作品タイトル不明
第152話 回り続ける力
純石の反応を確かめたあとも、俺はしばらく工房の片隅で考え込んでいた。
純石は、動きを与えると性質が変わる。
圧力、振動、回転。
そうした力を受けることで、青輝石の反応を引き出す何かを帯びる。
そこまでは見えた。
だが、見えたところで、すぐに街灯の問題が片付くわけじゃない。
結局、誰かがその石を動かし続けなければならないなら、騎士が魔力を流し込むのと大差がない。
負担のかかる場所が変わるだけだ。
「……駄目だな」
思わずそう呟く。
純石を一つずつ手で揺らして街灯を点ける。
そんなやり方で領内の主要部に何十本も灯りを増やせるわけがない。
必要なのは、人の手で回す力じゃない。
もっと長く、もっと安定して、毎日続く動きだ。
そこで、工房の終業を告げる声が上がった。
木を削る音が止まり、金具を打つ音が減り、人の流れが少しずつ出口へ向かっていく。
張り詰めていた現場の空気が、ようやく一段緩んだ。
「若様」
振り返ると、最初に挨拶してくれたベテラン職人が、腰を軽く叩きながら笑っていた。
「今日はもうこのへんで終わりです。工房で汗をかいたあとは、公衆浴場へ行きましょう」
「風呂か」
「ええ。最近できたばかりですが、なかなか良いですよ」
仕事上がりの風呂。
前世の日本人だった自分の感覚が、それを断る選択肢をあっさり消した。
「……行く」
「ですよね!」
ベテラン職人が嬉しそうに笑う。
ミアが横で小さく咳払いをした。
「リオン様、私は先に屋敷へ戻ります」
「ああ、分かった。今日のことはあとで父さんにも話す」
「承知しました」
ミアは一礼し、それ以上余計なことは言わずに工房を出ていった。
ああいうところが、やっぱり抜け目ない。
◇
工房から公衆浴場までは、歩いてそう遠くなかった。
夕方から夜へ移る領都の空気は冷たかったが、街灯が増えたせいか、通りの雰囲気は以前よりずっと柔らかい。
仕事を終えた職人たちが笑いながら歩き、買い物を済ませた住民が家路を急ぎ、夜警も落ち着いた足取りで巡回している。
「ずいぶん雰囲気が変わったな」
「でしょう?」
隣を歩くベテラン職人が、少し誇らしげに胸を張った。
「若様が西の森で露天風呂を作ったでしょう。あれがかなり評判になりましてね」
「評判なのは聞いてる」
「その流れで、領都にも大きめの公衆浴場を作ろうって話になったんです。温泉じゃありませんが、湯を張って皆が入れる場所を整えれば、冬場は特に喜ばれるだろうと」
「なるほど」
たしかに、冬の風呂は強い。
しかも仕事終わりの職人や労働者なら、なおさら需要はあるはずだ。
「最初は簡素なものになるかと思ってたんですが、思ったより立派になりまして」
「へえ」
「若様の露天風呂を見た連中が、ああいうのが良い、こういうのも欲しいって言い出しましてね。更衣所も広くなりましたし、湯上がりに休める場所もあります」
自分が作ったものや考えたことが、他人の手で別の形に育っていく。
それは素直に、悪くない気分だった。
前世の知識をそのまま持ち込んで、俺が全部を作る。
それだけじゃ、結局領地は変わらない。
この世界の人間が、自分たちで使いやすい形へ広げていく。
そこまで行って初めて、本当に根づいたと言える。
「若様がいなかったら、ここまでにはなってませんよ」
「いや、俺一人じゃ無理だろ」
「それでも、最初の一歩は若様です」
ベテラン職人はそう言い切った。
少し照れくさいが、否定しすぎるのも違う気がしたので、俺は曖昧に鼻を鳴らすだけにしておいた。
◇
やがて、公衆浴場が見えてきた。
湯気が白く立ちのぼっている。
建物は西の森の露天風呂ほど風情重視ではないが、そのぶん機能的で、出入りする人間の流れが見やすかった。
「結構人が入ってるな」
「今日はまだ少ないほうです。寒い日はもっと混みますよ」
入口の横には桶が積まれ、脱いだ履き物が整然と並んでいる。
中からは水の音と、人の話し声、湯気のこもった空気が漏れてきた。
その時、俺の視線が、公衆浴場の建物の脇へ流れた。
用水路だ。
浴場の横を流れる細い水路に、湯の色をわずかに含んだ水が流れ込んでいる。
「……ん?」
違和感が走る。
綻びの目が、そこで自然に発動した。
《排水混入:有》
《水質低下:進行》
《下流影響:中》
《春以降:悪化》
俺は足を止めた。
「若様?」
「少し待ってくれ」
ベテラン職人が不思議そうに振り返る。
俺は用水路のそばまで寄り、流れを見下ろした。
今は冬だ。水温も低いし、人の数も夏よりは少ない。だから、ぱっと見で何か大きな被害が出ているようには見えない。
だが、この綻びは良くない。
浴場で使った湯が、そのまま近い場所へ流れ込んでいる。
今はまだいい。
けれど、暖かくなって利用者が増えれば、汚れは溜まり、水質は悪化する。
放っておけば、春から夏にかけて問題になる。
「……ここは冬休み中になんとかしなきゃな」
風呂へ入る前に、ひとつ課題を見つけてしまった。
排水は、いずれ手を打たないといけない。
用水と汚水を同じ流れで考えていたら、そのうち足元をすくわれる。
だが同時に、俺の目はその“流れ”そのものにも止まっていた。
水は、止まらない。
少なくとも、今この場所では、人の手を借りずに流れ続けている。
もしこの流れを別の形で使えたら。
純石を、人の手ではなく、水の力で回し続けられたら。
胸の中で、何かがつながった。
人が踏み続けなくてもいい。
毎日、一定の力が加わる。
しかも領都の中には、こういう流れが既にある。
用水路。
水車――。
「若様、本当にどうされました?」
「いや……」
俺は視線を用水路から外し、公衆浴場の建物を見た。
「問題がひとつ見えた」
「問題、ですか?」
「ああ。だが同時に、使えるものも見えた」
ベテラン職人はますます分からないという顔をしたが、今ここで全部説明しても仕方がない。
「先に入ろう。風邪をひく」
「お、おお。そうでしたな」
◇
湯はよかった。
熱すぎず、ぬるすぎず、仕事上がりの体にちょうどいい温度だ。
肩まで浸かった瞬間、思わず息が漏れた。
「はぁ……」
これは断れない。
前世日本人としての自分が全面的に同意する。
広い湯船の中には、職人、荷運び、商人、夜警らしい男たちが入り混じっていた。
年齢も様々だ。仕事終わりの疲れを溶かすように、皆が思い思いに息をついている。
「若様も入るんですな」
「そりゃ入るだろ」
「なんか安心しましたよ。貴族の坊ちゃんって、もっと澄ました顔してるもんかと」
「失礼だな」
そう返すと、湯船の中に小さな笑いが広がった。
少しして、隣にいた男が話しかけてきた。日に焼けた顔で、訛りが少し強い。
「若様、最近は他所から来る人も増えましたな」
「やっぱりそう感じるか?」
「ええ。ここにも見慣れん顔が前より増えました」
男は湯を手ですくいながら言う。
「俺もその一人みたいなもんですけどね。グレイヴ領から来てます」
「出稼ぎか」
「はい。最初は冬の間だけのつもりでしたが……こっちは仕事がありますし、給料も悪くない」
周りの男たちも頷いている。
「飯もちゃんと食える」
「税の重さが違う」
「こっちは稼いだぶん、手元に残る感じがある」
そんな声がぽつぽつと出た。
税が軽い、という表現は少し違うかもしれない。
実際には、ハル領が発展途中で人手不足だから、仕事が多く、賃金も上がりやすい。
結果として可処分の金が増えて、住民にとっては“負担が軽い”と感じられるんだろう。
それでも、その感覚は大事だ。
住みやすい領だと思われること。
働いたぶん暮らしが楽になると感じられること。
それ自体は、領主側から見れば悪い話ではない。
「グレイヴ領はそんなに厳しいのか?」
俺が聞くと、さっきの男は苦い顔をした。
「年々、ですな。税は増えるし、物価も上がるし、こっちへ来て初めて分かりましたよ。俺ら、だいぶ苦しかったんだなって」
「領主は?」
「声なんて聞きません。上に行くほど、下の話は遠いんでしょう」
湯船の中に、短い沈黙が落ちた。
俺にとっても、グレイヴ侯爵家の印象は良くない。
だが、ここでそれに同調して簡単に貶すわけにもいかない。
何より、この問題は感情だけで割り切れない。
働き手が増えるのは、今のハル領にとって助かる。
けれど、この時代、前世の日本のように「来たい人が来ればいい」で済むわけじゃない。
領民は、そのまま領主の支配基盤になる。
人が減れば税収も労働力も減る。
王都からの評価だって落ちる。
だから他領から見れば、ハル領が人を吸っているようにも見えるだろう。
こちらにとっては“助かる流入”でも、向こうからすれば“基盤の流出”だ。
単純に、人が増えれば万事めでたい、という話ではない。
「……厄介だな」
小さく呟いた言葉は、湯気の中に溶けた。
「若様?」
「いや、独り言だ」
今はまだ、大きな衝突にはなっていない。
だが、このまま人の流れが続けば、いずれ見過ごせない火種になる。
街灯。
排水。
人口流入。
領が前へ進むほど、問題もまた形を変えて増えていく。
◇
風呂上がりの夜気は冷たかったが、さっきまでとは感じ方が違った。
体の芯に湯の温かさが残っているせいで、むしろ少し気持ちいいくらいだ。
公衆浴場の横を流れる用水路を、俺はもう一度見た。
排水は、いずれ分けなければならない。
このままでは駄目だ。
だが、水の流れそのものは使える。
人が手で動かすには限界がある。
純石の性質を活かすなら、必要なのは毎日、一定に、回り続ける力だ。
なら、答えは近くにある。
水だ。
流れ続ける用水路。
そこへ水車を置けば、人の手を使わずに動力を生み出せる。
その動力で純石を回し続ければ――。
「人の手じゃ足りない」
小さく、そう呟く。
「でも、水なら回り続ける」
まだ、形は見えていない。
どれほどの力が要るのか。
どうやって純石へ伝えるのか。
帯びた魔力をどう青輝石へ渡すのか。
課題は山ほどある。
それでも、次に進む道筋だけは、はっきり見えた気がした。