軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第137話 Aランク

木の陰から飛び出した瞬間、空気が変わった。

森の奥の開けた場所。

踏み荒らされた地面。

折れた枝。

血の匂い。

そして、その中心にいたのは、今まで相手にしてきた低級魔物とは比べものにならない存在だった。

巨体。

黒褐色の毛並み。

異様に発達した肩と前脚。

木々の間にいるだけで狭く見えるほどの圧。

ガルムベア。

名前だけは知っていた。

王都近郊に普通は出ない。

本来はもっと奥、深い森や山域の主のような魔獣だ。

それが今、目の前にいる。

「ぐっ……!」

冒険者の一人が、短剣で前脚を受けようとして弾き飛ばされた。

横転し、地面を転がる。

もう一人が杖を構えて風弾を放つ。

だが、ガルムベアはそれを気にも留めず、低く肩を落とした。

突進の姿勢だ。

考えるより先に、身体が動いた。

「下がれ!」

俺は横から小さな火球を撃ち込み、ガルムベアの顔の横で弾けさせる。

狙いは効かせることじゃない。視線を切ることだ。

ガルムベアの小さな目が、ぎろりとこちらを向いた。

次の瞬間、ぞわりと全身の毛が逆立つ。

来る。

俺は半歩、いや一歩大きく横へ飛んだ。

直後、さっきまで立っていた場所の木が、前脚の一撃で抉れた。

「っ……!」

重い。速い。

そして何より、迷いがない。

人だろうと魔物だろうと、目の前にあるものをまとめて叩き潰すような暴力だった。

綻びの目が、勝手に開く。

《脅威:極大》

《飢餓:強》

《縄張り逸脱:異常》

《興奮:高》

《正面交戦:非推奨》

極大。

文字を見た瞬間、喉の奥が冷えた。

Aランク。

ギルドで本気で対処するなら、B級パーティーが複数、あるいは王国騎士団の精鋭が必要になる相手。

そんなものが、休日討伐の森にいる。

「なんでこんな場所に……!」

若い冒険者が叫ぶ。

その声に答える余裕はなかった。

「立てますか!」

俺は吹き飛ばされた男へ声を飛ばす。

「……立つ!」

「なら、今のうちに後ろへ! 負傷者を連れて下がってください!」

「君はどうする!?」

「時間を稼ぎます!」

口にした瞬間、自分でも無茶だと思った。

だが、そう言うしかなかった。

ここで全員が固まれば終わる。

ガルムベアがこちらへ向き直る。

鼻を鳴らし、地面を削るように前脚を動かした。

俺は剣を構える。

苦手だった剣。

夏の間、父の騎士団で振り続けた剣。

二学期に入ってからも、ガイルやエドガーと毎朝のように積んできた剣。

それでも、相手がこれでは心許ない。

でも、使う。

ガルムベアが踏み込んだ。

速い。

俺は前脚の軌道へ剣を差し込むようにして、真正面からではなく角度をつけて受け流そうとした。

だが、甘かった。

衝撃が腕を突き抜ける。

剣ごと身体が持っていかれ、足が地面を滑った。

「ぐ……っ!」

受け切れない。

まともに受けたら、次は折れる。

それでも、その一瞬で冒険者たちは少し後退できた。

なら意味はあった。

俺は距離を取りながら、ガルムベアの動きを見る。

怒り狂っているようで、完全に無秩序ではない。狙いは単純だが、動きそのものは洗練されている。

綻びの目が、断片を拾う。

《突進予兆:前肩沈下》

《追尾傾向:高》

《視野:狭化傾向》

前肩が沈む。

来る前に、ほんの一拍だけ重心が落ちる。

「……見える」

呟いた瞬間、また肩が沈んだ。

今度は読めた。

俺は半歩早く木の陰へ入り、突進を外す。

ガルムベアの前脚が幹を叩き、木屑が散る。

その隙に短く斬りつけた。

浅い。

だが、無傷ではない。

ガルムベアが低く唸る。

怒りは増したが、怯みはしない。

やっぱりだ。

これを削り切るのは無理だ。

「まだ立てるか!」

さっきの三人組へ声を飛ばす。

「一人は足をやられた!」

前衛役の男が答える。

「でも、もう少しなら動かせる!」

「なら、そのまま外縁へ! ギルドへ戻れる者は戻って異常報告を!」

「君一人でどうする!?」

「倒しません! 引きつけるだけです!」

自分で言っておいて、無茶苦茶だと思う。

でも、今はそれでいい。

ガルムベアが、再びこちらへ意識を固定する。

綻びの目が、また淡く浮かぶ。

《興奮:上昇》

《追尾意識:単純化》

単純化。

なるほど。

一度狙いを定めると、その相手しか見えなくなる。

なら使える。

俺はわざと足音を強く立て、右へ回り込んだ。

ガルムベアがそちらへ食いつく。

その背後で、冒険者たちが負傷者を抱えて下がっていくのが見えた。

よし。

「来いよ」

挑発するように低く言って、俺はさらに奥へ走った。

背後から、重い足音が追ってくる。

地面が揺れる。

木々が軋む。

振り返らなくてもわかる。すぐ後ろだ。

走りながら、俺は周囲を見ていた。

ただ逃げるだけじゃ終わる。

勝ち筋を見つけないといけない。

木の並び。

風向き。

地面の傾斜。

倒木。

そして――少し先に、崩れかけた石組みが見えた。

「……あれは」

炭焼き跡か、それに近い何かだ。

半ば潰れている。

だが、低い石壁と天井の残骸があり、空間が半ば閉じている。奥は狭い。入口も一つしか見えない。

その周囲には、乾いた枝と、踏み荒らされた落ち葉、それに古い炭の黒が残っていた。

瞬間、頭の中で何かが繋がる。

前世の知識。

火。

煙。

閉じた空間。

だが、その考えを最後まで掴む前に、ガルムベアが真横から突っ込んできた。

「っ!」

避け切れない。

とっさに身体を捻る。

肩口を掠める衝撃。

服が裂け、熱い痛みが走った。

地面へ転がる。

息が詰まり、視界が揺れた。

まずい。

次が来る。

無理やり顔を上げると、ガルムベアはもうこちらを見下ろしていた。

黒い鼻面が震え、唾液が垂れる。

死ぬ、と思った。

その瞬間、綻びの目が強く明滅した。

《興奮:極大》

《前肩沈下:深》

《呼吸:荒い》

《誘導可能性:有》

誘導可能性――有。

それを見た瞬間、恐怖が一瞬だけ脇へどいた。

勝てるとは思わない。

でも、殺されずに済む道がゼロじゃない。

俺は血の滲む肩を押さえながら立ち上がる。

そして視線を、半壊した炭焼き跡へ向けた。

「……そうか」

正面じゃ無理だ。

だったら、場所ごと使うしかない。

ガルムベアが咆哮する。

森が震えた。

俺は剣を握り直し、浅く息を吐く。

「あそこなら……止められるかもしれない」