作品タイトル不明
王都の攻防戦(20)(フランツ視点)
作戦の第一段階として、まず落とし穴を掘った。それから、クマが襲って来ないか細心の注意を払いながら、シカの死骸を落とし穴の側に運んで来た。死骸を置く場所は二階のバルコニーの下だ。ここなら二階から矢の一斉射撃を行う事ができる。
「エーレンフロイト領にはクマが出ないという事でしたが、レベッカお嬢様はクマの生態に大変お詳しいようですね。シュテルンベルク領に住んでいる子供達でも、あれだけ正しくクマを畏れる事ができるかどうか。」
支団長が感心した表情で言った。
「先代のシュテルンベルク伯爵に、ナントカ動物記という本をプレゼントされていたからな。その本に、何百人もの人間を殺して狼の王と呼ばれた狼の話が載っていたと言っていた。だから、人喰いグマの話もその本に載っていたのではないかな。」
「そうでしたか。そういえばナントカ18というクマの話をされていましたよね。」
「足の幅が20センチというのは大きな方なのか?」
「はい。ただ、クマは別に小さい方がおとなしいというわけではないですが。雄グマより小さくても子連れの雌グマは恐ろしいですから。そして、それより何より恐ろしいのは、人の味を覚えたクマです。その点、まだ今回のクマは人は襲っていないはずです。囮もシカですんでほっとしています。」
「?」
「人の血の味を覚えたクマは絶対に駆除しなくてはなりません。そのクマを逃さない為に、囮として人の遺骸を使った事があります。御遺族の許可を取っての事とはいえ、辛い事でした。」
それは辛い。というか私が『御遺族』だったら絶対に許可できない!
それをしなくてはならない状況だったなんて『御遺族』も騎士団も辛かっただろう。
「クマは非常に生命力が強い動物です。そして非常に賢く、死んだフリをする事さえあります。ですので、『倒した』と思っても安易にクマには近づかないでください。必ずしも、というわけではありませんが、クマが前足を体の前に投げ出して倒れている時は死んだフリをしている、と言われています。」
経験者の話は為になる。
正直、シュテルンベルク騎士団の存在には感謝だ。ただシュテルンベルク騎士団にばかり頑張ってもらって、万が一うちの敷地内でシュテルンベルク騎士団の人間に死人が出ると、リヒトとの関係が微妙になるので、私もそれなりに頑張らなければならない。
しかし。
私はお腹を押さえた。もう、夕方だ。正直お腹が空いてきた。そして、空腹では人は力が出ない。
夕食どうしよう。通常時なら、別邸の近くにはいくらでも食べ物をテイクアウトできる店がある。しかし、都市が封鎖されて以来王都の中は物が不足していた。はたして食べ物が買えるだろうか?
若い者にエーレンフロイト邸まで何か食べる物をとって来させた方が早いかな?
この別邸には、何かの時の為にレベッカが生米や生のイモを備蓄しているのだが、私もそして騎士団の誰も生の米の炊き方を知らないのだ。
悩む私の耳にベルの音が聞こえてきた。
こんな場所でベル?
ベルの音は門の方からする。不気味な状況に騎士団にも緊張が走る。
「あ!ヨーゼフ坊ちゃまだ。」
とウルリヒが言った。私はギクっとした。門から屋敷への通り道にシカの死骸がある。このタイミングでクマが飛び出して来たら⁉︎と私は焦った。
ヨーゼフはベルを鳴らしながら歩いている。手に持っているのは、かつてシュテルンベルク家からレベッカに贈られたハンドベルの一つだ。
「ヨーゼフ!早く中に入りなさい。」
私は玄関ドアを開け、ヨーゼフに向かって叫んだ。護衛騎士二人に守られたヨーゼフがかけって来る。
「どうしたんだ、ヨーゼフ⁉︎危ないじゃないか!」
「みんなに夕ご飯を届けに来たんだよ。」
ヨーゼフ達三人は、大きなバスケットを持っていた。騎士達が歓声をあげた。
「そうか、ヨーゼフ。ありがとう。でも、わざわざおまえが届けなくても。」
「じゃあ、お父様は誰ならクマに襲われても良かったの?」
「・・・。」
「そのベルはどうされたんですか?」
とウルリヒが話題を変えてくれた。
「お姉様が鳴らしながら行けって。クマは大きな音を嫌うんだって。これ鳴らしてたらクマが寄って来ないって。」
「その通りです。シュテルンベルク領の農民は、森に入る時必ず『クマ避けの鈴』を持つんです。」
と支団長が言った。
「それより、みんなお腹空いたでしょう。これ食べて。お母様とお姉様からだよ。」
「わー。中身は何ですか?」
「お母様からはサンドイッチ。お姉様からは行軍食。」
『行軍食』と聞いて、皆のテンションがどっと落ちた。私のテンションも落ちた。何故なんだ、レベッカ⁉︎
行軍食とは、戦時中や行軍訓練の際に携帯する携帯食だ。保存が効くものというのが原則なので、干し肉とか干し芋とか炒り豆とかになる。正直そんなにおいしい物じゃない。
普通にサンドイッチとか、おにぎりで良いのに。そう思いつつ私はバスケットを開けた。
サンドイッチはハムとキュウリのサンドイッチと、アプリコットのジャムのサンドイッチだった。ものすごくおいしそうだ。それと一緒に、私の握り拳ほどの大きさの茶色い物が大量に入っている。
「この、丸くて茶色い物は何ですか?」
と、支団長が聞いた。他のシュテルンベルク騎士団員も興味津々だ。とても香ばしい良い匂いがするのだ。
「レベッカ姉様が作った行軍食だよ。カモ肉と刻んだカブの間引き菜とニンジンとクレソンに塩と胡椒を振ってお団子を作って、それを炊いたお米で包んで油で揚げたんだ。油で揚げると米の中の水分が無くなるから、乾燥して、数日間日持ちがするの。水分が抜けた分軽くなるしね。食べる時は深皿に入れてお湯をかけて食べるんだ。お肉の臭みが気になるという人は、ほうじ茶をかけてね。ってお姉様が。」
別邸のキッチンには、ケトルも薪も、水道もある。深皿もスプーンもある。ヨーゼフが騎士達に手伝ってもらって大きなケトルでお湯を沸かし、女性騎士達が皆に深皿を配った。
行軍食にお湯をかけると、ものすごく良い匂いが漂った。カリカリになっていた米が水分を含んで、リゾットのようになる。
肉や刻んだ野菜が入っているからとても豪華な一品だ。お湯にカモの脂と米から染み出す油が混じり合ってすごくおいしい。塩と胡椒だけの味じゃない。多分米に、ブイヨンか出汁を入れて炊いてある。
「おいしい!」
シュテルンベルク家の騎士達が騒ぎ出した。
「エーレンフロイト騎士団は、行軍訓練でこんなおいしい物を食べているんですか⁉︎」
「我々なんて、干し肉とか、チーズとか、歯が折れそうなパンとか食べてるのに。」
「真冬の訓練や長期の狩りで、寒くて風邪ひいて喉が腫れたら、水分の全然無い肉とかパンとかを食べるのすごい辛いんですよ!こんな柔らかくておいしくてあったかい物が食べられたら・・。」
「あったかいというだけでも羨ましいのに、おいしすぎる。」
言いながら、シュテルンベルク騎士団の騎士達の中には泣いている者までいる。
それを聞くエーレンフロイト騎士団の騎士達は微妙な顔だ。何故なら、こんなおいしい物を行軍訓練で食べた事は一度も無いから。
エーレンフロイト騎士団だって同じような物を食べているのだ。あと、多いのは干し魚である。
「お茶も淹れたけど、お茶をかけたい人いるー?」
ヨーゼフがティーポットを手にして言った。
しかし、誰も手を挙げない。
「別に肉の匂いなど気になりませんが。エーレンフロイト家の方々は気になるんですか?」
とシュテルンベルク家の若い騎士が言った。言葉の陰に、エーレンフロイト騎士団はこんなおいしい物に文句をつけているのか?という非難のような物を感じた。
「まあ、これは新鮮なカモ肉だからね。でも想像してみてよ。もしこれが、腐りかけたヤギ肉だったなら?と。」
とヨーゼフが言った。嫌な想像に皆しーんとなった。
「・・なるほど。何の肉で作ってもいいのですね。」
と支団長が言った。
「刻んだ野菜も好きな物を入れればいいらしいよ。肉の代わりに魚でもおいしいらしいよ。僕まだ行軍訓練に連れて行ってもらった事ないから、魚は食べた事無いのだけど。」
いまだかつて誰も食べた事無いよ!という言葉を私は最後の一口と共に飲み込んだ。
いったいレベッカはどこでこんな料理を知ったのだ?カレナに教えてもらったのだろうか?でも、カレナに聞いたのなら『行軍食』という言葉は使わないような気がする・・?
その時だった。
聞いた事の無い、獣の咆哮が響き渡った。大声に、館のガラス窓が震える。
「な・・何⁉︎今の、まさかクマ!」
ヨーゼフが怯えて私の腕にすがりついた。
正直、私も驚いた。エーレンフロイト騎士団の面々も動揺している。
狼の遠吠えなどとは全く違う。恐怖心をかき立てる背筋をざわりとさせる咆哮だった。
「シカを取られて、怒ってんなあ。」
「そりゃ、そうだ。俺だって、今この皿を誰かにぶん取られたら超怒る。」
「食い物の恨みは怖いからなあ。」
対して、シュテルンベルク騎士団の方は余裕だった。見栄を張っているだけかもしれないが、見栄が張れるだけ大したものだ。エーレンフロイト騎士団の方にその余裕はない。
シュテルンベルク騎士団の面々は皿の中身をかっ込み、立ち上がった。ある者は窓際に寄って外を確認し、ある者は二階へ登って行く。
私も窓の外に寄り、シカの死骸を見つめた。薄暗がりの中に動く物はまだ見えない。それでも、背筋がぞくぞくする。認めたくないが手が震えていた。
何かが闇の向こうからやって来ようとしていた。