作品タイトル不明
第121話 行軍訓練
翌週の朝。
いつものように教室へ入ると、まだ授業前だというのに、どこか空気が落ち着かない。
席に着く前から、あちこちで声が飛んでいた。
「本当に森で一泊するのか?」
「ただ歩くだけならいいけどな」
「いや、絶対それだけじゃ済まないでしょ」
そんなざわめきの中、俺が席へ向かうと、セレナがこちらを見て小さく笑った。
「今日は最初からうるさいわね」
「何かあるの?」
「知らないの?」
セレナが言いかけたところで、教室の扉が開いた。
担任のローヴェンが入ってくる。
ざわついていた教室が、少しずつ静かになった。
ローヴェンは教卓の前に立ち、周囲を見回してから口を開く。
「来週の行軍訓練について説明する」
その一言で、教室の空気がぱっと変わった。
やっぱりそれか。
一気にざわめきが広がる。
「一年の秋にやる定番行事だ」
ローヴェンはそのざわめきを止めずに続けた。
「一年生全員を対象に、王都近郊の森で実施する。四人一組で、決められた地点から出発し、指定された確認地点を通過しながらゴールを目指す。一泊二日の訓練だ」
一泊二日。
教室のあちこちで、期待と不安の混じった声が上がる。
「森で野営ってことですか?」
前の方の席の生徒が聞いた。
「そうだ」
ローヴェンは頷く。
「携行食、水、火起こし道具など最低限の装備は支給する。だが、どう使うか、どう温存するかは班次第だ。教員は森の各所で監視しているが、基本的にこちらから介入はしない」
そこで一拍置く。
「なお、これは足の速さだけを競う訓練ではない」
その声で、また教室が少し静かになった。
「評価対象は到達の早さだけではない。判断、安全管理、役割分担、班の連携、そして統率を見る」
統率。
その言葉が、少しだけ重く残る。
「さらに今回の行軍訓練は、クラスごとではなく、他クラスと混成で班を組む」
今度は、さっきより大きなざわめきが起きた。
「他クラスと?」
「え、じゃあ知らない人と組むのか?」
ローヴェン先生はそんな反応を気にも留めない。
ヴィクトルが露骨に嫌そうな顔をする。
「めんどくさそう……」
ガイルは腕を組んだまま、静かに前を見ている。
セレナは小さく息を吐いた。
ナディアは驚いたように目を瞬かせ、エドガーはまるで最初からそうだろうと思っていたような顔をしていた。
「優秀な者同士で固まれば強いのは当然だ」
教師が続ける。
「将来、上に立つ人間が、力の弱い者、自信のない者、扱いにくい者をどう巻き込んで前へ進むか。そのための訓練でもある」
そして最後に、教卓へ指先を軽く置いた。
「自分一人ができることと、班をゴールまで連れていくことは別だ。そのつもりで臨め」
教室が静まる。
ただの野外活動ではない。
それがよくわかる説明だった。
だが重苦しいというよりは、むしろ逆だった。
説明が終わった途端、教室はまた一気にざわつき始める。
「面白そうじゃん」
「絶対きついだろ」
「いや、楽しみだな」
「誰と組むかで決まりそうだな」
不安はある。
でもそれ以上に、行事そのものへの期待の方が強い。
いかにも学院らしい空気だと思った。
ローヴェンは必要事項だけを追加で伝え、そのまま通常の授業へ移った。
◇
休み時間になった途端、俺たちいつもの六人のところへ自然と人が集まりかけたが、それはすぐ散った。
やっぱり皆、班分けが気になるのだろう。
俺たちは窓際で軽く集まる。
「混成班ねえ」
ヴィクトルが肩をすくめた。
「面倒そうだけど、ちょっと楽しそうでもある」
「固めてくれるわけないとは思ってたわ」
セレナが言う。
「でも本当に完全分散とはね」
「妥当だろう」
エドガーが短く言う。
「意味のある訓練にするなら、その方がいい」
「下の者をどう巻き込むか、ですか」
ナディアが静かに言った。
「普段と違う方たちと組むのは、たしかに良い勉強になりそうです」
「勉強で済めばいいけどな」
ヴィクトルが言う。
「班員が面倒なやつだったら、普通にしんどいぞ」
「結局、班の空気次第だろ」
ガイルが腕を組んだまま言う。
それは間違いない。
いつもの六人で固まれば、たぶん強い。
だが、今回見られるのはそこじゃない。
「まあ」
俺は小さく笑った。
「今回は自分の班だけちゃんと見ないといけないってことだな」
「負けられないわね」
セレナが言う。
「負けたくはないな」
ヴィクトルも頷く。
「戻ったら全班の話を聞きたい」
ガイルが淡々と言う。
「ふふ」
ナディアが微笑んだ。
「皆さま、楽しみにされているのですね」
「そりゃそうだろ」
ヴィクトルが言う。
「どうせなら、みんなちゃんとゴールしたいしな」
それには俺も同意だった。
◇
そして、その日の最後の授業前。
ローヴェンが教卓の上に紙を置いて言った。
「班分けを発表する」
教室が一気に静まり返る。
名前が読み上げられていく。
予想通り、俺たち六人は綺麗に分かれていた。
ヴィクトルも、セレナも、ガイルも、ナディアも、エドガーも、全員別班だ。
そして俺の班の名前が読み上げられた時、少しだけ引っかかるものがあった。
リオン・ハル。
カイル・フェルド。
マルク・ベネット。
エミル・ロスタ。
――フェルド男爵家。
聞き覚えがある。
たしか、グレイヴ侯爵家の影響が強い領の一つだ。
ほんの一瞬だけ、視線がガイルとぶつかった。
向こうも気づいたらしい。だが何も言わない。
班分けの発表はそのまま進み、教室はまたすぐにざわつき始めた。
「うわ、俺この人知らない」
「え、B組のあいつと一緒かよ」
「絶対まとまらないだろこれ」
「面白そうじゃん」
全体としては、やっぱり楽しそうだった。
俺もその空気に飲まれるように少し気が緩んだ。
フェルド男爵家の名前が気にならないわけじゃない。
でも、だからといってこの場で何かが起きるわけでもない。
「お前の班」
ヴィクトルが椅子を引きながら近づいてきた。
「ちょっとだけ嫌な感じだな」
「少しな」
「フェルドはグレイヴ寄りだ」
ガイルが短く言う。
「そうなの?」
セレナが眉を寄せる。
「近い。だが、ただそれだけだ」
ガイルはそれ以上は言わなかった。
「今の時点で騒ぐほどじゃない」
たしかに、その通りだ。
ナディアが俺の班名を書いた紙を見て言う。
「他のお二人は、そこまで難しそうには見えません」
「問題はフェルドだけってことか」
「そう決めつけるのも早いでしょう」
エドガーが言う。
「訓練は始まってもいない」
それもその通りだった。
「まあ、誰と組んでもやることは同じだよ」
俺はそう言って紙から目を離した。
「ちゃんとゴールまでたどり着こう」
ヴィクトルが笑う。
「言うねえ」
「言うだけならタダだしな」
「お前の場合、そのままやりそうだから怖いんだよ」
そのやり取りで、また少し空気が軽くなった。
◇
放課後、班ごとに簡単な顔合わせが行われた。
俺の班も教室の隅に集まる。
「リオン・ハルだ。よろしく」
まず俺が言うと、三人も順に名乗った。
カイル・フェルドは、思っていたより普通の顔をしていた。
露骨な敵意もなければ、媚びる感じもない。ただ、どこか慎重にこちらを見ている。
マルク・ベネットは少し気弱そうな男子で、声も小さい。
エミル・ロスタは逆に少し勝ち気そうで、最初から様子を見る目をしていた。
少なくとも表面上は、どこにでもありそうな寄せ集め班だ。
「一応、来週までに持ち物の確認くらいはしておいた方がいいと思う」
俺が言う。
「まあ、そうだな」
エミルが言う。
「森で一泊とか、普通にだるいし」
マルクは小さく頷くだけだった。
カイルは一歩遅れて口を開く。
「……了解した」
短い。
でも、不自然なほどではない。
今のところ、空気は少しぎこちないだけだ。
「じゃあ、また来週」
俺が言うと、三人もそれぞれ頷いて散っていった。
まだ始まっていない。
だから、この時点ではそれ以上考えないことにした。
◇
・・・リオン達が寮に帰った後・・・
放課後、人気のない場所で話す2人の男
ガレス・グレイヴとカイル・フェルド。
ガレスが一歩近づき、低い声で何かを言う。
カイルの肩がわずかに強張る。
「……わかってるんだろうな」
カイルはすぐには答えなかった。
だが、やがて小さく頷いた。