作品タイトル不明
第131話 勝負の昼
文化祭の午前は、思っていたよりもあっという間に過ぎていった。
開場直後こそ、中央通りの派手な店に人が流れた。
特にガレスたちの肉料理店は強かった。
焼ける音。
立ちのぼる脂の匂い。
大きく掲げた看板。
人目を引くには、あれ以上ないくらいわかりやすい。
実際、午前の早い時間は向こうの方が目立っていた。
店の前に人が集まり、笑い声が上がり、ガレスは余裕のある顔でこちらを見ていた。
だが、こっちも弱くはなかった。
「青葉香るじゃがバター、いかがですか」
ナディアのやわらかな声に足を止めた客が、一口食べる。
温かさと香りに表情が変わる。
それを見た別の客が寄ってくる。
そうやって少しずつ、確実に評判は広がっていた。
「寒い日にちょうどいい」
「思ったよりずっとちゃんとしてる」
「青葉草の香りがいいな」
そういう声が、次の客を連れてくる。
だから午前の終わり頃には、うちの店にも切れ目なく客が来るようになっていた。
「悪くないわね」
受け渡し口で包みを整えながら、セレナが小さく言った。
「少なくとも、埋もれてはいないわ」
「ここまではな」
ヴィクトルが会計箱を鳴らしながら答える。
「でも本番はこれからだぞ」
その通りだった。
昼が近づくにつれて、中庭の空気そのものが変わり始めていた。
保護者も、生徒も、他クラスの来場者も、ちょうど腹が減る時間帯に入る。
文化祭の勝負は、ここからだ。
◇
昼の鐘が鳴る少し前だった。
それまでばらけていた人の流れが、一気に太くなる。
中央通りから中庭へ。
講堂前から校舎脇へ。
どの店にも、さっきまでとは比べものにならない勢いで人が押し寄せ始めた。
「来るぞ」
ガイルが短く言った。
「ここからが勝負だ。位置、確認しろ」
全員の空気が変わる。
俺は鍋の様子を見た。
温めていたじゃがいもは十分。
バターも刻んである。
青葉草も補充済み。
大丈夫。回せる。
そう思った次の瞬間、本当に一気に列ができた。
「四つください!」
「定番二つ、香草多め一つ!」
「塩強めはありますか?」
「こっちはまだ並んでいいんですか?」
人が増える。
声が重なる。
熱気が近づく。
「注文こっち! 会計済んだら右に寄って!」
ヴィクトルが声を張る。
「列、看板の前を塞がないでください! こちらへどうぞ!」
ナディアが案内する。
「受け取りは一列だ! 割り込みするな!」
ガイルが流れを整える。
午前より忙しい。
でも、回らない感じではなかった。
俺は芋を割り、バターを乗せ、塩を振る。
補助に入っている生徒が青葉草を渡す。
セレナが包みを整えて客へ渡す。
流れはある。
ちゃんとある。
その一方で、中央通りの方からは別のざわめきも聞こえてきた。
「まだ?」
「そんなに待つのか?」
「肉がまだ焼けてないの?」
ガレスたちの店だった。
肉料理は派手だ。
だが、焼くには時間がかかる。
見た目で引いた客が、そのまま列に詰まり始めているのが遠目にもわかった。
「……始まったな」
ヴィクトルが小さく言う。
「やっぱり向こう、昼は重い」
こちらは温めと仕上げ中心だ。
芋は事前に火を通してある。
だから、同じ行列でも意味が違う。
それでも。
「……ちょっと待って」
セレナが受け渡しの合間に眉を寄せた。
「このままだとまずいわ」
「何が?」
俺は手を止めずに聞く。
「流れてはいる。でも、地味に遅い」
たしかに、列はさばけている。
だが、完璧ではない。
「定番、香草多め、塩強め」
ヴィクトルが苛立ったように言う。
「一人ひとりの迷う時間が地味に長いんだよ」
「説明もだな」
ガイルが列を見ながら続ける。
「何が違うのか聞かれるたびに、入口が少しずつ詰まる」
「後ろのお客様が不安そうです」
ナディアも顔を曇らせる。
「列は進んでいるのに、止まって見える瞬間があります」
俺はようやく、そこで全体を見た。
客は来ている。
回せてもいる。
でも、昼のピークに対してはまだ甘い。
問題は火力じゃない。
問題は人数でもない。
客に選ばせている。
説明している。
迷う時間を、そのまま列の長さに変えてしまっている。
「売れてるのに取りこぼしてる」
ヴィクトルが唇を噛む。
「これ、一番もったいないやつだぞ」
向こうの店は、派手さで客を引きつける。
こっちは、温かさと香りで客を呼べる。
でも今の敵は、ガレスじゃない。
昼の時間そのものだ。
勝負の昼に、客を立ち止まらせすぎている。
「……違う」
気づいた時には、声が出ていた。
全員がこちらを見る。
「足りないのは人数じゃない」
俺は言った。
「客に考えさせる時間が長いんだ」
セレナの目がわずかに動く。
ヴィクトルも、すぐに意味を理解した顔になる。
「昼だけ売り方を変える」
俺ははっきり言った。
「定番を主力にする。昼は、いちばん強い一品をいちばん速く出す」
「他は切るの?」
補助の生徒が聞く。
「完全には切らない。でも、昼のピークは定番優先だ」
俺は鍋の前に立ちながら答える。
「青葉多めも塩強めも、余裕がある時だけ。まずは一番うまい形を、最速で出す」
「……なるほど」
ヴィクトルが笑った。
「勝負の昼に、客を考え込ませるなってことか」
「そう」
俺は頷く。
「定番で満足させる。昼はそれで十分勝てる」
「だったら、案内も変えます」
ナディアがすぐに言った。
「まずは定番をおすすめします」
「受け渡しも単純化するわ」
セレナが包み紙を持ち直す。
「見た目を崩さない範囲で速さを優先する」
「列は俺がもっと絞る」
ガイルが一歩前へ出る。
「定番希望はこっちへ流す。迷う客は後ろへ回す」
その時だった。
少し離れた場所から、ガレスの声が飛んできた。
「どうした! 芋屋の勢いが落ちたぞ!」
振り向くと、向こうも焦っているのがわかった。
列は長い。だが、進みが鈍い。
しかも、待ちくたびれた客がこちらへ視線を向け始めている。
なら、今だ。
「昼仕様に切り替える!」
俺は声を張った。
「定番優先! 温かいうちに回すぞ!」
空気が、一瞬で変わった。
補助の生徒たちも迷わなくなる。
何を優先するかが見えたからだ。
「定番、三つ!」
「次、二つ!」
「はい、すぐ出ます!」
流れが軽くなる。
客も迷わない。
店側も止まらない。
会計、調理、受け渡しのすべてが、さっきより一段速く繋がり始める。
「早い」
列の前にいた来場者が、思わず言った。
「思ったよりすぐ出るのね」
「温かいうちにどうぞ」
ナディアが微笑む。
受け取った客がその場で一口食べる。
表情が変わる。
その反応がまた、後ろの客を安心させる。
「……いける」
セレナが小さく言った。
俺も、そう思った。
向こうが派手さで引くなら、こっちは昼の速さで押す。
待たせない。
迷わせない。
その上で、一口目で勝つ。
それが、勝負の昼の答えだった。
ガレスの店の方を見る。
向こうはまだ焼き台の前で詰まっている。
ガレス自身が苛立った顔で指示を飛ばしていた。
だが、こっちはもう違う。
午前の勝負じゃない。
昼の勝負だ。
そして昼は、俺たちの時間になり始めていた。
文化祭はまだ終わらない。
売上も投票も、この先どう転ぶかわからない。
それでも今、はっきり見えた。
青葉香るじゃがバターは、昼の戦場でこそ強い。
勝負の昼は、まだこれからだった。