軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第54話 グレン、アーデル伯に真相を知らされる

『ヴァルゼン公家暦11年 7月上旬 公都アイゼンブルク 昼 晴れ』

【公の右腕グレン伯爵視点】

夏の暑さが、石造りの公都アイゼンブルクを蒸し焼きにしていた。

俺は馬車を降りるなり、大商人ダリオ・ボラーニを伴って、ヴァルゼン公の居城を大股で歩いていた。

すれ違う衛兵たちが、俺の剣呑な雰囲気に気圧されて道を開ける。

(この際だ、遠慮は無い)

俺は、公の執務室の扉を、ノックもせずに押し開けた。

「――公! 戻りましたぞ!」

執務室では、ヴァルゼン公が窓辺で退屈そうに外を眺めていたが、俺の声に弾かれたように振り返った。

「おお、グレンか! 戻ったか! ミュラーブルクの奪取、見事であったぞ! あの街はもちろんお前に……と、どうしたその顔は? まるで親の敵でも見るような目ではないか」

公はいつもの豪快な笑みを浮かべようとしたが、俺の表情を見て、その笑みをぎこちなく引きつらせた。

俺は、笑える気分ではなかった。おそらく、戦場にいる時よりも真顔だったと思う。

「公よ。単刀直入にお伺いします。……ダリオ殿に、莫大な借金があるというのは、本当ですか!」

俺が腹の底から声を張り上げると、ヴァルゼン公は、ビクッと肩を震わせた。

そして、執務室の椅子からスッと立ち上がると、子供が言い訳をするように叫んだ。

「き、聞きとうないわっ! あれは親父の借金だ! 俺がしたわけではないっ!」

「公!?」

「俺は知らん! あとは任せた!」

言うが早いか、ヴァルゼン公は風のような速さで、俺の脇をすり抜けて部屋を出て行ってしまった。

あとには、開け放たれた扉と、呆然とする俺たちだけが残された。

後ろで、ダリオ殿がわざとらしく深いため息をつく。

「やれやれ……。公も、この件になると逃げ足が速い。ですが、事実でございますよ、グレン伯爵」

「……親父の借金、と言っていたな」

「ええ。個人と個人の借金ではございませぬ。先代のヴァルゼン公が残された、国と商会の借金なのです。今の公は、それを相続されたに過ぎません」

俺は、重い頭痛を覚えた。

戦で負った傷なら治せばいいが、先代からの負の遺産となると、剣では斬れない。

「そうか……。おい、誰か! アーデル伯を呼んでくれ!」

俺は、廊下に控えていた衛兵に命じた。

この国の財布の事情を一番よく知っているのは、あの筆頭文官の老人のはずだ。

しばらくして、公の執務室にアーデル伯がやってきた。

彼は俺の顔を見ると、バツが悪そうに眉を下げた。

「……お話は聞きましたぞ、グレン伯爵。ダリオ殿も、ご同席でしたか」

「アーデル伯。本当なのか? 公が首を絞められかけているというのは」

アーデル伯は、重々しく頷いた。

「……誠に遺憾ながら。確かに、先代からの借金がございます。先代は、派手好みの放蕩者でしてな……。城の改築やら、無謀な遠征やらで湯水のように金を使い、そのツケが今、回ってきているのです」

「返せるアテは?」

「……公国の税収だけでは、利子を払うのがやっと。私自身も、どうするべきかと頭を抱えていたところでして」

アーデル伯の言葉に、ダリオ殿が「ほっほっほ」と冷たく笑う。

「そういうわけでして。商会としても、これ以上待つのは限界なのです。……さて、グレン伯爵。先ほどのミュラーブルクでのお話、決断していただけましたかな?」

俺は、覚悟を決めた。

公を、この鎖から解き放つことができるのは、俺しかいない。

「……分かった、ダリオ殿。俺の街、グレンフィルトを売ってやろう!」

ダリオ殿の目が、欲にギラリと光る。

「おお! 賢明なご判断です! では、借金十万枚と相殺で……」

「ただし! 金貨二十万枚だ!」

俺の提示した金額に、ダリオ殿だけでなく、アーデル伯までが目を剥いた。

「に、二十万枚ですと……!? 借金の倍ではありませんか! それはさすがに、法外というものでは……」

ダリオ殿が、初めて焦りの色を見せる。

だが、俺は引かなかった。

「いや、俺は領主だから知っている。最近、グレンフィルトの土地の価格の暴騰ぶりはすさまじいものがある。人が集まり、物が集まり、金が集まる。あの街は、今や金のなる木だ。……あんたなら、土地の利益だけで十分に回収できるだろう?」

俺は、ダリオ殿の目を真っ直ぐに見つめた。

これは、ただの商談ではない。公の右腕としての、魂の取引だ。

ダリオ殿は、しばらくそろばんを弾くような顔で沈黙していたが、やがてニヤリと笑った。

「……ほう。それほどの価値があると仰るなら、グレン伯爵ご自身が土地を切り売りして、返済すればよろしいのでは?」

「だめだな。それでは、城壁から館まで、すべてバラバラに売ることになってしまう。街が死ぬ。……だから、潔く街ごと渡すと言っているんだ」

俺は、机の上に手を叩きつけた。

「その代わり、分かっているな? 残りの十万枚は、俺たちの手元には残らん。公の借金をチャラにした上で、さらに十万枚分の『貸し』を、この俺がダリオ商会に対して持っている、ということだ」

「……なるほど。金額の書かれていない小切手のような『借り』ですな」

ダリオ殿は、降参したように両手を上げた。

「それに、俺の街で商売をするんだ。ちゃんと俺に納税しろよ? 領主が変わっても、税は納めてもらうぞ」

「おお、こわいこわい。抜け目がありませんな。……まあ、よろしいでしょう。このダリオ・ボラーニ、グレンフィルトという未来、ありがたく金貨二十万枚相当で買い取らせていただきましょう」

商談は、成立した。

俺は、自分の手足をもがれるような痛みと共に、安堵のため息をついた。

「よろしいのですか? グレン伯。……本拠地を売ってしまっては、貴方様の帰る場所が……」

アーデル伯が、心配そうに俺を見る。

「なに、城なら新しく手に入れたからな。ミュラーブルクがある。あそこを新しい本拠地にするさ。心配するな」

俺は強がって見せたが、アーデル伯は真剣な顔で首を横に振った。

「いえ、それだけでは不十分です。本拠地を失った貴族など、舐められるだけ。……それでしたら、『自由都市』として登録するのが、古き法でございます」

「自由都市?」

「はい。特定の領主に属さず、自治権を持った都市として、王家に認めさせるのです。そうすれば、グレンフィルトを失っても、貴方様の『伯爵』としての権威と、ミュラーブルクの支配権は、王家によって保証されます」

アーデル伯は、知恵者の顔で続けた。

「一度、レグナリア王の所へ行かれるのがよろしいかと。あの方なら、話を通しやすいでしょう」

「レグナリア王か……」

あの肉塊の王の顔が浮かぶ。

確かに、あそこには「貸し」がある。それに、猫や牛の礼も言わねばならん。

「分かった。俺が行ってこよう」

話がまとまり、俺が慌ただしく出立しようと部屋を出た時だった。

廊下の陰から、そっと現れた影があった。

ヴァルゼン公だ。

先ほど逃げ出した時とは打って変わって、その顔には、珍しく神妙な色が浮かんでいた。

「……公」

「先祖の借金とはいえ、グレン、世話になった」

公は、俺に向かって、深く頭を下げた。

あの雷鳴のような公が、一人の家臣に頭を下げている。

俺は慌てて膝をついた。

「公よ、どうか頭をお上げください! 俺は、公の右腕として当然のことをしたまでです!」

公は顔を上げると、どこか憑き物が落ちたような、穏やかな目で俺を見た。

「……なあ、グレン。風呂に入って、酒でも飲んでいけ。詫びだ」

「……分かりました。お付き合いいたします」

その夜、俺と公は、二人だけで大浴場の湯に浸かり、静かに酒を酌み交わした。

派手な宴会ではない。

ただ、湯の流れる音と、杯を合わせる音だけが響く、しんみりとした夜だった。

言葉は少なかったが、俺たちは確かに、主従を超えた何かで繋がっていた。

借金という鎖から解き放たれた公の背中は、以前よりも大きく、そして頼もしく見えた。

ふと空を見ると、満点の星空が、外を明るく照らしていた。