作品タイトル不明
不帰川(1)
私とユリアとエリーゼは、門のある方へ歩き出した。
ユーディットとカレナも後ろをついて来る。雨は、まだぽつぽつとしか降っていなかった。だが、空は暗く、西の方角では稲妻が光っている。
「許可の無い者は入れられないんだ!」
「なら、許可をとって来てください!この子だけでもどうか入れてください。お願いだから!」
門の近くまで来たらわかった。この声はジークの声だ。
ジークこと、ジークルーネ・フォン・ヒルデブラントは私の幼馴染だ。アカデミーの女子寄宿舎に一時期住んでいたが、家庭内でゴタゴタがあり一歳年上の兄ジークレヒトの身代わりにならなければならなくなったので、ここを出て行った。現在は、女子寄宿舎と高い塀一枚を挟んだ男子寄宿舎に住んでいる。隣同士の男子寄宿舎と女子寄宿舎だが、男子寄宿舎の門が西に女子寄宿舎の門が東にある為、お互いの門は数百メートル離れている。お互いの寄宿舎を訪問するのは厳禁な為、住人同士の心の距離は更に遠い。
『男子生徒』が絶対に女子寄宿舎に入れない事は、誰よりわかっているだろうに、いったいどうしたのだろう?『この子』って、誰の事だろう?
門まで行って仰天した。
ジークの格好は尋常じゃなかった。
ジークは下着姿だったのだ。タンクトップに男性用トランクス。
普段男装して生活しているのだから、その格好自体は異常ではない。
・・・前言撤回。異常である。ヒンガリーラントは、日本と同じで下着姿で公共の場をうろうろする事は、公序良俗を乱す行為として処罰の対象になる。しかも、ジークはびしょ濡れだった。そのせいで下着は肌にぴったりと張りつき、見えてはいけないモノがいろいろと透けていた。二人いる門番(男性)のうち一人は、視線を逸らし、もう一人はガン見していた。
その姿が、とりあえず私に正視できたのは、ジークが頭に白シャツを引っ被って顔を隠していたからだ。他人からは口元しか見る事ができない。しかし、そのせいで怪しさが200%増しである。
そしてもう一つ。ジークは女の子をお姫様抱っこしていたのだ。女の子もジーク同様びしょ濡れだ。服が水を吸ってとっても重そうになっている。女の子は意識が無いようだった。女の子は上等な服を着ていたが、胸の部分の布地が破れている。そのせいで、ポロリになる寸前であり、こちらも少々目のやり場に困った。
雨はまだ小降りだ。道を歩いていただけでこんなに濡れるわけがない。
結論。
この二人は二人揃って川に落ちた。
あるいは、少女が落ちていて、救出の為ジークが水の中に飛び込んだ。
と思われる。
強い風が吹いた。春の夜の風だ。標高の高い場所にある王都の風はまだまだ寒い。
「何をしているの!」
とエリーゼが怒鳴り声をあげた。
「早く中に入れなさい!全責任は私がとります!」
エリーゼはいろいろと欠点のある人だが、この決断の早さと責任の所在の明確ぶりは素晴らしいと常々思っている。
門番達は露骨にほっとした表情で「はい」と言い、ジークを中へ通した。
「カレナ、ありったけのタオルを医務室に持って来て。ユーディット、副校長を医務室に呼んで来てちょうだい!」
エリーゼは、二人を上手い事追っぱらった。
その場には私、ユリア、エリーゼ、ジーク+気絶した女の子だけになり
「何があったの?」
とエリーゼはジークに聞いた。
「カス共が、女の子を強姦目的でさらって来やがりました。」
普通に暮らしていると、まず聞く事の無いワードの数々に脳の情報処理機能が一瞬停止した。
ジークの声は怒りで震えていた。
この人との付き合いの長さもそれなりだが、これほどこの人の声が怒りに震えているのを初めて聞いた。この人は、どんな状況でも飄々(ひょうひょう)としている人だったからだ。
エリーゼが更に聞いた。
「カスの名前は?」
「アロイジウス・フォン・ヴィンターニッツ、イシドール・フォン・エーベルリン、ティム・フォン・ルイトボルトです。」
知らない人だ。
知らなくて良かった。と思った。
ここで、ヨーゼフやルートヴィッヒ王子の名前が出て来たら、ショックで膝から崩れ落ちてしまう。
「普段から情報を買っている下働きの者が報告に来たんです。意識の無い女の子を連れ込んだバカ共がいるって。」
そう言うジークの唇は寒いからだろう。彼女の瞳の色と同じくらい紫だった。
「どうして、そんなに濡れているの?川にでも飛び込んだの?」
「はい。ヴィンターニッツの部屋に殴り込んだ後、追い回されて、結局屋上から下に飛び降りました。」
アカデミーは女子より男子の方が人数が遥かに多い為、女子寄宿舎は三階建てだが、男子寄宿舎は四階建てだ。屋上からなら下まで八メートル以上あるだろう。すごい勇気である。
エリーゼとジークが話しているうちに医務室に着いた。
コルネとドロテーアはもう食堂に行ったのだろう。医務室には既にいなかった。医務室に常駐している看護婦もいなかった。
びしょ濡れの少女をジークがベッドに横たわらせる。このまま濡れた服を着せていたら少女が凍死してしまう。エリーゼは少女の服を脱がそうとした。
途端に少女は目を開けた。
そして
「やあああああぁーっ!」
と、ものすごいパニックを起こして叫び出した。
「わああああーーー!」
「大丈夫、大丈夫よ。もう大丈夫。ここには男はいない。女しかいないから!」
エリーゼが自分が濡れるのも気にせず少女を抱きしめた。
少女は過呼吸を起こして、声を詰まらせた。
「ベッキー、ユリア。あなた達はジークを浴室に連れて行って。」
「・・・はい!」
ずっと喉に張りついて出てこなかった声が出た。
自分の半径1km以内で、しかも同じ学校に通う生徒が、こんな凶悪犯罪を犯すなんて驚いて思考停止してしまっていたのだ。
私の後ろで、ユリアは急な寒波に見舞われたハムスターのようにガクブル震えている。
私とユリアは、ジークをユリアの部屋の浴室に連れて行った。ユリアの同室者はリーゼレータだが、もう食堂に行っているらしく部屋にはいなかった。
ユリアは今にも倒れそうな顔をしていたので、私がバスタブにお湯を張った。数年前には私の部屋だった部屋なので、使い方には慣れている。
「ジーク様。いきなり浸かると心臓がびっくりするだろうから、つま先から少しずつ入って。」
「ああ、ありがとうベッキー。もう一つ頼みがあるのだけど。」
「何?」
「ヨーゼフに手紙を出してコンラートの様子を聞いてくれ。カス共に蹴りを喰らわして、あの子を抱えて逃げようとしたんだけど、部屋の前で順番待ちしてやがったクズ共に囲まれたんだ。コンラートがクズ共とやり合って逃してくれたのだけど、十人以上いたから流石にコンラートも無事では済まないのではと思う。確認してくれ、頼む。」
・・・え?
『順番待ち』していたクズが十人以上・・・。
順番ってまさか。
男子寄宿舎って、どうなってんの⁉︎
さすがの私も恐怖で足がもつれそうになった。塀一枚挟んだ隣は、どういう魔窟なんだ!
「わかった。」
と言ってみたけれど、はて、どうやって手紙を弟に届けようか悩んだ。思考が満足に働かない・・・。
「お嬢様。」
と、浴室の外から声がした。ユーディットの声だ。
「エリザベート様がお嬢様を呼んでおられます。フィリックス公子から手紙が届いたそうで、その件についてお話があると。」