作品タイトル不明
第69話 皇帝の裏切り(?)と、影の教会の船出
『アヴァロン帝国暦元年 11月下旬 帝都フェルグラント皇宮 晴れ』
【皇帝の右腕、オルデンブルク公爵グレン視点】
帝都フェルグラントの皇宮。
かつてアードラー皇帝が住まう雲の上の世界だったこの場所も、カール皇帝こと元ヴァルゼン公が主となってからは、ずいぶんと風通しが良くなった。
だが、今日の皇帝は、いつになく渋い顔をしていた。
「……というわけでな、チェーザレよ。余は、お前の作った『新しい宗教』に、公的な肩入れはできん」
皇帝は、申し訳なさそうに、しかしきっぱりと告げた。
俺とチェーザレは、執務室でその言葉を聞いていた。
「理由は分かるな? 帝国はアヴァロンとして生まれ変わったばかりだ。ここで余が、ユニテス教会つまり、女神教を真っ向から否定するような新興宗教を国教と認めれば、どうなるか」
「……戦乱に逆戻り、ですね」
俺が補足すると、皇帝は重々しく頷いた。
北の帝国軍と南の聖槍軍が和解し、ようやく訪れた平和だ。それを宗教対立で台無しにするわけにはいかない。
チェーザレも、それは承知していたようだ。
「分かっております、陛下。私の我が儘で、帝国を火の海にするつもりはありません」
「うむ。すまんな。……だが、個人的には応援しておるぞ。愛の宗教、悪くない」
皇帝はそう言うと、チラリと俺を見た。
……嫌な予感がする。
「そこでだ、グレン公。お前が個人的に、チェーザレの後ろ盾になってやれ」
「は? 俺がですか?」
「うむ。余が動けば『帝国の意思』になるが、お前なら『一貴族の個人的な趣味』で済む。お前、牛だの猫だの、変わったものが好きだからな」
ひどい言われようだ。だが、理屈は通っている。
チェーザレが、すがるような目で俺を見た。
「グレン公……。頼めるか? 今の私には、金も、拠点もない」
かつて金貨一万枚の報酬を捨てて愛を選んだ男。
俺はため息をついたが、不思議と嫌な気分ではなかった。
あの日、路地裏のバーで出会った黒衣の少女。
あの神々しい光と、圧倒的な存在感。あれを共に目撃した仲だ。あれが神か幻かは分からないが、少なくともチェーザレの覚悟は本物だと知っている。
「……分かったよ。乗りかかった船だ。あの『女神の影』のような少女に免じて、俺が後援者になってやる」
「おお、感謝する! グレン公!」
こうして、俺はまた一つ、厄介だが面白い荷物を背負うことになった。
『数日後 帝都の下町』
俺は私財を投じて、下町にある一軒の空き家を買い取り、急いで改装させた。
豪華な大聖堂ではない。
木造の、どこにでもある民家を少し手直ししただけの、質素な「神殿」だ。
入り口には、チェーザレが考案した、シンプルな黒と白のシンボルが掲げられている。
『影の教会』。
それが、この新しい場所の名前だった。
最初は誰も来ないかと思っていた。
だが、噂とは恐ろしいものだ。「身分違いでも、金がなくても、愛し合っていれば結婚式を挙げてくれる教会がある」という噂は、瞬く間に帝都の恋人たちの間に広まったらしい。
「……誓います」
「誓います……」
今日も、一組のカップルが祭壇の前で手を取り合っている。
一人は商家の息子、もう一人は使用人の娘だそうだ。ユニテス教会ならば門前払いされるような二人だ。
チェーザレは、かつての豪華な枢機卿の法衣ではなく、シンプルな黒い司祭服をまとい、穏やかな声で二人を祝福した。
「愛は神聖なり。影の女神の名において、二人の絆を祝福する」
儀式が終わると、二人は涙を流して抱き合い、チェーザレに何度も頭を下げて帰っていった。
去り際、入り口の箱に、なけなしの銅貨を数枚入れていく。
俺は、その様子を部屋の隅で見ていた。
「……どうやら、自立してやっていけそうだな」
俺が箱の中のわずかな硬貨を指差すと、チェーザレは穏やかに微笑んだ。
「ああ。贅沢はできないが、ルチアと二人、食べていく分には困らんよ。……感謝する、グレン公。この場所をくれたこと」
「貸しにしておくさ。出世払いで頼む」
「ふっ、素直に借りておこう。だが、私がこれ以上出世することはあるまいよ」
チェーザレは、本当に幸せそうだった。
かつてのギラついた野心家の面影はなく、ただ一人の誠実な聖職者の顔をしていた。
それから、帝都フェルグラントには、平穏な日々が続いた。
牛の世話をし、開墾の指揮を執り、たまに『影の教会』の様子を見に行く。
戦乱が嘘のような、穏やかな冬の始まりだった。
だが、そんな平和は、やはり長くは続かなかった。
ある日、オルデンブルク公爵邸に、一通の書状が届いた。
差出人は『ユニテス教会総本山・浄火の都』。
宛名は、元枢機卿チェーザレ。
俺が開封して中身を確認すると、そこには、血のような赤いインクで、短く命令が記されていた。
『背教者チェーザレへ告ぐ。ただちに浄火の都へ帰還せよ。さもなくば――異端として断罪する』
俺は、窓の外の灰色の空を見上げた。
どうやら、本家の女神様は、浮気をお許しにはならないらしい。