作品タイトル不明
第55話 グレン、オルデンブルク家名を襲名す
『ヴァルゼン公家暦11年 7月中旬 王都レグニス 昼 晴れ』
【公の右腕グレン伯爵視点】
ヴァルゼン公との静かな酒盛りの翌日、俺は再びレグナリア王都レグニスへと馬を向けた。公からは「早く帰ってこい」と念を押されたが、公の借金をチャラにした代償として、自らの街を売った後の手続きが残っている。
俺は、公がつけてくれた少数の護衛だけを従え、王都を目指した。
真夏の太陽が煌々と照りつける中、レグナリア王領に足を踏み入れると、相変わらず、戦火とは無縁の牧歌的な風景が広がっていた。手入れの行き届いた畑、緑濃い牧草地。俺たちが必死で手に入れたグレンフィルトの収穫と、何ら変わりない豊かさだ。
王城の謁見の間に入ると、レグナリア王は以前より顔色も良く、機嫌もよさそうだ。幾分か痩せたようにも見える。
俺は一歩進み出て、深く頭を垂れた。
「グレン・フォン・ヘルデン、ただいま参上いたしました」
王は、輿の上から、肉に埋もれた知的な瞳を俺に向けた。
「うむ、グレン伯爵。そなたの活躍は聞き及んでおる。して、用件とは、そのグレンフィルトを、王家の庇護下にある『自由都市』にしたい、という申請であったな」
「はっ、その通りにございます。王家の権威をもって、都市の独立と自治権を保証していただければと」
「良いだろう。公国の内情は知っておる。そなたの決断は、賢明だ」
王はあっさりと承諾すると、話題をミュラーブルクへと移した。
「時にグレン殿よ、お主ミュラーブルクを手に入れたそうだな」
「はっ、ムンドという傭兵団と一戦交え、無人の城となりましたが、今は我が軍が治めております」
「うむ。しかしミュラー伯爵でも無いのにミュラーブルクと言う都市名では、いささか恰好がつかんであろう」
王は、ゼェ、と苦しそうな息をつきながら、ゆっくりと続けた。
「貴殿に、古の家名である『オルデンブルク』の名を贈る。この王家にも連なる、由緒ある名だ。都市の名前もオルデンブルクと改めるが良い」
(オルデンブルク……!)
俺は一介の雑兵上がりだ。由緒も何もない。その俺に、王家ゆかりの家名を与えるとは。それは、俺の「伯爵」としての権威と、新しい領地ミュラーブルクの統治の正当性を、この大陸で最も古く権威ある王家が保証してくれるということだ。
「ははっ、ありがたき幸せにございます! オルデンブルク家名、謹んで襲名させていただきます!」
俺は、心の底から感謝し、頭を下げた。
「ところで、王よ。これで、王の私に対する『借り』は無しになるのでしょうか?」
俺が、ミュラーブルクでの撤退の際に作った、あの「貸し」について尋ねると、王は肉のついた頬を揺らし、愉快そうに笑った。
「ファッファッファッ! その程度の事で貸し借りは無くならんよ! 家名一つで帳消しになるほど、余の貸し借りは安くはない。まだ余が借りたままよ」
「……そうでしたか!」
俺は、二重の安堵を覚えた。公の借金を肩代わりしたものの、まだ王家という強力な後ろ盾に対する「貸し」が残っている。乱世を生き抜くには、これほど心強いものはない。
「せっかく来たのだ、肉でも食べていかれよ」
王の言葉に甘え、俺は久々に王城で分厚い牛肉のステーキを頬張った。あのポルト村の牛の肉だ。
こうして、平和な昼食の後、俺はオルデンブルク伯爵として、公都アイゼンブルクへと急いだ。
『ヴァルゼン公家歴11年 7月下旬 公都アイゼンブルク 晴れ』
アイゼンブルクの城で俺を出迎えたヴァルゼン公は、風呂から出てきたばかりなのか、顔色が良く、機嫌も良かった。
「公。王都での交渉の結果です。グレンフィルトは自由都市となりました。ミュラーブルクも、王家の権威の下、『オルデンブルク』として登録されました」
「うむ、見事な手並みだ、オルデンブルク伯爵。新しい名前も、そなたに良く似合っているぞ!」
公の言葉に、俺は頬が緩むのを感じた。そして、俺がダリオ殿との取引の結果を報告すると、公は深く頷いた。
「借金がチャラになったばかりか、十万枚の『貸し』をダリオに押し付けたか! はっはっは! やはり、俺の右腕よ!」
公は、執務室を歩き回り、やがて何かを閃いた顔で言った。
「そうか。ならば、せっかくだから、グレンフィルトの引き渡し式を盛大にやるのが良いだろう」
「引き渡し式、ですか?」
「うむ! ダリオのやつに、公国の重臣たちの前で、頭を下げさせてやる! 俺も参加しよう。ダリオのやつは気がついておらんがな、これは間接的にヤツが俺の属国になると言うことよ。そのうち、自由な商人のほうが良かったとヤツのほうから言い出すやも知れぬな」
公は、ニヤリと笑った。
「金は……ダリオのやつに出させるか。ヤツも、これで国への『貸し』ができたのだ。嫌とは言わんであろう」
こうして、グレンフィルトの功績を讃え、同時にダリオ商会への公の権威を示すための、グレンフィルト引き渡し式が行われることになった。
真夏の太陽は、ジリジリと肌を焦がすようであったが、その熱は、俺の胸の中に湧き上がる希望の熱と、どこか重なり合っていた。
同時に、郊外の畑では、作物たちが青々とした実りをつけつつあり、嫌な暑さではなかった。