軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第118話 門前の本音

王は立ち上がりかけた身体を止め、もう一度、室内を見回した。

「話はわかった」

レオンハルト王の声は穏やかだったが、その一言で応接室の空気がまた引き締まる。

「だが、帳簿と会議の言葉だけで領は変わらん。実際に商っている者、泊めている者、通っている者の声も聞こう」

ローヴェル伯爵が少し驚いたように目を開いた。

「今から、でございますか」

「今からだ」

王は即答した。

「人は席に座ると整ったことを言う。門前に立てば、もう少し本音が出る」

アルフレッド第一王子が肩をすくめる。

「ぞろぞろ大人数で行けば、また皆黙りますね」

「だから絞る」

王が視線を走らせた。

「私、アルフレッド、学院長、リオン、ローヴェル、グレイヴ。記録役は王家から二人。伯爵家も最低限でよい。護衛は少し距離を取れ」

グレイヴ侯爵の口元がわずかに動いたが、異を唱えることはできなかった。

門前へ出ると、昼下がりの空気は朝よりも少し緩んでいた。

人は多い。

荷馬車も絶えない。

けれどやはり、ここには立ち止まらない流れがある。

王はその場でしばらく門の内外を見比べ、やがて門の脇にある宿へ目を向けた。

「まずはあそこだな」

宿の主人は、王が入ってきた瞬間、文字通り腰を抜かしかけた。

「へ、陛下……!?」

「そう固くなるな」

王はよく通る声で言った。

「今日は責めに来たわけではない。聞きに来た」

宿の主人は平伏しかけたが、王が手を上げて止める。

「そのままでいい。旅人はよく来るか」

「は、はい……来ます」

「では、よく泊まるか?」

その問いで、宿の主人の顔が少し曇った。

「……いえ。来はしますが、値を聞いて、そのまま次へ向かわれる方も多いです」

ローヴェル伯爵の表情が固くなる。

王は淡々と続けた。

「高いのか」

「好きで高くしているわけではございません。水、薪、食材、納める金……どうしても値に乗ってしまいます」

俺は黙ってその言葉を聞いた。

やはり、そうだ。

「下げられぬのか?」

アルフレッド殿下が尋ねる。

宿の主人は苦い顔で首を振った。

「下げれば客は増えるかもしれません。ですが今のままでは、増えたところでうちの取り分が薄くなるだけで……」

王は短く頷き、それ以上は詰めなかった。

次に向かったのは馬屋だった。

馬屋の主人も、ほとんど同じことを言った。

「水だけ飲ませて、草だけ食わせて、宿には泊まらず出ていく者が多いですな」

「なぜだと思う?」

学院長が低く問う。

「この先にも宿場があるからでしょう。ここで一晩、と思うほど安くも面白くもない」

面白くもない。

馬屋の主人は、そこまで言ってから慌てて顔を伏せた。

「も、申し訳ございません……!」

だが王は咎めなかった。

「本音は大事だ。続けろ」

「……旅人からすれば、ここで金を使うなら、もう少し先で使っても同じだと。そう思われている気がします」

グレイヴ侯爵が不快そうに鼻を鳴らした。

「結局、商人どもが安くしすぎたがるだけでしょう。規律を強め、勝手な値下げ競争を防げば――」

「侯爵」

王はやや強めの口調で遮った。

「今、私はそなたの理屈ではなく、この町で商う者の口を聞いている」

侯爵は口を閉ざした。

次に、王は門前の露店で働く若い娘へ声をかけた。

年は十八か十九くらいだろう。

焼いた薄い菓子を売っていたが、手際は良いのに、どこか商売に勢いがない。

「この町で店を持ちたいと思うか」

王の問いに、娘は最初こそ目を白黒させたが、伯爵や侯爵の顔を見て、逆に観念したように笑った。

「今のままでは、あまり」

伯爵の顔がわずかに動く。

「なぜだ」

今度は伯爵自身が問うた。

「古い店が強いですし、場所代も重いです。新しく始めても、よほど当てるものがないと苦しいです」

「王都へ行きたいか?」

アルフレッド殿下が聞く。

「行けるなら、そちらの方が夢はあります」

その言葉は静かだった。

けれど、応接室のどんな建前よりも深く刺さった。

王は次に、乳を運んできた農家の男を呼び止めた。

「酪農をしているのか」

「はい。郊外で牛を」

「乳は売れているか」

「売れはしますが、そのままですな。余れば傷みますし、加工する手間も技も足りません」

俺はそこで口を開いた。

「バターやチーズにはしていないのか?」

男は俺を見た。

「少しはやりますが、うまく売り方がわからんのです。町の中でもそこまで高くは売れませんし、旅人が持っていくような品にも育てられておりません」

アルフレッド殿下が面白そうに笑う。

「つまり、材料はあるのに、商品になりきっていないわけだ」

「その通りかと」

学院長が小さく頷いた。

王はその後も、何人かに同じように短く問いを重ねた。

食堂の店主。

荷運びの人足。

若い見習い職人。

返ってくる言葉は細部こそ違っても、芯は同じだった。

人は来る。

だが、金は深く落ちない。

泊まる理由は弱い。

この町でなくてもいい。

若い者は残る夢を見にくい。

すべてを聞き終えたころ、王は門前へ戻り、その場で立ち止まった。

「伯爵」

「はっ」

「そなたの領は、今すぐ崩れるわけではない」

「……はい」

「だが、このままでは強くならん」

伯爵は黙って頭を下げた。

王は門の内と外を見比べながら続ける。

「旅人は通る。商いもゼロではない。暮らしも壊れてはいない。だから危機が見えにくい」

その声は低く、だがはっきりとしていた。

「だが、見えにくいだけで、領は痩せ始めている」

グレイヴ侯爵がそこで口を挟む。

「陛下、それでもまずは締めるべきかと。商いが弱いのなら、なおさら秩序を――」

「違うな」

王は即座に言った。

「締めれば、さらに通過されるだけだ」

侯爵の表情が引きつる。

王は俺を見た。

「リオン。そなたの見立ては、現場の声とも食い違わなかった」

「ありがとうございます」

「面白くない、か」

王は小さく笑った。

「耳に痛いが、実によく通じる言葉だ」

そして、ローヴェル伯爵へ向き直る。

「ここから先は、視察ではなく、そなたが領主としてどう動くかの話だ」

伯爵が顔を上げる。

王の声音が、わずかに変わった。

「門前、宿場、街道筋の運営は領主の裁量に任せきりでよい場ではない。

王国の流通と徴発に関わる以上、王家には巡察し、是正を求める権がある」

その一言で、空気が静かに張りつめた。

「ゆえに、今日ここで聞いた声は、王家の巡察記録として残す」

王家の記録役が視察の内容を静かに書き留める。

それに応じて、ローヴェル伯爵も自領の書記へ目配せし、帰領後の評議に備えて記録を取らせた。

「ローヴェル伯爵」

「はっ!」

「帰領後ただちに領府で評議を開け。そして三十日以内に、門前と宿場の立て直しについて方策をまとめ、王都へ上申せよ」

伯爵が息を呑んだ。

「三十日、でございますか」

「短いとは言わせん。今日、現場を見たのはそなたも同じだ」

「……承知いたしました」

「細かな手立ては伯爵家で詰めよ。今日、私が求めるのは方向と期限だ」

王は一本、指を立てた。

「第一に。宿、食事、馬屋、水場――旅人が使う場所にかかる負担を、伯爵家の責で精査しろ。時限でもよい。軽くできるものは軽くし、実際に値へ反映させよ」

「はっ」

「ただし、ただ減らせばよいのではない。誰がどれだけ負担し、いかほど価格が下がったか、帳面を添えて示せ。見かけだけの施策は認めん」

「承知いたしました」

「第二に。門前から宿場、市場までの導線を整えよ。値段は外から来た者にも見えるようにし、初めて来た者が迷わぬよう改めろ」

「はっ」

「案内板でも、人の配置でもよい。だが、旅人に『ここなら使いやすい』と思わせる工夫を形にしろ」

「はい」

王はさらに続けた。

「第三に。酪農を活かした品を育てよ。乳をそのまま売るだけでは弱い。保存でき、持ち帰れ、ここで食いたくなるものへ変えねばならん」

アルフレッド殿下が愉快そうに口を挟む。

「やはり名物は必要ですね。しかも旅人向けの」

「そうだ」

王は頷いた。

「派手な宝がなくとも、寄る理由は作れる」

そして最後に、王は少しだけ声の調子を変えた。

「若い者が店を持ちやすくなるよう、伯爵家で道を考えよ。今すぐ大盤振る舞いをせよとは言わん。だが、挑戦の最初の壁を下げる工夫はできるはずだ」

露店の娘の言葉が、まだその場に残っている気がした。

行けるなら、王都の方が夢がある。

王は静かに言った。

「残る理由がなければ、若い者は出ていく。若い者が出ていく領は、遅かれ早かれ細る」

ローヴェル伯爵は今度こそ深く頭を下げた。

「……不明を恥じます」

「恥じるだけなら意味はない」

王の声は厳しくも、切り捨てるものではなかった。

「動け。そなたは悪い領主ではない。だが、悪くないだけでは領は強くならん」

その言葉に、伯爵は顔を上げられなかった。

たぶん今、ようやく本当の意味で、この人はこの領の問題を自分のこととして受け止めたのだろう。

王はそこで俺の方を向く。

「リオン」

「はい」

「そなたの診立てと処方箋は、今日の視察で十分裏が取れた」

俺は思わず背筋を伸ばした。

「だが、ここから先を実際に担うのは伯爵家だ。そなたはそれを忘れるな」

「はい」

「若い者が全部背負う必要はない。だが、見るべき時に見て、言うべき時に言える者は貴重だ」

その言葉は、静かに胸へ落ちた。

学院長も何も言わなかった。

ただ、わずかに目を細めていた。

王は踵を返す。

「戻るぞ」

その一言で、王の視察は終わった。

短いようで、長い二日間だった。

門前には、相変わらず人と荷があった。

けれど、もうさっきまでと同じ風景には見えなかった。

ここはただ通り過ぎられる町では終わらないかもしれない。

少なくとも、変わるきっかけは今、確かに落ちた。

王の一行が去り始める中、ローヴェル伯爵だけはしばらく門前に立ち尽くしていた。