作品タイトル不明
57話 「約束」
『お前を影の月に入れたいと考えている』
『……』
『返答はすぐじゃなくていい。少し考えてみてくれ』
さっきまでしていたロイド先輩との会話。
それが頭の中で繰り返し浮かんでは消える。
「……」
暗がりの中、乱雑に建てられた家々を縫うようにして、僕はフレイム家に帰ろうと足を進めていた。
飛んでいけばすぐの帰路。
けれど、僕はなんだか歩きたい気分だった。
「暗部か……」
色々と考えなければいけない事が多かった。
神様を最高神に押し上げる。
それが僕の目標であり目的だ。
闘技大会での優勝により、神様の知名度は確実に上がったはずだ。それに僕は生徒会入りも決めている。立ちまわり次第では今後更に神様を目立たせる事も可能だった。
そうして神様の知名度が上がれば、それに比例して力も増える。
まだ確認はできていないけれど、近い内に何か神様に変化が起きるという予想。
最初はプカプカと浮かべる様になった。そして次は、優しい光を発せられるようになり、その次は――。
「……なんだろう?」
楽しみである。
『ユノさん! 見てください!』
そう言って嬉しそうにする神様の姿を思い浮かべる。
「……いいね」
本当に楽しみである。
けれど、僕の目的に立ちはだかるようにその不安は現れた。
この世界では英雄神として名高い女神アスタロトの暴走。それによって神獣の森では 魔軍暴走(スタンピード) が起き、それを止めようとした神獣フェンリル……今はポチか。
そのポチが結果として貶められる結果になった。
絶対におかしい筈のそれは、剣聖である姉上擁する王立騎士団によって神獣討伐という最悪の展開にまで陥ったのだ。
名高い女神の暴走と、信教と複数の神々によって捻じ曲げられた真実。
なんだそれ――と今でも思う。
間違ってる。
この世界はどこかおかしい。そんな漠然とした違和感を抱いた僕は、仮面である【邪神ノア】を造り上げた。
フェンリルを助けてほしいという神様の言葉と、何より僕自身の目的の為。
フェンリルを助けたいという思い、こんなふざけた世界で神様を押し上げたくないという考えで生んだ浄化の存在。
もしかしたら二度と必要にはならない可能性だってあったはずのその仮面は、どうやらまだ必要になりそうな予感だ。
それもこれも、全ては真実に近づいたから。
ロイド先輩の知りうる全て。いや、もしかしたらまだ隠している事もあるのかもしれないが……。
いや。
「それは僕も同じだろうに」
【真・黙示録】に記されていたゼウスの一文字。
僕はついにそれが男神の名であることも、それと僕が契約をしている事も言い出す事はできなかった。
言ってしまえば恐れたのだ。ロイド先輩の父君――オルガ・メルツの死が、あまりにも僕と関係があるように思えて。
「はぁ……」
ため息である。
ルナの前でつこうものなら、きっと冷たい視線が飛んでくる事だろう。
今だけだよ。本当に。
「……切り替えなくちゃ」
暗い顔をして帰りたくはない。
きっとロイド先輩がもっと普通の人であれば、こんなにも悩む事は無かった。
けれど、あの人は有能だ。恐ろしいくらいに。
だからこそ、しっかりと考えなければいけない。
まだ学生であり、目標があるユノ・アスタリオとしての僕。
正しさを求めるノアとしての僕。
そして更に、情報を探る暗部としての自分をこなせる程、僕に余裕はあるのだろうか。
それだけじゃない。ルナの騎士だって僕にとっては大切だ。
想いは 数多(あまた) に。身は一つ。
「……分身したい」
無理である。
いや、ちょっと本気をだせば――。
と、頭が混乱してきた時だった。
「ん?」
暗い路地裏。
月明かりが僅かに差し込むその暗がりの先で、何かが動いている。
いや、近づいてきている?
トテトテとした軽い足音。
それがだんだんと大きくなっていく。
辺りが静まり返っているだけに、その音はよく響いた。
「……」
一度立ち止まった僕はひとまずその場をやり過ごそうと、壁を背に物陰に隠れて気配を絶つ。
隠れた理由は一つだけ。
やっかいごとに巻き込まれる可能性を少しでも減らそうとした結果だった。
ここは王都では無い。そして神様のいない街【カンナ】はお世辞にも治安が良いとは言えない場所だ。
「……」
ここにいれば誰かが目の前を通っていくはず。
聞こえてくる足音。
少しずつ大きくなってはいるのだが……。
「……遅いな」
いつまでたってもやってこない。
少しだけ不思議に思い、動き出そうとしたその時だった。
「――え」
息を吞んだ。
僕の目の前。
月明かりに照らし出されたのは一人の小さな少女だった。
時間が止まったような錯覚をする。
それほどまでに――。
――少女の歩みは遅かった。
お、遅い……。
いいや。気づいている。それだけじゃない。
月明かりに照らし出された小さな少女の姿に、なぜだか僕は衝撃を覚えていた。
トコトコと少女は進む。
そして一度立ち止まると、何かを探すように小さく首をふり周囲を見渡して、また走りだす。
それをなんどか繰り返しながら、少女はゆっくりと遠のいていく。
――いいのか?
そんな疑問が浮かび上がってくる。
いや、何がだよ。
と心の中で自分につっこんでいると、少しだけ動かした僕の右足が乾いた木材を踏み抜いた。
バキ。
とっても良い音でした。
僕は足元から、ゆっくりと顔をあげる。
「「…………」」
案の定少女は立ち止まって僕をまっすぐ見つめていた。
「……こんばんは」
ひとまずそう声をかけてみる。
反応は――
「……」
――無い。
……警戒されている? いや、それもそうか。
夜中に物陰に隠れる男。
「……ふむ」
あうとである。
恐らくだが、彼女にとって今の僕は変質者。
なんだか少女の眠たそうに見える瞳も、よく見れば目を細めて敵を睨む小動物のような瞳に見えなくもない。
ひとまず言い訳を述べようと僕は再び口を――
「……っ!」
少女が動いたのはその時だった。
ゆっくりとした速さで僕に向かって走ってくる。
え? ど、どうしようか?
ドキドキと心臓の音がうるさい。
僕はその場で後ずさり……するが背中の硬い感触を感じて我に返る。
なにを焦っているんだ僕は。
彼女が困っているなら助けになってやればいいし、勘違いされているなら誤解を解けばいいだけだ。
僕はそう覚悟を決める。
さぁ……こい!
ゆっくりと少女は進む。
そうして少女があと少しで僕の元へと辿り着く――その時に。
ズザザー。
少女は顔から地面に突っ込んだ。
えぇ……。
「…………」
少女は無言だった。
「――――」
僕も無言だ。
こ、転んだ?
あまりに突然の事に頭が真っ白になる。
が、すぐに我に返った僕は、すぐさま少女の元へと駆け寄った。
「だ、だいじょうぶ!?」
ひとまずそう声をかけるが……。
「……」
反応はない。どうやら大丈夫ではなさそうである。
僕は少女の背中――両わきの下を手で持つと、後ろから起こすように持ち上げた。
「「……」」
プラプラと揺れる少女の両足。
なんだか野生動物を捕獲したかのような有様である。
分かってはいた事だが、とても背の小さな少女だった。
ひとまずそのまま少女が立てるように降ろした僕は、一歩後ろへと下がる。
同時に、少女が僕の方へと振りかえ――
「――っ」
透き通るような白い肌。そしてその顔半分――左目側に広がる、痛々しい赤い傷跡。
それが月の光に照らされて浮かび上がる。
これは……火傷……だろうか。
その痕跡は可憐な少女の顔に、転んでついたであろう汚れと共にくっきりと焼き付いていた。
「……ちょっとごめんね」
僕はすぐに、少女の顔についた泥を手で優しく払う。
……神様の……いない街。
僕がその在り方を実感したのはこの時だった。
心の底から怒りがこみあげてくる。
僕が手で泥を拭うたびに、少女はくすぐったそうに瞳を細めて、じっとしていた。
それから少しの間、泥を拭い、ようやく綺麗になった時、少女の瞳が僕を見つめた。そして。
「…………」
口を小さく動かし、不思議そうな顔をして小首をかしげる少女。
とても、とても小さな声だった。
いや、本当は僕だって聞こえてはいない。けれど少女の口の動きで、何を言ったのかは理解していた。
――『こわくないの?』
僕は小さな肩を抱きしめる。
「こわくない。全然怖くなんてないよ」
なにをばかな。
怖いなんて感情は少しも生まれはしなかった。
同時に想像してしまう。少女がこれまでどんな言葉をかけられてきたのかを。
「ちっともね」
再び少女を正面から見つめて僕がそう言うと、少女は少しだけ嬉しそうに表情を和らげた――気がした。
「……名前は?」
僕がそう聞くと、少女はまっすぐ僕の目を見つめて。
「……無いの」
そう、言った。
綺麗な声だった。
それと同時に僕は名前を尋ねた事を後悔する。
「……こんなのすぐに治るよ。ちょっと待ってて」
僕ならできる。きっとできる筈だ。
回復魔法。
きっとそれで――。
「ごめんね」
僕は少女の顔に手をかざす。
治してあげたい。その一心で。
「―― 回復(ヒール) 」
まばゆい黄金の光が手のひらから放出される。
それが少女の顔にある傷跡を、僅かではあるが少しずつ消していく。
少女は突然の事に少しだけ焦ったように僕の腕を両手でぎゅっと掴んだが、次第に慣れてきたのか、眩しそうにして目を細めた。
消えていく火傷。
だが、これでは。
「……足りない」
僕は決める。危険もあるが、もうちょっとだけ力を――
――その時だった。
「ネムから離れろっ! ロリコン!」
ロリ――っ!?
「はぁ!?」
突如として僕の横に現れたその黒ずくめの男――いや少年か。
声も高いし、背も僕と同じか少し小さい。
僕に向かってナイフを突き出してくる。
とっさの事に僕は後ろへと飛び下がり、その一撃を回避。地面へと着地する。
しかし、その時には。
「ネム! こっちだ!」
少女の手を引いて、走り出す少年。
だが、残念ながら少女の足は遅く、それに気づいた少年が焦ったようにあたふたとしている。
本当に、ゆっくりとした、逃走だった。
「……はぁ」
本日二度目のため息。
ゆっくりと離れていく二人の背中を黙って眺める。
途中、少女の淡い紫色の瞳が僕へと向くのが分かった。
僕はそれに小さく手を振って応える。
「……」
ロリコン呼びは誠に遺憾だが、僕の心は少しだけ晴れていた。
「そっか……」
君には仲間がいるんだね。
そうであれば、何も急ぐ必要はない。
今度会った時にこそ、完全に傷を消し去ろう。
そう勝手に約束を交わした僕は――走り出す。
少女達を追っているのではない。
「……神様。ルナ」
頭の中に思い浮かべたのは二人の白銀の少女。
なんだか今、無性に二人に会いたくなっていた。
寂しい思いはしてはいないだろうか? なんて事を考え始めて、僕はすぐに思い直す。
「ははっ。そんなわけないか」
神様は今頃ぐっすりと眠っている筈だ。
それにルナに関しては、そんな性格では――。
――『私の護身刀よ。あなたにあげるわ』
「……」
次々と変わっていく景色。
それを横目に僕は満月の下で。
「ただいまもどりました……いや、ただいまっ! こっちの方が……」
そんな事を口ずさみながら、闇の中を駆け抜けた。