作品タイトル不明
第63話 エルロー地方、牛ちゃん増産計画と『選帝侯』
第63話 エルロー地方、牛ちゃん増産計画と『選帝侯』
『ヴァルゼン公家暦11年 8月中旬 都市オルデンブルク 朝 晴れ』
【オルデンブルク伯爵グレン視点】
新本拠地オルデンブルク(旧ミュラーブルク)の復興は、御用商人バルザフの手腕により順調に滑り出していた。東方からの茶や香辛料が市場に並び、街には活気が戻りつつある。
だが、俺は満足していなかった。
商業は血流だが、国を支えるのは筋肉――つまり、食料生産だ。
「……バルザフ。ちと、頼みがある」
俺は執務室にバルザフを呼び出し、切り出した。
「レグナリア王のところへ行って、牛を仕入れてきてくれ。それも、大量にな」
「……はあ? 旦那、茶の次は牛ですか?」
バルザフが呆れたように眉をひそめる。
「あそこは王領ですよ。しかも、あの質の良い牛は王家の自慢だ。そう簡単に売ってくれるわけが……」
俺はニヤリと笑い、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
それは以前、レグナリア王から貰った『借り』の証文……ではなく、俺が昨日書いたばかりの手紙だ。
「これを持って行け。俺からの親書だ」
手紙には、こう記しておいた。
『王よ。約束通り、戦を減らすために民の腹を満たしたい。ついては、あの美味い牛を増やして広めたい。協力されたし』
「へいへい。王様相手に『牛くれ』なんて手紙を書くのは、世界広しといえども旦那くらいですよ」
バルザフはぶつぶつ言いながらも、これが新たな商機になると踏んだのか、手紙を受け取って旅立っていった。
『数週間後 エルロー地方』
バルザフは、本当にやってのけた。
数十頭もの乳牛・種牛・仔牛の群れを引き連れて、オルデンブルクへ帰ってきたのだ。
「いやあ、驚きましたぜ旦那。レグナリア王ときたら、手紙を読むなり『ファッファッファッ! 面白い。平和のための牛か』って大笑いして、相場の半値以下で譲ってくれましたよ」
「でかした! さすがは俺の御用商人だ!」
俺はすぐに、支配下に置いている穀倉地帯『エルロー地方』の村長たちを招集した。
広場に集められた村長たちは、見慣れぬ巨大な家畜の群れに、最初は怯えていた。
「こ、これを……我々が育てるのですか? 畑を耕す馬ならともかく、牛など扱ったことが……」
「心配するな。強力な助っ人がいる」
俺が合図をすると、以前レグナリア領から連れ帰り、グレンフィルトで保護していた女性たちが進み出た。彼女たちは今や、立派なオルデンブルク家の牧場スタッフだ。
「牛の扱いは、彼女たちが教える。いいか、これは食うためじゃない。増やすための牛だ。乳を搾り、チーズを作り、堆肥で畑を豊かにしろ。数年後には、ここを大陸一の酪農地帯にするぞ!」
女性たちが手際よく牛を撫で、乳を搾って見せると、村長たちの目にも希望の光が宿った。
こうして、エルロー地方の牧草地に、のどかな「モー」という鳴き声が響き渡るようになった。
それは、戦乱の世において、最も平和で力強い「復興の音」であった。
俺は、草を食む牛たちを眺めながら、満足げに呟いた。
「よし。これで食い物の心配は減る。……あとは、時を待つだけだ」
その時だった。
平和な牧場の空気を切り裂くように、王家の紋章をつけた早馬が駆けてきたのは。
「――オルデンブルク伯爵、グレン殿にお伝えする!」
使者は馬から降りることなく、恭しく、しかし厳粛な声で告げた。
差し出されたのは、牛の取引のような気安い手紙ではない。金色の封蝋がされた、正真正銘の『勅書』だった。
「レグナリア王より、全土の諸侯へ通達! 来るべき新時代について、重大な提案がある!」
俺は、震える手で封書を開いた。
そこに書かれていたのは、たった数行。しかし、この大陸の歴史をひっくり返すほどの内容だった。
『アードラー帝国の崩壊により空位となった、帝都フェルグラントの皇位。それを、剣による流血ではなく、諸侯による投票にて決定せん。選帝侯として責務を全うされたし!』
皇帝を、投票で決める。
「……選挙、だと?」
俺は息を呑んだ。
王都での会談で、王が言っていた「戦をなくす」という条件。その答えが、これだったのか。
牛の鳴き声が響くのどかな牧草地で、俺は来るべき嵐の予感に身震いした。
『初の選帝侯による選挙』――後にそう呼ばれることになる歴史的な大イベントの幕が、今、上がろうとしていた。