作品タイトル不明
第147話 騎士団長の評価
騎士団長の「勝負あり」という声が落ちたあとも、訓練場はすぐには動かなかった。
誰もが、目の前の光景をまだ飲み込みきれていない。
折れた木剣。
その先に届いた俺の切っ先。
そして、荒く息を吐いたまま立ち尽くす俺。
自分でも信じられないくらいなんだから、周りが呆然とするのも無理はない。
「……もう良いだろ?」
騎士団長の低い声で、ようやく身体が動いた。
俺ははっとして木剣を引き、一歩下がる。
その瞬間、さっきまで張りつめていたものが一気に抜けた。
足がふらつきかけて、危うくみっともなく膝をつくところだった。
やばい。
本当にぎりぎりだった。
騎士団長は折れた木剣を見下ろし、それから俺を見た。
「今の一合は、リオン・ハルの勝ちだ」
その一言で、周囲が再びざわつく。
だが騎士団長はすぐに続けた。
「ただし、勘違いするな」
ざわめきがぴたりと止まる。
「力でも技量でも、まだお前が俺を上回ったわけではない。」
俺は黙って頷いた。
そこに異論はない。
というより、実際に木剣を交えて、嫌というほど分かった。
この人は強い。
見える見えないの話じゃない。
技量も、経験も、判断も、全部が一段も二段も上にある。
「それでも、お前は勝ち筋を通した」
騎士団長の目が、まっすぐこちらを射抜く。
「自分が劣ると見たうえで、なお勝てる形を探した。
私自身だけでなく、この場にある情報をまとめて使い、最後の一合へ持ち込んだ」
折れた木剣を軽く持ち上げる。
「木剣の損耗まで含めてな」
訓練場のあちこちで、小さく息を呑む気配がした。
やっぱり、ただ折れたんじゃないと分かったらしい。
騎士団長はそのまま木剣を脇へ渡し、今度は訓練場全体に聞こえる声で言った。
「一本は一本だ。今の勝ちは取り消さん」
その断言は重かった。
勝った。
でも、ただ強さでねじ伏せたわけじゃない。
この人に一本取るための、細い道をなんとか通した。
そういう勝ちだ。
騎士団長は視線を動かした。
「エドガー・アルスレイン」
呼ばれたエドガーが、すぐに一歩前へ出る。
「お前はよく見えている。剣も頭も回る。選び方も悪くない」
騎士団長は淡々と告げた。
「だが、整いすぎている。
上を相手にした時、正しい手を選ぶだけでは届かん場面がある。
崩されることを恐れれば、選択肢はかえって狭まる」
エドガーはまっすぐ騎士団長を見返した。
「……肝に銘じます」
短い返答。
だが、その目の奥には、さっきよりはっきりとした熱があった。
悔しいんだろう。
でも、折れてはいない。
騎士団長の視線が次に移る。
「ガイル・ベイルン」
ガイルもすぐに出る。
「お前の踏み込みと重さは武器だ。受ける側に考える暇を与えん。
戦場では、ああいう前へ出る強さは確かに価値がある」
ガイルの目が、わずかに揺れた。
認められたことは嬉しいはずだ。けれど、その先がある。
「だが、上を相手に押し切るには、読む力がまだ足りん。
力で割る前に、相手の逃げ道を消せ。そうすれば、お前の武はもっと厄介になる」
「……次はそうします」
ガイルの返事は短い。
けれど、そこに言い訳はなかった。
ただ悔しさを飲み込み、そのまま前へ進もうとしている声だ。
そして最後に、騎士団長は再び俺を見た。
「リオン・ハル」
さっきより、ほんの少しだけ訓練場の空気が重くなる。
視線の集まり方が違う。
俺はまだ息が完全には整っていなかったが、それでもなんとか背筋を伸ばした。
「お前は最初から、正面から私に勝てるとは考えていなかったな」
「……はい」
そこは素直に認める。
考えたところで無理なものは無理だ。
「いい判断だ」
あっさりと言われて、一瞬だけ面食らった。
「格上を相手にした時、自分がどこで劣るかを見誤らないのも才のうちだ」
騎士団長は続ける。
「普通の生徒は相手を見る。
せいぜい相手の剣筋や癖までだ。
お前は違った」
折れた木剣が教師の手から回収されるのを横目で見ながら、騎士団長は言った。
「お前は場を見た。
私の受け方、木剣の損耗、残っていた疲労、自分があと何手動けるか――そういうものを全部まとめて勝ち筋に変えた」
その言葉は、俺の中で静かに落ちた。
ああ。
この人は、本当に全部見えていたんだな。
「それは剣の強さとは別の才だ。
だが、戦場ではそういう才が生死を分ける」
少しだけ間を置く。
「ガルムベアを倒したと聞いた時は、報告が誇張されている可能性も考えた」
周囲がわずかにざわついた。
だが、騎士団長は気にせず言い切った。
「今は分かる。お前は強敵相手に、勝てる形を探し出す人間だ」
胸の奥が、じわりと熱くなった。
嬉しいとか、誇らしいとか、そういう単純な感情じゃない。
もっと重い。
自分のやってきたことを、ちゃんと分かる人に見抜かれた感覚だ。
「……ありがとうございます」
絞り出した声は、自分で思ったより少しだけ掠れていた。
◇
そのあと、学院長が一歩前へ出た。
「三人とも、非常に価値のある査定だったな」
落ち着いた声が訓練場に広がる。
「ただ強いだけでは、上には進めない。
見て、考え、通すべき一手を選べる者が上へ進む」
学院長の視線が、俺たち三人を順に見た。
「筆記、応用課題、そして実技。
今日の査定は、それらがすべて地続きであることをよく示している」
ただ頭がいいだけでは駄目。
ただ剣が強いだけでも駄目。
ナディアはほっとしたように胸に手を当てていたし、セレナは静かに俺を見ていた。
その目は柔らかいようでいて、まったく油断していない。
「本当に、あなたらしい勝ち方だったわ」
セレナが言う。
「まあな」
俺が苦笑すると、セレナはほんの少しだけ口元を上げた。
ナディアも近づいてくる。
「本当に無茶をしますね」
「自分でもそう思う」
「でも、すごかったです」
その言い方がナディアらしくて、少しだけ肩の力が抜けた。
ヴィクトルは肩をすくめる。
「木剣の損耗まで勝ち筋に変えるとか、商売人でもそこまで露骨にはやらないよ」
「褒めてるのか?」
「褒めてる。半分くらいは」
ガイルはしばらく黙っていたが、やがて低く言った。
「……そういう勝ち方もあるんだな」
その声に、悔しさがないわけじゃない。
けれど、それ以上に、ちゃんと吸収しようとしているのが分かる。
エドガーは少し離れたところで、静かにこちらを見ていた。
何も言わない。
でも、その沈黙が一番熱かった。
◇
筆記、応用課題、実技。
全部が終わった。
あとは、それが点になって返ってくるだけだ。
教師たちが採点表をまとめ始める。
実技の余韻がまだ訓練場に残っているのに、もう次の段取りは進んでいる。
俺はようやく呼吸を整えながら、その様子を見た。