作品タイトル不明
第5話 返済開始のお知らせ
何はともあれ、恋はまだ動き出したばかり。
「え、は? え、いや……え? いやいやいや! 怖いって、な、なんでなんでなんで? 慰めるよ!」
「なぐ? は? 慰めるってなんだよ。殴るじゃなくて?」
「なぐっ!? なっ、それこそなんでよ!?」
「なんでって言われても……空野に励まされたり慰められる意味がわからないってか。何言われるのか怖いしもう帰っていいですか? 今日はホントもう余裕ないんで……本当に勘弁して欲しいです。そんなにジュース飲みたいならお金出すから、もういいですか?」
「な、え! なっ!? え?! な、何も言わないから! ジュースは私が奢るって言う話で! いやッ、それはどうでもよくてっ! 慰めるよ! うんうん! うんうんうん! 私こう言う時にちゃんと慰められるよ。怖くないから! ね! 怖くないから?」
どう言う訳か隼人に怖がられている。
どうしてそんな事になっているのか。
わけがわからない明星は、彼を逃がすまいと左腕を握りしめたまま満面の笑みを浮かべて上目遣いで話しかける。
大多数の男子であれば思わず目を逸らして照れてしまう、非常に愛らしい明星の笑顔。初心な男子であれば一撃落とせる百点満点の笑顔は──けれども……。
「いや、え? いやいやいや、怖い怖い怖い、マジでどうした? 慰めるって言葉の意味が俺と空野の中で違うとか? 次はどんな弄りを思い付いたんだよ……。それって今日じゃないとダメなの? きついんだけど……」
しかし、隼人にはまるで効果が無かった。
「なッ、なんでそうなるのよ!? 絶対意味一緒だから! 辞書引いて意味確かめてもいいよ!」
「ええぇ? なんでって言うか、空野って俺の事めっちゃ嫌いじゃん? 傷を抉って塩を塗り込まれるならわかるんだけど、慰められる意味が分かんねえから怖いんだよ。何企んでんだよ。てか、そういうの明日以降でよくない? ……今日はもう無理なんだって」
「えぅ、なっ、なんでなんでなんで! なんでそうなるの?!」
「何でも何も、俺にだけ異様に言葉きついじゃん。……てか、空野の言葉がきついせいでクラスの女子からの当たりもきつくなったしさ。まあそれは俺がキモくて弱い男子だから仕方ないんだろうけど、でも流石に今はちょっと余裕ないってか。変な弄りならまた明日以降に頼む。今日の所は本当に勘弁して欲しい、許して欲しいです……余裕ないんだって……今マジで」
「いやいや! いやッ! え?? えぇエ!? ああ、いやぁ……? え? それは、その、だ、だから、そうじゃないと、言いますか……」
隼人の頭に浮かぶのは明星との思い出。
浴びせられる辛辣な言葉。
繰り返される人格否定。
苛立ちに満ちた表情。
刺々しい態度。
心抉る言葉。
好きになる要素が欠片程も存在しない。
明星との楽しい思い出の日々。
そして、理由はどうあれ隼人への当たりがちょっとばかりきつかった事を自覚している明星は、彼の口から飛び出した予想外の言葉に思わず口ごもってしまう。
隼人の明星に対する評価は友人ではある。
だが、友人は友人でも『乃愛の』友人。
自分と空野が友人とは考えてもいない。
それどころか日々浴びせられる辛辣な言葉のせいで、今ではもう仲良くなりたいとも考えていなかったりするのが現状。
「……まあでもさ、嘘か本当かは別にして気持ちだけは受け取っておくよ。ありがとうございます。って事で今後は空野の前をウロチョロしないようにするから、見かけてもあんまり心抉るような言葉は出来るだけなしで頼みます。調子乗らないように大人しくしてるんで。だから、今日は本当に勘弁してください」
「あッ! あぁっ! いや! いやいやァ!?」
「今まで迷惑をかけてごめんなさい。それと、出来れば乃愛に振られた話は他言無用で……じゃあ申し訳ないけど、そんな感じで。だから、そろそろ手放してくれると助かるっす⋯⋯」
「やっ! やァやァやァ!?」
「やぁやぁやぁって戦国の武将かよ。悪いけど、手放してください。今戦う気力とかホントにないんだって……今日は本当に許して欲しいです……」
「いやいや! 戦わないけど! て言うか武将じゃないし! じゃなくてッ! いや、だから、えーっと──」
何が何だか分からず混乱する明星。
しかし、隼人もまた必死。
(さっきから何企んでるのか知らねえけど、今はマジで無理⋯⋯。今の精神状態で空野に付き合ってたら電車に飛び込み兼ねない)
振られた直後のただでさえキツイ精神状態。
誰だってそんな時に暴言を浴びたくはない。
「本当にごめんなさいっ」
「ごごごっ、ごめんって何が!?」
「お願いします。今日の所は勘弁してくださいっ」
「いやいやいや! だからっ! えっと、えっと──」
何もしなくても泣きそうな今。
心を抉るような言葉や人格を否定する言葉を並べられると、ポッキリと心が折れてしまいそうなので、全力で明星からの逃亡を図ろうとしていた。たとえ、明星にそのつもりがなくとも。
力強く左腕を掴んでいる明星の手。
隼人はその指を一本ずつベリベリと強引に引き離して、何度も謝罪を繰り返して、何度もペコペコと頭を下げながらそそくさと教室を後にした。
今日は勘弁して下さい、と。
そして、一人残された明星はそのまま硬直。
隼人に引き剥がされた両手で虚空を握りしめながら、呆然としていた。
「な──」
(なんでなんでなんでなで!? ど、どどど、どどうししよう! いやいやいやいや、私隼人の事が嫌いだって思われてんの?! え、マジ? いや、いやいやいやいや……。相談乗ってあげてたじゃん!? なんで嫌いって。おかしいでしょ!?)
しかし、考えた。
何故隼人がそんな事を言ったのか。
今一度過去を振り返ってみることにした。
「んんん……ぅーん……」
(いやぁぁ……ぁー……? でも、た、確かにぃ? 隼人から乃愛の話聞かされる度にちょっとイライラして……。ちょ、ちょっと、きつい事を言った……ような、気がするのは、事実……なの、かなぁ……? そ、そのへん、ど、どうなんだっけ? ……わたし?)
今日もそうだった。
昨日もそうだった。
一昨日もそうだった。
一月前もそうだった。
一年前も、もちろんそう。
明星は思い出していた。
隼人に対して激烈に辛辣な言葉を投げかける日々を。
バカ、アホ、間抜けは挨拶代わり。
うじうじ、キモい、ダサいは接続詞。
弱い、終わってるを句読点に使う日々。
今日一日だけでも割と大概な言葉を投げかけたわけだが、それがずっとである。
「あー……」
(……はいはいはい。なるほど。そういうことね。それは私に嫌われていると思うかもね。納得だわ。私の暴言を浴びればマザーテレサだって愛を捨てて銃を構えるだろうし、ナイチンゲールだって治療を拒否って止めを刺しに来るかもね。納得よ、恐れ入ったわ空野明星、やるじゃない)
そして、記憶力が良くて賢い明星は納得。
これまで自分が隼人にしてきた仕打ちを一つずつ振り返って、彼に嫌われている理由に納得した。
(もし私が空野明星に相談してたら七、八十発は殴り飛ばしてた自信あるし。腸が煮えくり返るとは正にこの事ね。今からでも殴ろうかな、空野明星とか言う女……まぁ……それぇ……私なんですけどぉ……)
ぷくーっと頬を膨らませた明星。
(それに比べて、隼人ったらよく怒らなかったね。すごいよぉ……。よく私のこと殴らなかったね。聖人だよぉ。ノーベル平和賞だよぉ。かっこいいよぉ、隼人ぉ……。器が大きいよぉ……。好きだよぉ……)
これまで隼人に対して発してきた暴言の数々。
それらを思い出して、フーと息を吐き出しながら膨らんだ頬をしぼめる。
「……ど……どうしよ……」
振られたと聞いた直後こそ少し思った。
『隼人が乃愛に振られたってマジ! だったら学校で一番可愛い私が今告れば彼女になれるじゃん! やばっ! どうしよっ! この勢いでホテル行っちゃう!?』と。
そんな甘っちょろい考えをしていた明星。
しかし、過去の自分が積みに積み上げた天を貫く程の巨額の負債を目の当たりにした今、事態の深刻さを思い知った彼女はプルプルと震えていた。
(ふ、振られたって言うから励まそうとしただけだよ? 優しく話しかけただけ、だよね? それで怖がられるって……な、なに? キモイとかうるさいじゃなくて、怖いって。勘弁してくださいって。許してくださいって……。ゅ、有史以来そんな反応された人間、私以外にいるの? 物語の悪役だって主人公ともう少しまともに意思疎通とれてるんじゃないの?)
異性として意識されていない。
などと言う生易しい問題ではない。
隼人の事が嫌いだと思われていると言うマイナスの状態。
(自分の事ながら異常過ぎて怖いんですけど。……でも、それが……これが、隼人の私に対する評価って事……だよ、ね)
もちろん、それだけではない。
学力優秀である明星は理解していた。
事態の深刻さを。
「……」
ゴクリと息を飲む明星。
(隼人はハッキリと口には出さない。そう言う事を言わない人だから。誰にでも優しいからね。……だけどたぶん、隼人は私の事がそんなに好きじゃない。……と言うか、あの感じだと普通に嫌いな人間に分類されてる気がする。私のせいで他の女子からの当たりもきつくなったとか言ってたし。でもそれは流石に、それは──)
「んんん……」
(いやぁ……でも、んー……あー、うーん、そうかも。……そ……そうかもぉ……ゎ、私の……せいかもぉ……)
今の自分は隼人に嫌われている。
避けられている。
近寄りたくないと思われている。
そう理解するまでは一瞬だった。
(えっと……えっと……えっと……)
仮に明星が辛い境遇にめげていなければ。
慈愛の心を持って隼人に接していれば。
二人は今ここで幸せなキス。
傷心の隼人を明星がホテルに連れ込んで、この物語は5話で終了。6話でエピローグだったかもしれない。
しかし、残念ながらそうはならなかった。
今更仕方がない話である。
衝撃の展開で混乱していた明星の頭。
そんな頭も徐々に冷静さを取り戻せば、見えてくるのは負の感情でやらかしてしまった現実のみ。
膝から徐々に力が抜けるように。
その場にゆっくりとへたりこんだ明星。
両手で頭を抱えた彼女はうんうんと唸るのみ。
「や……ばぁ……」
(今の私が隼人に想いを伝えても絶対に成功しない。それはまあ……多少は理解して貰えるかもしれないけど、受け止めて貰える事は絶対に無い。『そうだったんだ。ごめんな、空野! じゃあ俺達付き合おうか!』……とは、絶対にならない)
冷静になった頭は正しい分析を下すのみ。
『好きです』
たったそれだけの言葉。……たったそれだけの言葉なのに、今の自分がその言葉を口にしたとしても、 城崎隼人(すきなひと) に正しく伝わる事は絶対にない。
想いを伝える以前の問題。
自分と隼人の間に出来た巨大な壁。
過去の自分が積み上げた負の遺産。
まずは積み上がった負債を少しでも返済しなければ、励ましの言葉一つまともに届かないと言う厳しい現実。
(て言うか、もう二度と私と話す事はないみたいな感じで去っていたから、告白以前の問題な気がする。めっちゃ嫌わてる気がする……。いやまあ、好かれる要素がないんだけど……いやいや、流石に何かちょっとくらいは好かれる要素もあるはず……」
「あっ」
(でもそうだよね、私凄く可愛くなったもんね。隼人だって可愛いって言ってたし! フォロワーだって沢山いるし、みんな可愛いって言ってくr──って、私の良い所って見た目しかないの!? ……ヤバイ。ヤバイヤバイヤバイヤバイ、ヤバイ! ……ヤバイっ!?)
高校二年の春。
まだ朝晩に寒さが残るそんな季節。
誰もが希望を胸に抱いて新しい生活に心を躍らせる、そんな季節の中。
今更になって、これまで完全にやらかしてしまっていた事実に気が付いた美少女は放課後の教室にへたり込み、両手で頭を抱えたま目をぐるぐると回していた。