作品タイトル不明
第115話 町の入口
「さて」
王のその一言で、門前の空気がぴんと張った。
ローヴェル伯爵が一歩前へ出る。
「陛下、まずはご用意した――」
「いや」
王は伯爵の言葉を柔らかく遮った。
「見せたいものは後でいい。まずは、町の入口から見たい」
伯爵の顔に、ほんのわずかに緊張が走る。
だがすぐに頭を下げた。
「承知いたしました」
グレイヴ侯爵の笑みも、そこで少しだけ薄くなった。
王の機嫌を損ねたわけではない。だが、筋書き通りには運ばないと悟った顔だ。
学院長は何も言わなかった。
ただ、当然そう来るだろうという顔をしている。
俺は小さく息を吸った。
昨日見た門前。
今日、王の前で改めて見ることになる入口。
王と第一王子、その護衛と文官たち、伯爵と家臣団、それに俺たちが門前へ向かう。
列としては決して小さくない。
それでも王は、わざと歩く速度をゆるめていた。周囲に急がせる気配がない。見ようとしているのがはっきりわかる。
門へ近づくにつれ、昨日の光景がまた輪郭を持ち始めた。
荷馬車の列は短い。
だが、人は少なくない。
門前で立ち止まる旅人。
荷を軽く下ろして話し込む商人。
入るでもなく、完全に去るでもなく、町の手前で足を止める者たち。
王はそこで立ち止まった。
「伯爵。これは普段通りか?」
「は、はい。多少、本日は陛下をお迎えするため人の動きに乱れはありますが……概ねは」
「概ね、か」
王は短く繰り返し、視線を門番へ向ける。
「一台にどれほど時間がかかる」
問われた門番が、一瞬だけ伯爵の方を見た。
だが王はそれを見逃さなかった。
「私が聞いている」
「はっ……荷の確認と、簡単な届けの確認で、短ければすぐに。長ければ、もう少し……」
「曖昧だな」
王の声は穏やかだった。
だが、曖昧さを許さない響きがある。
第一王子アルフレッドが、門の外へ目を向けながら口を開く。
「父上、あちらで荷を広げている者たちは?」
その先には、門に入る前に荷を少し広げ、何やらやり取りをしている商人たちがいた。
昨日も見た。門の手前で止まっていた連中だ。
伯爵が答える。
「通行のついでに軽い売買をしている者どもかと」
「町へ入らずに?」
アルフレッドの問いは軽く聞こえる。
だが、よく刺さる問いだった。
「それは……街道を急ぐ者もおりますので」
伯爵の答えは、間違ってはいない。
間違ってはいないが、それだけでもない気がした。
王はもう門番を見ていなかった。門の外、旅人たちの足元、荷車の置き方、立ち話の輪、その全部を見ている。
「リオン君」
急に名前を呼ばれて、俺はすぐに背筋を伸ばした。
「はい」
「君は昨日から見ているのだったな」
「はい」
「どう見える」
いきなり問われるとは思わなかった。
ローヴェル伯爵、グレイヴ侯爵、第一王子、学院長――視線が一斉に集まる。
だが王の問い方には、試すような圧はあっても、潰すような圧はなかった。
見たままを言え、と言われている気がした。
「まだ仮説ですが」
俺はそう前置きしてから、門前を見る。
「人と荷は来ています。ですが、町へ入る前に流れが一度鈍っているように見えます」
ローヴェル伯爵の家臣の何人かが小さく顔を動かした。
「鈍る?」
王が続ける。
「はい。入ると決めてすぐ入る者と、門前で止まる者がはっきり分かれています。昨日も同じように見えました」
王は何も言わず、続きを待った。
「そして、止まった者の一部は、その場で用を済ませようとしているように見えます」
荷を広げる。
立ち話をする。
小さな売買をする。
門の外で軽く休む。
町の入口が、本来なら中へ流れ込むはずの人の動きを少し受け止めてしまっている。
まだ断言はできない。
でも、そう見えた。
「なるほど」
王は短く頷いた。
グレイヴ侯爵がそこで、いかにももっともらしく口を挟んだ。
「若い見立てとしては面白いですが、旅人というものは気まぐれですからな。止まる者もおれば、急ぐ者もおります。門前の一時の様子だけで領の流れを語るのは、少々早計かと」
にこやかな声だった。
だが、言外に「子どもの浅い見方だ」と滲んでいる。
王はそちらを見た。
「だから今、見ているのだろう」
たった一言だった。
グレイヴ侯爵の笑みが、ほんの少し固まる。
「……失礼いたしました」
王はそれ以上侯爵を責めなかった。
その代わり、今度は門の内側へ視線を移す。
「入ろう」
誰も逆らわない。
門をくぐった先の大通りは、たしかに整っていた。
石畳は荒れすぎていない。店も閉じていない。領都としての体裁は十分ある。
だが昨日感じた通り、熱が弱い。
昨夜泊まった宿場町の方が、よほど人の流れに体温があった。
こちらは整っているのに、なぜか息が浅い。
王もそれを感じたのか、歩きながら言う。
「伯爵。町は整っているな」
「ありがとうございます」
「だが、整っていることと、よく回っていることは別だ」
伯爵の顔が少し強張った。
「……はい」
この人は善良だ。
だからこそ、こういう言葉が一番堪えるのかもしれない。
市場へ向かう途中、王はあちこちで足を止めた。
水場。
荷車の寄せ方。
道端の露店。
宿の前の馬のつなぎ方。
第一王子もよく喋るが、ただ賑やかしているわけじゃない。
「ここ、旅人が荷を置くには狭くありませんか」
「この店先、街道側に向いていないんですね」
「住民の買い物と、外から来た者の用事が交わりにくそうだ」
そんなふうに、会話の形で次々と違和感を拾っていく。
エドガーが黙って見る人なら、アルフレッドは喋りながらほどいていく人だ。
市場に着いても、印象は大きく変わらなかった。
品はある。
客もいる。
だが、街道の要衝らしい膨らみがない。
王は立ち止まり、しばらく黙って人の流れを見ていた。
それから、ぽつりと言う。
「……人はいる。だが、増え方が弱いな」
伯爵はすぐに答えようとした。
「陛下、それは――」
「言い訳を求めているのではない」
王の声は柔らかい。
けれど、その一言で場が静まる。
「私は、この町がなぜ伸びきらないのかを見に来た」
それは、誰に向けた言葉でもあるようで、同時にこの町全体に向けられているようでもあった。
グレイヴ侯爵がまた口を開きかけたが、第一王子が先に別の方角を指した。
「父上、あちらの通りは昨日からの市ではありませんか。でしたら、流れを見るなら先にそちらの方が」
王はすぐに頷く。
「そうだな。まずは人がどう動くかだ」
学院長がごくわずかに俺の方を見た。
声に出さずとも、「見ておけ」と言っている。
俺は小さく息を吸い、目の前の光景をもう一度見た。
ローヴェル伯爵は悪人ではない。
町も、一見すれば十分に整っている。
だが王は、その表面をなぞりに来たわけじゃない。
そして、第一王子も、学院長も、たぶん同じものを見ようとしている。
俺もまた、ただ連れてこられただけじゃない。
本当の視察は、ここから始まる。