作品タイトル不明
第141話 飛び級の条件
その日の授業が終わる頃には、俺の頭の中はすっかり切り替わっていた。
冒険者としての自分は机に向かっている間だけは少し遠くなる。
代わりに前へ出てくるのは、期末試験と、学院長に言われた一言だった。
――武勇だけで進める道ではない。今度は机の上で結果を出しなさい。
まったくその通りだと思う。
放課後、いつもの6人で教室に残っていると、ヴィクトルが机に肘をつきながら口を開いた。
「で、結局さ」
面倒くさそうな顔のまま、言うことだけははっきりしている。
「飛び級って、どれくらい取れば現実的なんだ?」
「現実的、じゃなくて条件は決まっているわ」
セレナがすぐに返した。
「あなた、知らないで騒いでたの?」
「細かくは知らん」
ヴィクトルは肩をすくめる。
「どうせお前らが把握してるだろ」
「まあ、してるけど」
そこで俺も口を挟んだ。
「飛び級の条件は、筆記・応用課題・実技の3つで、1学期、2学期、3学期の各試験ごとに合計240点以上」
言いながら、指先で机を軽く叩く。
「1回でも割ったら、その時点でかなり厳しくなる」
「かなり、じゃなくて、ほぼ終わりね」
セレナが訂正した。
「少なくとも、よほど特別な事情でもない限り」
ヴィクトルが顔をしかめる。
「240ってことは、平均80か」
「単純に言えばそうです」
ナディアが静かに頷いた。
「でも、王立学院の試験でそれを3学期続けて取るのは、簡単ではありません」
「簡単どころじゃないだろ」
ヴィクトルが笑う。
「普通に聞くと頭がおかしい条件だぞ」
「王立学院の飛び級制度なんだから、それでいいんだろ」
ガイルが淡々と言った。
エドガーは机に肘をつくこともなく、いつもの静かな顔で前を見ていた。
「問題は、届くかどうかじゃない」
短く言う。
「届き続けられるかどうかだ」
その言葉に、教室の空気が少し締まる。
「でさ」
ヴィクトルがそこで少し身を乗り出した。
「1学期の時点で、俺たち全員どれくらいだったんだ? 総合順位は覚えてるけど、各科目までちゃんと見てなかった」
「あなたらしいわね」
セレナが呆れたように言う。
「いや、今だからちゃんと聞きたいんだよ」
ヴィクトルは言った。
「飛び級の条件って筆記・応用課題・実技だろ? だったら総合よりそっちの方が大事じゃないか」
それはその通りだった。
「じゃあ、まずリオンから」
ヴィクトルが当然のように言う。
「1位様、どうぞ」
「その言い方やめろ」
俺は苦笑しつつ答えた。
「筆記97、応用課題100、実技89。合計286」
ヴィクトルが反応する。
「そこは予想通りだったけど、改めて聞くと腹立つな」
「実技が一番低いのは、逆にわかりやすいわね」
セレナが言う。
「リオンらしい」
「否定はしない」
「次、エドガー」
ヴィクトルが振る。
エドガーは面倒そうな顔ひとつせず答えた。
「筆記96、応用96、実技93。合計285」
「……一番完成度高いの、むしろお前じゃないか?」
ヴィクトルが素で言う。
ガイルが淡々と付け足す。
「一番隙が少ない」
「で、1点差で2位なのが余計に怖いのよ」
セレナが言う。
「次は私ね。筆記95、応用97、実技88。合計280」
「やっぱり高いな……」
ヴィクトルが呟く。
「でも、リオンやエドガーと比べると少しだけ足りない」
セレナは自分でそう言った。
「だから2学期はそこを詰める必要があるわ」
「ナディアは?」
俺が聞くと、ナディアは少しだけ控えめに答えた。
「筆記91、応用92、実技93です。合計276でした」
「全部90超えか……」
ヴィクトルが言う。
「一番“崩れない”点の取り方してるな」
「安定してる」
ガイルも短く言う。
「大崩れしにくい」
ナディアは少し困ったように微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、一番上を狙うにはもう少し必要ですね」
「次、ガイル」
ヴィクトルが言う。
「筆記84、応用86、実技99。合計269」
「うわ、極端だな」
ヴィクトルが笑う。
「でも、すげえ納得する」
「筆記と応用は少し低めでも、実技はほぼ満点なのね」
セレナが言う。
「剣と魔法は昔から鍛えてるからな」
ガイルは淡々と返す。
「逆に筆記と応用は、2学期でどこまで落とさずに行けるかだ」
「最後、ヴィクトル」
セレナが少し面白そうに言った。
「逃げないで答えなさい」
「逃げねえよ」
ヴィクトルは鼻を鳴らす。
「筆記90、応用92、実技80。合計262」
「やっぱり応用が高いわね」
セレナが即座に言う。
「商売人の息子らしいです」
ナディアもやわらかく続ける。
「逆に実技が一番低いのも、らしいな」
ガイルが言うと、ヴィクトルが露骨に嫌そうな顔をした。
「お前ら、こういう時だけ連携いいよな」
でも、これでかなりはっきりした。
1学期の時点で、6人とも240点は超えている。
つまり、条件だけ見れば全員が飛び級の資格を残している。
だが同時に、それぞれの得意不得意も見えてくる。
俺は応用が強く、実技がまだ弱い。
エドガーは全体が高水準でまとまっている。
セレナは極めて優秀だが、一番上を取るにはもう一押しいる。
ナディアは全科目を安定して高く取る。
ガイルは明らかに実技寄りだ。
ヴィクトルは応用で伸ばしてくるタイプだ。
「……何度見ても変だな」
ヴィクトルが改めて言う。
「1学期の時点で6人とも条件内って、普通におかしいだろ」
「でも事実だ」
ガイルが言う。
「1学期だけなら、俺たちは全員届いている」
「1学期だけなら、ね」
セレナがすぐに釘を刺した。
「そこを勘違いしたら終わりよ」
そこでヴィクトルが、ふと思い出したように言った。
「ちなみに7位って、たしかどれくらいだった?」
「203点くらいだったはずです」
ナディアが静かに答える。
「……そこで一気に落ちるのか」
ヴィクトルが目を丸くする。
「それが普通なんでしょうね」
セレナが言う。
「私たち6人の点数の方が、むしろ異常なのよ」
「240って、改めて高いな」
俺が呟くと、エドガーが短く返した。
「高い。だから飛び級の条件なんだ」
その一言で、空気がまた少し締まった。
俺が言うより先に、エドガーが続ける。
「1学期で取れたから、2学期も取れるとは限らない」
淡々と、だがはっきりと言う。
「むしろ、ここからが本番だ」
誰も反論しなかった。
当然だ。
2学期の試験は、1学期の延長ではない。
範囲は広い。
応用課題は深くなる。
実技は1学期より明らかに完成度を見られる。
そして何より、1学期に高得点を取った人間は、次から周囲に意識される。
教師側も、簡単には同じ点を出させてくれない。
「1学期の成績は、才能の証明にはなるわ」
セレナが言う。
「でも、2学期の保証にはならない。ここで落とせば、それまでよ」
「リオン」
そこでガイルが俺を見た。
「怪我はどれくらいで完治するんだ?」
その聞き方は、心配というより確認だった。
でも、だからこそありがたかった。
「ギルドの医師の見立てだと、1週間もあれば完治するらしい」
俺は答える。
「だから実技試験に影響はないよ」
ガイルは短く頷いた。
「ならよかった」
それだけだったが、十分だった。
怪我が残ることを前提に話されるより、ずっといい。
「でも、1学期より条件が悪いのは事実よ」
セレナがすぐに続ける。
「怪我そのものは間に合っても、Aランク討伐の後で外のことも増えてる。あなた、今までより確実に忙しいでしょう」
図星だった。
商会の件。
父の件。
王都ギルドでの立場の変化。
1学期より、学院の外側が明らかに近い。
「だから、今までと同じつもりでは足りないわ」
セレナは腕を組む。
「勉強時間も、実技の調整も、全部組み直した方がいい」
「でも、実技を捨てるわけにもいかないですよね」
ナディアが言う。
「当然よ」
セレナは頷く。
「飛び級を狙うなら、どれか1つだけ良ければいい制度じゃないもの」
「本当に、嫌な制度だな」
ヴィクトルが天井を見た。
「全部できろって話じゃねえか」
「飛び級なんだから当たり前だろ」
ガイルが返す。
「お前ら、こういう話になると容赦ないな」
「甘いこと言っても意味がないもの」
セレナが言う。
「実際、1学期の点が高かったせいで、今の私たちは“届く側”として見られる。だったら、そこから落ちた時の方が目立つわよ」
それは、かなり嫌な見られ方だ。
でも正しい。
1学期に高い点を取った。
だからこそ、次に落とした時の失速は余計に見える。
ナディアが少しだけ困ったように笑う。
「皆さま、言い方は厳しいですけれど、結局は同じことを言っているのですね」
「何を?」
ヴィクトルが聞くと、ナディアは静かに答えた。
「油断してはいけない、ということです」
それに対しては、誰も否定しなかった。
その時、教室の前を通りかかったローヴェンが、半開きの扉越しにこちらを見た。
「まだ残っていたのか」
「少し、期末の話を」
俺が答えると、ローヴェンは教室へ一歩だけ入ってきた。
「飛び級の条件か」
「はい」
セレナが答える。
ローヴェンは俺たちを一度見回してから、短く言った。
「1学期だけ見れば、確かにお前たちは全員条件内だ」
そこで視線を上げる。
「だが、2学期は1学期より難しい。当然、採点も甘くならん」
「やっぱりそうですよね」
ナディアが言うと、ローヴェンは短く頷いた。
「特に上位層は見られる。前回できたことを、今回も安定してやれるか。そこが問われる」
そこで一拍置く。
「飛び級は、たまたま1回高得点を取った人間のための制度じゃない。3学期続けて上に立てる人間のためのものだ」
教室の空気が、また少し重くなる。
ローヴェンは余計な励ましを入れなかった。
「まあ、無駄話をしていないのなら続けろ」
最後にそれだけ言って、扉の方へ向かう。
「今のお前たちに必要なのは、浮かれることでも焦ることでもない。詰めることだ」
そのまま出ていった。
いつものぶっきらぼうさだったが、言っていることは完全に本質だった。
詰めること。
それしかない。
しばらく、誰もすぐには喋らなかった。
最初に空気を動かしたのは、意外にもヴィクトルだった。
「よし」
大きく息を吐く。
「つまり、こういうことだな。1学期で条件を残してるから夢物語じゃない。けど、2学期で落ちたら普通に終わる」
「そういうことね」
セレナが言う。
「雑だけどな」
ガイルが付け足す。
「雑でもわかりやすい方がいいだろ」
ヴィクトルは肩をすくめる。
「で、どうする? このまま各自でやるか、どこかで勉強会でも入れるか」
「勉強会はありですね」
ナディアが頷く。
「苦手なところを早めに見つけた方がよさそうです」
「私は賛成」
セレナも言う。
「1学期より難しくなるなら、なおさら」
エドガーは短く言った。
「首席を取るつもりでやれ」
その言葉が、教室の真ん中へ静かに落ちた。
誰も笑わなかった。
1学期、俺は確かに1位だった。
だがエドガーとは1点差。セレナたちもすぐ後ろにいた。
今回も同じように行く保証はどこにもない。
むしろ、怪我も外の用事もある分、1学期より条件は悪い。
それでも。
「……そうだな」
俺は小さく言った。
「飛び級を狙うなら、中途半端じゃ足りない」
ナディアがやわらかく微笑み、ガイルが無言で頷き、セレナは当然という顔をした。
ヴィクトルだけが、少しだけ面白そうに笑う。
「じゃあ次の勝負は、また別の意味でしんどいな」
「Aランクよりはましだと思いたいけど」
俺が言うと、セレナが即座に返した。
「どうかしら。試験の方が逃げ道は少ないかもしれないわよ」
それは妙に納得できた。
森の中なら、動いて崩して綻びを探せる。
でも試験は違う。
机の上で、正面から問われる。
ごまかしも、勢いも、煙も使えない。
俺は自分のノートを開いた。
1学期の結果は、可能性を示しただけだ。
2学期で届かなければ、それはただの過去になる。
飛び級の条件は、もう遠い話じゃない。