作品タイトル不明
第144話 2学期期末応用課題
二日目の朝、Sクラスの空気は昨日とは少し違っていた。
筆記試験が終わったからといって、軽くなったわけじゃない。
むしろ逆だ。
昨日の筆記は、まだ答えがあった。
覚えているか。理解しているか。読み違えていないか。時間配分を間違えていないか。
そういう勝負だった。
だが、今日の一つ目は応用課題。
知識を覚えているだけでは足りない。
何を優先し、何を後回しにし、どこで妥協するか。
その人間の考え方そのものが答案に出る。
「正直、筆記より嫌だな」
朝の教室で、ヴィクトルが机に肘をつきながら言った。
「商人の息子でもそう思うのか?」
ガイルが短く尋ねる。
「商人の息子だから思うんだよ。現実には、綺麗な正解なんてほとんどない。どこかを立てれば、どこかが文句を言う」
「それをまとめる試験でしょう」
セレナが静かに言った。
「……セレナはこういうの、得意そうだよな」
「得意かどうかは分からないわ。ただ、嫌いではないわね」
そう言えるところが、もう十分強いと思う。
セレナは公爵家の令嬢だ。
人を動かすこと、制度を整えること、責任の所在を曖昧にしないこと。
そういう視点が、普段の会話にも自然ににじむ。
俺とは考える順番が違う。
俺はまず現場を想像する。
誰が困っているか。何が足りないか。何をすれば明日がしのげるか。
セレナはその上で、誰に権限を与え、どう制度として破綻させないかを見る。
そこが面白い。
「リオンさんは、落ち着いていますね」
ナディアがこちらを見て微笑んだ。
「落ち着いてるように見えるだけだよ。応用課題は、問題を見ないと何とも言えない」
「でも、リオンさんは現場を考えるのが得意ですから」
「現場だけ見ても、たぶん点は伸びない。昨日の公爵様の話じゃないけど、どの立場に立つかで論点が変わるからな」
そう言うと、エドガーが小さく頷いた。
「僕もそこだと思う。今日の課題は、一つの立場から正しいことを書くと、逆に浅く見える可能性がある」
「嫌なことを言うな」
「でも、本当でしょう」
「まあな」
昨日も似たようなやり取りをした気がする。
エドガーはいつも、正確に突いてくる。
王族だから、というだけじゃない。
彼は物事を一段上から見る癖がある。
一人の領主、一つの商会、一つの村。
そこだけではなく、王国全体にどう波及するかまで見る。
その視点は、俺にはまだ足りないものだ。
教室の扉が開いた。
ローヴェン先生が入ってくる。
昨日と同じように、教室の空気が一段重くなった。
「座れ。これから応用課題を始める」
低い声が教室に落ちる。
先生は答案用紙の束を教卓に置き、こちらを見渡した。
「昨日の筆記は、知っていることをどう使える形で出すかを見る試験だった。今日の応用課題は違う」
誰も喋らない。
ペンを握る音すら、妙にはっきり聞こえた。
「応用課題は、賢そうなことを書いた奴が勝つ試験じゃない」
ローヴェン先生はそこで一度言葉を切った。
「現実を見ずに綺麗な答えを書いた奴から落ちる。理想、予算、人員、時間、責任。その全部を同時に見ろ」
教室の奥で、誰かが小さく息を呑んだ。
「願望を書くのは簡単だ。そこで終われば、ただの感想だ」
ただの感想。
容赦のない言い方だ。
だが、その通りでもある。
「さぁ、始めるぞ」
問題用紙が配られる。
俺はすぐにはペンを動かさず、まず問題文を上から下まで読んだ。
【王国西部のある領地で冬を前にした長雨の影響で食料と薪の不足が起き、治安の悪化も懸念されている。
〈中略〉
さらに、街道周辺では低級魔物の出没が増えており、住民の移動や物資輸送にも危険が生じている。
〈中略〉
領主は限られた予算と人員の中で、領民の生活を守り、治安悪化の防止を同時に求められている。
〈中略〉
この状況における対応策を述べよ。】
……西部。
思わず、心の中で苦笑した。
ハル家の領地も西寄りだ。
この問題は、紙の上の架空の事例だが、西部とあると生々しく見えた。
だが、だからこそ危ない。
俺は自分の経験に引っ張られすぎる可能性がある。
ハル領ならこうする。
それだけで書けば、答案としては弱い。
ここは王立学院の応用課題だ。
問われているのは、俺の領地での成功体験ではない。
限られた条件の中で、複数の立場をどう整理するかだ。
俺は問題文の余白に、小さく四つの言葉を書いた。
領主。
住民。
商会。
騎士団。
そして、その下にもう一つ足した。
王国。
それぞれの立場でこの危機に立ち向かうか。
……やっぱり、昨日のユリウス公爵の話がそのまま刺さるな。
どの立場に立つかで、論点が変わる。
俺は一度ペンを止め、目を閉じた。
まず、やってはいけないことは何だ。
全ての問題を同時に完璧に解決しようとすること。
そんなものは無理だ。
書けば綺麗だが、実行できない。
なら、優先順位を決める。
考えをまとめ終えると俺は答案を書き始めた。
第一段階、、、、。
第二段階、、、、。
第三段階、、、、。
第四段階、、、、。
第五段階、、、、。
俺は答案の最後に、短期対応と中期対応と長期対応を分けてまとめることにした。
今回の条件は冬前だ。
今やるべきことと、後でやるべきことを混ぜない。
そう考えてから、答案の構成を整える。
ふと、視界の端でセレナがペンを走らせているのが見えた。
姿勢はまったく崩れていない。
あの様子だと、彼女はきっと何を書くのか決まっているのだろう。
誰が判断し、誰が実行し、誰が監督するのか。
そういう答案になるはずだ。
エドガーは相変わらず静かだった。
たぶん彼は、この事例が他領に広がった場合や、中央がどこまで介入するべきかまで見ている。
ナディアは時折、ほんの少しだけ表情を曇らせながら書いていた。
弱者の扱いを考えているのかもしれない。
ガイルは眉間にしわを寄せながらも、迷いなく手を動かしている。
ヴィクトルは一度問題文に戻り、何かを確認してから口元を引き締めた。
全員、同じ問題を前にしているが、見ている場所が少しずつ違うと思う。
だからこそ、この試験は恐ろしい。
知識量だけなら、ある程度測れる。
だが応用課題は、その人間が何を大事にしているかまで見える。
俺は自分の答案に視線を戻した。
綺麗すぎる言葉はいらない。
実行できる策を書く。
足りないものは足りないと認める。
その上で、どう被害を小さくするかを示す。
それがたぶん、今の俺に書ける一番強い答えだ。
◇
「残り十五分」
試験官の声が響いた。
筆記の時とは違う疲れがあった。
頭の中で、ずっと複数の人間が同時に喋っているような感覚だ。
全員が違うことを言ってくる。
それを一つの答案に落とし込むのは、思った以上にしんどい。
俺は最後の見直しに入った。
論点が散っていないか。
優先順位は明確か。
実行主体は書いてあるか。
予算や人員が限られているという条件を忘れていないか。
商会への協力要請が、ただの命令になっていないか。
住民保護が綺麗事で終わっていないか。
……大丈夫だ。
少なくとも、感想文にはなっていない。
俺は答案の最後に一文を足した。
全てを同時に完全解決するのではなく、冬を越すために必要な生命線を先に確保し、その後に復旧と再発防止へ移るべきである。
これで締まる。
「そこまで」
ペンを置いた瞬間、教室中から重い息が漏れた。
昨日よりも明らかに消耗している。
答案が回収されるまで、誰もすぐには喋らなかった。
紙が一枚ずつ集められていく。
俺の答案も、試験官の手に渡った。
手元から消えた瞬間、ようやく終わった実感が来る。
だが、同時に思った。
これは採点する側も大変だろうな、と。
答えが一つではない。
だからこそ、答案の底が見える。
試験官が退出し、ローヴェン先生が前に立つ。
「休憩だ。次は実技試験になる。移動の指示があるまで教室で待機しろ」
その言葉で、ようやく教室が少しざわついた。
「……嫌な試験だね、本当に」
ヴィクトルが背もたれに体を預けた。
「ヴィクトルは得意そうだけどな」
ヴィクトルは苦笑する。
「どうだろうな、まぁ、考えられる範囲では書き切ったよ」
ガイルが腕を組んだ。
「俺は逆だ。なんか抜けてるんじゃないか不安だ」
「交換するかい? 答案」
「もう遅い」
短いやり取りに、ナディアが小さく笑った。
「私は、住民の生活保護について途中で少し悩みました」
「ナディアらしいわ。でも、それは大事な視点よ」
セレナが穏やかに言う。
「弱い人たちを最初に見落とす案は、実際に動かした時に必ず崩れますもの」
「セレナはどう書いたんだ?」
俺が尋ねると、セレナは少し考えてから答えた。
「権限の所で言うと領主の権限と、現地で判断する者の権限を分けたわ。
緊急時に全部を領主の判断待ちにすると遅れる。
でも、現地に任せきりにすると不公平や不正が出る。
だから、判断できる範囲と報告義務を先に定める形にしたの」
「強いな」
思わずそう言うと、セレナは少しだけ目を細めた。
「リオンは?」
「俺は、最初に完全復旧を諦めた」
「諦めた?」
「冬前に全部を直そうとすると、たぶん人も金も足りない。だから、まず本当にやらなければいけないことを決めて、それ以外のことを短期で解決するのは諦めた」
セレナがすぐに頷いた。
「現実的ね」
「綺麗ではないけどな」
「綺麗なだけの案より、ずっといいわ」
その言葉は素直に嬉しかった。
エドガーは俺たちの話を聞いてから、静かに言った。
「僕は中央からの支援の線引きを少し書いた」
「線引き?」
「一つの領地の危機に王国が支援すること自体は必要だと思う。
ただし、支援の基準が曖昧だと、他領との公平性が崩れる。
だから、重要度、被害規模、近隣領への波及の有無で支援段階を分けるべきだと書いた」
王族らしい答案だ。
いや、エドガーらしい答案と言うべきか。
一つの村、一つの領地だけでなく、その先を見ている。
ヴィクトルが苦笑した。
「やっぱり視点が違うね。僕はそこまで王国全体では見ていなかった」
「ヴィクトルの答案には、僕に見えていない視点があるだろ」
「そう言われると悪い気はしないな」
皆が少しだけ笑う。
だが、その笑いはすぐに消えた。
理由は全員分かっている。
まだ終わっていない。
応用課題の疲労が残ったまま、この後は実技試験だ。
しかも実技は、身体だけではなく判断力も見られる。
筆記で頭を使い、応用課題でさらに削られた状態で、どこまで動けるか。
考えてみれば、なかなか性格の悪い日程だ。
「実技の前にこれだけ頭を使わせるのか」
ガイルがぽつりと言った。
「この試験の仕組みを考えた人はきっと性格が悪いぞ」
ヴィクトルが即座に同意する。
ナディアが苦笑した。
「でも、実際の現場では、疲れている時にも判断しなければならないですから」
「ナディアに正論を言われると逃げ場がないな」
ヴィクトルが肩をすくめる。
俺も小さく笑った。
その時、廊下側から足音が聞こえた。
別の教師が教室に入ってくる。
「Sクラス、実技試験の準備が整った。訓練場へ移動しなさい」
ざわつきが止まった。
全員が立ち上がる。
俺も椅子を引き、剣帯を確認した。
今日は木剣を使う試験だが、装備の確認をする癖は抜けない。