作品タイトル不明
第132話 祭りのあと
昼の売り方を切り替えてから、店の流れは目に見えて変わった。
迷う客を減らし、まずは定番を最速で出す。
それだけで、列の空気が軽くなる。
「青葉香るじゃがバター、二つ!」
「はい、すぐです!」
「受け取りはこちらです」
ヴィクトルの会計が止まらない。
ガイルが列を捌き、ナディアが迷う客に短く、でも温かく声をかける。
セレナは包み方の無駄を削りながら、見栄えだけは落とさない。
エドガーは全体を見て、詰まりそうな場所へ自然に入っていく。
そして俺は、ひたすら芋を割り、バターを乗せ、青葉草を散らし続けた。
温かいうちに渡す。
ひと口目で勝つ。
それだけを、全員で共有して動く。
午後に入る頃には、もう勝負の形ははっきりしていた。
派手さでは向こうが上かもしれない。
だが、人の流れを途切れさせず、食べた客の満足をそのまま次の客へ繋いでいく力は、明らかにこちらの方が上だった。
「……来たわね」
受け渡しの合間、セレナがふと視線を上げた。
店先へ足を止めたのは、見慣れた二人だった。
一人は、ヴァレスト公爵――ユリウス。
そしてもう一人は、俺の父だった。
どちらも文化祭の賑わいの中にいても妙に浮かない。
むしろ、そこに立つだけで周囲の空気が勝手に整うような存在感がある。
「父上」
セレナが小さく言う。
ユリウスはいつも通り落ち着いた顔で、まず店全体を見た。
看板。
列の流れ。
受け渡しの手元。
湯気の立ち方。
ほんの数秒で、見ている場所がわかる。
父も、少し目を細めて看板を見上げた。
「青葉香るじゃがバター、ですか」
ナディアが穏やかに案内しようとすると、ユリウスは軽く頷いた。
「ひとついただこう」
父も続く。
「私も頼む」
ヴィクトルが一瞬だけ背筋を伸ばし、会計に入る。
俺は芋を手に取った。
変に気負っても仕方ない。
いつも通りやるだけだ。
芋を割る。
湯気が立つ。
そこへ小さく切った塩入りバターを乗せ、塩をひとつまみ、青葉草を散らす。
セレナが包みを整え、ナディアが渡す。
ユリウスは受け取ると、まず香りを確かめるようにわずかに目を伏せた。
それから静かにひと口食べる。
父も続いた。
数拍の沈黙。
先に口を開いたのは父だった。
「……これは驚いたな」
芋を見下ろしながら、少しだけ目元を緩める。
「青葉草をこう使ったか」
その声音には、領地の産物を知る者としての驚きと、素直な感心が混じっていた。
「ただ混ぜたんじゃないんだな」
父は続ける。
「芋とバターの重さを、青葉草でちゃんと抜いている」
その言い方が妙に嬉しかった。
父は、味だけではなく、青葉草がどう効いているかまで見てくれている。
一方、ユリウスは芋をもうひと口食べてから、ようやくこちらを見た。
「君は単に料理を出したのではなく、この条件の中で最適な形を組み上げたんだね」
落ち着いた声だった。
大きく褒めるわけではない。
でも、その言葉の中に、見抜いた上での評価がきちんとある。
「……相変わらず、面白いことをしてくれる」
そう言って、ユリウスは小さく口元を緩めた。
その一言で十分だった。
セレナが横で少しだけ誇らしそうな顔をしているのが見えた。
たぶん父親に認められたこともあるし、それ以上に、リオンが見込まれたことが嬉しいのだろう。
「ありがとうございます」
俺は短く頭を下げる。
「礼を言うのはまだ早いよ」
ユリウスは穏やかに返した。
「文化祭は終わっていない。最後まできちんと回し切りなさい」
「はい」
父も頷く。
「終わったら少し話を聞かせてくれ」
そして、店をもう一度見回してから言った。
「これを、文化祭の思いつきだけで終わらせるには惜しい」
その言葉を胸のどこかに残したまま、俺は次の注文へ戻った。
◇
午後の文化祭は、そのまま最後まで勢いを保った。
「青葉香るじゃがバター」の前には、長すぎず、でも絶えない列が続く。
待っている間にも香りが届き、受け取った客の表情が変わり、その反応がまた次の客を呼ぶ。
理想的な流れだった。
一方で、ガレスたちの店は最後まで売れていた。
肉料理というわかりやすい強さは、やはり大きい。
ただ、午後に入ってからは待ち時間の長さが響いたのか、列の伸びはやや鈍って見えた。
閉会の鐘が鳴る頃には、こちらの店の鍋もほとんど空になっていた。
「……売り切ったな」
ヴィクトルが箱の中身を見ながら言う。
「いや、正確には、ほぼ完璧に読み切ったって言うべきか」
「最後の補充、ちょうどよかったわね」
セレナが息を吐く。
「足りなくも余らなくもない、って一番面倒なのに」
「ガイルが昼の切り替えを早めたのも効きましたね」
ナディアが言う。
「リオンが気づいたからだろ」
ガイルは短く返した。
エドガーはいつもの無表情のまま、空になった調理台を見ていた。
「終わったな」
それだけだったが、その一言に、ようやく本当に終わったのだと実感が湧いた。
◇
夕方、講堂前で結果発表が行われた。
文化祭を終えた生徒たちが集まり、まだ熱の残ったざわめきの中で、実行委員長が紙を手に前へ出る。
「それでは、今年度文化祭の結果を発表します」
空気が張る。
「まず、売上部門第一位――1年Bクラス」
ざわ、と小さく空気が動いた。
ガレスたちのクラスだ。
肉料理の派手さと立地の良さを考えれば、そこは十分あり得る。
むしろ納得の結果だった。
ガレスの口元がわずかに上がる。
「続いて、来場者投票第一位――1年Sクラス」
今度は、こちらの空気が揺れた。
クラスのあちこちから、思わず息を呑む音がする。
ナディアがぱっと顔を上げ、ヴィクトルが小さく拳を握った。
セレナも一瞬だけ目を見開く。
そして最後。
「総合評価による学院長賞――1年Sクラス」
一拍遅れて、はっきりと歓声が上がった。
売上だけではない。
運営、完成度、来場者の評価、その全部を含めた上での一位。
それは、こっちが一番欲しかった勝ち方だった。
「……っ、ふざけるな」
その声は、静まりきる前の空気の中で妙に目立った。
ガレスだった。
「売上はうちが上だろう!」
顔を赤くして前へ出る。
「たかが芋だぞ! あんな平民臭い食い物に群がったからって、何が学院長賞だ!」
その瞬間、周囲の空気が変わった。
ざわめきが引いていく。
代わりに残るのは、微妙な沈黙だった。
教師たちの目が厳しくなる。
保護者たちの視線も、ガレスへ向く。
ガレスはそれに気づかない。
いや、気づいていても引けなくなっているのかもしれない。
「見た目も規模も、うちの方が上だった!」
吐き捨てるように言う。
だがその言葉こそが、なぜ負けたのかを自分で証明していた。
客が何を求めていたのか。
何を喜んだのか。
どこで票を入れたのか。
それを最後まで理解できていない。
「ガレス」
教師の低い声が飛ぶ。
それでようやく我に返ったのか、ガレスは顔を歪め、何も言えなくなった。
勝敗はもう決まっている。
そしてその後の振る舞いでも、差はついていた。
◇
片付けが終わる頃には、空はすっかり夕方の色になっていた。
中庭の熱気もだいぶ引き、あちこちで机を運ぶ音と、疲れた笑い声だけが残っている。
「勝ったな」
ヴィクトルが箱を閉じながら言う。
「売上では向こうに負けたけど、あの勝ち方は悪くない」
「悪くないどころじゃないわ」
セレナが答える。
「一番欲しい賞を取ったんだから」
「本当に、いいお店でした」
ナディアがやわらかく微笑む。
「途中で皆さまの動きがぴたりと噛み合った時、見ていて気持ちよかったです」
「途中で売り方を切り替えたのが効いた」
ガイルは相変わらず簡潔だった。
「勝負どころが見えていた」
エドガーがこちらを見て、短く言う。
「勝つべくして勝った」
それだけだった。
でも、こいつにそう言われると妙に重みがあった。
クラスの他の連中も、自然にこっちを見る。
感謝、安堵、少しの興奮。
けれど、それを長く味わう時間はなかった。
「リオンくん」
背後から、落ち着いた大人の声がかかる。
振り返ると、そこにいたのはヴィクトルの父だった。
商会を率いる人間らしく、派手ではないが隙のない身なりをしている。
目元はヴィクトルによく似ていたが、そこに乗っている圧は比べものにならない。
「父上」
ヴィクトルが少し驚いたように言う。
だがその父は、まず俺を見ていた。
「あの店の考え方は、誰のものかな」
単刀直入だった。
ヴィクトルが口を開きかけたが、俺は一歩前へ出た。
「主な形は、僕が考えました」
そう答えると、男はゆっくり頷く。
「青葉草を前に出したのも悪くない」
視線は静かだが、見ているところは鋭い。
「だが、それ以上に面白いのは、売り方の組み立てだ」
そこで少しだけ口元を緩める。
「君、少し話せるかな」
文化祭は終わった。
けれど、その勝ちがただの拍手で終わらないことを、俺はその一言で悟った。
祭りのあとは、まだ続いている。