作品タイトル不明
婚約式(4)
ヘンリエータ・グラハム博士。
北大陸一。いや、世界一の頭脳を持つ生化学者と言っても過言ではない人だ。この人が作り出した『種痘』のおかげで、何百万人ものヒンガリーラント人が命を救われたのである。
「ハイドフェルト様とレーリヒ様にお会いでき、幸甚の至りでございます。あなた様方のおかげで孤独と寒さの中飢えて死ぬ事なく、今日の日まで生きて参る事ができました。直接お会いして感謝の言葉を伝えたいとずっと思っていたのです。ありがとうございました。」
耳に心地よい低い声をした人だった。北大陸人なのにものすごく流暢に西大陸公用語を話している。
「いえ、そんな。」
「私達の方こそ、種痘に助けられたのです。私達の方がお礼を言いたいくらいです!」
コルネとユリアが恐縮した表情でそう答えた。
若いなあ。と私は思った。どう見たってグラハム博士という人はアラサーだった。という事は流刑にされた頃は20代だった、という事である。その時点で数多くの研究結果と名声を得ていたのだ。早熟の天才、と言ってしまえばそれまでだが。いくら何でも若過ぎる。
この人はもしかして地球人なのでは?と私は疑っていた。
20世紀以降の、医学がそれなりに発達した国から転移か転生かして来たのではないだろうか?
だけど周囲にたくさんの人がいる中で、「あなたは元地球人ですか?」と聞く事はさすがにできない。遠回しに質問してみるしかないけれど、どういうふうに聞けば確認する事ができるだろう?
「細菌の純粋培養や弱毒化をどうやって思いつかれたんですか?」
結局どストレートに聞いてみた。
ストレート過ぎた。
同じテーブルについている人達がみんなぽかーん、としている。そうだよね!初対面の相手とはまずは天気の話とかするのが一般的だもんねっ。
「あ、あのすみません。すごく興味があって。今更ですが、私の名前はレベッカ・フォン・エーレンフロイト。17歳です。いやー本日はお日柄も良く・・。」
「あなたのような若い方に、化学に興味を持っていただけるのはとても嬉しいです。」
そう言ってグラハム博士は微笑まれた。
「細菌の純粋培養や弱毒化の研究をしたのは、人から教えてもらったからなんですよ。」
とグラハム博士は答えてくれた。
「お師匠様からですか?」
「いいえ、ライムセント国の王女殿下にです。」
『ライムセント国』という国には聞き覚えがあった。
メープルシロップやチ◯ンラーメンを開発した国だ。北大陸の奥の方にある、小さな国だと聞いている。海には面してないという事だったが。
「博士は、ライムセント国に住んでおられたのですか?」
「いいえ、私が住んでいたのはアダルフィアという国です。ライムセントには、薬草採取の旅の途中で立ち寄ったのです。」
「すごいですね。」
ふらりと立ち寄った国でその国の王女に会えるって、この博士はほんと凄い人なのだな。と思ってそう言ったのだが。
「ええ、王女殿下は素晴らしい方です。ライムセントはとても小さく貧しい国で冬が来るたび、どの村でも口減らしをしなくてはならないような国だったそうです。しかし王女殿下は森のカエデの木の樹液を採取して煮詰めたり、冬に何ヶ月も保存できる保存食を作ったりして、それを売って外貨を稼がれました。それでも尚、ライムセントは貧しく化学の研究を行う事ができなかったのです。研究所を建てるのも維持するのも莫大な費用がかかりますから。それで、王女殿下は私にその研究を託してくださったのです。」
「アグレッシブな王女様なんですね。」
「あの頃殿下はまだ、北の大公家の大公女で今よりも自由な立場にあられた方でした。平民とも熱心に交流しておられる方でしたから。」
「え?という事は、その方は王家に養女に入られたんですか?」
「いいえ。ライムセントは東西南北四つの大公家が王族とされていて、国王が死ぬと次の王に四つの大公家の当主の一人が選ばれるのです。三年前に、北の大公が新国王に選ばれたので公女様は王女になったのです。」
「そうなんですか。」
「しかし、王女殿下が養女なのも事実です。王女殿下は。」
博士は私の目を覗き込み、一言一言噛みしめるようにゆっくりと言葉を発した。
「 稀人(まれびと) でしたから。」