作品タイトル不明
第149話 冬の帰郷
王都を発った馬車の中で、俺は窓の外を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。
吐いた息は白い。
冬だ。
当たり前のことなのに、王都で慌ただしく過ごしていた数か月のあとだと、その冷たさが妙に新鮮に感じられた。
2学期。
たった3か月半ほどのはずなのに、思い返せばやけに長く、濃かった。
王のローヴェル領視察に同行したこと。
行軍訓練で他クラスの連中と組んだこと。
文化祭でじゃがバターを売ったこと。
冒険者として森に入り、Eランクの身でAランク魔獣ガルムベアを倒したこと。
そして、期末試験。
最後の最後に騎士団長と木剣を交えた実技査定まであった。
我ながら、よくもまああれだけ色々詰め込まれたものだと思う。
だが、濃かったぶんだけ、確かに前へ進んだ実感もある。
……とはいえ。
「3学期で決まる、か」
食堂でエドガーが口にした言葉を、思わず小さく繰り返す。
そうだ。
2学期が終わっただけで、何も決まっていない。
飛び級を狙うなら、本番はまだ先だ。
だからこの冬休みを、ただ気を抜いて過ごすつもりもない。
けれど同時に、久しぶりに帰るハル領のことを思うと、肩の力が少し抜けるのも確かだった。
王都の学院は刺激が多い。学ぶことも多い。
だが、常に張っていなければならない空気がある。
帰れば少しは息がつける。
いや、今の俺にとっては、帰った先でもやることはあるだろう。
それでも、王都とは違う。
馬車が揺れる。車輪が冬の道を軋ませる音が、一定のリズムで耳に残る。
窓の外では、白く乾いた畑と、葉を落とした木々が流れていった。
◇
数日後の日が傾き始めた頃、遠くに見慣れた領都の輪郭が見えてきた。
そこで、俺は思わず身を乗り出した。
「……おお」
小さく漏れた声は、ほとんど無意識だった。
明るい。
前より、明らかに。
夕暮れから夜へ移る、その境目の時間。
普通なら町の輪郭は少しずつ闇に沈んでいく。けれど、ハル領の領都は違った。
通りに灯る街灯の数が、目に見えて増えている。
ぽつり、ぽつりではない。
夏休みの終わり時点で少なかった灯りが、今は大通りの線を描くように連なっている。
以前なら薄闇に溶けていた道筋が、今は夜の中でもはっきりと分かった。
人の流れも残っている。
店じまいの準備をする者。買い物帰りらしい者。巡回する夜警や騎士。
前よりも、夜の領都が生きている。
「本当に増えたな……」
夏休みの間に考え、形にして、領内で広げ始めた街灯。
それが、ここまで景色を変えるとは。
もちろん、頭では分かっていた。報告も受けていた。
けれど、実際に自分の目で見るのは、まるで別だった。
馬車が門をくぐり、領都の中心部へ入る。
馬車を降り、俺はそのまま屋敷へ直行することもできたが、少しだけ遠回りして帰ることにした。
せっかく帰ってきたんだ。
まずは今の領都を、この目で見ておきたかった。
◇
冬の夜気は冷たい。
頬を刺すような空気に、思わず襟元を押さえる。
けれど、街灯の下には確かに人の気配があった。
以前なら日が落ちる前に店を閉めていたような小店が、今はまだ明かりの中で片付けをしている。
表通りでは、子どもの手を引いた母親が足早に家路を急いでいた。
それでも、その表情には前ほどの不安はない。
街灯があるだけで、夜道というのはここまで変わるのか。
「若様?」
通りを横切ろうとしていた男が、俺に気づいて足を止めた。
「ああ。戻ったのか」
「お帰りなさいませ、若様」
男はぺこりと頭を下げる。
顔には見覚えがあった。たしか市場の近くで布を扱っている店の主人だったはずだ。
「街灯、助かっておりますよ」
「そうか」
「前より閉める時間を少し遅らせても安心ですし、女房も子どもを迎えに行きやすくなったと言ってました」
その言葉に、胸の奥がじわりと温かくなる。
「それはよかった」
「ええ、本当に」
それ以上長く引き留めることもなく、男はまた頭を下げて去っていった。
少し歩くと、巡回中の夜警とすれ違う。
向こうも俺に気づいて姿勢を正したが、その足取りそのものは前より自然だった。
灯りがあるだけで、見える範囲が違う。
死角が減り、不審な動きにも気づきやすい。
夜警や騎士団長が言っていた「治安に効く」という話は、誇張でも何でもなかったわけだ。
ただ、その一方で気づくこともある。
街灯が増えたぶん、管理の手間も増えているはずだ。
あれを毎夕、1つずつ点けて回るのはかなり骨が折れるだろう。
しかも、ただ歩けばいいわけじゃない。
魔力を流し込んで灯す以上、担当する騎士の消耗もある。
景色が良くなった分だけ、裏で増えている負担もある。
そのことが頭の片隅に引っかかったが、今はまだその先まで考えすぎないことにした。
今日は帰ってきた日だ。
まずは、ちゃんと帰ったことを味わっていい。
◇
屋敷の門をくぐると、ようやく肩の力が少し落ちた。
見慣れた石畳。
見慣れた建物。
王都の貴族街とも学院の寮とも違う、ハル家の空気だ。
玄関へ向かう途中で、先に知らせを受けていたのだろう、使用人たちが慌ただしく動いているのが見えた。
扉が開く。
「リオン!」
最初に声を上げたのは母だった。
その顔を見た瞬間、ああ、帰ってきたんだな、と妙に実感した。
「ただいま」
「お帰りなさい。もう、本当に……よく帰ってきたわ」
母は嬉しそうに近寄ってきて、俺の顔をまじまじと見た。
「また背が伸びたんじゃない?」
「うん。」
「ちゃんとご飯を食べているのね」
矢継ぎ早の言葉に少し苦笑する。
その後ろから父が、いつもの落ち着いた顔で歩いてきた。
「よく戻ったな」
「ただいま、父上」
「充実した日々を送れているようだな」
表立って大げさにはしない。
でも、ちゃんと帰還を喜んでくれているのは分かる。
「お帰りなさいませ、リオン様」
少し遅れて、ミアが綺麗に一礼した。
「ミアもただいま」
「お疲れでしょう。温かい飲み物をすぐにご用意いたします」
「助かる」
「好みは変わっておりませんよね?」
「そこまで短い期間で変わらないよ」
そう返すと、ミアはほんの少しだけ口元を和らげた。
それを見て、また少し肩の力が抜ける。
変わったものもある。
でも、変わらないものもある。
その両方があるから、帰ってきたと感じるんだろう。
◇
荷を解く前に、まずは温かい飲み物が出された。
指先に伝わる熱がありがたい。
王都でも温かいものは飲んでいたはずなのに、家で飲むそれはどこか別物だった。
夕食の席では、母が王都での生活をあれこれ聞きたがった。
ちゃんと眠れていたか。
寒くなかったか。
変な怪我はしていないか。
学院の食事はどうだったか。
父は父で、試験結果に興味津々だった。
「二学期も学年トップだったのか。大したものだな」
「そう言われると、ちょっとむず痒いな」
「むず痒がっている場合ではないだろう。3学期がある」
「分かってるよ」
その返事に、父は小さく頷いた。
「お前ならそう言うと思っていた」
そこで一度、父は杯を置いた。
「領都の様子は少し見たか?」
「見た。街灯がかなり増えてたな」
「増えた。効果も出ている。夜の人の流れが変わったし、商いにも良い影響が出ている」
そこまでは、予想通りの話だった。
「ただ」
父が続けたその一言で、空気が少しだけ締まる。
「良いことばかりでもない」
俺は黙って父を見る。
「街灯の本数が増えた分、騎士たちの点灯作業の負担が重くなってきている。領都の夜が長く動くようになれば、別の問題も出てくる」
「……なるほど」
やっぱり、そこか。
さっき街を歩いた時に感じた引っかかりは、間違っていなかったらしい。
父はさらに続けようとして、一度口を止めた。
「他にも話したいことはあるが、今日は戻ったばかりだ。全部は明日にしよう」
「いや、別に今でも」
「休める時に休め」
きっぱりと言われて、少しだけ言葉に詰まる。
その横で母が頷いた。
「そうよ。帰ってきた初日くらい、ちゃんと家で落ち着きなさい」
「……分かった」
そう返すしかなかった。
けれど、その“他にもある”という言い方だけで十分だった。
街灯の問題だけじゃない。
領地は確かに良くなっている。
でも、良くなったからこそ出てくる課題もある。
この冬休みは、ただ休んで終わるものにはならなさそうだ。
◇
自室へ戻り、窓辺に立つ。
外には、以前より明るくなった領都の灯りが見えた。
夏休みに考え、形にし、動かしたことが、今こうして夜の景色になっている。
それは素直に嬉しかった。
けれど同時に、その灯りが増えたぶんだけ、新しい負担も、新しい綻びも生まれている。
父の口ぶりからすれば、街灯以外にもまだ何かあるのだろう。
変わり始めた領都には、次に解くべき問題が、もう生まれ始めている。
この冬休みも、退屈はしなさそうだ。