませるための線だ。

どちらも、目に見える場所だけでは完成しない。

そして、どちらも領都が大きくなるなら避けて通れない。

そういう段階まで、ハル領はもう来ている。