軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九章55 『領域の加害者』

――アルデバランの『領域』は魔女因子所縁の権能だ。

だが、アルデバランは魔女因子の所有者ではない。

『魔女』はこれを番外や特例と呼んでいたが、アルデバランはそんな綺麗な言葉ではなく、盗用や欠番と言い張るべきだと考えていた。

現象としては前例のある話で、例えば一度魔女因子と適合し、権能を手に入れた『大罪魔女』たちは、魂だけとなった死後も同じ力を有したままだ。

これに関して『魔女』は、魔女因子は世界に干渉する権利を得る扉を開ける鍵で、一度開いた扉は、鍵を失ったとしても開いたままなのではないか、と推測した。

その場合、『大罪魔女』たちの説明はついても、アルデバランや『魔女』本人の説明はつかないのだが、それについては引き継ぎ説を推していた。

魔女因子に適合した存在との浅からぬ繋がりが、生まれながらに権能という世界へ干渉する権利の扉を開かせていたのではないか、と。

ただし――、

「翼のある存在が、翼のない相手に翼を動かす感覚を説明するのが難しいように、後付けでないボクたちの権能は説明が難しい。生まれつき、扉が半開きってところだね」

そう言った『魔女』がドヤ顔だったのは、本人的に渾身のユーモアだったからだろう。生憎、アルデバランはちっとも笑えなかったが、内容自体には頷けた。

確かに、扉が開き切っていたなら、もっと風通しがよかったことだろう。

風通し悪く、半開きの扉から向こうを覗いたり、手を差し込んだりしている。だから扉に遮られたり、手を挟まれたり、意図しないアクシデントに見舞われるのだ。

『魔女』のように、扉を開けないと割り切れればよかったのかもしれない。しかし、そうするにはアルデバランは凡庸で、無力に過ぎた。

扉を開けないアルデバランに、『魔女』に期待される役目を果たせる目はなかった。

だとしたら、半開きだろうと、扉を開けない選択肢はアルデバランにはなかった。

故に、半開きの扉であるアルデバランの権能は、不透明な部分が多い。

使用感と経験則、そこに『魔女』の推測も合わせ、把握できているのは全体像の八割程度。それでも権能の使用に支障はなく、アルデバランも使うのを躊躇わない。

危なっかしいと思われるかもしれないが、ケータイの仕組みがわからなくても、ケータイを使うのに命の危険がないのと同じことだ。もっとも、アルデバランの権能は命と密接に関わるので、ケータイとは事情が違うかもしれないが。

ともあれ、体感時間で人生を十数倍するほど付き合った権能だが、『領域』にはブラックボックスが多い。――時折発生するバグが、その最たるモノだ。

『領域』におけるバグ、それは設定されたマトリクスの主導権の保持者が、アルデバランではなく、同じマトリクスに配置された別の対象へと移る現象だ。

通常、アルデバランは自分の意思で『領域』を作り出し、その定められた時間と空間の中でのみ、無限の挑戦を行うことを許されている。その間、記憶は常にアルデバランが維持し続け、挑戦のたびに違った検証を行い、突破口を探るのがお約束だ。

しかし、何かのボタンの掛け違いでバグが発生した場合、『領域』をやり直す権利がマトリクス内の他者に移譲され、相手は『領域』が解かれるまで、延々と終わらないマトリクスを繰り返し続けることになる。

かつて、『魔女』の下にいた頃には発現しなかったこのバグは、初陣に敗北し、権能への信頼を損なったことが原因で発症したとアルデバランは睨んでいる。

実際、バグが起きるのは、決まってアルデバランが自分の権能を疑ったときだ。

古くは剣奴孤島で、万に一つも勝ち目のない強敵と死合いを組まれたとき。その後も、アルデバランが己の立つ瀬に迷ったライプ・バーリエルとの衝突や、プリシラに差し向けられた刺客のヤエとの戦いで、このバグは発生した。

何より――、

「――面白いな。権能の主導権を相手に委ねるなんて、聞いたことがない」

夢の城でアルデバランを迎えた『強欲の魔女』に挑んだとき、それは起こった。

「なかなか稀有な体験だった。なるほど、あれが君の見ている世界か。確かに、起こっている事象の原因に心当たりがなければ、発狂モノの現象だろうね」

変わり果てた『強欲の魔女』に、自分の知る『魔女』を返せと斬りかかった。

あらゆる角度から攻撃を仕掛け、その試行錯誤と創意工夫が全く通用しなかったとき、アルデバランの中に生まれた権能への猜疑、それを証明するように、バグが起きた。

「権能の絶対性への疑念、そこから生じた変化……それは弱さから派生した力だ。惜しむらくは、狂気の中にいる存在には通じない効果であることか。彼女然り、ボク然り」

困惑するアルデバランに、『強欲の魔女』は自らが味わった地獄の詳細を語った。

それは確かに、アルデバランの知る『領域』の世界であり、同時に決定的に違ったものでもあって、どうやって『強欲の魔女』が耐えたのかがわからない。

『強欲の魔女』自身が語ったように、正気でないから耐えられたのか。

「権能を行使するとき、多くの場合、君は弱者だ。極小の勝機を見出し、それをこじ開け、ついには掴み取るために『領域』に縋る、言わば被害者。そして、君に『領域』を強いる相手を加害者とするなら、これは被害者と加害者間での主導権の交換だ」

嬉々として地獄の正体を暴く『強欲の魔女』の姿に、アルデバランは体中の血が冷えていく感覚と、それが他ならぬ自分の作った悪夢であることを理解した。

夢の城を悪夢に変えたのも、『領域』に生じたバグも、アルデバランの弱さが原因――弱いという、許されざる罪が生んだ罰だった。

「計画は活きている。第一目標は頓挫したが、第二目標はいまだ健在だ。ただなけなしの最良を……君もボクも、今こうしているのはそのためだ。だろう?」

その罪の十字架を、重く、一人では背負い切れないと投げ出しそうになる十字架を、『強欲の魔女』は共に引きずると、そう嗤いかけてくる。

その、見たかった見たくない微笑みに、アルデバランは決意した。

「オレが必ず――お前を殺してみせる」

――『領域』のバグ、自分の弱さから派生した力さえ、アルデバランの敗北の烙印さえ利用して、『後追い星』としての役目を果たしてみせる。

「――愛は、何故減るのだろうか」

囁くような『強欲の魔女』の呟き、その答えを、アルデバランは知らない。

愛を欲した『魔女』を失い、愛した『太陽姫』を失い、今もなお、知らない。

――知りたくも、ない。

△▼△▼△▼△

思考が、加速する。

おそらくはペトラの有する権能、それによって圧された思考の中、アルデバランはとめどなく溢れてくる雑多な考えに優先順位を付けられず、頭をパンパンにしていた。

「――クソ」

恐ろしい権能だった。

性能に当たり外れのある加護と違い、大体の権能は常外かつ規格外の力を発動するが、ペトラの『圧縮』も例外ではない。権能は魔女因子の保持者の頭の柔軟さがモノを言うことが多いが、その点において応用力が高すぎる。

異様に思い込みが強いか、弱さ由来の柔軟さがあるか。――魔女因子の強力な力を引き出す才能は、その辺りの精神性が大きく関係している。大罪魔女や大罪司教は前者、アルデバランやペトラは後者と言っていいだろう。

そして、加護者だろうと魔女因子の適合者だろうと、あるいは無能力者であったとしても、アルデバランが手強いと感じるのは常に後者の人種だ。

実際、思考に『圧縮』をかけるアルデバランへの攻撃は、相手の狙い通り効果覿面。精神の消耗を避けたいアルデバランにとって、余力を削る嫌らしさ満点だった。

アルデバランも、権能を度外視すれば弱者の側だ。瞬間瞬間の判断が求められる戦いにおいて、常に最善手を模索できる力の有用性はよくわかる。だが本来、戦いの最中はどう足掻いても万全を期せない。故に、どこかで決断し、思考を断ち切り、行動に移すことが必要になる。ペトラの『圧縮』は、その本来なら切り捨てていたはずの思考の余白を埋めることを強制し、同じ結論を出すにも倍以上の消耗を強いてくるのだ。

故にアルデバランは、多大なる精神力の浪費と引き換えに、士気十分な『アルデバスターズ』相手に最適行動と、針の穴に糸を通すような極限回答を出し続ける。

そして、その消耗の最中に――、

「――ロム爺!!」

『アルデバスターズ』の攻防を切り抜けた矢先、聞こえたのは悲鳴のような声だ。

それを口にしたフェルトが目を見張り、遠く、崩れ落ちる老齢の巨体を見る。瞬間、フェルトだけでなく、『アルデバスターズ』の他の面々も動揺に心を揺らした。

何が起きたのかわからぬままに、バルガ・クロムウェルが倒れたのだ。

「――――」

当然だが、方法はわからなくても、やった誰かの候補は一人しかいない。結果、倒れたバルガに駆け寄るものを除いて、その他の敵意がアルデバランに集中する。それらの敵意に晒されながら、アルデバランは『アルデバスターズ』には見えない兜の奥で、『アルデバスターズ』と同じ驚きに目を凝然と見開いていた。

「――『領域』の加害者になったな」

狙って起こしたわけではない。だが、自分が原因で、何が起きたかはわかっている。

『領域』のバグが発動し、加害者の一人であるバルガが主導権を持たされた。そして老巨人はおそらく、心が潰れるほどの回数、ほんの一時を繰り返されたのだ。

「ちっ」

起死回生、千載一遇、そうと呼べるチャンスの到来を、アルデバランは歓迎しない。

前述の通り、バグの発生はアルデバランの意思とは無関係――少なくとも、能動的に発動したものではない。そして、アルデバランはバグの発動を喜べない。

何故ならバグは多くの場合、巻き込んだ対象の心を破壊するからだ。

「剣奴孤島でも、ライプ爺様でも、ヤエの奴でも……」

アルデバランと対峙し、『領域』のバグに呑まれ、抜け出せない『死』のループに取り込まれてしまったものたちは、軒並みその精神に異常をきたした。

心を壊された剣奴たちはアルデバランに首を刎ねられ、正気を逸したライプ・バーリエルは長年の野心を忘却し、恐怖に屈したヤエ・テンゼンは忠実な僕と化した。

そのものの心の在り方を捻じ曲げる『領域』のバグは、計画の遂行に不殺という条件を課したアルデバランにとって、ほとんど『死』と同義の結末しかもたらさない。

故に、アルデバランはこの決着を喜べない。――本当に?

『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』

一度、裏切ってしまった『魔女』の声が、期待が、理想が、聞こえる。

相手の執念に、作戦に、団結力に、万が一を、億が一を、兆が一を、恐れ、警戒し、疎んだことで、『領域』はバグの発生する条件を満たした。――言うなればそれは、アルデバランが権能を、自分を、『魔女』を、疑ったからに他ならない。

『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』

また、『魔女』の声が聞こえた。

――次の加害者が、白目を剥いて倒れるのが見えた。

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、静けさを愛でないと誓います。

△▼△▼△▼△

「――ロムお爺さん?」

状況が、動く。――それも、ペトラたちにとって悪い方向に、だ。

不意に巨体を揺らがせ、地べたに倒れたロム爺の姿に、ペトラは大きく目を見開く。その胸中、湧き上がった驚きや無理解、不可解と動揺、その他数多の感情に全身を支配されそうになるが――、

『――ペトラ!!』

「――っ」

そのペトラの意識を、イマジナリースバルの一喝がギリギリで引き止めた。

想定外の事態に驚くのはいい。意識の外側から殴られて、動揺しない人間なんていない。だが、『憂鬱の魔女』であるペトラには、驚くより先にすべきことがある。

起きた出来事に対する、あらゆるリアクションの『圧縮』だ。

「冗談じゃねーぞ、何が起こってやがる! 誰かロム爺を起こせ!」「無茶言え、いきなり白目剥いてんだぞ! なんだ、何された!?」「おい、どうする! 爺さん抜きなら、誰が……」「クソッ! ラムだ! ラムッしかいねェ!」「――仕方ないわね。女王の駒は使えなくなるわ。肝に命じなさい」「すぐ動かねば、餌を待つ豚も同然だ。先に仕掛けるぞ」「チキショウ! ここまできて負けらんねえぞ!」「「当然!!」」

瞬間、広がった動揺を一瞬に『圧縮』し、ペトラは『憂鬱の魔女』の務めを果たす。

原因が特定されたわけではない。しかし、対応はすぐさま結論付けられ、全員が一丸となって最善手を模索し始める。――無論、ペトラも同じだ。

倒れたロム爺に代わり、司令塔の役目を引き受けたラムに場を預け、ペトラは『憂鬱』の権能を発動、ロム爺との間にあった移動距離を『圧縮』する。

「ロムお爺さん……っ」

うつ伏せに倒れたロム爺の巨体は、ペトラの細腕では抱き起こせない。だが、横を向いた老巨人の顔を覗き込み、ペトラは明らかな異変に喉を詰まらせた。――倒れたロム爺の顔に生気がなく、一気に百年も老け込んだような疲労感を感じさせたからだ。

『元々生命エネルギー爆裂って面構えじゃなかったが……』

「さっきまではこんなじゃなかった、絶対。それに、自分の体調が変だと思ったら、ロムお爺さんはホウレンソウしてくれたはずだもん」

不用意に体の変調を隠せば、かえって利敵行為になるとロム爺はよくわかっていた。

もし、『憂鬱』の権能が過剰な負荷をかけていたり、こんな風に昏倒する兆しがあったとしたら、絶対に自己申告していたはずだ。

『権能を連発しすぎて、ロム爺の寿命を使い切ったって笑えない説は?』

「ホントに笑えないから却下……やっぱり、わたしの権能じゃないと思う。アルさんが、ロムお爺さんに何かしたんだ」

『けど、何を?』

同じ疑問の袋小路に入り込み、ペトラは『スバル』と共に答えに迷う。

この間も、『アルデバスターズ』はラムの指示の下、アルを追い込むための戦いを続けており、ペトラも思考をロム爺の昏倒にばかり割いていられない。

そう考え、ペトラは体を起こそうとして――、

「――バカヤロー! そっち優先だ!」

「――――」

そう、こちらに背を向けたフェルトに、頭から優先順位を訂正される。

目を丸くしたペトラに、『星杖』を手にしたフェルトが尖った八重歯を見せつけて、

「今のをどーにかできなきゃ、全員おんなじ方法でやられちまう」

悔しげに歯噛みしたフェルト、その言を証明するように、アルを囲い、追い詰めていたはずの『アルデバスターズ』の人員が減っている。見れば、繰り広げられる激戦に置き去りにされたものたちが、何人も地べたに倒れている。

フェルトの言いようからして、彼らが倒れた理由はロム爺と同じ――、

「ロム爺ならタダでやられやしねー! 探せ! なんかあるはずだ!」

ものの数秒、フェルトとのやり取りに費やし、ペトラはロム爺の巨体を見る。

ロム爺は抜け目がなく、フェルトの期待に応える存在でもあると思う。だから、フェルトが何かあると信じたなら、きっと何かある。

『ったって、いきなり権能ぶちかまされてたら残しようがねぇだろ……!』

「……権能、だと思う?」

『じゃなきゃおかしい! 魔法なら姉様が気付く!』

「だよね」

フェルトの訴え×ラムの洞察力への信頼。

その掛け合わせが、ロム爺を打ち倒すのに用いられたのがアルの権能と裏付ける。そして、本当にロム爺が何か残しているのだとしたら――、

「――! これ」

力なく横たわるロム爺、その体をくまなく調べたところで、ペトラは老巨人の大きな指が土に汚れているのに気付く。汚れたてのそれは、指で地面を掻いた跡だ。

倒れ、その衝撃でズレた巨体を体当たりで動かし、ペトラは転びしなにロム爺が地面に残したメッセージを見つける。

それは――、

『印? 漢字……いや、地図記号……』

「じゃなくて、もっとシンプル!」

同じものを目にした『スバル』の思案に、ペトラは高い声で待ったをかけた。

ロム爺が書き残した地面の印――それは太い横線に、短い縦の線を四本重ねたモノ。漢字でも地図記号でもなく、五つで一個とカウントする『画線法』だ。

つまり、ロム爺は意識を持っていかれる寸前――、

「――何かの、数を数えてた?」

△▼△▼△▼△

――『領域』のバグが、アルデバランの計画を侵食し始めていた。

「クソ……」

その事実の忌々しさに、アルデバランの食い縛った歯の隙間から悪罵が漏れる。

最初に倒れたのは、『アルデバスターズ』の参謀役のバルガ・クロムウェルだった。司令塔を失ったにも拘らず、すぐさま立て直せたのはペトラの権能の効果か。だが、その効果が間を潰すことなら、感情面を立て直したのは個々の地力だ。

その一人一人の心の強さを痛感するたびに、アルデバランの弱さが浮き彫りになる。

「クソ……っ」

自分の未熟を思った刹那、また一人、『アルデバスターズ』から脱落者が出た。その手に大鉈を担ったチンピラが膝から崩れ落ち、黄色い胃液をぶちまけて昏倒する。

アルデバランから反撃はしていない。できていない。基本戦術として、基礎ステータスの違いすぎるガーフィールを押し出され、反撃もままならない。なのに、着々と相手の戦力が削れていくのは、アルデバランの意図せぬバグの結果だった。

『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』

また、『魔女』の声が聞こえた。

途端、次のバグが発生して、新たな離脱者が出る。

それが、アルデバランには辛い。苦痛だ。耐え難い。――『領域』のバグがもたらす精神の摩耗、それが時に肉体の『死』よりおぞましい結末を招くことを、アルデバランは剣奴孤島で目覚めてからの日々で思い知った。

だから、アルデバランは『領域』のバグによる不本意な決着を望まな――、

「――テメーは、何を人のせいにしてやがんだよ」

「――ぁ?」

「ツラ見ねーでもわかるぜ。ラインハルトみてーに、何でも自分の責任ですってツラされんのもムカつくけどな……テメーのそれは、アイツ以上だ」

隙間を作り、突破口をこじ開けるアルデバランを、『アルデバスターズ』の人垣の向こうからフェルトが睨んでいる。彼女の鋭い紅の視線に宿るのは、嘘偽りのないアルデバランへの険しい軽蔑と怒りだった。

それは、彼女の身柄を連れ去ったときにも、ロイに『記憶』を喰うよう命じたときにも見せなかった激情で、ここまでの何が真に彼女の逆鱗に触れたのかがわからない。

家族同然の巨人が倒れたことでも、自分の歩んできた軌跡を奪われかけたことでもなく、フェルトが今、アルデバランに覚えている怒りの源泉は――、

「あのお姫様がいたときはお姫様の言いなりで、それがいなくなったら今度は別の誰かの言いなりってか? 世界中を敵に回すなんて大層なこと言ってやがるくせに、テメーにゃ自分ってもんがねーのかよ」

「――――」

心底、ムカッ腹が立っているという顔つきのフェルトの言葉に、アルデバランは微かに頬を硬くし、次いで、何も知らない小娘の戯言に怒りが湧いた。

自分がない、なんて暴言にも限度がある。アルデバランに自分がないなどと、アルデバランがアルデバランとしか名乗れない理由も知らずに、よくも言えたものだ。

憤慨が臓腑を燃やして、二の腕から先のない腕に懐かしい痛みさえ感じさせる。

こんな、役に立たない激情は投げ捨てるべきだ。得意のはずだ。割り切り、嘲り、邪魔だと嘲弄し、投げ捨てるのは。そうしたものにかかずらわり、目的を見失っては本末転倒だと、本物の生の感情と向き合わないのがアルデバランの特技――否、あの黒球から解放されてからの十八年間で身に付けた、ある種の処世術だった。

だから今回も、同じように――、

「フェルトッ様の言う通りだろォが!」「テメエのしでかしたことの報いを受けろ!」「くたばれ、馬鹿!」「もう誰もテメーの味方はいねえぞ!」「アル様、お覚悟を」「裁きの時」「豚のように鳴くがいい」「――馬鹿ね」

「――ッ」

怒涛の勢いで、アルデバランへぶつけられる罵詈雑言、軽蔑の嵐。それらをいつも通りに聞き流そうとして――思考を『圧縮』され、強引に処理させられる。普段と比べ物にならない速度に短縮された処理回路が、不要な思考を、感情を、処理してしまう。

『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』『――誰も、ボクが創った君には勝てないよ』

このままではいけないと、そう切迫するアルデバランの内側を声が塗り潰していく。それに身を任せることを厭い、アルデバランは事態の根幹にある少女を探した。

アルデバランに、万象を熟考することを強いる『憂鬱の魔女』を――、

「――何かの、数を数えてた?」

「――――」

遠目に見つけた『憂鬱の魔女』が、ペトラ・レイテが、倒れたバルガ・クロムウェルの残した何かのメッセージを見て、そう呟くのがわかった。

瞬間、アルデバランの内側からどろりと、黒く、熱い衝動が溢れ出し、言葉になる。

「――星が、悪かったんだよ」

「はん、そうだよ。誰の言いなりになるんでもねー。それが、テメーの本心だ」

アルデバランの、激情に掠れた声が紡いだ言葉に、フェルトが歯を剥いた。

それが、全然、全く、微塵も欠片も一ミリも、彼女と似ているところなんてないはずなのに、プリシラ・バーリエルが浮かべるのと同質の笑みに見えて。

悪夢だ。――それを、終わらせる。

そうして初めて、アルデバランは自発的に、『領域』のバグを引き起こした。

「――領域展開、マトリクス再定義」

△▼△▼△▼△

――神様、仏様、オド・ラグナ様。生涯、誰の親切も望まないと誓います。

△▼△▼△▼△

「――領域展開、マトリクス再定義」

そう口にしたアルの声に、確かな変化を感じてペトラは振り返った。

すでにこの戦いの間にも幾度も聞いたその掛け声は、おそらく、アルの権能の発動条件の一種なのだろう。領域に、マトリクスと、ロム爺が事前に推測を立てていた通り、アルの行える『時間遡行』は限定的な代わりに、強力な代物のように思われる。

スパンが、ナツキ・スバルの『死に戻り』より短く、しかも自覚的なのだ。

『野球ゲームで手動セーブ可能なら、例えば打席の一球ごとにセーブ&ロードして、次の球種と投球位置を覚えてホームラン連発できるよな』

「わかるけど、わかりにくい。ホントにそんなことするの?」

『ゲームの概念を、上っ面だけしか知らない子に説明するのが難しい……』

ナツキ・スバルの『死者の書』を読んだ分、上っ面よりはわかっているつもりだが、実感を伴わない『記憶』という意味では、イマジナリースバルの言うことは正しい。

スバルの『記憶』を覗き見てこそいるが、ペトラの感性はあくまでペトラのもの。無論、エミリアやレムへの態度のように、スバルの中で、それがどのぐらい大きな気持ちの割合を占めるかが物を言うわけだが。

ともあれ――、

『――目を離しちゃダメだ』

「わかってる」

声と雰囲気の変化、おそらくアルとの戦いはまた次のステージへ進んだ。

その間にも、ロム爺と同じ手法で戦力を削られているが、それでもラムやガーフィール、フェルトを中心とした『アルデバスターズ』の主力は奇跡的に健在だ。『圧縮』された思考と連携、それが大きな力になっていることは間違いなく、ペトラも、数々のデメリットに目をつぶって、『憂鬱』の権能を使い倒している甲斐がある。

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

そのペトラの意気込みを後押しするように、フェルトの鼓舞に士気が爆発する。

『アルデバスターズ』が畳みかける圧力は、確かにアルの余力を削り、精神を摩耗させ、その心身を致命的に消耗させるところまで追い込みつつあるはずだ。

あとは、どちらの気力が先に尽き、立ち続けられなくなるかの根競べ――そう、ペトラが歯を噛み、心身を奮い立たせたときだった。

「え?」

思わず、強く閉じたはずの口がポカンと開いて、ペトラは唖然となった。

それはそうだろう。なにせ、今しがただ。『アルデバスターズ』が気合いを入れ、士気も十分にアルへの総攻撃に意気揚々と乗り出したのは。――その『アルデバスターズ』の面々が、突然、将棋倒しになるように、為す術なくその場に崩れ落ちていく。

「――――」

ラムも、ガーフィールも。フェルトも、フラムとグラシスも、ラチンスやガストン、カンバリーにドルテロと、主力の面々はもちろん、『アルデバスターズ』の他のものたちも軒並み、全員が力を失い、誰も立ってはいられない。あるものは昏倒し、あるものは激しい消耗に目の焦点が合わず、あるものは人形のように硬直し、動けなくなる。

全員、全員だ。――否、立っているものが一人だけいる。

「――星だ」

倒れ伏した『アルデバスターズ』の囲いを乗り越え、足を進める人物が、自分の被った黒い鉄兜の金具を指で弄りながら、そうこぼした。

それを耳にしながら、脳の一部が痺れたような感覚を覚えるペトラは、うまく頭を働かせることができない。思考停止は、いけない。『圧縮』は、起きる出来事の合間を埋めてはくれても、空白を埋める役には立たない。

「星が、悪かったのさ」

言いながら、歩み寄ってくるアルの手が兜を離れ、立ち尽くすペトラの方に伸びる。

すぐに対処を、対応を、対策を――、

『――ペトラ! 真っ直ぐ後ろに『圧縮』しろ!!』

「――っ」

怒声のような訴えに反射的に従い、ペトラは空間を『圧縮』、大きく後ろに飛ぶ。飛びずさるよりはるかに距離を作ったペトラは膝を震わせ、岩場を挟んでアルを見た。

その視線に、アルはペトラを掴み損ねた自分の手を開閉しながら、長く嘆息。そして、ペトラと距離を開けたまま、真っ直ぐに睨み合いになり――、

「――プレイボールだ」

× × ×

「――領域展開、マトリクス再定義」

アルが、試合開始の合言葉を口にしたと思った瞬間だった。

そのアルの発言に被さるように、異なるアルの発言がそれに追随した。その、本人による同時発音のような現象に、状況を把握しようとしたペトラの脳が一瞬停止する。

が、その停滞が命取りだと、すぐに気を取り直そうとして――、

「やるぞ、テメーら!!」

「「――おお!!」」

「え!?」

直後、空間を揺るがすような勇ましい掛け声と応答があり、度肝を抜かれる。

そこに展開していたのは、先ほど、一瞬で壊滅状態に陥ったはずの『アルデバスターズ』の健在な姿だ。ラムを司令塔、ガーフィールを先鋒に、『星杖』を構えたフェルトがフィニッシャーを務める布陣で、彼女たちはアルと衝突しようとしている。

だが――、

『おい、おいおいおい、おい、これって』

愕然と、傍らに浮かんだイマジナリースバルが戸惑いを口にする。その戸惑いが、自分と同じ感触のものだとわかっても、ペトラの心に安らぎは訪れなかった。

ただ、大きな動揺を受け、引き止める言葉を口にするよりも早く、状況は動く。

「――ぅ」

それは、まさしく先ほどの情景のリフレインだった。

『アルデバスターズ』の面々が一斉に崩れ落ち、あれほど頼もしかった集団が崩壊する。強く、勇ましかったラムもガーフィールも、フェルトも倒れ伏していく中、ペトラはまたしても、ただ一人だけ残ったアルと、視線を交わした。

「星だ」

「――――」

「星が、悪かったのさ」

それも、全く同じ宣告、続く動作も全く同じもので、ペトラは促されるではなく、自らの心の情動に任せ、『圧縮』によって背後に跳んだ。

再び、距離を開いたところでアルと睨み合いになり、嘆息した彼の声を聞く。

それは――、

「――プレイボール」

――それは、終わりのないペトラ・レイテの地獄の始まりだった。