軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第146話 騎士団長査定

騎士団長が木剣を取っただけで、訓練場の空気が一段沈んだ。

さっきまでの実技試験も十分に張りつめていた。だが、今は違う。

これはもう、学生同士の点数争いじゃない。

騎士団長という明らかな格上を前にして、どこまで通じるかを見られる査定だ。

その最初に立つのは、エドガーだった。

第二王子は静かな足取りで中央へ進み、騎士団長の前で一礼する。

騎士団長も軽く頷いた。

「始めるぞ」

短い声。

それだけで、周囲のざわめきが完全に消えた。

エドガーは、いつも通り静かに構えた。

肩に力は入っていない。だが、ゆるんでもいない。呼吸も、視線も、間合いの取り方も、無駄がない。

対する騎士団長は、さらに自然だった。

構えているはずなのに、隙がない。

いや、隙がないというより――どこからでも動ける。

始まりの合図と同時に、エドガーは動かなかった。

不用意に踏み込めば、その瞬間に取られる。

それが分かっているからだろう。

騎士団長もまた、急かさない。待っているようでいて、実際は待っていない。

いつでも始められる位置に立ったまま、相手がどう出るかを見ている。

重い。

そう感じたのは、きっと俺だけじゃない。

数呼吸分の静止のあと、エドガーが初めて動いた。

探るような一歩。

そこに騎士団長の木剣がぴくりと反応する。

エドガーはすぐに踏み込みを止め、角度を変える。正面から行けば危ないと読んだんだろう。ならば、と横へずらし、次の一手を探る。

すごい。

普通の生徒なら、今の時点でもう飲まれている。

だがエドガーは崩れない。むしろ、騎士団長の圧を受けながら、その中で正しい手を探し続けている。

そして三合目。

エドガーの突きが伸びた。

速い。正確だ。いいところに入っている。

騎士団長はそれを木剣で受け流した。

木剣の甲高い音が響く。

次の瞬間、騎士団長の返しが飛ぶ。

エドガーは受ける。外す。下がらない。

だが、その選択肢を全部一歩ずつ狭められていく。

見ていて分かる。

エドガーは間違っていない。

それでも、その正しさの先に、騎士団長がいる。

五合目で、決まった。

エドガーが左へ逃がした木剣を、騎士団長が半歩だけ深く踏み込みながら絡め取る。そのまま、最短距離で木剣が胸元へ届いた。

「そこまで」

ローヴェン先生の声が響く。

訓練場が、息を飲んだまま固まる。

エドガーはすぐに下がり、一礼した。騎士団長も短く頷く。

「よく見えている」

騎士団長が言った。

「無駄も少ない。選び方も悪くない」

エドガーは黙って聞いている。

「だが、整いすぎている。上を相手にするなら、正しい手を選ぶだけでは足りん」

「……肝に銘じます」

短いやり取りのあと、エドガーが戻ってくる。

表情は大きく変わらない。だが、目だけはさっきより少し鋭くなっていた。

「すごかったな」

俺が小さく言うと、エドガーは苦く笑った。

「そう見えたなら嬉しいが、届かなかった」

「いや、普通ならあそこまでやれないだろ」

「同感ね」

セレナも低く言った。

そのとき、次の名が呼ばれた。

「ガイル・ベイルン」

ガイルは返事も短く、中央へ出た。

エドガーの静かな査定のあとだけに、訓練場の空気がまた違って見える。

始まる前から、ガイルの身体には前へ出る気配がある。

騎士団長もそれを感じているのか、さっきよりほんのわずかに重心を落とした。

「始め」

その一声と同時に、ガイルが踏み込む。

速い。

さっきまでの生徒相手の時より、さらに一段鋭い。

初手から本気だ。

騎士団長は受けた。真正面から。

鈍い音が訓練場に響く。

木剣同士がぶつかっただけのはずなのに、まるで硬い板に鉄を叩きつけたような重い音だった。

ガイルは止まらない。

二撃目、三撃目と畳みかける。

ただ乱暴に振っているわけじゃない。相手の受け方を見て、次の軌道を変えている。

正面から押し潰すように見えて、その実かなり見ている。

だが、それでも騎士団長は押し込まれない。

受けるたびに、足が一寸もぶれない。

ただ――二度目に重い打ち込みを受けた時、騎士団長がごくわずかに握り直した。

ほんの一瞬だ。

見逃してもおかしくないほど小さい。

けれど、俺の目には引っかかった。

ガイルはそこからさらに踏み込んだ。勝負に行ったんだろう。

この勢いなら通せる。そう判断したのかもしれない。

その瞬間だった。

騎士団長の受けが、初めて変わる。

真正面で止めるんじゃない。わずかに角度をつけて力を流し、そのままガイルの木剣を外へ引き出す。

踏み込みきっていたガイルの身体が、ほんの一瞬だけ流れた。

そこへ、騎士団長の返しが入る。

「そこまで」

終わり。

ガイルは舌打ちこそしなかったが、悔しさを隠さない顔で一歩下がった。

「踏み込みがいい」

騎士団長が言う。

「前へ出る強さもある。受けた側に考える暇を与えん」

ガイルは黙ったまま聞く。

「だが、押し切るには読みが足りん。上を相手にするなら、力で通す前に、相手の選択肢を減らせ」

「……はい」

短く返して、ガイルが戻ってくる。

俺はその横顔を見た。悔しさは濃い。だが、折れてはいない。

「すごかったな」

「通ると思った」

ガイルが低く言う。

「私もそう思ったわ」

セレナが素直に言った。

そのとき、ガイル戦の間ずっと気になっていたものを、俺はもう一度見た。

騎士団長の木剣。

表面には、さっきまではなかった傷が増えている。エドガーの鋭い突きでついた浅い削れ。そこにガイルの重い打ち込みが重なった跡。

普通なら気にしない。

けれど――

「リオン・ハル」

名前を呼ばれ、思考が切れた。

中央へ出る。

視線が集まる。

さっきまで以上に、訓練場中の目が俺を見ていた。

騎士団長は、俺を正面から見た。

「ガルムベアを倒したそうだな」

低い声。

「だが、俺はあれより甘くないぞ」

周囲がわずかにざわつく。

俺は木剣を構えながら答えた。

「そうでしょうね」

それ以上は言わない。

言葉を重ねるより、この人には動きで返すほうがいい。

騎士団長の口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのかどうかも分からない程度だ。

「始め」

俺たちは同時に動いた。

いや、正確には、まだ互いに探っていた。

エドガーともガイルとも違う。

俺はすぐには行かない。

騎士団長も、まずは見る。

その静かな数呼吸の間に、綻びの目を使った。

世界がわずかに変わる。

騎士団長自身の情報が浮かぶ。

《重心移動:即応》

《誘い:有》

《隙:偽装》

《初動読取難度:高》

……強い。

見えても意味がない綻びがある。

隙に見えるものが、隙じゃない。踏み込ませるための餌だ。

だが、それだけじゃなかった。

視線を木剣へ移した瞬間、別の表示が浮かぶ。

《木剣:損耗・中》

《亀裂:中央やや下》

《破断誘発:同一点への連続衝突》

《防御傾向:左斜め受け》

《誘導成立率:高》

理解した。

正面から勝つのは無理だ。

この人に真正面の技量比べを挑んでも、いずれ潰される。

なら、勝ち筋は別にある。

この人自身じゃない。

この場に生まれている綻びを使う。

騎士団長が動いた。

速い。

けれど、ガルムベアの突進とは違う。重くて速いだけじゃない。

人間の技だ。読み合いを伴った速さだ。

俺は一歩引いて、それを外す。

返しの一撃を入れる。

首筋。

通れば決まる軌道だ。

騎士団長は受けた。

左斜め。

予想通りだ。

木と木がぶつかる。

俺はすぐに離れる。深追いしない。

「……ほう」

騎士団長が小さく息を吐いた。

もう一度来る。

今度は手首。

防がなければ握りを殺せる位置。

騎士団長はこれも受けた。

左斜め。

同じ場所に、また負荷が入る。

俺は下がる。

ここで踏み込めば、今度はこっちが狩られる。

それくらいのことは分かる。

訓練場の外から見れば、攻防はそこまで派手じゃないかもしれない。

けれど、中にいると分かる。

一手ごとに神経を削られる。

騎士団長は明らかに強い。

その人が、俺の打ち込みを一つも通させまいとしている。

しかも、その受け方に癖がある。

いや、癖というより選択だ。

もっとも安全で、もっとも速い受け方を無意識に選んでいる。

だからこそ、そこに綻びができる。

三度目は胴へ。

今度は少し深めに踏み込む。

騎士団長の目が細くなった。

受ける。

左斜め。

鈍い感触が手に返る。

《亀裂拡大》

見えた。

いける。

だが、次で決めに行けば、向こうも気づく。

あと一手か、二手。

騎士団長の木剣がわずかに揺れたのを見て、騎士団長自身も何かを感じ取ったらしかった。

「……何を見ている?」

低く、ほんの小さな声。

聞こえたのはたぶん俺だけだ。

「さあ」

答えながら、俺は踏み込んだ。

今度は喉元へ、一直線。

騎士団長は受けるしかない。

受けた。

また左斜め。

衝突の瞬間、木剣の内側から嫌なきしみが伝わった。

もう少し。

でも、ここから先は俺もかなりきつい。

息が上がっている。腕も重い。さっきまでの応用課題と実技試験の疲労が、ここへ来てじわじわ効いてきた。

騎士団長はまだ余裕があるように見える。

実際、総合力では向こうが上だ。

だから次で終える。

終えないと、こちらが潰れる。

俺は一度だけ、ほんのわずかに隙を見せた。

右肩が開く。

踏み込みが半歩遅れる。

格上なら見逃さない、甘い綻び。

騎士団長が来た。

速い。

読みも踏み込みも、一段深い。

けれど、それを待っていた。

俺は体をずらしながら、返しの一撃を首筋へ振り抜く。

通せば決まる。

だから、この人は防ぐ。

その読みは当たった。

騎士団長の木剣が、左斜めに入る。

ぶつかる。

甲高い音。

次の瞬間、ぱきり、と乾いた破断音が訓練場に響いた。

騎士団長の木剣が、中央やや下から折れる。

そこで終わらせない。

折れた刹那に、俺は踏み込みを止めず、そのまま残った軌道を生かして切っ先を滑らせた。

木剣の先端が、騎士団長の首筋へぴたりと止まる。

静寂。

本当に、一瞬、誰も息をしなかったんじゃないかと思うくらい、訓練場が静まり返った。

俺も止まったまま動けない。

切っ先の先にある首筋。

折れた木剣。

目の前の騎士団長。

全部が現実感を失ったみたいに見える。

騎士団長が、折れた木剣を見た。

それから首筋に止まった俺の剣先を見る。

最後に、俺の顔を見た。

「……そこまでだ」

低い声が落ちる。

それだけで、張りつめていた空気が弾けた。

「折れた……?」

「え?」

「今、入ったよな……?」

「騎士団長の木剣が……?」

どよめきが一気に広がる。

けれど、俺にはその声が遠かった。

騎士団長が、折れた木剣を軽く持ち上げた。

「木剣の損耗まで勝ち筋に変えるか」

その言葉が、やけにはっきり聞こえる。

「面白い」

俺はようやく剣を引いた。

その瞬間、全身から力が抜けそうになった。

危うく膝が折れかける。なんとか踏みとどまるが、息が荒い。

喉が焼けるみたいに熱い。手も少し震えていた。

勝った。

……勝ったのか?

本当に?

目の前には折れた木剣がある。騎士団長本人が「そこまでだ」と言った。理屈では分かる。

でも、実感が追いつかない。

俺は荒く息を吐いた。

はぁ、はぁ、と情けないくらい呼吸が乱れる。

視界の端では、エドガーが目を細め、ガイルが驚きと悔しさの混ざった顔でこちらを見ていた。

セレナは口元をわずかに引き結び、ナディアは両手を胸の前で握っている。

ヴィクトルは呆れたように笑っていた。

けれど、全部遠い。

今はただ、目の前の結果だけが信じられなかった。

「……勝負あり」

騎士団長の声が、もう一度響く。

その一言で、ようやく分かった。

俺は今、本当にこの人に一本取ったのだと。

それでもなお、すぐには動けなかった。

荒い息のまま、俺はただ、信じられないものを見るみたいな顔で、折れた木剣と自分の切っ先を見つめるしかなかった。