作品タイトル不明
第三話 お姉さまはやっぱりずるい!
ルーシーの目が揺れた。
すぐに涙ぐむかと思ったが、彼女は低い声でいつもの言葉を吐く。
「……やっぱり、ずるい」
その声は、いつもの甘ったるい響きではない。
「お姉さまは、最初から全部持っていたのに。名前も、席も、教育も、未来も。わたくしは何も持っていなかった。だから欲しかっただけなのに、どうしていつも、最後にはお姉さまのところへ戻っていくの」
それは責める声というより、子どもじみた本音のよう。
エレーナは少しだけ、息をつく。
「あなたは、わたくしが持っていたものしか見なかったのね」
「だって、本当に持っていたじゃない」
「ええ。けれど、持っていたものの代わりに、失ったものもあったわ」
ルーシーは唇を噛み、結局また泣くのだ。
その数日後、社交界に奇妙な噂が流れた。
「エレーナ嬢は、婚約を奪われた悲劇を利用して王太子に取り入っている」
「気高いふりをして、実はずいぶん計算高い」
誰が流したのか、考えるまでもない。
だがその噂は、思ったほど広がらなかった。
なぜなら、王宮の茶会でエレーナがまた一度、見事に場を救ったから。
その日、東方からの客人が持ち込んだ献上品の名を、給仕役の若い貴族が読み違え、場が微妙に凍りついた。
下手をすれば礼を欠いたと受け取られるところだった。
エレーナは即座にその国の言葉で品を褒め、発音の揺れについて穏やかに補足した。
客人は笑顔を取り戻し、その場は和やかに収まった。
茶会のあと、クロヴィスは人払いをして言う。
「噂のことは知っている」
「でしょうね」
「気にするか」
「少しは。けれど、否定のために騒ぐほどではありません」
「なぜだ」
「わたくしが何者かは、見てくださる方が見てくだされば、それで十分です」
クロヴィスはしばらく黙っていた。
それから、いつになくはっきりした声で告げた。
「そういうところが好きだ」
エレーナは言葉を失う。
「……殿下」
「お前は、自分を飾ることもできるし、隠すこともできる。それでも肝心なところでは、嘘をつかない。欲しい」
最後の言葉だけが、不器用なくせに妙に熱を帯びて聞こえる。
エレーナは扇を閉じ、胸の奥が静かに揺れるのを感じた。
計算のつもりだったはずなのに、いつの間にか、心のほうが先に動いてしまう。
そんなある夜会で、ルーシーがエレーナの前へ立った。
アルフォンスを伴って。
「お姉さま」
久しぶりに聞くその声は、甘く、しかし棘を隠しきれていない。
「最近、王太子殿下とよくお話ししているとか。……ずるいですわ」
エレーナは穏やかに微笑む。
「まあ。相変わらず、また『ずるい』なのね」
「だって、お姉さまはもとから社交界で評判がよくて、それに乗じて殿下に近づいて。わたくしはあんなに頑張ったのに、殿下はお話しすらしてくださらなかった」
アルフォンスがわずかに眉をひそめたが、ルーシーは止まらない。
「昔からそう。お姉さまは何でも持っていて、最後には何でも手に入れるのよ」
エレーナは一瞬だけ、婚約指輪を返した日を思い出す。
自室で落とした、たった一滴の涙を。
「ルーシー。あなたは昔から、わたくしをずるいと言っていたわね」
「だって本当のことですもの」
「そうね。わたくし、少しずるいのだと思うわ」
ルーシーが目を見開く。
「婚約者を奪われても、両親の愛を失っても、人前で泣かなかった。笑って、立って、観察して、使えるものを使って、自分の居場所を取り戻したもの」
「……」
「あなたが涙を使うなら、わたくしは微笑みを使う。あなたがか弱さを見せるなら、わたくしは折れない姿を見せる。ただ、それだけの違いよ」
ルーシーは何も言えなかった。
アルフォンスもまた、黙ったまま。