作品タイトル不明
第116話 面白くない領
翌朝、王の視察は朝から始まった。
ローヴェル伯爵を先頭に、王レオンハルト、第一王子アルフレッド、学院長、グレイヴ侯爵、文官たち、そして俺が続く。
視察の順路そのものは、伯爵家が前もって整えていたのだろう。
門前から大通り、市場、水場、倉庫、宿場へと、領都の主要な場所を一通り見て回る形になっていた。
ぱっと見れば、悪くない。
道は極端に荒れていない。
市も立っている。
水場も機能している。
兵の規律もそこまで悪くない。
宿もあるし、荷馬車も来る。
王も、すぐには何も言わなかった。
ただ、よく見ていた。
立ち止まる場所が絶妙だった。
店主が見せたがる品ではなく、その横で客が何を見ているか。
整えられた倉庫そのものではなく、その前で荷がどれくらい滞っているか。
宿の主人の説明より先に、馬のつなぎ方や旅人の荷解きの様子へ目を向ける。
そして、よく喋る。
「この店は朝から開いているのか」
「人足は何時に集まる」
「荷はここで一度置いてから中へ運ぶのか」
「旅人は一泊が多い? それとも通過か」
問いの形は軽い。
だが、軽く流せる問いではない。
アルフレッドもまた、父王とは違うやり方で見ていた。
「ここ、宿へ行くには少し遠いですね」
「市場の割に、外から来た人間が座る場所が少ない」
「この辺りは住民向けには十分ですが、旅人には少し不便かもしれません」
喋りながら空気をほどき、ほどきながら本質を拾っていく。
ローヴェル伯爵はそのたびに丁寧に答えていた。
受け答えに無礼はない。
領の事情もある程度把握している。
だが、答えに芯がない。
いや、芯がないというより、全部が「その場を整えている」答えだった。
この市場は十分に機能しております。
この宿場も年ごとに改善しております。
水場も住民に不満は出ておりません。
街道の往来も安定しております。
間違ってはいない。
だが、それらを全部足しても、領が伸びない理由の答えにはなっていない。
俺は歩きながら、それをずっと考えていた。
来る。
通る。
だが残らない。
昨日から見てきた違和感は、今日の視察でも消えなかった。
むしろ王と第一王子の問いを通して、より輪郭がはっきりしてきていた。
どこか一つが壊れているわけじゃない。
だから逆に厄介だ。
視察を一通り終えた頃には、昼はとうに過ぎていた。
俺たちは伯爵邸へ戻り、応接室へ通される。
重い扉が閉まり、外のざわめきが遠のいた。
王は席につくなり、すぐに本題へ入った。
「伯爵」
「はっ」
「今日、一通り見せてもらった。では聞こう。そなたは、この領を今後どうしていくつもりだ」
ローヴェル伯爵は背筋を伸ばした。
緊張しているのが見て取れる。
「まずは宿場の整備をさらに進め、旅人がより安心して利用できるようにいたします。また市場についても、商人の呼び込みを――」
王は黙って聞いている。
伯爵は続ける。
「水場周辺の整理や、街路の維持にも引き続き力を入れ、領民が誇れる領都に――」
そこまで聞いて、俺にはわかった。
この人は、本気で考えていないわけではない。
ただ、全部が“今あるものを少しずつ整える”話の域を出ていない。
王もそれを感じたのだろう。
伯爵の言葉が一段落したところで、静かに言った。
「なるほど。つまり、今までの延長を丁寧に続ける、ということだな」
伯爵の表情が少しだけ曇る。
「……領を乱さぬことも、領主の務めにございます」
「無論だ」
王は頷いた。
だが、その頷きには賛同より確認の色が強かった。
「では、グレイヴ侯爵」
急に振られても、侯爵は少しも慌てなかった。
むしろ待っていたように一歩進み出る。
「はっ」
「そなたは先ほどから、伯爵の動きが鈍いとでも言いたげだったな」
「恐れながら、ローヴェル伯爵領は立地の良い中堅伯爵領。ここまで伸び悩むのは、やはり統治の緩さゆえかと」
言い方は丁寧だが、かなり露骨だ。
「では、そなたならどうする」
王の問いに、グレイヴ侯爵は少しもためらわなかった。
「まず宿場の規律を正します。外から来る商人や旅人に対する管理を強め、勝手な売買を取り締まる。さらに市の統制を強め、宿にも基準を設けるべきでしょう。領都に入る者の把握を厳密にし、無秩序を減らせば、商いも税も自然と整ってまいります」
その答えを聞きながら、俺は小さく眉を寄せた。
たぶん、違う。
いや、全部が間違いではない。
だが、その方向で締めれば、たぶんもっと人は立ち寄らなくなる。
王も同じことを感じたのだろう。
「締める、か」
「はっ。流れを正すには、まず統制が要ります」
侯爵は自信満々だった。
だが王は、そこで小さく息を吐いた。
「統制すれば人が集まるわけではない」
それだけ言って、視線を動かす。
その先にいたのは、俺だった。
「リオン」
「はい」
「そなたは今回の視察で何を感じた」
部屋の空気が、また少し変わる。
ローヴェル伯爵がこちらを見る。
グレイヴ侯爵の目には、あからさまな不快感が浮かんでいた。
学院長は静かに黙っている。
アルフレッドは面白そうに、だが真面目に俺を見ていた。
ここで適当なことは言えない。
けれど、見たままを言わないのも違う。
俺は一度、息を整えた。
「まず、この領の良さから申し上げます」
王は頷いた。
続きを許す合図だ。
「ローヴェル伯爵領は、王都から一泊の距離にあり、街道沿いに細長く伸びた、流れを拾いやすい立地です。領都も荒れていません。市場も水場もあり、住民の暮らしそのものはきちんと回っている」
ローヴェル伯爵の表情が、わずかに和らぐ。
だが、それだけでは終わらせない。
「だからこそ、逆に目立ちます」
俺ははっきり言った。
「この領は、立ち寄る理由が弱い」
グレイヴ侯爵がわずかに眉を動かす。
「人も荷も来ています。ですが、来るだけで終わっている。泊まりたい理由が弱い。買いたい理由も弱い。食べたいものも、見たいものも、わざわざ足を止めるほどには目立たない」
誰も口を挟まない。
「もっと言えば――」
俺はローヴェル伯爵領の資料で見た数字と、昨日から見てきた町の空気を重ねながら言った。
「この領は、面白くありません」
応接室が静まり返った。
ローヴェル伯爵が息を呑む。
グレイヴ侯爵の視線が鋭くなる。
だが王は、止めなかった。
「続けろ」
その一言に押されるように、俺は言葉をつないだ。
「娯楽がない、というだけの話ではありません。名産が弱い。宿場町のくせに、わざわざここで一泊したいと思わせるものが薄い。そのうえ、旅人にとっては物価が少し高い。だから皆、立ち寄らずに通過していく」
ヴィクトルがここにいたら、たぶん強く頷いただろう。
「街道沿いにあるという立地自体は、ものすごく良いんです。何もしなくても人が通る。でも、その人たちに『ここに寄りたい』『ここで休みたい』『ここで何か買いたい』と思わせる動機づけが何もない」
ローヴェル伯爵がかすかに顔を伏せた。
責めているつもりはない。
でも、言わなきゃいけない。
「そして、街の中で生活が完結しているから、領民の側にも“わざわざ外から人を入れよう”という発想が薄いように見えました。今の暮らしが大きく崩れていないからこそ、外から人を呼ばなくても回ると思っている」
「それの何が悪い」
グレイヴ侯爵が、ついに口を挟んだ。
「領民の暮らしが回っているなら、十分ではないか」
王が咎める前に、俺はそちらを見た。
「今は、です」
侯爵の顔がぴくりと動く。
「今の時点では、この領は際立って困窮しているわけではありません。人も来ますし、町も一応回っている。だから危機として見えにくい」
そこで、俺は一度言葉を区切った。
「でも、資料にも兆しは出ていました。子どもの数が少しずつ減り始めている。若い働き手が王都や他領へ移っている」
ローヴェル伯爵の家臣たちの表情が変わる。
たぶん、そこは見ていたのだろう。だが、まだ小さい数字だから大きな問題として扱っていなかった。
「今の時点では数としては小さいです。だから放置できてしまう。でも、このまま魅力のない領として時が進めば、いずれこの町を支える若い世代が痩せます」
王も第一王子も、何も言わず聞いている。
「そうなれば、商いも細る。税も伸びない。町の中だけで完結していた生活も、じわじわと先細ります」
静かに言った。
「今のローヴェル領は、壊れてはいません。ですが、未来に向かって強くもなっていません」
王がそこで、ようやく小さく息を吐いた。
「……面白くない、か」
その声音には、怒りではなく、納得が混じっていた。
「ずいぶん率直に言う」
「申し訳ありません」
「いや」
王は首を振る。
「率直でいい。むしろ、その方が見えやすいこともある」
アルフレッドが口元に手を当てながら笑った。
「面白くない領、ですか。確かに、父上にとっては一番嫌なタイプですね」
王は苦笑する。
「荒れているなら手が打てる。悪政なら切ればいい。だが、面白くない領はじわじわ国を痩せさせる。しかも本人たちが困りきる前だから、なお厄介だ」
ローヴェル伯爵は深く頭を下げた。
「……耳が痛いお話です」
その声に虚勢はなかった。
むしろ、自分でもどこか感じていたものを言葉にされた人間の声だった。
王は伯爵を見た。
「耳が痛いなら、まだ望みはある」
それから、今度は俺を見る。
「リオン」
「はい」
「原因の見立ては聞いた」
王は背もたれに軽く身体を預ける。
「では次だ。この領をどう動かす」
応接室の空気が、また一段階変わった。
診断は終わった。
次は、処方だ。
俺は王の問いを正面から受け止めながら、静かに息を吸った。