作品タイトル不明
第26話 ザンクト・ブリギッタ冬季兵糧攻め
『ヴァルゼン公家暦10年~11年 12月下旬~翌2月下旬 ザンクト・ブリギッタ 晴れ』
【ヴァルゼン公視点】
冬の空気が、陣営の旗を硬く凍らせていた。
俺は、公都アイゼンブルクから全軍四千を引き連れ、あの忌々しい小都市『ザンクト・ブリギッタ』を完全包囲していた。
西の『浄火の都』から送り込まれた枢機卿セラフィヌス。あの男が、狂信者どもを煽って築き上げた「信仰の要塞」。
俺の喉元に突き立てられた、厄介極まりない棘だ。
(だが、それも今日までよ)
冬の戦は、兵站こそが全てだ。いくら秋の収穫があるとは言え、冬はどこでも食料が不足気味となる。補給を絶つことができれば勝てると確信していた。
俺は、この日のために万全の準備を整えていた。
兵士たちには、分厚いウールのコート、マフラー、防水加工を施したブーツ、そして毛皮の裏地がついたマントと毛布を全員に支給している。
本拠地アイゼンブルクが目と鼻の先にあるおかげで、温かい食料と薪の補給線は完璧だった。
対する奴らはどうだ。
あの狂信者どもは、土塁を築くのに夢中で、冬を越すための備蓄など考えておるまい。
「申し上げます! 西の街道より、大規模な輜重隊がザンクト・ブリギッタへ向かっているとの報せ! 『浄火の都』の紋章を掲げております!」
斥候からの報告に、俺は不敵な笑みを浮かべた。
待っていたぞ、セラフィヌスの差し金か。
「全騎兵隊に通達! 直ちに出撃、かの輜重隊を急襲せよ! よいか、荷駄は一つ残らず奪い取れ。護衛の兵は、一人残らず殺せ!」
俺の命令一下、凍てついた大地を蹄鉄が打ち鳴らし、精鋭部隊が吹雪の中へと消えていく。
数刻後、彼らは大量の兵糧――干し肉、穀物、そして酒樽まで――を積んだ荷馬車を何十台も引き連れて、意気揚々と凱旋した。
「見事だ! その兵糧は、全て我が軍に分配する! 今夜は宴会だ!」
その夜、俺たちの陣営では、奪った食料で盛大な宴が開かれた。
兵たちの歓声と、肉の焼ける香ばしい匂いが、包囲された街の方角へと流れていく。
当てつけだ。
あの街の中で、腹を空かせ、凍えている狂信者どもに教えてやるのだ。
貴様らが崇める神など、俺の兵站の前には無力だと。
それから、ただ時間が過ぎた。
一月が過ぎ、二月に入ると、ザンクト・ブリギッタからの抵抗は、完全に無くなった。
最初は、土塁の上から矢を放ってきたり、夜陰に紛れて小部隊が脱走を図ろうとしたりもしていた。
だが、俺はそれを許さなかった。
脱走者は、見つけ次第、容赦なく射殺した。
慈悲など、かけらも与えぬ。哀れみは、敵の戦意を長引かせるだけだ。非情に、冷徹に、ただ飢えさせる。
二月も中旬を過ぎた頃、凍てつく空気が、街の異変を俺に知らせた。
あれほど毎日、街のあちこちから立ち上っていた炊飯の煙が、ぱったりと消えたのだ。
「……公。丸二日、街から一切の煙が上がっておりませぬ」
「そうか」
俺は、無感情に頷いた。
食うものが、尽きたのだ。
「全軍に通達。これより、ザンクト・ブリギッタへ突入する。抵抗する者は、皆殺しにしろ」
俺の号令と共に、四千の兵が鬨の声を上げ、街の簡易なバリケードへと殺到した。
だが、俺たちが予想していた、狂信者たちの殉教覚悟の反撃は、どこにもなかった。
破城槌が門を打ち破り、兵士たちがなだれ込んでも、ただ、しんとした静寂が広がるだけだった。
俺も、馬に乗ったまま、陥落した街へと入った。
そこは、地獄だった。
あらゆる家屋の扉は開け放たれ、雪が吹き込む床の上で、人々が折り重なるようにして死んでいた。
皆、腹が不自然にへこみ、凍りついた顔は、飢餓の苦悶を浮かべたままだった。
赤子を抱いたまま、壁にもたれて絶命している母親。
わずかなパン屑を奪い合って刺し違えたのか、折り重なって死んでいる男たち。
セラフィヌスが建てたという教会堂の中は、さらに酷かった。
「浄火の騎士団」の生き残りと思われる者たちが、鎧も着けぬまま、祭壇の前で力尽きていた。
彼らは、神に祈りながら、ただ、飢え死にしていったのだ。
(これが、神の統一か)
俺は、鼻を突く死臭に眉一つ動かさず、馬を返した。
「……全軍、街から撤退せよ」
「はっ。して、この死体は……」
「一応埋葬しておけ、この街も再建せねばなるまいな……」
俺は、この街に蔓延していた「信仰」という名の病を、根絶やしにした。
俺のやり方で。
西の教皇イグナティウスよ。これが、俺の答えだ。
俺の兵站は、貴様らの神に勝った。
俺は、アイゼンブルクへ引き上げる兵たちの、整然とした足音を聞きながら、次の戦――東のグレン――に、思いを馳せていた。