作品タイトル不明
第153話 水車小屋
公衆浴場から戻ったあと、俺は湯冷めしないうちに着替えを済ませ、夜食を取ってから父の執務室へ向かった。
さすがにこの時間なら、もう仕事は切り上げているかと思ったが、執務室の扉の下からはまだ明かりが漏れている。
ノックをすると、すぐに父の声が返ってきた。
「入れ」
中へ入ると、父は机の上の書類から顔を上げた。昼間と同じように几帳面に整えられた机の上には、まだ片づいていない報告書がいくつか残っている。
「遅くに悪い」
「いや。構わない」
父はそう言って、向かいの椅子を顎で示した。
「工房を見て、そのまま公衆浴場へ行ったんだったな」
「ああ。で、その両方で気になることがあった」
俺がそう言うと、父の表情が少しだけ引き締まる。
「まずは公衆浴場のほうから話す」
椅子に腰を下ろして、俺は今日見たままを説明した。
公衆浴場そのものは悪くない。
使い勝手も良いし、冬場にあれだけ人が入るなら、住民の満足度も高いだろう。
問題はその横を流れていた用水路だ。
「浴場で使った湯が、そのまま用水路へ流れ込んでた」
「……そうか」
父は眉を寄せた。
「建てる時に、その点を気にした者はいた。
だが、まずは形にするのを優先したのだろう」
俺は頷いた。
「今はまだいい。水温も低いし、利用者もそこまで多くない。
ぱっと見で被害が出ているようには見えない。
でもこのままだと、暖かくなって利用者が増えた時に一気に悪くなる」
「用水と排水か」
「このまま公衆浴場の使い終わったお湯が用水路へ流れると、汚れた湯が溜まって水質が落ちる。
下流に住む人たちがその水を使えば、そこにも影響が出る。
今はただの風呂の排水でも、人が増えればそれだけで水質は悪くなる」
父は机の上で指を組み、少し考えるように視線を落とした。
「そうなると別の排水路を引く必要があるな」
「少なくとも、用水と同じ流れで考えちゃ駄目だ」
俺がそう言うと、父は短く息を吐いた。
「分かった。そちらは冬の間にできるところまで手を打とう。」
「頼む。俺も街灯の問題が決着したら手伝うよ。春になる前にできることはしておいた方が良い」
ひとつ目の報告を終えて、俺は少しだけ間を置いた。
「それと、街灯のほうなんだけど、、、」
「何か見つかったのか?」
父の目が、今度ははっきりとこちらを見る。
「まだ確定じゃない。でも、突破口にはなるかもしれない」
俺は工房で見たことを順に話した。
青輝石に混じって運び込まれてくる純石。
価値がないと思われている透明な石。
足踏み砥石や研磨台の近くで、たまに規格外の青輝石が反応していたこと。
そして、純石に一定の振動や回転を与えると、青輝石がごくわずかに光ること。
父は途中で一度も口を挟まなかった。
「……つまり、その純石に動きを与え続ければ、街灯の青輝石へ流し込む魔力の負担を減らせるかもしれん、と」
「そういうこと」
俺は頷いた。
「ただ、今のままだと使い物にはならない。
純石を手で揺らし続けるくらいなら、騎士が魔力を流し込むのと大差ない。
必要なのは、人の手じゃない。毎日、安定して動き続ける力だ」
そこで、父の目がわずかに細くなる。
「水車か」
「そう。領都にもあるかな?」
「ある。古いものだがな」
父はそう言って、机の脇に立てかけてあった領内図を引き寄せた。
「領都の外れに一つ、小さな水車小屋が残っている。
もともとは穀物を挽くためのものだ。
今も完全に止めてはいないが、主力と言うほど使っているわけでもない」
「見に行きたい」
「だろうと思った」
父は苦笑ともつかない息を漏らした。
「ただし、お前の考えていることがそのままうまくいくとは限らんぞ」
「分かってる。水車が回ってるだけで純石が都合よく使えるなら、とっくに誰か気づいてるはずだ」
「そこまで分かっているならいい」
父は領内図を軽く叩いた。
「明日の朝、案内をつける。ノルに声をかけておこう」
「ああ、ありがとう」
席を立つ前に、父がふと口を開いた。
「リオン」
「ん?」
「街灯の件も、公衆浴場の排水も、どちらもただの思いつきで片づく話ではない。
だが、お前が今日それを見つけたのは大きい」
その言い方は、珍しく少しだけ柔らかかった。
「悪くない仕事だ」
「……どうも」
そう返して立ち上がると、父はもう次の書類へ視線を戻していた。
けれど、その横顔が少しだけ安堵して見えたのは、たぶん気のせいじゃない。
◇
翌朝。
空気はよく冷えていたが、空はよく晴れていた。
俺はノルと、工房のベテラン職人を一人連れて、領都の外れへ向かっていた。
「まさか若様と水車小屋へ行くことになるとは思いませんでしたな」
ベテラン職人が苦笑する。
「俺も、純石がこんな話につながるとは思ってなかった」
「昨日のあれ、本当に驚きましたよ」
ノルは無口なほうだが、今日は珍しく素直にそう言った。
「私も街灯のことは長く見ていますが、まさかあの混じり石に若様が目をつけるとは思いませんでした」
「俺もまだ半分は勘だよ」
「その勘でここまで来られるのが若様です」
褒めているのか圧をかけているのか分からない。
領都を離れ、用水路沿いの道をしばらく進むと、小さな建物が見えてきた。
木造の小屋。
その脇に、大きな水車が一基。
ごとり、ごとり、と重い音を立てながら、冬の水を受けてゆっくり回っている。
「これか」
「はい。今は主に近場の粉挽き用ですな」
ベテラン職人が言う。
「昔はもう少し使っていたんですが、今は手挽きと併用してる状態でして」
小屋の近くまで寄ると、水車の回転がよりはっきり見えた。
速くはない。
むしろ遅い。
だが、止まらない。
水の流れを受けて、一定の重さで、ゆっくりと回り続けている。
俺はしばらく黙って、それを見つめた。
水の落ちる位置。
羽根の角度。
軸の太さ。
回転のぶれ。
小屋の中へ伝わる動き。
「どうです?」
ノルに聞かれて、俺は正直に答えた。
「悪くない」
「使えそうですか」
「水車そのものはね」
そのまま小屋の中へ入り、動力の伝わり方を見る。
木の軸が回り、簡単な仕組みで石臼側へ力を渡している。
構造は単純だが、そのぶん無駄も見えやすい。
俺はそこで綻びの目を発動した。
《回転出力:安定》
《力損失:中》
《伝達効率:低》
《連続稼働:可》
《用途転換余地:有》
表示を見て、思わず口元が上がる。
やっぱり、動力自体は足りている。
問題はそこじゃない。
「若様?」
ベテラン職人が不思議そうにこちらを見る。
「足りないのは水車じゃない」
「は?」
「純石が欲しがってる動きと、水車が生み出す動きは、たぶん少し違う」
ノルがわずかに眉をひそめた。
「違う、ですか」
「ああ」
俺は回り続ける水車を見ながら言った。
「水車は強い。しかも、人の手よりずっと長く、安定して回り続ける。
そこは問題ない。けど、昨日工房で見た純石の反応を思い出すと、ただ大きく回せばいいって話でもなさそうなんだ」
昨日の実験を頭の中でなぞる。
純石は、手に持っているだけでは反応しなかった。
一回強く振っただけでも駄目だった。
反応したのは、細かい振動が続いた時。あるいは、一定の回転が途切れず伝わった時だ。
つまり、必要なのはただの力じゃない。
純石が反応しやすい形の動きだ。
「このまま水車の軸に純石をつけても、うまくいかないかもしれない」
「では、どうするんで?」
「水車の回り方を、そのまま渡すんじゃなくて、変えるんだ」
俺は水車の横にしゃがみ込み、回る軸と木組みを見比べた。
「たとえば、今の回転は遅くて重い。なら、歯車を噛ませて速さを変える。
あるいは、回る力を少しずつずらして、細かい揺れに変える。
水車の力をそのまま使うんじゃなくて、純石が一番反応しやすい動きに作り替える必要がある」
口に出しているうちに、自分の中でも考えが少しずつ形になっていく。
水車はある。
純石もある。
青輝石もある。
足りないのは、その三つを一本につなぐ仕組みだ。
「なるほどな……」
ベテラン職人が腕を組んで唸った。
「水車の力を、そのまま使うんじゃない。使いやすい形に変えるってことですか」
「そういうことだ」
ノルも水車を見上げたまま、低く言う。
「確かに、この回り方は石臼を動かすには向いていても、若様の言う純石にはそのままでは合わないのかもしれませんな」
「たぶんな」
俺は立ち上がって、もう一度水車を見た。
ゆっくりだ。
だが、止まらない。
水の流れを受けて、変わらず回り続けている。
もしこの力を、純石に都合のいい揺れや回転へ変えられたら。
もしその先で、純石が帯びた何かを青輝石へ渡せたら。
それは街灯の点灯補助だけで終わらないかもしれない。
人の手でやっていたことを、流れそのものが少しずつ肩代わりし始める。
そんな未来が、ぼんやりとだが見えた気がした。
もっとも、今はまだ早い。
水車が使えると分かっただけだ。
純石にどう伝えるのか。
どれくらいの速さや揺れが必要なのか。
帯びた力をどう青輝石へ渡すのか。
考えるべきことは、まだいくらでもある。
「若様」
ノルが声をかける。
「何だ」
「見込みはありますか」
「ある」
俺ははっきり答えた。
「水車は使える。問題は、その力の使い方だ。工房に戻って、どう変えるかを考えればいい」
ノルは短く頷いた。
ベテラン職人も、今度はさっきより納得した顔をしている。
小屋の外へ出ると、冬の水が変わらず流れていた。
人が疲れても、水は流れ続ける。
人が眠っても、水は回り続ける。
誰に聞かせるでもなく、俺は小さく呟いた。
「動力を、動きに変える仕組みだ」