軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編第十三話 誰を愛して、何を守るか

店を出たタチアナは使用人の案内で旅に必要な商品を買い揃えた。

現在の時刻は昼近く。時間的にはそろそろタチアナの不在がバレるころだ。

とにかく少しでも早く準備をして、この国を出るようにしたい。

女性の使用人は大変優秀な方で、五分と経たずに旅行に必要と思われる必要最低限の品をタチアナの目の前に並べてくれた。しかも至れり尽くせりで旅装まで整えてくれる。

タチアナは侍女服を脱いで用意してもらった服に着替えた。使用人は深々と頭を下げる。

「機動力を重視して揃えております。こちらでよろしいでしょうか」

「すごいですね」

「慣れていますから。このくらい朝飯前です」

かっこいい、私もこういう女性になりたい。しかも気がついたときには精算まで終わっていた。なんと全部リヤさんが払ってくれるということで……太っ腹過ぎる。申し訳なさすぎてちょっとタチアナの意識が飛んで、気がついたときには国境検問所に到着していた。

「こちらが旅行用品の使い方、こちらはリヤ様の書いた旅行本『一人旅どんとこい』絶賛発売中です。よくお読みになってください。それでは道中お気をつけて。いってらっしゃいませ」

「リヤさんに、ありがとうございますとお伝えください」

「御意に」

かっこいいお姉さんはタチアナに荷物を引き渡して深々と頭を下げると、さっと姿を消した。

タチアナはうっとりと彼女の消えた先を見つめる。

声を大にして言いたい……なんて素敵、私もああいうテキパキ働く女性になりたかった!

国境検問所はいつになく賑わっている。ただ圧倒的に入国審査に人が偏っていて、出国審査は列も短く、さほど待つ必要はなさそうだ。

運がよかったなー。これならすぐに出国できるだろう。

タチアナは、ほっと息を吐いた。

列に並んで次はタチアナの番、そう思ったときだ。検問所にどよめきと歓声が上がった。タチアナは声につられて人々の視線の先を追った。

空に映える竜の姿、上空を竜騎士の操る騎竜が飛んでいる。

「王の見回りだ!」

歓声を上げて、人々は竜に向かって手を振った。

翼を広げた大きな影が地上に落ちて、タチアナは感慨深い気持ちで空を見上げる。

これが王の見回り……ちゃんと見たのは初めてかもしれないな。

竜の翼の動きに合わせ風が起きて細かい砂が舞う。タチアナは砂を吸い込まないように布の端で口元を覆った。

日の光を弾く灰紫のからだ――――ルミナは王の騎竜として天を駆ける。

威風堂々と飛ぶ姿に、かつて深く傷ついたときの痕跡は何一つ残されていなかった。じっと見つめていると、じわじわとタチアナの視界が涙でにじむ。布の端でこっそりこぼれ落ちる涙を拭った。

よかった、治療師になって。私がやってきたことは無駄ではなかった。

こうして元気になった竜を再び空へ送り出すことができたのだから。

「あなたのことは大好きだわ。魔のつくものに負けないで、怪我に気をつけるのよ」

日差しに目を細めて、タチアナは王都の上空を旋回する竜の姿を目で追った。

ここからではルミナに騎乗するハサイード様の姿は見えない。酷い目にあったけれど、二度と会うことはないからどうでもいい。タチアナと離れて赤の力の影響から抜け出せば彼はきっと正気に戻るだろう。

王としての最初の仕事はラディーカ様に謝罪するところから。

今まで好き勝手言っていたみたいだし、許してもらえるといいわね。

そうだ、許すといえばもう一つ。

ハサイード様はタチアナのことを竜の守る娘なんて勝手に言っていたけれど、ルミナがタチアナのバルコニーに居座った本当の理由は全然違うのだ。

タチアナを守るためではなく、暇さえあればハサイード様がタチアナの部屋に入り浸るから、かまってほしくて会いに来ていただけだった。

「思い込みが激しいというのか。説明しようとしたのにハサイード様は全然人の話を聞かないのだもの」

誠意と、献身。タチアナは騎竜と竜騎士の互いを思い合う姿に憧れたのだ。

信頼を取り戻すべく、愛想を尽かされないうちに、こちらもがんばってほしい。

王都の上空を旋回してルミナは王城へと戻っていった。人々は平静を取り戻し、再び列が動き出す。

ちょうど教会の昼を知らせる鐘が鳴った。

一見すると王城は落ち着いている。でも内部では今ごろ大騒ぎになっていることだろう。

いくらなんでもタチアナの起床が遅いということで侍女達が寝室を開けてみたら、服や小物、高価な贈り物がすべて残されたまま当人だけ不在という摩訶不思議な状況になっているはずだ。

ちなみに普通に逃げるのは癪なのでタチアナは夜着を人型に脱いで、食べかけの食事と飲みかけの紅茶を置き、まるで忽然と人だけが消えたかのような状況を演出してある。

これはタチアナの置き土産で、目くらましでもある。

タチアナは悪女の振りをしながら、竜の乙女を擁護する者、悪女と嫌悪する者、思惑を抱えた貴族という三つの勢力を生み、王城内に混沌を作り出した。

逃亡、失踪、もしくは誘拐。すでに儚くなっているかもしれない。

人々は好き勝手にタチアナの末路を想像して犯人探しを始めるだろう。

だが調べるほどに誰もが怪しいが、どの人物も決定打には欠ける。実際、タチアナと深く関わりを持った人物は皆無だ。正解なんて最初からない。

証拠もなく、時が過ぎてタチアナの捜索を断念するというのが一番望ましい。

ちなみに悪女らしく、赤いソースか赤インクで寝室を凄惨な事件現場にしてしまう嫌がらせも一瞬考えたが、これではどう考えてもタチアナの関与が疑われてしまうのでやめた。

タチアナはしばらく王城を眺めていたけれど、やがて興味を失って前を向く。

「幸せにしてもらわなくても、今の私なら自分で幸せになれるから心配しないで」

タチアナが愛する人は自分で決める。ハサイード様のことも、竜騎士のことも正直なところどうでもいい。離れてしまえば、もはや忘れる一択だ。

愛が裏切られて復讐心が生まれる。どこにあるんだ、そんな愛が。

復讐するなんて情熱を、幻想のような無償の愛を求めないでほしい。

タチアナが願うとすればそれだけだ。

「次の方、こちらへ」

「はい!」

ようやくタチアナの順番になった。

流れるように旅券を提示して、止められることもなく門を出る。どことなく上の空な兵士達はタチアナだけでなく、他の人についても旅券の内容を確認しているのか疑いたくなるほど呆気なく出国許可の印を押している。

あれでは誰が出て行ったか、記憶に残らないだろうな。

門を出て、タチアナは押印済みの旅券を日差しにかざす。

「ありがとう、おばあさま……いいえ、お母さん!」

こうしてタチアナは無事に竜王国から出国した。

――――

街道から横道にそれて、小高い丘に登る。

タチアナの視界が一気に開けた。そして視界の端に小さくトゥテ飛竜研究所の姿が見える。

「本当はあの場所で、ずっと働きたいと思っていたのだけれどな」

今ならわかる、研究所は治療師を竜騎士から守る砦だった。

治療師が竜を癒し、研究の手伝いをして、策略や悪意とは無縁の場所でのんびりと生きるための場所。

「誰でもいいから竜騎士には気をつけろと教えてくれてもよかったのに。それとも研究所ができてから長い時間が経ち過ぎて知識が失われてしまったのかな」

あの場所で竜を癒しながら、いつかは素敵な誰かと恋をして。多少は波風が立っても全般的にはおだやかに一生を終えるとタチアナは思っていたのだ。

ところがせっかく故郷を離れたのに竜王国でもうまくいかなくて、こうしてまた国を出る羽目に。

人生二度目の住所不定、無職。これでは順風満帆とは到底言えない。

タチアナは眉を下げた。

おばあさま、天国で心配しているだろうなー。

けれど放浪しながら一生を終えると考えたとき、なぜかタチアナはそれも悪くないと思ってしまった。

「だって竜には翼があるから。彼らを癒すのは研究所でなくてもできるものね」

タチアナは彼方で悠々と飛ぶ野生の竜の姿を追って空へと手を伸ばした。

甘えん坊のルミナ、誇り高いエンリル、そのほかの騎竜達も。騎竜であるうちは会えないけれど、契約が切れて縛られるものがなくなれば彼らは自分の好きな場所に飛んでいくことができる。

そのときタチアナが生きていたら、ぜひ探して会いにきてほしいものだ。

もう一度、タチアナは研究所に視線を向ける。

所長にも研究員にも親切にしてもらったし、本当はいろいろ伝えたいことはあった。けれど彼らを巻き込まないようにと考えると接触するのは悪手だ。けれど無事だと伝えられないのも大変心苦しい。だから自己満足ではあるけれど、退職届の代わりにタチアナは建物に向けて深々と頭を下げた。

「治療師タチアナ、一身上の都合により退職します。お世話になりました」

ごめんなさい。退職理由については、これ以上ふさわしいものが思いつかない。

「よし、これで心残りはないわね!」

前を向いたタチアナは、一度も振り返ることなくスワラティ竜王国を後にする。

再び街道に戻り、さらに道を外れて。強力な魔獣や魔物が跋扈するという魔の森をタチアナはためらうことなく突き進む。

「ああ、このじめっとした薄暗い森の感じが落ち着くわー」

今のタチアナは貴重品を携えている。呑気に街道を歩けば強盗や置き引きなどに狙われるだろう。人買いだっているだろうし、戦闘力皆無のタチアナにとって街道はむしろ危険しかない場所だった。

逆に人の寄りつかない魔の森こそ安全地帯、魔獣や魔物がタチアナの護衛代わりだ。

歩き続けて、森がぽっかりと開けたところでタチアナは立ち止まった。足元には柔らかな草が生えて、寝転んでも気持ちよさそうだ。涼やかな風が吹き抜けて木々は若芽を揺らす。

「魔の森の奥にこんな癒される場所があるなんて思わなかったわ」

タチアナは周囲を見回した。念には念を入れて、もう一度。

現時点でスワラティ竜王国からは十分に距離を稼いでいる。周囲には旅人なし、盗賊なし。ついでに寄ってくる魔物や魔獣は駆逐した。つまりここは今、人だけでなく魔もいない。

そうなれば、やることはただ一つ。

満面に笑みを浮かべて、タチアナは鞄を放り投げた!

「やったー、やってやったわよ。おばあさま、タチアナはついに逃げ切りましたよー!」

そう、溜まった鬱憤を全部吐き出して全身で喜びを表現することです!

タチアナはその場でくるくると踊り出す。

「ああもう、最高!」

タガの外れたような笑い声を上げてタチアナはくるくると踊る。

踊り疲れたタチアナは地面に腹ばいになり、そのまま柔らかな草に頬を擦りつけた。

「素敵、大地の匂いがするー。足元がグラグラしないし、常にフワッと浮遊しているような気持ち悪い感覚もない。何よりも安定感と安心感が桁違いなのよ。この足が地につく感じが最高、今なら地面と結婚してもいいわ」

軽やかに笑いながらゴロゴロと草の上を転がる。

柔らかな草を堪能したタチアナは起き上がって、今度はその場で座り膝を抱えるとブツブツつぶやいた。

真っ黒いものを背負って、完全に瞳孔が開いているのが自分でもわかる。

「あの男、何が真実の愛よ。国が定めた婚約者がいる時点で立派な浮気じゃない。しかも私が悪女と呼ばれているのに噂をもみ消すわけでもなく、否定もしなかったわよね。私に近づく人間を排除できるし自分に都合がいいからなんでしょうけど、そんな相手を誰が好きになると思っているのかしら。最愛の人が悪女と呼ばれているのを許している時点で叫ぶ愛が偽物だって丸わかりなのよ。塩対応すらも『照れている』に歪曲して、気持ち悪い。頭の中に花が咲いているんじゃないの⁉︎」

大事なことだから言う、タチアナはなりたくて悪女になったわけじゃない。

空気を読まずに場を引っかき回すのも、故意に人を振り回すのも苦手だし、ついでに陰口を叩かれるのも、こわがられて遠巻きにされるのも傷つく普通の娘だ。

再び腹這いになって地面を叩き、泣きながら大地に怒りをぶつける。

「たしかに就職の条件が良すぎると気づきながら仕事を受けた私が悪いわよ。でもね、でもね……竜を助けたら貞操の危機って、絶対におかしいでしょう。良いことをしたのよ、それが一体何の罰? 神様の試しだって今じゃなくてもいいでしょう。どうしてくれるのよ、すぐにでも逃げたいのに下準備だけで一年も掛かったじゃない!」

緊張が完全に切れて、どこから見ても完璧な情緒不安定だ。

タチアナは極めつけに顔を両手で覆って泣き出した。

「もうやだぁ……こわかったよ、おばあさまぁ」

そのときだった、脇からスッと布が差し出される。

ピタリと泣き止んだタチアナがゆっくり顔を上げると、見知らぬ女性が若干困惑をにじませた顔で微笑んだ。

「大丈夫、話聞こうか?」

彼女の背後には剣を携えた男性が同じような表情をして立っている。

しまった、おかしくなっている姿を見られた。

タチアナの脳がようやく状況を理解する。勝手に誰もいないと思い込んでいたが、実は近くにいたらしい。あわてて立ち上がると軽く咳払いをして乱れた衣服を整えた。

タチアナを国境検問所まで導いてくれたかっこいいお姉さんの真似をして、とにかく冷静に対処する。

「お騒がせしました、決して怪しい者ではありません」

「えっと、そうなの?」

「はい。少々取り乱しただけです、お気になさらず」

「髪に毛虫がついているわよ、ついでに涙でお化粧が溶けて顔は泥だらけだけれど……本当に大丈夫?」

女性の憐れみを含んだ視線が突き刺さる。

次の瞬間、魔の森にタチアナの悲鳴が響いた。