軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第142話 公爵邸の勉強会

次の休みの日。

朝から俺は、王都のヴァレスト公爵邸の前に立っていた。

冬の気配が、はっきりと朝の空気に混じっている。吐く息は白く、石畳も少し冷たい。

学院へ行く時とは違う緊張が、今日は少しだけあった。

勉強会の場所をどうするかという話になった時、セレナがあっさり言ったのだ。

『お父様に話してみるわ』

そして翌日には、もっとあっさり結果を持ってきた。

『快諾してくださったわ』

さすがにその一言で済ませるのはどうなんだと思ったが、公爵家というのはたぶん、そういう家なのだろう。

「来たわね」

門の内側から、セレナが歩いてくる。

今日は学院の制服ではなく、落ち着いた色の私服だった。公爵邸の前だと、いつもより少しだけ本来の“家の娘”らしく見える。

「おはよう」

「おはよう。もう皆、来てるわ」

「早いな」

「あなたが一番最後よ」

「そっか」

「そうよ」

少し呆れたように言って、セレナが先に歩き出す。

門をくぐると、すぐに手入れの行き届いた庭が広がっていた。冬前で花は少ないが、その分、樹木や石畳の整い方がよく見える。さすが公爵邸というべきか、無駄に豪奢というより、全部がきちんとしていた。

王立学院の入試前までここに住んでいたのを思い出す。

案内された客間へ入ると、すでに他の四人がいた。

「遅いぞ」

ヴィクトルが言う。

「まだ約束の時間前だろ」

「気分の問題だ」

「それはお前の勝手だ」

そんなやり取りをしている横で、ナディアが小さく会釈する。

「おはようございます、リオン」

「おはよう、ナディア」

ガイルはすでに机の上へ本とノートを広げていた。相変わらず、こういう時の立ち上がりが早い。

エドガーは窓際に立って何かの資料を読んでいたが、俺が来たのを見て短く視線を寄越した。

「揃ったな」

それだけだったが、この場ではそれで十分だった。

部屋の中央には、大きな机が二つ並べられている。筆記用具、参考書、学院の過去課題の写し、それに白紙のノートまで整然と置かれていた。

「これ、セレナが準備したのか?」

俺が聞くと、セレナは少しだけ顎を上げた。

「半分は私、半分は使用人たちよ」

「十分すごいよ」

「ふふふ、さぁ、勉強を始めるわよ」

そう言いながらも、少しだけ機嫌は良さそうだった。

午前中は筆記試験対策から始まった。

最初にセレナが大まかな進行を決める。

「午前は筆記。午後は応用課題。実技は別日にする」

指先で机を軽く叩く。

「怪我人がいる以上、今日は無理に動かない方がいいわ」

その“怪我人”が俺を指しているのは明らかだった。

「そこは助かる」

「当然よ。変なところで無茶されても困るもの」

そう言いつつ、配られた問題束を開く。

内容は、歴史、法制、王国地理、経済基礎、魔法理論の基礎整理。

一見地味だが、飛び級を狙うなら落とせないところばかりだ。

部屋はすぐに静かになった。

紙をめくる音。

ペン先が走る音。

時折、誰かが短く息を吐く音。

公爵邸の広い部屋なのに、その中央だけ学院の試験前みたいな空気になっているのが少し可笑しい。

一問目、二問目と解き進めながら、改めて感じる。

やっぱり一学期より、問題が深い。

暗記だけなら何とかなる。

だが、選択肢の作り方が一段いやらしい。ひっかけというより、「理解していないと選べない」タイプの問題が増えていた。

「これ、去年の二学期の筆記?」

俺が聞くと、エドガーが答える。

「そうだ。王宮側で保管されていた写しがあった」

「さらっと言うけど、それ普通はないよな」

「王家にはある」

それはそうか。

一時間ほど解いたところで、セレナが小さく区切りを入れた。

「そこまで。少し答え合わせをするわ」

全員が顔を上げる。

ヴィクトルが肩を回しながら言う。

「勉強会っていうより、もう模擬試験だな」

「そのつもりで集まったんでしょう」

セレナが即答する。

「遊びに来たわけじゃないのよ」

「わかってるって」

そこからは、問題ごとに短く確認が入る。

歴史はエドガーが強い。

経済と流通はヴィクトルが妙に速い。

法制と制度の整理はセレナが一番安定している。

魔法理論の基礎はセレナと俺とナディアがほぼ同じ速度。

ガイルは筆記自体は悪くないが、細かい法解釈や制度文の読みがやや重い。

「ここ、なんでこの選択肢じゃないんだ?」

ガイルが聞いた。

セレナが問題用紙を指さす。

「文章の後半よ。この場合、“例外規定は地方領主判断に委ねる”ってあるでしょう」

「それは読んだ」

「でも、その前に“王都周辺の臨時治安法適用区域を除く”ってついてるの」

「ああ……」

「つまり今回は地方領主じゃなくて、王都側の判断が優先される場面」

ガイルは少し黙ってから頷いた。

「なるほど」

「だからこの問題、知識だけじゃなくて読み落としを狙ってるのよ」

「嫌な作りだな」

「二学期っぽいでしょう」

セレナがそう言ったあと、少し離れた位置からナディアがガイルへ近づいた。

「ガイル、たぶんここ、言い換えるとわかりやすいです」

「言い換える?」

「はい。今の問題って、“誰に最終決定権があるか”を聞いているんです。細かい言葉が多いですけれど、結局そこだけ見ればいいので」

「……ああ」

ナディアは自分のノートに、簡単な整理図を書いて見せた。

王都側。

地方領主。

例外区域。

優先順位。

さっきまで文章で読んでいたものが、図になるだけで一気に見えやすくなる。

「こういう問題は、文章をそのまま追うと混乱しやすいです。でも、誰が決める話かに直すと、整理しやすいかなと」

ガイルはその図を見つめて、短く息を吐いた。

「……なるほど。助かる」

その素直な一言に、ナディアは少しだけ嬉しそうに笑った。

「よかったです」

その様子を見て、ヴィクトルがにやりとする。

「お、いいな。すごい丁寧に教えてもらってる」

「うるさい」

ガイルが即座に返す。

「いや、実際わかりやすかっただろ」

「それはそうだが」

「じゃあいいじゃないか」

セレナが小さく肩をすくめた。

「あなたは人のことを見てる暇があったら、自分の字をもう少し丁寧にしなさい」

「そこ攻める?」

「攻めるわ。読みにくいもの」

そんな調子で、午前の筆記対策は思った以上に密度の高い時間になった。

昼が近づいた頃、部屋の扉が控えめに叩かれた。

使用人かと思ったが、入ってきたのはユリウスだった。

ヴァレスト公爵。

セレナの父。

相変わらず、部屋に入ってきただけで空気が少し変わる。

威圧感で押す人ではない。だが、この人が普段から多くのものを見て、判断しているのだと自然にわかる。

「勉強は順調かい?」

穏やかな声だった。

セレナがすぐに立ち上がる。

「お父様」

「座ったままでいいよ。今日は学院の授業ではなく、我が家での勉強会なのだから」

そう言って、俺たちの机の上を軽く見る。

「なるほど。本当に勉強しているようだね」

「その言い方だと、疑ってたみたいに聞こえます」

セレナが言うと、ユリウスは少しだけ笑った。

「お父様!」

「冗談だよ」

それからこちらへ視線を向ける。

「リオン君。傷はどうだい」

「だいぶ良くなりました」

「そうか。それは何よりだ」

Aランク討伐については、それ以上深く触れなかった。

そこを長引かせないところが、いかにもこの人らしい。

「ちょうどいい時間だ。昼は皆でどうかな」

ユリウスは自然に言った。

「せっかく集まっているのだし、勉強も頭を使う。食事を抜いて続けるものではないだろう」

ヴィクトルが一瞬だけ目を見開く。

ガイルもわずかに姿勢を正した。

「ご相伴にあずかってよろしいのですか?」

ナディアが控えめに聞くと、ユリウスは穏やかに頷く。

「もちろんだ」

昼食は、格式張りすぎないが、やはり公爵邸らしい質の良さだった。

温かいスープ。

焼きたてのパン。

柔らかい肉料理と野菜。

学院の食堂とは別の意味で、ちゃんと頭を使う人間のための食事、という感じがした。

ユリウスは食事の席でも、必要以上に場を支配しなかった。

ヴィクトルが商会の物流の話に少し触れれば、それを拾って短く広げる。

ナディアが王都と地方の医療事情の違いに興味を示せば、その視点は大事だと言う。

ガイルが実技と学科の両立の難しさを口にすれば、「両方を捨てずに持つから価値が出る」と返す。

そして、俺に向けては一度だけ言った。

「君は最近、ずいぶん賑やかな場所にいるようだね」

その言い方に、食卓の何人かが少しだけ笑う。

「たしかに」

ヴィクトルが言う。

「王都のギルドで今一番話題でもおかしくない」

「だが今は試験の方が先だろう」

ユリウスは自然に切り替えた。

「目の前の山を越えられない人間は、その先でも安定しては立てない」

静かな声だったが、よく通った。

食卓の空気が、少しだけ引き締まる。

「はい」

俺が答えると、ユリウスは満足そうに頷いた。

「ならいい」

午後は応用課題だった。

午前の筆記より、こちらの方が明らかに空気が鋭い。

暗記や整理だけでは済まない。立場、前提、優先順位、損得、現実性――そういうもの全部が絡んでくる。

セレナが問題文を読み上げる。

「ある領地で、冬を前に主要街道の一部が崩れ、物流が滞っている。限られた人員と予算の中で、食料輸送の維持、治安確保、復旧工事のどれをどう優先するか。なお、王都からの追加支援は当面見込めない――」

「嫌な問題だな」

ヴィクトルがすぐ言った。

「二学期っぽいだろ」

俺が返す。

「嫌な意味でな」

そこから意見が割れた。

セレナはまず治安を崩さないことを優先した。

秩序が崩れれば、物流も復旧も全部不安定になるという考え方だ。

ヴィクトルは食料輸送を最優先に置いた。

人が食えなければ、治安も工事も結局持たない。商流は止めた時点で負けだと言う。

ガイルは現場負荷を見ていた。

一度に全部を回そうとすると崩れる。人員が限られるなら、まず線を絞れという。

ナディアは、輸送と治安のどちらにも「弱い人が先に皺寄せを受ける」と言って、被害の出方から考えようとした。

エドガーは国家全体で見ていた。

その領地単独の最適ではなく、周囲の領地や今後の統治まで含めた持続性を重視する。

俺は条件の綻びを見る。

「これ、“追加支援は当面見込めない”って書いてあるけど、見込めないだけでゼロとは書いてない」

「また始まったわね」

セレナが言う。

「あなた、その癖ほんとうに強いわ」

「でも問題って、こういうところで作ってくるだろ」

「そうだけど」

俺は続ける。

「復旧を全部やるんじゃなくて、一部だけ“支援が入った時に最短で繋がる形”にしておくのはありだと思う。つまり今の最適解だけじゃなく、次の手が打てる状態を残す」

「それだと今この瞬間の物流が弱くなる」

ヴィクトルが言う。

「でも全部を今だけで回すと、後で詰む可能性がある」

俺が返す。

「なら、どこを切る」

ガイルが聞く。

「そこが揉めるんだよな」

議論が本気で熱を帯び始めたところで、扉の外を通りかかった足音が止まった。

「面白い話をしているね」

ユリウスだった。

セレナが少しだけ気まずそうな顔をする。

「お父様、聞いていたんですか」

「最後の少しだけだよ」

そう言って、近くまで来る。

俺たちは自然と少し姿勢を正した。

「こういう課題で意見が割れるのは、むしろ良いことだ」

ユリウスは問題文へ視線を落としながら言った。

「誰が正しいかではなく、どの立場から見ているかが違うのだからね」

それだけで、さっきまでの議論が少し整理された気がした。

「たとえば」

ユリウスは続ける。

「商人の立場なら、流通が最優先になる。領主なら秩序維持を重く見る。現場指揮官なら、回せる線を絞るだろう。医療や福祉の視点から見れば、弱い立場の者へどう被害が出るかを先に考えるのも自然だ」

俺たちは黙って聞く。

「つまり、論点は一つではない」

ユリウスは穏やかに言った。

「誰の責任で、誰を守り、何を失う覚悟を持つか。そこまで見て、ようやく答えの形が決まる」

「……なるほど」

思わず俺が呟く。

答えそのものを教えられたわけじゃない。

でも、問題の見え方が一段上がった。

「応用課題は、正解を当てるというより、考え方の筋を問うものだ」

ユリウスは言う。

「理想論だけでもだめだし、目先だけでもだめだ。どの立場に立った時の答えなのかを、自分でわかって書くことだね」

その場の全員が、かなり真剣に聞いていた。

ヴィクトルがふと口を開く。

「公爵って、こういうの昔から得意だったんですか?」

セレナが一瞬、父を見る。

ユリウスは少しだけ笑った。

「まあ、それなりにはね」

「それなり、じゃないでしょう」

セレナが言う。

「お父様は昔、王立学院で2回飛び級してるのよ」

「2回?」

ガイルが聞き返すと、ヴィクトルも目を丸くする。

「お父様は通常5年のところを、3年で卒業したのよ」

セレナはさらりと言った。

「……それを先に言えよ」

ヴィクトルが素直に言う。

「言ったら変に気負うでしょう」

「今聞いても十分気負うが?」

ユリウスは苦笑した。

「昔の話だよ」

「でも事実ですよね」

ナディアが静かに言うと、ユリウスは否定しなかった。

「事実ではある」

そして少しだけ目を細める。

「だが、飛び級そのものより、その後も学び続けられるかの方が大事だよ」

その一言は、妙に重かった。

結局、そこなのだ。

試験を越えること。

その先で通用すること。

どちらが欠けても意味は薄い。

勉強会は夕方まで続いた。

筆記の確認。

応用課題の整理。

小さな休憩を挟んでは、また机へ戻る。

朝より頭は疲れているのに、不思議と手応えはあった。

わからなかったものが、少しずつ輪郭を持ち始めている。

「今日はここまでにしましょう」

最後にセレナがそう言った時には、窓の外の光はもうかなり傾いていた。

「さすがに疲れたな」

ヴィクトルが椅子にもたれかかる。

「文句の割には、ちゃんと最後までやったじゃない」

セレナが言う。

「やると決めたからな」

ガイルはすでにノートを閉じていた。

ナディアは使った紙を丁寧に揃えている。

エドガーは最後の問題文をもう一度だけ見返してから、静かに立ち上がった。

屋敷の外へ出ると、夕方の空気は朝よりもさらに冷たかった。

門前にはエドガーの迎えの馬車が来ている。

「じゃあ、僕はここで」

エドガーが言う。

「また次だな」

俺が言うと、あいつは短く頷いた。

「ああ。またな。」

いかにもあいつらしい言い方だった。

馬車が去ったあと、セレナの見送りを背に残った四人は自然に学院の寮の方角へ歩き出した。

公爵邸から寮までは、それなりに距離がある。だが、今日みたいな日はその帰り道も悪くなかった。

「公爵邸で勉強会って、字面だけ見るとだいぶ変な休日だな」

ヴィクトルが言う。

「そうかもしれません」

ナディアが微笑む。

「でも、とても勉強になりました」

「悪くなかった」

ガイルも短く言う。

夕方の王都を歩きながら、その言葉を噛みしめる。

Aランク討伐とは別の意味で、今日は濃い一日だった。

剣を振るったわけでも、綻びを見たわけでもない。

それでも、確かに前へ進んだ感覚がある。

寮の灯りが見えてきた頃、ヴィクトルが大きく伸びをした。

「頭使うのも疲れるな」

「今さら?」

とガイルが返す。

「今さらだよ。けどまあ」

ヴィクトルは少しだけ笑う。

「次もやるなら、俺は行くぞ」

そんなやり取りを聞きながら、俺は小さく息を吐いた。

剣を握るのとは違う疲れが、頭の奥に重く残っている。

だがその重さは、確かに前へ進んだ一日の証でもあった。