軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第133話 商会の誘い

文化祭の翌朝、王立学院は驚くほどいつも通りだった。

昨日まで中庭を埋めていた机も布も看板も片づけられ、石畳の上にはもう祭りの名残はほとんど残っていない。

窓の外を吹き抜ける風だけが少し冷たくなっていて、季節が確かに進んだことを教えてくれる。

だが、教室の空気まで完全にいつも通りかと言われれば、そうでもなかった。

「昨日、うちの妹が『青葉香るじゃがバター』また食べたいって言ってたぞ」

「保護者の間でも評判だったらしいな」

「学院長賞はさすがに気分がいいな」

そんな声があちこちから飛んでくる。

俺が席に着くと、ヴィクトルが先にこちらを見た。

「昨日の片づけの時、父上がお前と少し話したいって言ってた」

その一言で、近くにいたセレナが顔を上げる。

「ローデン商会が?」

「そう」

ヴィクトルは肩をすくめた。

「かなり面白がってた。たぶん、ただの感想じゃない」

ナディアが静かに言う。

「文化祭の模擬店を見て、商会の方がそこまで反応されるのですね」

「ローデン商会はそういうところがある」

ガイルが短く言った。

「面白いと思ったら動くのが早い」

エドガーは本を閉じて、こちらを一瞥した。

「行ってこい」

「簡単に言うなよ」

「簡単な話ではないからだ」

エドガーは平然と返す。

「だからこそ、行く意味がある」

その通りだった。

昨日の文化祭は確かにうまくいった。

だが、それは学院の中の話だ。

もし本当にローデン商会が動くつもりなら、それはもう遊びではない。

商売の話になる。

前世の知識で作った料理。

それを、この世界で売り物にしていいのか。

その引っかかりが、朝から頭のどこかに居座っていた。

授業は何事もなく進んだ。

文化祭が終わった翌日だというのに、教師たちは容赦がない。

むしろ行事が終わったからこそ、普段の流れへ戻すようにきっちり先へ進めてくる。

そのいつも通りが、妙にありがたくもあった。

祭りの熱が残っているうちに、全部が大きく変わってしまうわけではない。

教室に座れば授業があり、ノートを取り、次の小テストを気にする。

そういう日常があるから、昨日のことも浮つきすぎずに済む。

昼休み、いつもの六人で食堂へ向かう途中、セレナがこちらを見た。

「で、行くの?」

「たぶん」

「たぶん、じゃなくて」

セレナは少し呆れたように言う。

「行かないという選択肢があると思ってるの?」

「ないわけじゃないだろ」

「ほとんどないわよ」

ヴィクトルが横から言った。

「父上がああいう言い方をする時は、もう頭の中ではだいたい話ができてる」

「それ、怖いな」

「怖いよ」

ヴィクトルはあっさり頷いた。

「だから面白いんだけどな」

ナディアが小さく微笑む。

「でも、昨日のお店はそれだけの価値があったということですよね」

「そういうことになるな」

ガイルが答えた。

セレナは少しだけ真面目な顔になった。

「リオンがどう考えるか次第だけど」

そこで一度区切ってから続ける。

「昨日のあれは、文化祭の思いつきだけで終わらせるには惜しいとは思うわ」

その言い方は、背中を押すでもなく、止めるでもない。

ただ、セレナ自身の実感として出てきた言葉だった。

それが少し嬉しかった。

放課後、俺はヴィクトルと一緒にローデン商会へ向かった。

王都の中央寄りにあるその建物は、豪奢さを前に出した貴族の屋敷とは違っていた。

石造りのしっかりした造りで、余計な装飾は少ない。だが、人の出入りと荷の動き、使用人たちの足取りを見れば、ここがただの店ではないとすぐわかる。

商売を回す場所。

金と人と物が、絶えず流れている場所。

「なんか落ち着かないな」

俺が小さく言うと、ヴィクトルが笑った。

「そのうち慣れる」

「慣れたくはないかもしれない」

「言ってろ」

案内された応接室で待っていたのは、ヴィクトルの父だった。

年齢は父より少し上だろうか。

身なりは整っているが、華美ではない。

それでも一目でわかる。相手の反応を見ながら、必要な言葉だけを置いていく人間だと。

「来てくれてありがとう、リオン君」

そう言って、まず席を勧める。

ヴィクトルも同席したが、父親の前ではさすがに少し口数が減っていた。

「文化祭の片づけで疲れているところを呼び立ててしまってすまない」

穏やかにそう言ってから、男はすぐ本題に入らなかった。

代わりに、一つだけ問いを置く。

「昨日の店で、一番面白かったのは何だと思う?」

予想していたよりも、まっすぐな問いだった。

料理か。

名前か。

売り方か。

そういうものを試す質問だと、すぐにわかった。

少しだけ考えてから答える。

「料理だけじゃないと思います」

男の目がわずかに細くなる。

「続けて」

「寒い日に欲しくなる形にしたこと。青葉草を前に出して、香りを印象に残るものにしたこと」

そこで一度言葉を切る。

「でも、一番大きかったのは、途中で売り方を変えたことです」

「昼の切り替えか」

「はい。味違いを見せるより、昼は一番強い形を最速で出す方を優先しました。美味いだけじゃなく、止まらない店にしないと勝てないと思ったので」

静かに聞いていたヴィクトルの父が、そこで初めて小さく頷いた。

「なるほど」

ゆっくりと言う。

「君は料理そのものだけでなく、どう出せば客が手を伸ばすかまで見ていたわけだ」

その視線に、値踏みするようないやらしさはなかった。

ただ、答えの中身を見ている。

「……面白い」

それからようやく本題が来た。

「ローデン商会の飲食部門で、『青葉香るじゃがバター』を試験的に売り出したい」

予想していた。

だが、いざ言葉として真正面から来ると重さが違う。

「文化祭の模擬店で終わらせるには惜しい。王都の中で、いくつかの場所なら十分勝負になる」

男は淡々と続ける。

「もちろん、料理名だけ借りるつもりはない。必要なのは、昨日君が組み上げた“形”だ」

ヴィクトルが横で言った。

「だから父上、昨日から妙に機嫌よかったんだな」

「お前は黙っていなさい」

「はいはい」

軽く流されながらも、室内の空気は崩れない。

「条件は悪くないつもりだ」

ヴィクトルの父は俺を見る。

「まずは王都内の試験販売から始める。商会側で販売と運営の実務は持つ。その上で、売上の五パーセントを君へ支払う。監修料兼歩合と考えてくれればいい」

五パーセント。

数字だけ聞けば小さく見える。

だが、商会が本気で回す売上の五パーセントは、学生の模擬店とは桁が違うはずだ。

俺はすぐには答えなかった。

前世で知っていた食べ方だ。

じゃがいもにバターを乗せるという発想自体は、この世界の俺がゼロから発明したものじゃない。

それを、そのまま金にしていいのか。

だが同時に、文化祭で出したあの形は、ただ前世の記憶をそのまま皿に乗せただけでもない。

この季節。

この学院。

この客層。

青葉草。

役割分担。

売り方。

この世界で通る形へ組み直したのは、自分だ。

そして――。

「受けるにしても、条件があります」

気づけば、そう言っていた。

ヴィクトルの父の口元がわずかに動く。

面白がったのだとわかった。

「聞こう」

「青葉草は、できるだけハル領のものを使ってください」

ヴィクトルが横で少し目を見開く。

「なるほど」

「あと、味や形を安易に変えないこと」

俺は続けた。

「売り方の工夫は必要だと思います。でも、別物にされるのは困る」

「他には?」

「まずは王都内の試験販売から。学院生活に支障が出るような形で、僕が直接動くのは難しいです」

そこで一度、相手の目を見る。

「実務はそちらが持つ。その代わり、味と形の確認には僕も関わります」

数秒の沈黙。

ヴィクトルの父は椅子の背にもたれ、静かに俺を見た。

「……なるほど」

その声は変わらず落ち着いていた。

「条件の出し方まで悪くない」

それから、小さく頷く。

「いいだろう。その形で始めよう」

そこでようやく、胸の奥に詰まっていたものが少しだけ動いた。

話は決まった。

文化祭の模擬店で出した一皿が、もう学院の外へ出ようとしている。

「よろしくお願いします」

俺が頭を下げると、男は短く言った。

「こちらこそ」

ヴィクトルが、ようやく息を吐いたような顔をする。

「お前、父上相手にも普通に条件出すんだな……」

「言わないとまずい気がした」

「いや、そうなんだけど」

ヴィクトルの父はそのやり取りを聞いて、わずかに笑った。

「文化祭の模擬店で終わる話ではないと、君自身がちゃんと理解しているようで安心した」

その言葉は、重かった。

商会を出る頃には、もう空が暗くなり始めていた。

王都の通りにろうそくの灯りがともり、昼の喧騒が少しだけ落ち着いた色へ変わっていく。

「で」

並んで歩きながら、ヴィクトルが言った。

「今どんな気分だ?」

「まだあまり実感はない」

「だろうな」

少し歩いてから、俺は言った。

「でも、文化祭の店がただの思い出で終わらなかったのは、たぶん悪くない」

「悪くないどころか、かなり大きいぞ」

ヴィクトルは笑う。

「ローデン商会の飲食部門だ。父上が本気で動いたら、王都でそこそこ早く広がる」

「そうなったら、類似品も出るだろうな」

「出るだろうな」

そこはもう避けられない。

料理そのものは、誰かが見れば真似できる。

けれど最初に形にしたこと、その勝ち筋を見つけたことには意味がある。

「まあ」

ヴィクトルが言う。

「最初に走り出したやつが強いのは、商売でも同じだ」

その言葉を聞きながら、俺は夜の王都を見た。

文化祭は終わった。

学院はまた、普段通りの授業へ戻っていく。

それでも、昨日まで中庭で売っていた一皿は、もう学院の外へ出ようとしている。

青葉香るじゃがバターがこの国で広く知られるようになるのは、まだ少し先の話だ。