作品タイトル不明
第117話 処方箋
王の問いを正面から受け止めながら、俺は静かに息を吸った。
診断だけなら、ただの物知りで終わる。
でも、王が今求めているのはそこじゃない。
この領を、どう動かすのか。
俺は応接室の空気を一度見回した。
王レオンハルト。
第一王子アルフレッド。
学院長。
ローヴェル伯爵。
グレイヴ侯爵。
その背後に控える家臣と文官たち。
ここで曖昧なことを言っても意味はない。
「三つあります」
そう言うと、王がわずかに眉を上げた。
「ほう」
「まず短期の取り組み。次に中期の取り組み。最後に長期の取り組みです」
王は黙って先を促す。
「短期の取り組みでは、旅人が使う場所の負担を下げるべきです」
ローヴェル伯爵が少しだけ顔を上げる。
「旅人が使う場所、とは」
「宿、食事、馬屋、水場です」
俺ははっきり言った。
「今のローヴェル領は、立ち寄る理由が弱いのに、使うと高い。だから皆、通るだけで去っていきます。ならばまず、“止まる痛み”を減らすべきです」
グレイヴ侯爵がすぐに口を挟んだ。
「つまり減税しろと?」
「はい」
侯爵の口元が皮肉げに歪む。
「ずいぶん気前のよい話ですな。税を下げれば領が伸びるなら、どこの領もそうしておりましょう」
「一律に下げろとは言っていません」
俺は侯爵の目を見たまま答えた。
「街道客向けの業種に限って、時限的に下げるべきだと言っています」
応接室が静まる。
「今のローヴェル領は、人が来ているのに使われていません。ならばまず、人が使いやすくなるようにする。宿代、食事代、馬の預かり、水の利用。そこが少しでも軽くなれば、“次の町まで行こう”と思っていた旅人の一部は止まります」
「止まったところで、下げた税を埋められる保証があるのか?」
侯爵の声は冷たい。
「保証ではありません。計算です」
俺は短く返した。
「今は高いから使われない。使われないから数が増えない。数が増えないから税も伸びない。なら、まずは入りやすくする。客数が増えれば、結果的に納められる税の総額は戻ります」
王がそこで、小さく頷いた。
「価格を下げて回転を取る、か」
「はい」
アルフレッドが面白そうに笑う。
「旅商いの発想ですね。貴族の会議ではあまり最初に出てこない」
「出てきていたら、ローヴェルは今ほど鈍くないでしょう」
ついそう言うと、王が口元を緩めた。
「率直でよろしい」
グレイヴ侯爵は面白くなさそうだったが、何も言い返さなかった。
「二つ目は?」
王が聞く。
「中期の取り組みです」
俺は続けた。
「この領には、立ち寄る理由が必要です」
「それが名産か」
ローヴェル伯爵が、少し不安げに言った。
「ですが、我が領には際立った鉱物も、大きな工房も……」
「あります」
伯爵が目を瞬く。
「酪農です」
部屋の空気が少し動いた。
「郊外の牧場は、昨日見ました。規模としては悪くない。なら、それを“旅人が欲しがる形”に変えるべきです」
アルフレッドが身を乗り出す。
「例えば?」
「まずは食です」
俺は答えた。
「保存できるチーズ、持ち帰れる焼き菓子、宿で出せる温かい乳の料理。大きな産業をいきなり作る必要はありません。旅人が『ここで食べたい』『帰りに買っていきたい』と思うものを一つずつ育てるんです」
ローヴェル伯爵が真剣な顔になる。
「乳を使った名物、か……」
「はい。名産がないなら、育てればいい」
今度は王が頷いた。
俺はさらに言葉を重ねる。
「そして、それを売る場も必要です。夕方から夜にかけて、宿場と市場の間に小さな夜市を立てるといい」
グレイヴ侯爵がすぐに反応した。
「夜市ですと?」
「毎日でなくていい。最初は定期的で十分です」
侯爵の顔に、あからさまな警戒が浮かぶ。
「夜に人を集めれば、治安が乱れます」
「だから、街灯が要ります」
俺が言うと、侯爵の眉がわずかに動いた。
「門から市場、宿場、水場まで。旅人が実際に歩く線だけでいい。そこへ灯りを置く。夜でも歩ける。夜でも店が開ける。夜でも、ここで休もうと思える」
学院長が静かに口を開いた。
「なるほど。町全体を変えるのではなく、人の流れが最も濃い導線だけを先に変えるわけだな」
「はい」
俺は頷いた。
「全部を一気に変える必要はありません。まずは“夜でもこの町は使える”と思わせることです」
アルフレッドが楽しそうに言う。
「減税して止まりやすくする。乳で名物を作る。夜市と灯りで夜も使える町にする。筋は通ってますね」
「ありがとうございます」
ローヴェル伯爵は、さっきよりずっと真剣な顔をしていた。
「三つ目は、長期の取り組みです」
俺は最後の柱を口にする。
「若い人間が、この領で挑戦したくなる環境を作るべきです」
伯爵の背後にいた家臣の一人が、ほんのわずかに顔を上げた。
たぶん、そこは彼らにも心当たりがある。
「今のローヴェル領は、若い働き手が少しずつ王都や他領へ流れています。今はまだ小さな流れでも、このまま続けば、いずれ町を支える世代が痩せます」
伯爵が静かに目を伏せた。
「資料にも出ていました。子どもの数も、少しずつ減っています」
王も第一王子も、黙って聞いている。
「だから若い商人や職人が店を出しやすいようにするべきです。出店費用の一部補助、最初の地代の減免、運転資金の低利貸付、住宅の補助。そういう“最初の一歩”を伯爵家が支える」
グレイヴ侯爵が鼻で笑った。
「施しで商いを育てると?」
「違います」
俺は即座に返した。
「挑戦の最初の壁を低くするだけです。店が育たなければ意味はないし、売れなければ続かない。でも、最初の一歩すら踏めない町では、若い者は残りません」
「ふむ」
王が、低く言った。
「若い者が残る町は強い。逆は、静かに痩せる」
「はい」
俺は王を見る。
「ローヴェル領は今すぐ崩れる領ではありません。でも、このまま“立ち寄る理由のない町”であり続ければ、十年後には確実に細ります」
部屋の中は静まり返っていた。
誰もが、さっきまでとは違う角度でローヴェル領の未来を見始めているのがわかった。
「つまり」
王がゆっくりと言う。
「そなたの処方箋は、こうだな」
俺は黙って耳を傾ける。
「まず、旅人や行商人が止まりやすくする。
次に、彼らがこの領に寄りたくなる理由を作る。
そして最後に、若い者が集まりやすい町にする」
「はい」
「面白い」
王ははっきりそう言った。
グレイヴ侯爵の表情が、目に見えて固くなる。
「面白い、ですか」
「そうだ」
王は侯爵を見た。
「少なくとも、締めることばかり考えるよりはな」
侯爵は押し黙った。
ローヴェル伯爵は、しばらく口を開けなかった。
やがて、低く言う。
「……恥ずかしながら、そこまで考えたことはありませんでした」
その声には、虚勢がなかった。
「旅人は通るもの。宿場はあるもの。市場は立つもの。そういうものだと思っておりました」
「それが悪いわけではありません」
俺は答えた。
「でも、立地がいいなら、それだけでは足りない。来る人を止める工夫をしないと、強い領にはならないと思います」
伯爵はゆっくりと頷いた。
たぶん、この人は今まで本気で怠けていたわけじゃない。
ただ、“今あるものを整える”ことの延長で領を見てきただけだ。
王が背もたれに軽く身体を預ける。
「よろしい。方向は見えた」
その一言で、部屋の空気がまた変わった。
「伯爵。そなたはこの領の主だ。実際に動かすのはそなただ。だが、今の話はよく聞いておけ」
「はっ」
「学院長」
「はい」
「灯りの話は、後で詳しく聞こう。ハル領でやったことがこちらでも使えるなら、使わぬ手はない」
「承知いたしました」
「そしてリオン」
王の視線がもう一度こちらへ向く。
「診るだけでなく、ちゃんと処方箋まで持ってきたか」
「考えていただけです。使えるかどうかは、まだわかりません」
「それで十分だ」
王は笑った。
「使えるかどうかを決めるのは、領主と、その上に立つ者の仕事だ。若い者はまず、思いつくべき時に思いつけ」
その言葉に、応接室の空気が少しだけ軽くなる。
アルフレッドも笑っていた。
「父上、かなり気に入りましたね」
「そう見えるか?」
「ええ」
「見えるようでは、まだまだだな」
そう言いながらも、王の機嫌は明らかに悪くなかった。
グレイヴ侯爵だけが、静かに面白くなさそうな顔をしている。
だが、今はそれでいい。
王は立ち上がった。
「今日はここまでにしよう。伯爵、明日もう一度、門前と宿場を見せてもらう。その上で、どこから手をつけるかを考える」
「承知いたしました」
全員が立ち上がる。
話は終わった。
だが、ローヴェル領の本当の変化は、むしろここから始まるのだろう。
俺は静かに息を吐いた。
診断はした。
処方箋も出した。
あとは、それを本当に飲む気があるかどうかだ。