作品タイトル不明
第25話 帝国の女豹、グレンを誘う
『ヴァルゼン公家暦10年 12月中旬 グレンフィルトの酒場 雪』
【グレン子爵視点】
外は小雪が舞っているというのに、イリアが根城にしている酒場『狼のねぐら』の扉を開けると、むわりとした熱気が俺の顔を叩いた。
戦力増強の件で急いでいた俺は、店の一番奥で、すでに大杯を煽っているイリアの元へまっすぐに向かった。
「イリア、頼んでいた件だが」
「おお、ダンナ。ちょうどいいところに来たよ。紹介したいヤツがいるんだ」
イリアは、いつものようにニヤニヤと口の端を吊り上げ、隣の席に視線を送った。
そこには、見慣れない女が一人、イリアの大杯とは対照的な、小さな杯を優雅に傾けていた。
イリアのような無骨な革鎧ではなく、しなやかな肢体の線がはっきりと分かる、上質な絹の服を着こなしている。東方の異国情緒を感じさせるその装いは、およそ傭兵には見えなかった。
「こいつはソフィア。『 紅豹(こうひょう) 傭兵団』の隊長さ。アタイの古い馴染みでね」
ソフィアと名乗った女は、ゆっくりと俺に視線を移すと、まるで獲物を値踏みするように、俺の頭の先から爪先までをなめるように見た。
「……あなたが、噂のグレン子爵様? ふふ、思ったより『殿方』というより、『坊や』ですわね」
そう言うと、彼女は音もなく席を立ち、挨拶するふりをして、俺の腕に自らの腕を滑らかに絡ませてきた。
ふわりと、甘く、少し危険な香りが鼻をくすぐる。
「おいおい、ソフィア。ダンナは奥さん一筋なんだ、あんまりからかってやるなよ」
「あら、ご挨拶よ、ご挨拶。ねえ、イリア。この方は、私たちの『雇い主』様になるかもしれないのでしょう?」
ソフィアは、腕を絡ませたまま、俺を見上げる。その瞳は、まるで猫科の獣のようだった。
「……イリア。彼女の腕は確かなんだろうな?」
「ああ。そんじょそこらの傭兵団とは、モノが違うよ。こいつは、昔、あの『アードラー帝国』で、女だけで編成されてたっていう、近衛師団の出身でね」
「近衛……?」
ソフィアが、俺の耳元でクスクスと笑いながら囁いた。
「そう。『第三師団』。表向きは、 皇后(こうごう) 陛下や貴族の奥方様たちの警護……女にしか入れない場所の警護が専門でしたわ。……ですが」
イリアが、忌々しそうに酒を呷る。
「帝国の『 暗部(あんぶ) 』……汚れ仕事も専門だった、って噂だけどな。帝国が 崩壊(おわり) になって、こいつらもバラバラになって、こうして傭兵稼業に鞍替えしたってわけさ」
ソフィアは、その言葉を否定もせず、ただ妖艶に微笑むだけだった。
彼女は、絡ませた腕にさらに力を込めて、俺の体にぴたりと寄り添う。
「それで? 子爵様。私たちを雇うお金は、お持ちなのかしら? 私たちは、『銀狼』さんたちみたいに、お安くはありませんのよ。なにせ、元・帝国近衛ですから」
俺は、妻以外の女性にここまで密着された経験がなく、どうにも落ち着かない。
「か、金ならヴァルゼン公が用意してくださる! それより、腕は確かなんだろうな!」
「試してみます? ……今夜、二人きりで」
イリアが、ダーン!と木の大杯をテーブルに叩きつけた。
「おいソフィア、その辺にしとけ。ダンナを困らせるな」
「あら、怖い。冗談ですわ」
ソフィアは、名残惜しそうに、ゆっくりと俺から体を離した。
「……いいでしょう。その『好きにやっていい』というヴァルゼン公の太っ腹と、あなた様の『運』に賭けてみましょう。この『 紅豹(こうひょう) 傭兵団』、グレン子爵様にお預けいたしますわ」
こうして、俺の元に第二の傭兵団が加わることになった。
イリアとはあまりにもタイプの違う、元・帝国近衛師団の女隊長。
俺は、新たな戦力を得た安堵と同時に、新たな頭痛の種(と、妻エレーナへのどうでもいい言い訳)を抱えながら、その日は酒場を後にするのだった。
(この口紅のあと、どうやって落とすんだろ? ちょほほ)