軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九章56 『ペトラ・レイテ』

――ペトラ・レイテは、ルグニカ王国の一村であるアーラム村出身の田舎娘だ。

非凡な容姿と生来の器用さに恵まれて生まれたが、それ以外は特筆したものがあったわけではなく、本来なら歴史に刻まれるような出来事に関わる余地もなく、おそらくは都会に出ることを夢見たままに、一介の村人として生涯を終えたことだろう。

故に、『本来』のルートを外れ、歴史に刻まれるような大事変にいくつも関わることになった現在のペトラの在り方は、干渉によって歪められたものだ。

その運命に歪曲があったことを、ペトラ本人も自覚していた。

『本来』、ペトラは自分の可愛さを鼻にかけ、周囲の大人も子どもも手玉に取れると勘違いしたイタい娘だった。きっと『本来』のペトラはその勘違いを正されないまま、狭い世界の支配者を気取って自儘に過ごしたことだろう。

別に、それを悪い人生とは思わない。それはそれで、楽しく幸せなのだとは思う。

ただ、今の、『本来』から外れたペトラの価値観が、それを幸せと思えないだけで。

「だってそこには、今のわたしが好きな人たちが誰もいないんでしょ?」

スバルがいない。フレデリカがいない。エミリアがいない。ベアトリスがいない。メィリィがいない。ラムがいない。レムがいない。リューズがいない。アンネローゼがいない。ガーフィールがいない。オットーがいない。クリンドがいない。ロズワール、はまあまあ後回し。――でも、みんながいない。

「そんなの、ゾッとしちゃう」

大好きな人たちと出会えなかったのが『本来』の自分で、ここにいる自分が何らかの運命のぶつかり合いの結果なのだとしたら、外れられて本当によかった。

『本来』ではないルートにきた結果、苦しい思いも痛い思いも、悲しい思いも辛い思いも、死ぬような目にも死んだ方がマシに思える目にも、次々と遭うことになった。

でも、そんな大変な目に遭った以上に、与えられたものが、掴めたものが、ある。

だから、ペトラ・レイテは心から思える。

「もし、何回も人生がやり直せても、わたしはまた『本来』から外れるの」

そして、何度でもあなたに出会い、こう伝えたい。

あなたと同じ苦しみを知っているあの人が、痛そうに辛そうに、星を望むから。

ペトラ・レイテは――、

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、誰かの旅立ちを見送らないと誓います。

△▼△▼△▼△

「――っ」

強く息を吐き、硬い岩場を蹴りつけ、がむしゃらに走る。

フォームを矯正、前傾姿勢、自分でも惚れ惚れするくらい理想的なスタートを切って、これまでの人生で一番早く走って、走って、走って、走った。

ドクドクと、体の中を流れる血の音をうるさく感じながら、爆発しそうに弾む心臓に胸を内側から叩かれながら、自分の荒い息を置き去りにしながら、走った。

そうまでして走っても――、

「――プレイボール」

その、冷たい宣告が背中に届いた瞬間、視界が一変する。

気付けば、人生で一番早く走っていた足は止まり、呆然と岩場に立ち尽くしている。眼前には背を向けたはずの見知った光景、その中で、鉄兜の男が呟く。

「――領域展開、マトリクス再定義」

それは、漆黒の兜で顔を隠した男が、権能を用いて何かの企てを始めた合図。

この一時は相手のその宣言で始まり、そして自分の見ている視界の中、その男の企てを知らない仲間たちが、猛然と大気を揺るがす声を上げる。

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

勇ましい少女の掛け声を中心に、一団の士気は最高潮に高まり、爆発する。その勢いを駆って、彼女たちは一斉に鉄兜に飛びかかっていく。――でも、ダメ。

結果は見えている。彼女たちの伸ばした手は、どうやっても相手に届かない。

「――――」

糸が切れたように、三十七人がバラバラとその場に崩れ落ちていく。

一斉に倒れたように見える。が、実はその倒れ方にも微妙な順番があることを、一人一人の倒れ方をつぶさに観察したことからすでに知っている。もっとも、最初の一人が倒れてから、最後の三十七人目が倒れるまでは二秒あるかないかの差だ。

たったそれだけの秒数に割り込める余地はなく、その挑戦は無為に終わった。

『無為ってわけじゃねぇよ。この方法じゃダメなんだってわかるのは、無為じゃねぇ』

と、そんな渇いた感想を抱く鼓膜に声が――否、鼓膜ではない。この声は実際に空気を震わせて届くそれとは違うから、震わされたのは鼓膜ではない。

鼓膜が震えたんじゃないなら、いったい、何が震えたんだろうか。

『決まってんだろ、心だよ』

心。――そう、そうだ。そうなのだ。心が震えるから、聞こえる。

まだ、心の震える余地がちゃんと残っている。その証明のように、そこに彼がいる。

その、彼の名前を――、

「――スバル」

『ああ、ちゃんといるぜ、ペトラ』

ペトラと、そう彼の唇が自分を呼んでくれて、ホッとした。

そうだ。自分はペトラ・レイテ、ちゃんとまだ、それを手放さずに残している。

だったら、だから、だとしたら、それなら、ならば、そうなのだから。

「――プレイボール」

――まだ、ペトラ・レイテはこの地獄巡りを続けなければならない。

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、誰の施しも受けないと誓います。

△▼△▼△▼△

「――領域展開、マトリクス再定義」

「――プレイボール」

その宣言から始まり、あの宣言で終わるひと時。

たったの一分に満たないループにペトラが閉じ込められ、どれほどの時が過ぎたか。

「……って、一秒も過ぎてないんでした」

自分の心の囁きにそう突っ込んで、ペトラは「は」と掠れた息をこぼす。

ひどくシニカルで、自嘲的で、世を儚んだ呟きだったと自分でも思う。あんな、黒々とした感情に濁った声が自分に出せるものかと、そう驚かされたほどだ。

でも、何かの間違いや、誰かの声の聞き間違いでは決してない。

だってここでは――、

「わたしと、あの人たちと、あの男と、スバルの声しかしないんだから」

ぺたりとその場に尻餅をついて、抱き寄せた膝に額を当ててペトラはぼやく。

眼前、そこでは三十七人の集団が、たった一人の兜の男に向かって飛びかかっていこうとして、声もなく返り討ちに遭う瞬間がまたしても展開されている。

本当に、どうかしている。なんでわかってくれないのか。

「みんな頭悪いんじゃないの? なんで、やられるってわかってるのに、何にも工夫しないで真っ直ぐ飛びかかっちゃうのかなぁ……」

ほら、またやられた。バタバタと、みんな倒れていく。

もうお馴染みの光景、朝のテレビ番組のヒーロータイムで、延々と見てきた正義の味方にやられる悪役よりも目にした滑稽な姿。

何度も、何度も、何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――。

「――馬鹿みたい」

賢い人たちも混ざっているはずなのに、なんで、どうして、工夫がないのか。何回もやられているのに、なんで、違う方法を試そうとしないのか。

わかっている。あの人たちには何回もやられている自覚がないのだ。何回もやられていることなんて知らないし、これから何回もやられることもわかっていない。

先のことを知らないのだから、わかり切った先の展開に呑まれるのも仕方ない。こんなのは八つ当たりだ。理不尽だ。不条理だ。わかってる。わかってるけど。

「それでもみんな大人なんだから、何とかしてよ……っ」

畳んだ膝に、何度も、何度も、額をぶつける。

痛い。痛くない。痛い。痛くない。痛い。痛くない。痛い。痛くない。痛い。痛い。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「――プレイボール」ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

× × ×

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「――領域展開、マトリクス再定義」あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

ループの終点と始点、どちらでも声を上げることに成功。だから?

いきなり奇声を上げ始めたペトラの奇行に、鉄兜に飛びかかろうとしていたみんなの行動に変化が生まれる。彼女たちがこっちを見て、頭を掻き毟って喚き散らしたペトラの姿に血相を変える。

「オイ、どーした!?」

「ペトラッ! どォッした、何ッされやがった!?」

「下がりなさい、ペトラ! あなたがラムたちの要よ!」

声が飛んでくる。奇声を上げ、異変を叩き込まれたペトラを心配して、みんながその瞬間のフレッシュな声で言葉で、ペトラに寄り添おうとしてくれる。

嬉しい。ありがとう。みんな大好き。ホントに。本当。でも、やだ。

「……全部知ってるよ?」

ペトラがこんな風に取り乱したら、みんながどんな声をかけてくれるか、知ってる。

ペトラが懸命にループの説明をしたら、みんなで頭を悩ませてくれるの、知ってる。

ペトラの『圧縮』で全員バラバラに逃げる提案をしたら聞いてくれるの、知ってる。

知ってる。全部知ってる。見た、聞いた、話した、教えた、伝えた、相談した、考えた、悩んだ、挑んだ、工夫した、挑戦した、投げ出した、拾った、また捨てた。

「違うこと言ってよ。違ったこと見せてよ。違ってよ。さっきと、前と、次と、今度と、違うことしてよぉ……っ!」

顔をぐしゃぐしゃにして、不細工そのものの顔で、声もみっともなくひび割れて、爪が剥げるくらい地面を掻いて、わけのわからない声を上げるペトラを、みんなが絶句して、すぐに原因を特定して、その怒りの矛先を鉄兜の男に向けて、牙を剥く。

「ペトラ、立ちなさい。ラムが肩を貸すから」

鉄兜に飛びかかっていく集団、そこから抜け出した一人がペトラに手を差し伸べる。

優しい。こんな状況でも、険しい声と顔つきでも、手つきが優しい。大好き。

「でもね」

「――プレイボール」

× × ×

「――領域展開、マトリクス再定義」

はい、くしゃくしゃになった顔も、剥がれた爪も、ボロボロの声も元通り。

してくれた心配も、湧き上がった義憤も、妹分への憂いも、全部リセット。――リセットされて、まっさらな気持ちで、また新しい始まりと終わりを堪能しよう。

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

みんなはいいよね。フレッシュな気持ちで、またそうやって気持ちよく叫べて。

できない。自分にはできない。一緒に頑張ろうとしたし、百回以上一緒に頑張った。でも、何も変わらないし、みんな先に倒れちゃうし、白目剥いて、勝手にズルいよね。

「わたしも、ズルしちゃおっかな」

唇を尖らせて、ちょっとそんなことを言っちゃう。

そうしている間に、もうみんなはいつの間にかおねんねで、ペトラの前には、乱雑な靴音を立てながら、自分の兜の金具を弄る男が近付いてきていた。

「――――」

男がゆっくりと、その金具を弄っていた手をペトラに伸ばしてくる。

思うんだけど、あの兜ってちゃんとお手入れしてくれてるのかな。油を差したり、乾拭きしたり、メンテナンスはしないとだよね。ずっと戦い続きで水浴びもしてない相手な気がするし、それで伸ばしてくる手って、ちょっと抵抗感あっちゃう。でも、我慢。我慢我慢して、伸びてくる手が届くのを待つ。ジッと見てるとやりづらいかな。じゃあ、目をつむるからその間に捕まえてね。はい、いーち、にーい、さーん……。

× × ×

「――領域展開、マトリクス再定義」

だよね。知ってた。捕まってもダメなの。あははは、死んじゃえ。

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、失敗談を語らないと誓います。

△▼△▼△▼△

「――領域展開、マトリクス再定義」

それを合図に始まるループ、これに取り込まれたとわかった当初、ペトラはこの異常事態に際しても、大きく取り乱すことなく冷静さを保った。

もちろん動揺はあったが、それは想定される動揺よりずっと少ないもので済んだ。

何故なら――、

『ペトラ! 短時間をループしてる! アルの、次の技だ!』

そうペトラに代わって叫んでくれたのは、ペトラが取り込まれたループを共有し、唯一、繰り返される時間の流れをわかってくれるイマジナリースバルだった。

その『スバル』の存在と、取り込まれる寸前に目にしたロム爺のメッセージ――地面に刻まれた、何かをカウントした印が、ペトラの動揺を抑え込んだのだ。

「ロムお爺さんも、今のわたしと同じ目に遭ってたんだ」

一本の横線に四本の縦線を重ねたそれは、『画線法』と呼ばれるカウントの記録法で、漢字なら「正」の字を使って表わすのが一般的なものだ。

ロム爺はそれを地面に書き残すことで、自分の置かれた状況をペトラに伝えた。

まさか、ロム爺が刻んだ五回のカウントであの状態になったとは考えにくいから、彼が伝えたかったのは自分が繰り返した回数ではなく、繰り返すこと自体――同じ状況に陥ったペトラにとって、もはや遅すぎる情報と思えるが、そうではない。

ロム爺の書き残したメッセージは、ペトラにわかりやすい警鐘を与えていた。

つまり、ロム爺はこう言いたかったのだ。

「ずっと繰り返してるままだと、ロムお爺さんみたいになっちゃう」

倒れたロム爺に外傷はなく、繰り返す時間の中で積み重なった傷が祟ってああなったわけではない。――否、ある意味で、積み重なった結果であることには違いなかった。

すなわち、ロム爺は繰り返す時間の中で、その精神を削られ切ったのだ。

まさしく、それはペトラたち『アルデバスターズ』がアルに対して仕掛けた戦術そのものであり、意趣返しのようにやり返されたとも言える事態だ。

その意趣返しをアルが狙っていたとまでは思わないが、いずれにせよ、心構えなしに状況に取り込まれていれば、ペトラもまたロム爺と同じ命運を辿ったかもしれない。

『いや、ロム爺だけじゃねぇよ。あの感じからすると、ラムたちもそうだ』

「……だね。アルさんが、飛びかかってくるみんなにも同じ風に権能をかけて……でも、ループが始まったタイミングは、みんなも意識があるよね?」

『あるな。……繰り返してる状況だけど、ループの外のリアルタイムの出来事も反映してる、みたいなことがあるのか? やられた奴から抜けてってるとか? だとしたら』

「――もう、わたししかいない」

『スバル』と詰めた内容が絶望的すぎて、ペトラは思わず頬を硬くする。

もし仮に、このループのお鉢がペトラに回ってきた時点で、『アルデバスターズ』の仲間たちが倒れる命運が変えられないのだとしたら、

「このループが終わっても……」

『待て待て待て待て、悲観的になるな。仮に……仮にだ、仮にそうだとしてもな? 俺たちには『憂鬱』の権能がある。それで、クールタイムを『圧縮』するとか』

「……気絶時間を『圧縮』して、いきなり起こす?」

『そうだ! やったことねぇけど、やれたらすごくねぇか?』

指をパチンと鳴らした『スバル』のアイディアに、ペトラは微かに息を詰めた。

正味、それはかなり難しいだろうと推測できる。権能を利用し、相談時間や新しい技術を覚える期間を『圧縮』することは可能ではあるが、相応のエネルギーがいる。

早い話、ペトラの一日を『圧縮』すれば、一日分のエネルギーは消費されるのだ。これが三日なら三日分、七日なら七日分だ。もし、擦り切れた心の回復にひと月、あるいは年単位が必要となるなら、『圧縮』に必要なエネルギーを賄いようがない。

『圧縮』も決して、万能ではない。――だが、そうだとしても、

「――うん、とってもすごいと思うっ。やれるかも」

『だろ? だから、まず頭に刻み込むんだ。ループを抜けたら、最初にやることは、倒れたみんなを立ち上がらせる。じゃねぇと一気に押し込まれるからな』

前向きに、ループが明けたあとの展開を想定する『スバル』に頷き返す。

そうして振り返れば、おそらくロム爺も同じことを考えたのだ。あるいはあの賢老は、自分の心が擦り切れたとしても、無意識に地面にメッセージを刻むことを優先し、何度も何度も積み重ねることで、ループ明けの行動を規定したのかもしれない。

だとしたら、ループ明け直後の行動を決めておく『スバル』の案は採用すべきだ。

ただ――、

「……ロムお爺さんは、何回やり直して、それを体に覚えさせたの?」

心が擦り切れ、自我を保っていられない状態に陥っても、ロム爺はループ直後に地面を指で掻くことだけは成し遂げた。その行動を馴染ませ、魂に刻み込み、心が潰れてもできるようにするのに、いったい、どれほど積み重ねたのか。

「――――」

『ペトラ、検証しよう。前にベア子に、同じ廊下を延々ループするのを仕組まれたことがあるんだ。あれとルールが同じなら、ループを終わらせる条件がある』

ゴクリ、と唾を呑んだペトラに、『スバル』がそう次の方針を示してくれる。それに「うん」と微笑して頷き返し、ペトラは改めて前を見た。

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

今のペトラと『スバル』の対話の合間にも、『アルデバスターズ』の仲間たちがアルへと挑み、そしてその前でバタバタと倒れていく展開は繰り返されていた。

正直、『死者の書』で見た、一回一回のループを大事に受け止め、どんな出来事もしっかり自分の内に積み立てていったスバルの在り方は尊敬しているし、カッコいいと思うが、この一分に満たないループで同じことをするのは難しそうだ。

『さすがに、この状況でみんながやられるのに毎回しっかり苦しめってのは無茶な話だと俺も思うぜ。だけど、きっちり覚えておこう』

「繰り返した回数?」

『それもそうだし、その都度、ちゃんと怒ったり悔しがったり、悲しんだりしたっていうペトラの気持ちを、だ』

「――うん、そうだね」

この繰り返しの世界、何度も何度も続くループの中で、この気持ちを引き継いでいけるのは自分だけなのだから、『スバル』の言う通り、ちゃんと覚えておく。

ループを抜けたあと、ペトラたちがどんな目に遭ったか、アルが知らなかったとしても許してあげない。どれだけ苦しんだか、絶対に叩き付ける。

その誓いを胸に、ペトラは『スバル』と頷き合い、前を向いた。

「星だ。――星が、悪かったのさ」

そして、目の前にきているアルと正面から睨み合い――、

「――プレイボール」

『「――プレイボール」』

そう、勇ましく地獄巡りへ漕ぎ出す宣言をした。

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、誰にも髪を結ばせないと誓います。

△▼△▼△▼△

――そうしてペトラは、覚悟を決めて飛び込んだ地獄を彷徨い続けた。

「……どうすればいいの?」

膝を抱えて蹲り、抱えた膝に額をぶつけて、何度も、何度も、自問自答する。

どうすればいい。何をすればいい。どうしたら、このループを終わらせられる。

「条件ってなに?」

ループを終わらせるには条件がある。――あの人はペトラにそう言った。

ペトラも同意見だ。この手の、同じ状況を繰り返し続ける系のシチュエーションでは、何らかの終了条件がトリガーとなることが定石だ。お約束だ。決まり事なのだ。ルール、ルールなんだから守らなきゃダメ。いけない。守ってるはず。守ってるから、ちゃんと終わらせる方法はある。はい、おしまい。この議論は終了です。終了したので、条件について考えます。終わるトリガーは、何がある?

「色々やったよ?」

『圧縮』を駆使して、普通の人よりもよっぽど色んな挑戦をしたはずだ。

仲間たちと協力して鉄兜をやっつけることもしたし、倒してはいけないならと『圧縮』で全員を逃がそうともした。もちろん、ペトラ自身が限界まで遠くに逃げるのも試してみたし、鉄兜が最後に伸ばしてくる手にあえて捕まったことも、自分から鉄兜の腕の中に飛び込んでみたこともあったのだ。無駄だった。

仲間たち一人一人が何かしらの打開策を持っている可能性を考えて、全員で話し合ったり、みっちりと個人と事情を突き詰めたり、内緒話を打ち明け合ってみたり、それぞれの家庭事情や生まれ、故郷の話を聞いてみたり、十年来の親友でもしないような話を聞いたり聞かせたりしてみたりした。ダメだった。

いっそ鉄兜にアプローチするのが正解かと、鉄兜と話したり、突き放したり、仲間たちなしで一対一で戦って勝ったり負けたり、『圧縮』なしで戦って勝ったり負けたり、逃げたり、馬鹿にしたり、褒めてみたりした。意味なかった。

「じゃあ、何すればいいのっ!?」

やった。やったじゃない。思いつくことは、もう一通りやったじゃない。やっても無駄だったじゃない。やってもダメだったじゃない。やっても意味なかったじゃない。

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

「うるさいっ!!」

どうせ何もできないくせに、元気よく叫んでて腹が立つ。手伝ってくれないなら、せめて考える邪魔をしないでほしい。ああ、八つ当たりしてる。嫌だ嫌だ、自分が嫌だ。こんな風に思いたくない。何それ、いい子ぶってる? これが本当のわたしでしょ。みんなのことなんか好きでも何でもないんでしょ。みんなのことが好き好き大好きって言ってる心が広くて慈悲深くて優しくて分け隔てがない風な自分が好きなだけでしょそうでしょ。

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい……っ」

右も左も上も下も前も後ろも過去も未来も現在も今日も明日も昨日も明後日も一昨日も去年も今年も来年も前世も今生も来世も全部全て何もかもオールエブリシングうるさい。

「――今、何回目くらい?」

うるさい。死んでしまえ。それとも、殺してやろうか。

「コンティニューだ」

知ってた。

× × ×

「――領域展開、マトリクス再定義」

同じところに戻ってくる。驚いたでしょ。たまにプレイボール以外も言うの。

ループしている間、みんなそこにあるただの操り人形じゃないから、何か言ったら反応してくれるし、何かしたら応えてくれる。みんなだけじゃなく、鉄兜も同じ。

当たり前だけど、こっちがどんな目に遭ってるか、鉄兜にはわかるんだね。

「だからなに?」

わかっても、世界が終わり、次が始まれば仕掛け人すらついてきてくれない。

ペトラはいつも一人で、同じ世界を延々とやり直し続ける。誰も、そのペトラの苦悩も苦闘もわかってくれない。一人、一人だ。独りぼっちだ。独りぼっちだっけ?

「――っ、スバルっ! スバルっ!? どこ!? どこなの!?」

『ペトラ!』

稲妻を受けたみたいに思い出した途端、その姿がわっとペトラの目の前に現れる。それを見て、ちゃんと彼がスバルだとわかって、ペトラは息を吐いた。

何もかも、全部掠れて消えかけて、わからなくなってしまいそうに思えたけれど、それでも全部忘れていたわけでも、見放されたわけでもなかった。

「すばるぅ……っ」

グズグズの顔で、一瞬で溢れ出した涙で顔を汚しながら、彼に駆け寄る。飛びついた。彼がとっさに両手を出して、ペトラを抱きとめようとする。――できなかった。

すり抜けた。何もない地べたに、受け身もなしに倒れ込んだ。痛い。顔をぶつけた。スバルは――違う、『スバル』は、ペトラを受け止めてくれなかった。当たり前だ。いつもそうだ。『スバル』の手は、いつも、別の人で埋まっているから。

「じゃあ、手なんて差し出さないでよっ!」

『ペトラ……』

「あのまま……あのまま、放っておいて、死なせちゃえばよかったじゃないっ。村で、何もしないで、魔獣で、死んじゃえばよかったじゃない……っ」

知っている。ナツキ・スバルが何もしなければ、ペトラはとっくに死んでいたのだ。

死んでいたのに、生きている。生きてしまった。生きてしまったから、こんな風に苦しい目に遭って、痛い思いをして、それでも終われなくて。

『ごめん、ペトラ……ごめん! でも待ってくれ! そんな風に言わないで……』

「は、はあ!? 何なの? こんなに辛い目に遭ってるのに、わたしを叱るのっ!? こんなに、何回も何回も、ずっと辛くて、泣いてるのに……わ、わたしを、しか、叱る? 叱るの? は、あは、あはは、やめてよっ!!」

『――――』

怒鳴りつけた。やってやった。――やってしまった。

沈痛な、心を痛めた顔をする『スバル』がそこにいて、ペトラは血を吐きたくなる。心臓を抉りたくなる。頭を吹き飛ばしたくなる。っていうか、そうしよう。

「ループを終わらせる、一番、わかりやすいトリガー……」

言いながら、指鉄砲を作って、人差し指を自分のこめかみに当てる。その指先にマナを集中させて、ぼんやりと白い光が淡く灯り始める。

それを見て、ぎょっとした顔の『スバル』がペトラに手を伸ばす。どうせ触れないのに、ほら空振りした。

『待て、ペトラ! 早まるな! わかるけど、わかるけどその方法は待て! そうさせるのが、相手の狙いだったら……』

「じゃあ、結婚してよっ!!」

『――ッ』

「お嫁さんにしてよっ! わたしのスバルになってよっ! 一番にして! 助けたんだから結婚して! 人生丸ごと抱きかかえて! わたしの命もスバルのにしてっ! だったらいいよ。でも違うでしょ? だったらわたしの命じゃない。わたしの命だったら、わたしの命の使い方させてよっ」

自分でも、自分で何を言ってるのか意味がわからない。

とにかく、何もかもに腹が立つ。一個も思い通りにならない。状況をどうともしてくれないみんなにも、こんな状況にした鉄兜にも、腹が立つ。嫌いになる。嫌い嫌い。でもスバルは好き。は。意味わかんない。何もしてくれないじゃない。でも、ずっと何かしてくれて、今も何とかしようとしてくれてるじゃない。結婚してくれないけど。

「なにそれ、ばかみたい」

『ペト――』

あ、違うよ? スバルに言ったんじゃないよ? 馬鹿みたいなの、わたしだから。

あーあ、こんな頭、もういらないよね。ばいばい。

そう思って、指鉄砲から「ばきゅん」と白い光が――、

× × ×

「――領域展開、マトリクス再定義」

――。

――――。

――――――――。

――――――――――――。

――――――――――――――――だよね。知ってた。

あはははは。あはははははは。あはははははははははははははは。

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、幸運を望まないと誓います。

△▼△▼△▼△

――『憂鬱の魔女』ペトラ・レイテは、揺るぎない覚悟を決めて戦いに臨んだ。

クリンドから預かった魔女因子、それがもたらす『憂鬱』の権能の可能性は規格外で、自分の有利にゲームメイクするという意味で、この権能ほどに優れた効力を発揮する力は世界のどこにもないのではないかと、そう思わせるほどだ。

そして当然ながら、それだけの力を振るうためには、相応の代償を必要とする。――大いなる力には、大いなる責任が伴う、というやつだ。ちょっと違うかも。

いずれにせよ、その大いなるデメリットをあえて引き受ける以上、メリットにはたっぷりと仕事をしてもらわなくては。そうでなくては、身内にすら嘘をつき続ける覚悟を決めたペトラが浮かばれないというものだ。

「フレデリカ姉様がいなくてよかった」

もしも『アルデバスターズ』にフレデリカが参戦していたなら、ペトラも嘘をつき通せたかはわからない。フレデリカの眼力というより、ペトラがフレデリカに弱いのだ。

自分から最大の敬愛を勝ち取るフレデリカに、ペトラは隠し事ができない。きっと、自分の胸の内をぶちまけて、フレデリカに泣いて甘えて縋ってしまう。

隠し事だけで言えば、万全の状態のラムとオットーにも同じことが言えた。ただ、レムの復活で浮かれ調子のラムと、『記憶』を失ったオットーは持ち前の洞察力を発揮できない状態だったから、ペトラの嘘にも気付けなかった。

「クリンド兄様は、どこまでわかってて見逃してくれてたのかな」

年齢不詳で真意不明、ただ味方であることだけ信じられるクリンドは、ペトラの思惑など全部見通していてもおかしくないし、逆にロズワールと仲良しなだけあって、人の心の機微にはちっとも気付いていなくても不思議ではない。

どうあれ、クリンドは最初の時点で、ペトラが大きな犠牲を払ったことを知っている。

一度大きく支払ったのだから、それ以外を捧げないとも、一度払えば同じだとさらに捧げるとも、どちらとも発想できる立場。

ならば、覚悟した背を無言で押されたと思っておくのがペトラ的には丸い。

クリンドの真意がどうでも、すでにペトラはダイスを振ってしまったのだから。

「今、いくつだったかな……」

飲酒をしない。手紙を書かない。ぬいぐるみを抱かない。針と糸を使わない。歌を歌わない。子どもと遊ばない。思い出の場所を訪れない。美しい花を摘まない。好物を口にしない。故郷に帰らない。人前で泣かない。誰かの涙を拭わない。思い出話をしない。好きな物語を語らない。人を愛称で呼ばない。誰かを家に招かない。誰かの最期を看取らない。誰の手も握らない。関係修復を望まない。弱さを誰にも見せない。誰とも朝日を眺めない。あらゆる好き嫌いをしない。誰かのために泣かない。星を望まない。待ち合わせをしない。誰かと夕焼けを歩かない。隣を歩く人の影を踏まない。別れを惜しまない。夢を語らない。祝い事に交ざらない。贈り物をしない。手を振らない。眠る前に祈らない。傷に寄り添わない。晴れ空を喜ばない。雨空を嘆かない。虹を仰がない。静けさを愛でない。大事な約束を違えない。親切を望まない。旅立ちを見送らない。施しを受けない。失敗談を語らない。誰にも髪を結ばせない。幸運を望まない。――たくさんだ。

捧げた代償を数え始めればキリがなく、ペトラの人生はお先真っ暗と言える。

「これでも、かなりマシな方なんだけど」

上手な嘘をつくコツは、嘘の中に本当のエッセンスを混ぜ込むこと。――なんていうのは有名な話だが、ペトラの嘘は結果的にそれと同じようなニュアンスになった。

――『憂鬱』の権能の代価を、所持者のペトラ以外の大勢で分け合って支払う。

それが、みんながペトラに魔女因子を持たせることに納得してくれた条件だが、この方法を対価にできるのは、権能の効果対象を中心とした『圧縮』だけだ。

エミリアが望み、エミリアを移動させるための『圧縮』であれば、エミリアからの対価で発動可能だが、エミリアが危ないと思ってペトラが彼女を『圧縮』で移動させたなら、その対価を支払うのはペトラになる。――これは、所持者以外に自覚できない。

『アルデバスターズ』の一回一回の相談も、アルをアグザッド渓谷にエミリアやレムごと放り出したときも、窮地の仲間をとっさに引き戻すときも、全員が味わう強烈な苦痛をほんの刹那に『圧縮』したときも、その対価の支払いはペトラがした。

思うに、大事なものを捧げたときほど、『憂鬱』の権能の効果容量は大きくなる。

それは世界への影響であると同時に、世界に影響をもたらすペトラの世界への干渉力が弱まることを受けてのもの、と思える。おそらく単純に、ペトラが人生丸ごと捧げるようなことがあれば、『憂鬱』の魔女因子はより強大な力をもたらすだろう。

「でも、それはやらないから」

たとえ、自分の人生を切り売りするように、先々の望みを目減りさせるように、多くの幸福を放棄するように、権能がペトラ・レイテを侵していったとしても、自暴自棄に命を投げ出し、極端な選択を求めるようなことをペトラはしない。

「そんなの、カッコ悪いもん」

格好悪いところを、見せたくない。格好悪いことを、したくない。

『暴食』の大罪司教、ロイ・アルファルドと戦ったときと、おんなじ。――その気持ちが支えてくれる限り、ペトラは自分らしさを損なわない。

だってペトラは、ペトラ・レイテは、星に――、

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、誰の背中も支えないと誓います。

△▼△▼△▼△

「――領域展開、マトリクス再定義」

なんでわたしがこんな目に遭わなくちゃいけないの?

わたし、悪いことした? いい子だったでしょ? いい子でいようとしてたでしょ?

なんで、どうして、こうなったのか、誰か、ちゃんと、説明してよ。

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

どうしたらいいの? 何でもやったよ? 何回もやったよ?

思いつくこと、全部やったもの。戦って勝ったよ? 戦って負けたよ? 戦って死なせたよ? 戦って死んだよ? 戦わないで死んだよ? 逃げたよ? 泣いたよ?

「星だ。――星が、悪かったのさ」

たくさん、死んでみたの。たくさん、やっつけてみたの。たくさん、逃げてみたの。

いっぱい、謝ったの。いっぱい、怒ったの。いっぱい、涙を流したの。

とっても、怖かったの。とっても、痛かったの。とっても、辛かったの。

「――プレイボール」

知ってた。終わらないよね。終わってくれないよね。今、この瞬間のわたしが泣き喚いてるのを聞いても、心配してくれても、十秒も経ったら忘れちゃうもんね。ううん、忘れるんじゃない。知らなくなる。置いてけぼりにする。わたしだけ、置き去りで。

「――領域展開、マトリクス再定義」

もうやだ。みんな嫌い。嫌い嫌い、大嫌い。

なんで助けてくれないの? こんなに一生懸命叫んでるのに、どうして?

終わらない。終わんない。終わってくれない。終わらせてくれない。わたし、今も。

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

泣いても、喚いても、騒いでも、呪っても、おんなじことの繰り返し。

すごい。勘違いしてた。何とかできるかもなんて、自惚れちゃってた。わたしの、頼もしい、頼もしい? 何もしてくれないのに? まあいいや。頼もしい仲間の人たちが、誰だっけ。あの女の人とかが、すごいのに、なんでこれ、乗り越えられなかったのかって。

「星だ。――星が、悪かったのさ」

でもね、わかる。わかったの。だって仕方ないよね。どんどんどんどん、頭が働かなくなってくんだもん。目の前のことから、興味なくなってくんだもん。違うよ。興味がなくなるんじゃなくて、自分から遠ざかろうとしてるの。そうしちゃう理由も、わかるの。

「――プレイボール」

だって、みんなのこととか嫌いになりたくないもの。でも、みんなのことを考えてると、何もしてくれないみんなのことが嫌いになっちゃうの。だからしないの。考えないの。嫌いにならないように、もう考えない。みんなのこととか、考えない。みんなのことなんて知らない。あ、違うの。ごめんごめん、ウソウソ、大好き。はい、すーきー。

「――領域展開、マトリクス再定義」

だってしょうがないじゃない。まだ子どもなんだもん。背伸びしたって、ひとっ飛びに大人になれないんだもの。ここでこのまま、ずっとずっとおんなじ時間を過ごしてたら、そのうち大人になれる? はい残念でしたなれません。だって同じ時間の繰り返しだもの。どう頑張ったっておんなじだもの。頑張っても同じなら頑張らなくてよくない?

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

そうそう、頑張ったって意味ないの。おんなじなの。はあ、頑張って損しちゃった。難しく考えるのやめちゃおっかな。はあ、がんばってそんしちゃった。なんにもいみないの。わたし、ずっとむだなことしてたな。だよね。そうだよね。しってた。

「星だ。――星が、悪かったのさ」

だいたい、がんばったってしょうがないじゃない。がんばったって、わたしがおうさまになれるわけじゃない。わたしがだいじにされるわけじゃない。わたしが、あのひととけっこんできるわけでもないの。だから、もうしかたないの。しかたないんだよ。

「――プレイボール」

しかたないんだから、もう、やめようよ。

『――仕方なくなんて、ない』

なんで?

『諦めるのは、簡単じゃないよな。……でも、簡単なんだよ』

なんで? どうして?

『心が折れるとか、自分が死ぬなんて、かすり傷なんだ』

なんで? どうして? まだそんなことが言えるの?

『だって』

なんで? どうして? まだそんなことが言えるの? その先は?

『だって――』

なんで? どうして? まだそんなことが言えるの? その先は? 先は――?

『――俺たちは、まだまだやれる。楽勝だ』

――。

――――。

――――――――。

――――――――――――。

――――――――――――――――ホント、ウソ下手だよね。

知ってた。

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、諦めないと誓います。

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、膝を屈さないと誓います。

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、選択を悔やまないと誓います。

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、悔し涙を流さないと誓います。

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、愛したことを忘れないと誓います。

△▼△▼△▼△

――ペトラ・レイテは、ルグニカ王国の一村であるアーラム村出身の田舎娘だ。

『本来』のペトラは、世界の趨勢を決める戦いに参加するような娘ではなかった。

一介の村娘として、その可憐さとずる賢さでちょっといい生活をするか、世の中の大きなうねりに呑まれ、その命を無惨にも散らして終わる。それだけの存在だった。

でも、『本来』のルートを外れ、今の自分を知るペトラは、思う。

「もし、何回も人生がやり直せても、わたしはまた『本来』から外れるの」

そう、そうだ。『本来』から外れて、いつなりとペトラはまたここにくる。

そして、言いたい。ペトラを『本来』の道から外し、救ってくれたあなたに。

辛い顔で、下手くそな嘘で、懸命に手を引こうとしてくれるあなたに、こう言うの。

「――星のおかげで、わたし、ここにいられるの」

『――――』

「――――」

そう言って、自分の唇を手の甲で拭ったペトラに、アルと、『スバル』が絶句した。

アルはともかく、『スバル』の絶句の理由はわかる。自分の下手くそな嘘と励ましで、ペトラが口を利けないくらい落ち込ませたとそう思っていたのだろう。

確かに、下手な嘘だった。上手な嘘は、本当のことを少し混ぜ込むのがコツだと言ったばかりだが、本当のことが一個も混ざっていない、最高に下手な嘘だった。

「でも、わたし、好きな人のこと、嘘つきにしたくないから」

だから、立ち直りました。自力で。慰めも励ましも当てにならないから、ずっと心配そうにこっちを見てるから、触れられないくせに頭を撫でたり、背中を支えようとしたり、そんな健気で必死な様子に、仕方ないなぁと思ってしまった。惚れた弱味だった。

「わたしの好きな人はね、嘘つきじゃないんだよ」

だって、こうして立てた。ペトラが立ったから、スバルは嘘つきじゃない。

繰り返しの世界は辛かった。一度、死にかけてしまった心を立て直すのは簡単なことじゃなくて。むしろ、今までの人生で一番難しくて大変だったけど。でも、立った。立ちました。すぐそこで、いつでも最新の、ヘボヘボ弱々なペトラを信じてる人がいたから。

「わたしの星は、一個も悪いことないんだよ」

すごい。頑張らなきゃいけなくて、大変。わたし、器用な方なのに。何でもすぐにできちゃう方なのに、この人の期待に応えるのって、とっても大変。でも、この人が、どんな人でも心が潰れて立てなくなっちゃうくらいひどい、何百回も、何千回も、何万回も同じことをさせられるような地獄でも、「ペトラは負けない!」って、そう根拠もなく信じてくれてるから、やるしかないじゃない。

ナツキ・スバルが、ペトラ・レイテのことを、何万回のループでも、心が壊れないくらいタフな女の子だって信じてるんなら、じゃあ、それをする。

「異世界の女の子はね、奇跡ぐらい自分で起こせなきゃやってけないんだよ」

それこそ、『本来』の運命のレールから外れるくらいのことをしなかったら、心の底から愛おしいと思える相手にすら出会えない。

「――アルさん、何回繰り返してもいいけど、無駄だと思うよ」

星の責任がどうとかいうお約束の台詞を遮られ、黙っているアルにペトラは告げる。

これは強がりでも虚勢でもなく、ペトラの本心――たとえ、この時間を何万回どころか、何億、何兆と繰り返されても、ペトラを擦り切らせることはできない。

女の子の愛は無限大だから――なんて、メルヘンチックな解決法とも違う。

「これって、アルさんの敵の心がすり減り切っちゃうまで繰り返すループなんでしょ?」

アルに勝利しても、殺害しても、はるか遠くに飛ばしても、終わらなかった。

アルに負けても、捕まっても、はるか遠くに逃げようとしても、終わらなかった。

自分を殺しても、殺されても、絶望して全て投げ出そうとしても、終わらなかった。

単純に、一万回以上繰り返しているが、終わらなかった。

「でもね、どこで切り上げるかは、アルさんが判断してるはずだよね?」

終わらないループの終わらせ方は、アルが『領域』をほどく以外には考えられない。

対象の心が砕けたら勝手に終わるなんて、そんな都合のいいループではないだろう。終わらせるタイミングは都度、そのループにいるアルが意識的に終えているはずだ。

究極、アルに音を上げさせれば、一万回どころか、一回目でもこのループを終わらせることはできる。――常に初回の、慎重で臆病なアルにそう決断させられるなら。

「だから、ここで切り上げてほしいな。わたし以外、もうみんな倒れちゃってるから、アルさんの戦果は十分でしょ。続けても、もう意味ないもん」

重ねて言うが、ペトラのこれはハッタリでも強がりでもない。

この調子でループを延々繰り返しても、ペトラの心は壊れない。

だって、ペトラは選んだから。

「わたしね、もう諦められないし、後悔もできないし、悔しくても泣けないし、大好きなみんなのことも忘れられないの。――そういう『魔女』になったの」

――ペトラ・レイテは、『憂鬱の魔女』となることを選んだから。

「ねえ、アルさん。――この話、あと何回する?」

そう、首を傾げた『憂鬱の魔女』の問いかけに、目の前のアルの喉が小さく鳴った。

鉄兜の奥、見えない彼の瞳が、『憂鬱の魔女』の丸い瞳の奥に、得体の知れない何かを見たみたいに、黒々とした感情を宿したのがわかった。それはもしかしたら、アルの心に深く深く根付いた、消せない傷跡と関係していたのかもしれない。

彼は前にも、『魔女』の目を深く覗き込んで、傷付いたことがあったのかもしれない。

そのトラウマを――、

「――『コンプレス・アゴニー』」

アルの抱えたトラウマを、『圧縮』してぶち込む。

脳髄が沸騰して、血流が逆流して、喜びも嘆きも幸せも不幸も、その塞がっていない傷口のカサブタを剥がして、塩ではなくトラウマを塗り込んでやる。

これから先の人生、何回、何十回、何百回何千回と、思い出しては頬を濡らすことになるだろうトラウマの刺激を、この刹那に、何千倍の濃度で味わわせる。

「――ぁ」

瞬間、『憂鬱の魔女』に抱いた恐怖と、刺激されたトラウマの『圧縮』に、アルが体の反応ではなく、魂の反応で、一番身近で掴みやすい救済に手を伸ばす。

すなわち――、

「――ゲームセットだ!」

――終わらないループの終わらせ方は、次のループを始めさせること。

その確信に至りながら、『憂鬱の魔女』は傍らの想い人の、触れられない手に手を絡め、指を重ねながら微笑む。

「カッコ悪いの。――スバルなら、心が折れるなんてかすり傷って強がるのに」

『お前は、格好良すぎるよ、ペトラ』

力なく、でも誇らしげに、想い人がそう告げてくれたのを聞いた。

『憂鬱の魔女』は、それに胸を満たされながら、なお前を向く。

――さあ、ここが、最後の、勝負所。

傷付く心も、終わりにしたくなる弱さも、悔しさを思って流れる涙も、何もかも対価に捧げたのだから――望んだ形の勝利を得るまで、『憂鬱の魔女』は手を緩めない。

△▼△▼△▼△

――『領域』をほどき、新たに結び直し、マトリクスを再構成する。

それは、必勝であるはずの『領域』の押し付け、その必敗を認めるものだった。

だが、致し方ない。前例がある。『領域』は、加害者にした『魔女』を殺せない。

無論、殺すとは便宜上のもので、あくまで照準は心に限定したものだが――、

「――――」

堂々と、『領域』に耐え抜くと宣言したペトラ――否、もはや彼女をただペトラと呼ぶことはできなくなった。彼女は掛け値なしに、成り果ててしまったのだ。

「――『憂鬱の魔女』」

過去、アルデバランの『領域』の加害者を破ったのは、『強欲の魔女』だった。

思い返せば、アルデバランの権能は『領域』の主導権が被害者と加害者のどちらにあったパターンでも、初陣では敗北を喫していて縁起が悪い。

ともあれ、『領域』を撥ね退けられた今でも、戦況はアルデバランの方が有利だ。

「――ッ」

『憂鬱の魔女』以外の、アルデバラン討伐を掲げた『アルデバスターズ』は壊滅、生憎と『領域』を用いた心の摩耗は絶対だ。演技や死んだふりで逃れられるほど、アルデバランはぬるい覚悟で『領域』の押し付けを決断したわけではない。

それこそ、対象の手足の一、二本落とすくらいの確認をしてから、『領域』を次の対象に移す判断をしていたはずだ。自我に連続性がないため、自分がどんな方法でそれを確かめたのか知る由もないが、今の自分が思いつくならループの中の自分も思いつく。

だから、確信を持って言える。――『憂鬱の魔女』以外は、立ち上がれない。

「けど、それはあっちもわかってる」

自分が立てたなら、他の仲間も立てるはず、なんて甘い見通しで行動を始めるほど、目の前の『憂鬱の魔女』を見くびることはアルデバランにはできない。

ならば、あるのだ。『憂鬱の魔女』には、ここから逆転するための方策が。

――星のおかげで今があると、『魔女』にまでされてなお嘯く少女の、切り札が。

「――――」

『領域』が解かれ、一瞬だけ解放状態になったアルと『憂鬱の魔女』、彼我の距離は五メートルほどだが、相手の権能の前にはないも同然の距離――というか、『圧縮』なんて権能がある以上、距離は何の安心材料にもならない。

だが、権能だ。

『憂鬱』の権能という手札を切って、仕掛けてくるのは間違いない。

権能の効果で最も可能性が高いのは、当然だが、『圧縮』による他者の召喚だ。

ありえるのは――、

「――レム嬢ちゃんか、メィリィ嬢ちゃん。もしくは、辺境伯の旦那か?」

この場に不在で、なおかつ『憂鬱の魔女』が用意できる戦力と考えたとき、最初に浮かんだのはそれらの面子だ。レムは絶賛ヤエと戦闘の真っ只中のはずだが、ラムに動揺が見られなかった以上、共感覚でわかる敗北の味は伝わっていない。あのヤエが負けたとは考えづらいが、考えなくてはならない局面だ。

多数の魔獣を引き連れたメィリィに、帝国でもやりたい放題やっていた怪物級の火力持ちであるロズワールも、可能性としては十分考えられる。

だがいずれも、ただ強いだけ、手強いだけ。

数や強度では、アルデバランを追い込めないのはここまで証明してきた通りだ。もし、それが狙いなのだとしたら、浅はかとしか――、

「いや――」

そのどれでもない、とアルデバランは『憂鬱の魔女』の瞳に直感する。

元より、相手は思考の過程を『圧縮』し、時間という概念を無視した結論を導き出すことができるのだ。アルデバランが思いつき、すぐに切り捨てられるような発想は、『憂鬱の魔女』だって実行する前の吟味の時点で捨てるはず。――つまり、違う。

もっと、発想を根本から変えて追いつけ。

『憂鬱の魔女』がここで呼ぶとしたら、状況を打開可能な理由がある存在で――、

「――まさか!」

歯噛みし、目を見張る。瞬間、アルデバランのシナプスのスパークを見届けたみたいに、『憂鬱の魔女』が手を振り上げ、下ろす。――刹那、『圧縮』が起こる。

その場に、アルデバランと『憂鬱の魔女』との間に、飛び込んできたのは。

「――わお。思った以上に修羅場だねェ」

――手枷を嵌められ、動きを拘束された『暴食』のロイ・アルファルドだった。

△▼△▼△▼△

落ちてきたロイを見た瞬間、アルデバランは相手の狙いを確信する。

ロイが死んではいないだろうと、そうした可能性は八割と見ていた。

元より、『暴食』の被害者たちを救おうとすれば、ロイの生存は必須だ。実際にレムの『名前』を吐き出させたことで、『アルデバスターズ』はより確信を深めていたはず。

どうやって協力させるかはともかく、命を奪えば交渉もできないと考える。――死ぬ場合の二割は、生かす工夫ができる状況ではない可能性と、ロイが過剰に煽りすぎて、殺されるのもやむなしまで相手を怒らせてしまったパターンを懸念していた。

いずれにせよ、ロイの生存は僥倖――だが、相手の狙いがマズい。

ここで『憂鬱の魔女』がわざわざロイを呼んだのは、ただの利敵行為でないなら、当然理由がある。目的がある。ロイが自分の有利に働く、密約か何かがある。

そして、『死者の書』を読みながらもまさかの復活を果たした彼女は、ナツキ・スバルの知識から、『嫉妬の魔女』が動いた理由を拾い上げられる。それがわかれば、連鎖的にできることがあるのだ。

それは――、

「――ラインハルトを!」

仮に、『憂鬱の魔女』がロイと交わした密約がその権能を使わせることだったとしたら、『領域』さえも通用しないほど心を壊した『憂鬱の魔女』であれば、ナツキ・スバルを取り戻すために、極限の、自己犠牲の選択をしてもおかしくない。

それはアルデバランも想定していた、『暴食』の権能による世界救済――ナツキ・スバルの『死者の書』を読んだ人物から、その『記憶』を奪うことだ。

そして『嫉妬の魔女』が手を引けば、足止めされていた世界の抑止力がくる。

数多の挑戦と罠によって、一度は退けることに成功した『剣聖』が。

――『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアが辿り着けば、終わりだ。

計画は崩壊する。故に、アルデバランはその阻止に全霊を注ぐ。

『憂鬱』の権能によって、この場に引き出された『暴食』のロイ・アルファルドを――、

「――『記憶』を喰うのを禁じる! 呪印で焼かれるぞ!」

一度、緩めた条件を再度引き締める。

度重なる条件の変更は、呪印を施した側であるアルデバランの魂にも重篤なダメージをもたらし、体の奥底にあるオドがひび割れた感覚を覚えた。そこにあるのは痛みではなく、大きな喪失感、ナツキ・スバルも味わったとされる、根源を損なう感覚。

だがこれで、ロイが『憂鬱の魔女』の『記憶』を喰う事態は避けられる。

『嫉妬の魔女』が引き下がらなければ、『剣聖』がこの場に辿り着くことも――、

「――アルさん」

阻止したと、そう思わず拳を固めた瞬間だった。

『憂鬱の魔女』がアルデバランを呼んだ。思惑を外され、さぞや苦い顔をしていると思ったはずの彼女は、確かに辛そうな顔をしていた。

だがそれは、自分の未来を嘆いた顔ではない。――こちらを、哀れんだものだ。

「何を――」

総毛立つような感覚と共に、アルデバランは『憂鬱の魔女』の表情の意味を思考する。

だが、それがいけなかった。思考してはいけなかった。思考より、すぐに死ぬべきだった。今死んでいれば、それが何だろうと、どうにかできたはずなのに。

アルデバランは肝心なときに、また、死ねなかった。

この世界にとっての太陽を、沈ませてしまったときと同じように、また。

「――プレイボール」

『憂鬱の魔女』が、言うつもりだったのに言えなかったアルデバランの台詞を口にした瞬間だった。

――アルデバランの天敵が、背後に立っていたのは。

△▼△▼△▼△

「――わたし、アルさんの弱点わかったかも」

それは、『アルデバスターズ』が正式に結成される前の、アル一味を倒すための作戦会議が持たれていた中で、『憂鬱の魔女』となったペトラが得た気付きだった。

ロム爺の証言により、アルの権能がナツキ・スバルの持つ『死に戻り』、それと同じループ能力であるとわかったとき、その発動条件までもスバルと共通しているなら、それを防ぐ方法はあると、そうペトラは思ったのだ。

もっとも、そのときはまだ確証があったわけではなかった。

その方法ができるかどうか、本人に確認する必要があったし、『死者の書』での接点を除けば、ペトラと彼女――否、彼との接点はないに等しかった。

でも、もし可能ならばと、『アルデバスターズ』の作戦前にコンタクトを取り、本当の本当に、極限までアルを追い込んだときの切り札としての登板を約束した。

そして――、

「――プレイボール」

何度も何度も、言われた宣告を意趣返ししながら、『憂鬱の魔女』は、囮として自分とアルとの間に落としたロイ・アルファルド越しに相手を見ていた。

悲しいかな、アルは『憂鬱の魔女』の思惑通りに、願った通りに、動いた。

ロイを見れば、その権能を使わせるのが狙いだと考えると思った。――フェルトと密約を交わし、アルへの叛意を抱いていたロイだ。『時間遡行』の中でその事実を聞き出すタイミングがあったなら、ロイの思惑を疑うと、そう思っていた。

はたして、アルは期待通りに行動し、ロイの裏切りを封じることを選んだ。

ロイと同じタイミングで、自分の背後に『憂鬱の魔女』の切り札が現れたことは、全くの思考の外側だったことだろう。その人物がいることなど、想像できなかったはずだ。

この場に参じた『アルデバスターズ』六十一人が、エミリア陣営とフェルト陣営の用意できた戦力の総数だと、その言葉に嘘はない。――エミリア陣営と、フェルト陣営からの参加者は。

だから――、

「すっかりボロボロじゃにゃい。――治してあげちゃう、ネ?」

瞬間、世界全土を見渡しても、これ以上のいない治癒術師――『青』のフェリスの最大級の治癒魔法が、アルから『死』を取り上げていた。

△▼△▼△▼△

――『青』のフェリックス・アーガイル。通称、フェリス。

王選候補者であるクルシュ・カルステンの一の騎士であり、王国最高――否、世界最高の治癒魔法の使い手。そして、アルデバランの三人の天敵、最後の一人。

計画のためにナツキ・スバルも、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアも退けたアルデバランの、決して出くわしてはならなかった最後の障害。

それがアルデバランに、優しく慈悲深い、残酷な魔法を施した。

「あ、がああああ――!!」

全身が総毛立った瞬間、アルデバランは思い切りに体を振り回し、背後に立っていた相手――フェリスを地面に投げつけ、口の中の毒薬の包みを解く。

一瞬で舌の粘膜に溶け込んだそれが、アルデバランの生命機能に重大な危機をもたらし、ものの数秒でアルデバランを死に至らしめ――ない。壊れていくはずの組織が片っ端から修復され、兜の中に噴き出した鼻血さえ、一秒で止まった。

「クソ――」

ならばととっさに石龍刀を作り出し、それを自分の首に当て、思い切り引く。

太い血管が切断され、凄まじい血が噴出して、それがアルデバランの命を――脅かさない。傷は即座に修復され、痛みさえもチクリと針を刺された程度にしか感じない。

「クソ、クソ、クソぉ……!」

やられた。思いつく限り、これが最も恐ろしく、効果的な、アルデバラン封じだ。

『死に戻り』を封じる方法は何のことはない。――死なせない。これだけでいい。

この世で最も優しい御手こそが、アルデバランやナツキ・スバルを殺す方法だ。

「これでおしまいだよ。アルさん」

そう、『憂鬱の魔女』が、みっともなく取り乱すアルデバランに静かに告げる。

死ねない。やり直せない。いっそと、傍らに倒れているフェリスを見て、その治癒魔法を解かせようとも考えるが――、

「ダメだよ。それとも、フェリちゃんと不毛な根競べ、してみる?」

剣を向けても表情を変えないフェリス、彼もまた、覚悟を決めて挑んだ一人だ。

フェリスが自分に、今のアルデバランと同等の治癒魔法を施しているのだとしたら、どう足掻いてもこの場でフェリスに魔法を解かせることはできない。

つまり、アルデバランは、ここで打つ手を――、

『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』

「――――」

また、『魔女』の声が聞こえた。――その瞬間だった。

凄まじく、破滅的な衝撃波が遠方で生じ、それがアルデバランを、『憂鬱の魔女』を、この最終局面に立ったあらゆるものを、一気に呑み込んだ。

△▼△▼△▼△

――それは決して、『神龍』も狙って引き起こしたアシストではなかった。

戦場を変えられ、竜殻の本来の持ち主との戦いを繰り広げ、二人の魔法使いが実現させた奇跡の超魔法に竜暈を穿たれたとき、『神龍』は大きな選択をした。

この瞬間の、自分の目先の勝利ではなく、半身であるもう一人の自分の、自分たちの始めた目的、願い、悲願、それを果たすことを優先したのだ。

『――――ッッ!!』

放たれた『龍』の最後の息吹、それは竜人でも魔法使いたちでもなく、彼方の地へと向かっていき――辿り着くべき目的地、大地に開いた大きな穴、世界で最も深く暗く、地の底まで続いているとされるモゴレード大噴口へと命中した。

それにより巻き起こされた、天変地異のような被害と世界の驚嘆は筆舌に尽くし難いものであったが、この戦場においても、それは大きな大地の波となり、押し寄せた。

まさに決着の瞬間の、アルデバランと『憂鬱の魔女』との戦場への、大波が。

「――――」

そうとも知らず、凄まじい勢いで噴出した水と、押し寄せた土埃の噴煙に呑み込まれながら、アルデバランは千載一遇――真の意味で、到来した千載一遇に目を見張った。

これが、アルデバランにもたらされた望外の機会であり、最後のチャンスであることは疑いようがない。

『憂鬱の魔女』が仕組んだものではなく、アルデバランの人生で、滅多にないはずの――プリシラとの出会いで使い切ったはずの幸運が、働いた。

「――っ」

呆然としかけたのも刹那のこと、アルデバランは風と水に打たれながら、視界を噴霧に覆われる戦場に目を凝らし、それを探した。

『憂鬱の魔女』でも、フェリスでも、倒れた『アルデバスターズ』でもない。

この戦場において、唯一、最後の、アルデバランが打てるかもしれない手立て。

『死』を封じられ、仲間もいなくなったアルデバランが、自分の中にしか残っていない『魔女』と共に目指した悲願を叶える、最後の方法。

それは――、

「――ロイ!! いるならこい! オレを……オレの『名前』を喰え!!」

がむしゃらに呪印の条件を変更し、多大な負荷にオドがまたひび割れる感覚を味わいながら、魂に血を吐かせる覚悟で、アルデバランは叫んだ。

この状況をゼロにして、権能を封じられたアルデバランでも取れる、唯一の策。

『名前』を喰われ、全員の記憶から消えることで、全てをひっくり返す。

そのために、濛々と立ち込める土煙の中に、アルデバランは憎たらしい『暴食』の姿を探して、叫んだ。

「オレを喰え! オレの、オレの『名前』は――」

アルデバランと名付けられ、『後追い星』の運命を背負わされた存在。

ナツキ・スバルを世界から取り除き、『魔女』が悲願した願いを叶える。その宿命を負いながらも太陽に焦がれ、結果、全てを失ったろくでなし。

その『名前』は――、

「リゲル。――ナツキ・リゲルだ!!」

それが、『魔女』の期待を裏切り、太陽を沈めた愚かな星、その『名前』だった。