作品タイトル不明
懐かしい顔
「ヘイリー・ハルフォードは、ハルフォードはくしゃくのちょうなんだ。父上より少しおわかいはずだ。おじ上よりは年上だな」
他国の伯爵の長男を知っているとは、さすがニコである。
「シエナは?」
アルバートの殿下のお見合い相手だったので、私にとってはハルフォードと言えばシエナである。
「ちょうじょだ。ハルフォードはくしゃくの子どもは二人。リアもマークからきいていたはずだが」
「うーんと」
若いせいか、私の記憶力はとてもいい。だが、興味のあることに限る。
「まあ、ちょうどませきにまりょくを入れていたときだったかもしれない」
「たぶん、そう」
同時に二つのことに集中するのも苦手である。
だが、これから行く先の情報をおろそかにしたことは反省せねばなるまい。
「そういえば、マークは」
「出迎えいたみいります。私はマーカス・モールゼイ。手助けは必要ありません。ただ、初めて見るハルフォードの町を、少し離れたところからゆっくり眺めていただけです」
竜車に押し込められたのは子どもだけだったようで、マークの落ち着いた声は竜車のすぐ横から聞こえた。動揺していたはずだが、それがまったく感じられない。
「大きな町ですね。何もない草原から現れた美しい姿に、殿下ともども感動していたところでした」
「安心しました。使者は来たものの、実際にはいつ到着されるのかとハラハラしていたところ、町の手前で突然止まった一団がいると報告がありまして。なにか問題が起きたのではと、とるものもとりあえずやってきた次第です」
私は感心した。
声しか聞こえないが、それでもはきはきとした話し方も、内容のまとめ方も、できる男の気配を感じさせる。
竜車の中にいる私たちも、事の次第を理解できて、とてもほっとした。
「いちおう、かんげいしてくれるみたい」
「そうだな。それでは、われらのすべきことは、手のかからぬ子どもとして、王子らしく、レディらしくふるまうことだけだな」
「とうぜん」
グレイソンへは、少しでも手助けになるために行くのだ。
国の代表としてあちこちで親善をとかそんなことをするよりも、存在感を薄くして、さっさと出発できるようにしたほうがいい。
ニコは大きな結界箱の運び屋さんで、私は小さい結界箱の運び屋さん。
ジャスパーの助けになるために、ニコと相談してそう決めた。
「それで、同行しているというニコラス殿下とリーリア殿はどちらに……」
だが、やはり私たちの存在感は小さくないようだ。
「それでは、あいさつに出ねばなるまい」
「なるまい」
ふんすと立ち上がった瞬間、ドッドッという竜の足音がまた近づいてきた。
急ブレーキをかけるように、竜の足音が止まり、ひらりと誰かが竜から降りた気配がする。
「兄様! 一行は! ニコラス殿下とリア様は!」
落ち着いてはいるが、張りのあるこの声を私は知っている。
「シエナだ!」
「シエナどのだ!」
親しいというほどではなかったが、アルバート殿下とのお見合いの時の懐かしい知り合いである。
私たちは我先にと扉を開け、竜車から顔を出した。
「シエナ!」
「シエナどの!」
「ご無事でしたか! よかった!」
竜車から駆け下りる私たちを、シエナは一人ずつぎゅっと抱きしめてくれた。
はらりと顔にかかる小麦色の金髪と、ふわっと顔に当たる豊かな胸は、確かに記憶にある通りのシエナだった。
「あれ?」
だが私は首を傾げた。
竜車越しに聞こえた気配からすると、シエナは私たちを心配し、兄を追ってラグ竜で走ってきた。
声が上から下に移動したことからみて、ラグ竜から飛び降りながら声をかけてきたことになる。
よく見れば、高く結い上げた髪は以前の通りだが、ぼさぼさでかなりほつれているし、ふんわりしたスカートからブラウスの裾がはみ出しかけ、裾は砂まみれだ。
そして、遠くで心配そうな顔はしても、抱きしめるほど感情をあらわにはしないはずだ。
「シエナ、おしとやかなレディだったはず」
「プッ、ハハハ!」
ハンスと違って笑い声までさわやかなのは、おそらくシエナの兄、ヘイリー・ハルフォードだろう。
「うまく猫をかぶれていたようだな、シエナ」
「兄様、うるさいですよ」
兄妹仲もいいようで何よりだ。
「あのときはわれらにやさしくしてくれてありがとう、シエナ」
「ありがとう」
さすがのニコの声に、私もありがとうを合わせた。
お見合いの時、私たちがテーブルの下にこっそり隠れていたことなんて、シエナはきっと知っていたに違いない。
それでもアル殿下と一緒に、見なかったことにしてくれた優しさは、ちゃんと覚えている。
「どういたしまして」
シエナは、あの時のように優雅に礼をとった。
「だが、わたしは、今のシエナもこのましいと思う。まえは、たくさんいるうつくしいレディの一人としかみえなかったが、今のシエナは、あるがままでうつくしい」
「まあ」
ニコが伸ばした手を、シエナはそっと両手で包んだ。
「素敵なお言葉、光栄です」
「うむ。父上には、レディにほめことばはおしんではならぬとおそわっている。母上には、レディにはようしだけではなく、なかみをほめよとな」
それを言ってしまうところが、五歳らしいのだが、その子どもっぽさもニコのいいところだと私は思う。
隣でニコとニコのご両親にうんうんと頷いていると、シエナが優しい顔でニコっと微笑んだ。
「素敵なお父様とお母様ですね」
「うむ。父上と母上にはシエナにほめられたと伝えておこう」
その時、強い足取りでマークが近寄ってくるのが見えた。
「ニコ、その美しい方を私に紹介してくれるかい」
私は驚いてマークのほうを見た。
こんなに張りのある声でマークが話しているのを聞いたことがなかったからだ。
冬雲の瞳が、嵐の前のような暗い色に見え、いつもはなんとなく上がっていて、楽しそうにも皮肉そうにも見える口角が下がり、いつになく真剣な顔をしているし、なんなら姿勢もいい。
ニコも少し驚いたようにマークを見ていたが、余計なことは何も言わず、二人を引き合わせるように身を引いた。
「マーク、こちらがハルフォードけのちょうじょであるシエナどのだ。シエナどの、こちらがキングダム四こう、モールゼイけの次代である、マーカスどのだ。すでにしろづとめのいそがしいみではあるが、じゃくはいであるわたしを支えるため、共に来てくれた。よしなにねがう」
「マーカスと申します。アルバートとは学友です。お見知りおきを」
胸に手を当てるマークに、シエナはそっと右手を差し出した。
「シエナと申します。四侯のお一人とあいまみえることができて、光栄でございます」
マークはすっと膝をついてシエナの右手を押し頂くと、指先に口を寄せた。
それは丁寧な挨拶ともとれるが、いつまでも離れない手は、いささか情熱的でありすぎた気もした。
だが、いつにないマークの振る舞いに、ぽかんと口を開けた私が目に入ったとたん、マークの顔が崩れて噴き出してしまったため、緊迫した瞬間は消え去り、どこかほっとした雰囲気がその場に漂ったのは幸いだった。
「どうしたんだい、リア。その顔はいったい」
マークは笑いながらそう言うと、シエナの手をそっと放して、すっと立ち上がった。
どうやら正気に戻ったらしい。
「殿下、リーリア、こちらへ」
私はマークの隣に移動し、ぎゅっと手をつないだ。
ここはマークの権威をしっかり見せるべきところだと思ったからだ。
ニコもそれを見て、マークの反対側の手をぎゅっと握った。
これでマークは、幼子から信頼されている男に見えるはずだ。
「ヘイリー殿、こちらが我がキングダムが第一王子の長子、ニコラス殿下です。そしてこちらが」
両方の手が子どもで埋まっているため、マークの紹介は視線だけになる。
「四侯が一つ、オールバンス家の長女、リーリアになります」
そこで私たちは握っていた手を離し、ニコは片手を胸に、私は膝をちょこんとまげて、ヘイリーと紹介されたシエナの兄に挨拶をした。
豊かな小麦色の髪が風をはらんでライオンのたてがみのようだ。
シエナと同じくっきりした緑の目が、優しく緩められた。
「なんと礼儀正しいことか。ニコラス殿下が五歳、リーリア殿が三歳だったか。うちの子と同じ年とは思えませんな」
「五さいというが、わたしはこのなつで六さいになるし、リアはもうすうじつで四さいになる。そうそうおさないままではいられぬものだ」
「なるほど。おそれいります」
ニコの言葉を馬鹿にせずにっこりと笑うヘイリーは、とても気持ちの良い人だと感じた。
挨拶が済んだと判断したのか、マークが口を開いた。
「カルロス殿下の話は伝わっていますか」
「ええ。領都への急使から。最初はキングダムの王子と四侯を連れて領都へ向かうと。次の急使は、自分たちはグレイソンへ向かうから、領都に向かうキングダム一行をよろしくとのことでした」
端的な説明に、マークはすまなそうな顔を返した。
「そのことなんですが、私たちはあくまでカルロス王子に付いてきただけなので、領都へ先に行ってくれと言われて、ちょっと困っているところなんですよね」
「は、え、それは」
正直、寒風吹きすさぶ草原でする話ではないと思う。
少し寒くなってきてプルっと震えた私をマークはちらっと見た。
「ですから、ハルフォードから、そのままカルロス殿下を追いかけるつもりですので、少しの間お世話になります」
「な、なんということか!」
ヘイリーの声だけが麦畑に響いた真冬の午後である。