作品タイトル不明
【27:急報】
翌日。
1刻分だけの朝寝を許されたのは兵と下士官であって、将校はその枠に入っていない。領主に諸々を伝えなければならず、そのためには準備が必要で、それができるのは将校だけなのだ。
「避難が必要です。領民の」
領主、エディル子爵に面会したその席で、モーレス大尉はそう告げた。苦い口調だった。
「どうにかならんのかね」
答えるエディル子爵の口調も苦々しい。
「避難と簡単に言ってくれるが、それがどれだけ大変なことか、わからんはずもあるまい。逃げるのも、逃げた先で暮らすのも、戻るのも」
「数が違いすぎます。先鋒が2,000、我々の手持ちの兵力ではどうにもならない。そしておそらく後続がいます。ここで――エディルで食い止めることは不可能ではありません。第4軍団が来るまで持ちこたえればよい。ただ、その間にも敵軍はこの近辺を荒らし回ることが可能です。我々にそれを止める力はありません」
もともと、こういった事態も想定されていないわけではない。大規模な侵攻があればエディルを拠点に抵抗し、その間に第4軍団が、場合によっては動員された別の軍団が、駆け付けてくる。その間の損害は国庫から補填する――全て、とはいかないが、大半は補填される。そして、補填が利きづらい人命が失われないよう、必要なだけ領民を避難させる。事前の計画では、そのように定められている。
無論それは領主であるエディル子爵が言うように、簡単なことではない。避難の過程で、様々なものが失われもする。子爵とてそれを理解しないわけではなく、ただ、それでも言わずにはおれないのだろう。
「周辺の諸領にも、このことは伝えねばなりません。できるだけ早く」
子爵は黙ったまま、大きく息をついた。
※ ※ ※ ※ ※
結局のところ選択の余地などないのだから、それを吞み込んでしまえば話は早い。領民たちの避難が決まり、周辺の領主たちへの伝達が決まり、中隊と輜重隊はエディルに籠城して更に時間を稼ぐことが決まった。普段は警邏の仕事が中心の領兵も駆り出され、領民の避難や籠城に手を貸すという。
レフノールも、無論、ただぼんやりとしているわけにはいかなかった。領主から聞いた話をもとにして、避難の計画を立てている。街道を進ませるべきなのか、側道を使わせるのか。村ごとの大まかな人数と道路の状況を勘案し、滞りが少なくなる経路を考え、どこの住民がどこをどう通って逃げるべきかを示さなければならない。
訓練された軍の、明確な目的と命令でもって為される移動であってさえ、移動はそれ自体で軍を弱らせてゆく。訓練されているわけでもなく、明確な目的というよりは漠然とした恐怖で動かされる領民の群れが受ける影響はいかほどのものか、レフノールは想像したくもなかった。
「荷駄と馬車のうち、今すぐに使わないものは避難の援護に割り当てよう」
領民の全てがまともに歩けるわけではない。幼子、身重の母、老人。移動していれば怪我人や病人も出る。それがなくとも、疲弊すれば人は動けなくなる。周辺の数村にそれらを割り当て、いくらかでも避難の足しにする、というのがレフノールの判断だった。
「……どう言い訳するんです?」
モーレス大尉は明確に反対はしなかった。だが、本来軍の持ち物である荷駄や馬車を、領民の移動に勝手に使わせたとあっては、後々面倒なことになりかねない。そういうことを指摘している。
「御領主に物資の移送を委託した形にしよう。経路はあちらに任せる。第4軍団と合流することを目的に動いてもらって、合流後に落ち着いたら大隊に返してもらえばいい」
真面目くさった表情を作って、レフノールは応じた。詭弁もいいところだった。処置なし、という表情でモーレス大尉が肩をすくめ、リディアが小さく笑う。レフノールにもリディアにも、グライスナー中佐は、ひとまずの言い訳を用意すればそれを受け入れてくれるだろうという確信がある。
それが私利私欲のためであれば許されることはないが、ひとりでも多くの領民を無事に逃がすため、と理解すれば、無理筋の詭弁であっても聞き入れてくれはするだろう。おそらくは苦笑され、叱られることだろう。だが、処罰はない。独立混成大隊の将校たちにとって、大隊長はそのような人物だった。
※ ※ ※ ※ ※
方針が決まり計画が立てられれば、あとは実行に移す段階だ。
気になるのはラーマゴルト軍の動向だったが、まだ少々の余裕はある、とレフノールは踏んでいる。人的にけっして小さくない損害を与え、時間もたっぷりと稼いだ。少なくともレフノールたちが迎撃した部隊は、士気にも大きな傷を負ったことだろう。
偽装によって更に時間を空費させ、橋も落としてある。2日3日は稼いだ、と見てよいはずだった。
第4軍団の増援が到着するまでにはまだ日数があるが、緊急事態ということが把握されればすぐにも動かせる部隊を差し向けてくる。そのような手筈になっている。伝令は昨日――襲撃を受けたその日のうちに、独立混成大隊本部と第4軍団の司令部に届いたはずだ。今日のうちには返事があると考えてよい。
エディルが囲まれるまでには増援が間に合わないにせよ、1日2日耐えれば増援が来着する。そうなれば、敵地ゆえに補給に不安を抱える敵軍の方が明らかに不利になる。
――2日程度でよいのならば。
兵たちもまだ無理が利く。士気も崩壊する心配はないだろう。
そこまで考えて、レフノールは首を振り、ため息をついた。どう考えても、兵站将校が考慮しなければいけない事情ではない。そのあたりは中隊長、モーレス大尉に任せておけばよいのだ。幸い、モーレス大尉はまともな将校で、レフノールたち兵站部隊に対しても好意的だった。
ひとまず、防戦の協力要請があれば、それには応じなければいけない。中隊そのものの備蓄の確認作業は済んでいたが、輜重隊の手持ちも確かめ、部下たちに事情を説明してやらなければならない。そしてもちろん、輜重隊の貴重すぎる戦力である冒険者たちにも。
さらさらとペンを走らせてやるべきことを書き留めたレフノールは、またひとつ大きなため息をついた。ここ数日は休めそうにない、ということが明らかになったからだった。
※ ※ ※ ※ ※
その日の夜、中隊に頼んで借りた一室で、レフノールは備蓄の状況を取りまとめていた。
早足の靴音が扉の前で止まり、ノックの音が響く。
「大尉、まだ御在室ですか?」
「開いてるよ、どうぞ」
声はリディアのそれだった。レフノールが気安い調子で応じる。
扉が開き、目に入ったリディアの表情が硬い。
「隊長が、大尉を呼んできてほしい、至急、と」
「何があった?」
机の上を片付けるのもそこそこに、レフノールが立ち上がる。
「わたしもまだ、聞いていません。ただ、大隊本部と第4軍団の司令部に送った伝令が相次いで戻りました。その件かとは」
執務室を出て扉を閉め、鍵をかけるレフノールに、リディアが説明した。
「わかった。急ごう」
急ぐとは言っても、廊下を走るようなことはない。急ぎ足でリディアが先に立ち、その後ろにレフノールが続く。中隊長の執務室はそう遠くはない。兵舎の2階、練兵場を見下ろせる位置にそれはある。
「待っていました、アルバロフ大尉。お忙しいところ申し訳ありません」
出迎えたモーレス大尉の表情もまた硬い。執務室には、中隊長ほか4名の小隊長とレフノール。6名の、つまりはエディルにいる全ての将校が集められている。
「いや。一体何が?」
「……こちらが第4軍団から、そしてこちらが本部から」
言葉とともに机上に置かれた2枚の書面を見て、その場の全員が言葉を失った。
『中隊ほかエディルに所在する全部隊は、ただちにパトノスへ撤退せよ』
『第4軍団は貴隊の要請に応じることができない。当軍団は部隊担当地域の境界を越えた作戦行動を、勅命をもって禁じられている』
「どういう……ことなんだ?」
レフノールの声は、呻くような響きになって将校たちの耳に届いた。