軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

何も知らない貴方と祝杯を

時刻はすでに夕方だ。

一緒に街に出かけたウィリアムとリリーディアも、そろそろ帰ってくる頃合いだろう。

リリーディアは女学院の新学期が始まる四月の半ばまで、グローリア公爵家で過ごすことが決まっている。

出かける二人を見送った後に開封したワインは、残り三分の一ほどまで減っていた。これっぽっちのアルコールで酔うことはないが、夕食も準備されている。残りは夕食後に飲むことにしよう。

アメリアは王族や貴族の家に送りつけた、ウィリアムとリリーディアの婚約披露パーティの招待状の余りを夕日に透かす。

フィールズ伯爵家が生産している中でも、最高級の紙で作られた招待状。

グローリア公爵家とフィールズ伯爵家の家紋が透かし模様として入っている。さらに、四隅は光の加減や角度によって、繊細な薔薇が浮かび上がる。

現時点で、これ以上に美しい紙は、国内に存在しないだろう。

アメリアは満足気に微笑んで招待状を折りたたみ、自室の窓から見える一本の木に目をやった。

風で小さなピンク色の花びらをヒラヒラと落とすその木は、かつて自分が日本人だったことを思い出させてくれるもの。

この世界に転生して、記憶を取り戻して、それでも何年経っても忘れられない、アメリアの大切な場所。

もう戻れない、アメリアの大切な故郷。

この国でセリシールと名前がついているその木を、アメリアは心の中で「桜」と呼んでいた。

小さなノックの音がして、自室のドアが開いた。振り返ると、王宮での仕事を終えたのであろう、夫が立っていた。

「おかえりなさい。出迎えられなくてごめんなさいね」

「いや、私がアメリアに知らせなくていいと言ったんだ」

夫はテーブルの上にある、殆ど空に近いワインボトルとグラスを見て片眉を上げた。

「一人で飲んでいたのか?」

「ええ、久しぶりに」

ほんのりと上気した頬と楽しげなアメリアの様子を見た夫は、やや呆れたように言った。

「君が一人で飲んでいる時は悩んでいる時か、企んでいる時だけど、今回はどちらかな?」

「あら、もう一つあるわよ。その企みが成功した時」

「また君は…」

やれやれと肩をすくめ、夫はアメリアの隣に座る。

ベルを鳴らし使用人を呼ぶと、自分用のワイングラスを用意するように命じた。

「あなたも飲むの?」

「食前酒にワインを一瓶空けるのはお勧めできないからね」

「残りは食後に飲むつもりだったのよ」

「それでも、だよ」

夫はアメリアのグラスに三分の一ほどワインを注ぎ、残りは使用人に用意させた新たなグラスへなみなみと注いだ。

「じゃあ君の企みが成功したことを祝って」

夫が差し出したグラスに、アメリアはカチンと自分のグラスを合わせた。

「それで? 僕の知らない君の企みは何だったか、教えて貰えるのかい?」

アメリアはふふと笑う。

「内緒よ。内緒の企みは最後まで、内緒」

「…まあ、良いけどね」

夫は軽く肩をすくめた。

「君が考えることは我が家の損失にはならないだろうから」

「信用してくれてうれしいわ」

「何年一緒にいると思っているのさ」

アメリアは夫に微笑みかけると、ワインを一口飲んだ。

その横顔を口元に笑みを浮かべながら見ていた夫は、ふと思い出したように言った。

「これは内密にして欲しいのだが、バスター公爵家は急ぎ、シンシア嬢の新しい婚約者の選定に入ったらしい。新しい婚約者はシンシア嬢と接点があった男性たちの中から選ばれるだろう」

「……そうでしょうね」

シンシアはあの卒業式で言ってしまった。

思いを寄せている人がいると。

それはつまり、他家からバスター公爵家に縁談を申し込むことは出来ないということだ。

他に思い人がいると言い切った令嬢に縁談を申し込んで断られたら―それこそ、貴族の恥だ。高位貴族であるほど、プライドは高く、傷つけられるのを嫌う。

下位貴族はおそらく二分化しているだろう。

シンシアに選ばれて、バスター公爵家という高位貴族と縁を繋ぐ可能性を夢見る下位貴族と、バスター公爵家から意に望まない縁談を押し付けられるのではと、戦々恐々としている下位貴族とで。

ま、シンシアが好きだったのはやっぱりウィリアムだったみたいだけど。

第二王子がやらかした卒業式の翌日。事態収拾に動いていた夫の元へ、バスター公爵がやって来て内々に聞かれたらしい。

「君ん家のウィリアム君ってまだ婚約者いなかったよね?」

「いるよ! フィールズ伯爵家のご令嬢」

「えっ。でも婚約発表してないよね?」

「王家には了承を貰ってるよ。去年の秋から婚約してるけど、第二王子と王家のせいで婚約発表できなかったんだ」

夫が笑顔で答えると、強張った顔のままバスター公爵は去っていったとのこと。

実際はもうちょっと、やり取りがあっただろうけど、夫から聞いた話はこんな感じだった。

夫も王家のやり方にはブチ切れてたからなあ…。

夫は考え込むアメリアを見ながら尋ねた。

「ウィリアムの婚約者はリリーディア嬢しか考えられないけど、もしフィールズ伯爵家と縁談を結んでいなければ、バスター公爵家から来た縁談には賛成したかい?」

まさか。

アメリアは眉を寄せる。

「ウィリアムがどうしてもと言うなら仕方ないけど、そうなったらグローリア公爵家はめちゃくちゃだわ。何年も前から、公爵家を継ぐのはウィリアムと決まっているのに。それを、バスター家に婿養子として出して、家を継ぐのはレオナルド? は、よその家のことに首突っ込んでんじゃないわよ」

「やっぱりちょっと酔っているね…」

「それに、きっとウィリアムはバスター公爵令嬢を選ばないわ」

「そうだろうね。僕もそう思う」

他に好きな相手ができたという理由で婚約破棄となったウィリアムが、婚約者がいるにも関わらず、他の男が好きだったと言う女を選ぶとは思えない。

これはアメリアの私怨だが――可愛いレオナルドを怒鳴って泣かせた女と家族としての縁を持つなんて、まっぴらごめんだった。

ウィリアムとレオナルドがあの出来事を覚えているのかは分からないけれど。

「次はレオナルドか」

「……わかっているでしょうね、キース」

「もちろん。すでに幾つか縁談の話は来ているが、レオナルドの意思を聞いてから決めることにするよ」

レオナルドは王宮役人になりたいと言っていた。どこかの家へ婿に入るのか、もしくはグローリア公爵家が保有する爵位の一つを分け与えることになるのか。

ゲームは終わった。この先がどうなるのかは、もうアメリアにはわからない。

アメリアの自室の扉が控えめに叩かれ、使用人の声がした。

「旦那さま、奥さま。ウィリアムさまとリリーディアさまが戻られました」

「わかった」

夫と共に、グラスに残ったワインを飲み干す。

「さて、ウィリアムをからかいに行くかな」

「やり過ぎると怒られるわよ」

夫のエスコートを受け、アメリアはソファから立ち上がった。

さあ、息子の幸せを祝おう。

ウィリアムを出産した日から二十三年。

前世を思い出してから、二十三年が経った。

色々なことがあった。けれど、兄弟のデスゲームは起こらず、ウィリアムは妻となる女性を見つけた。

家族は誰一人欠けることはなく、フィールズ伯爵家という新しい縁も出来た。

ゲームに登場しないモブキャラとしては、よく頑張った方じゃないかしら。

転生者だとバレることもなかったし、家族もそのことを知らないままに、終えることができた。

あとは夫と息子たち、そして息子の可愛い未来の妻と、これからを生きるのだ。

夫には飲み過ぎだと言われたけれど、夕食の前にもう一度みんなで乾杯しよう。

この、共に過ごせる日々に感謝しよう。

きっと、未来は明るい。