作品タイトル不明
番外編第十二話 トゥテ飛竜研究所の秘蔵っ子と、金貸しとおばあさま
「ようやく着いた、リヤさんの店!」
古びた一軒家、看板も出ていないこの店は竜王国の裏を凝縮したようなところ。
物騒な場所のはずが、笑顔でほいほいと出入りしていたおばあさまの影響で、タチアナにすれば近所の知り合いの店に遊びに行くくらいの感覚だった。
「……さすがにもう瞳の色は紫に戻っているよね?」
王城を出て、通用口が見えなくなったところでタチアナは内側を白く塗り替えていた。
あれが試しだというのなら、赤の力を使い、王城を脱出した時点で試練は終わったはず。タチアナは店の入口にあるガラスをのぞき込んだ。
白黒だけれど、淡く薄い影のような色合いの瞳が映っている。
タチアナはほっと息を吐いて思わずその場に座り込んだ。
「この感じ、間違いなく紫だ。ああもう酷い目にあったわ」
「これ、タチアナ。そんなところに座り込んでいないでさっさと店に入っておいでよ」
カラリと木戸を開ける音がしてタチアナが顔を上げると、呆れた顔をしたリヤさんが入口から顔を出した。
怪訝そうな顔、丸メガネの隙間から茶の瞳がのぞく。
タチアナは侍女服のエプロンとスカーフを外して、黒のワンピース姿になった。彼女の後ろについて入口の脇に置かれた鏡を見ると黒髪に紫の瞳をした自分がいる。
「それにしてもリヤさん、この格好でよく私だってわかりましたね。私の普段着といったらシャツに長ズボン、それから研究所で支給される白衣でしょう?」
タチアナは服にこだわりがなく、いつも同じ格好ばかりしている。
研究員は皆、そんな感じだから王城に連れて行かれるまでは気にしたこともなかった。
「この店に近づく者がいるときは知らせが来るんだよ。知らせてきた者がね、タチアナだって教えてくれた」
彼らは服装で誤魔化されない。身長体型、顔の輪郭、腕の長さなどから相手が誰か識別できる。
リヤの言葉に、タチアナは静かに青ざめた。
もし彼女の部下達が相手だったら、タチアナは王城から逃げることはできなかっただろう。
にこりともせず、リヤは店主の定位置である机の前に座った。
「ざっと一年ぶりだね。で、今日はどんな用事だい?」
「今まで預けていたお金を受け取りに来ました」
タチアナは真面目な顔でそう答える。リヤはすっと目を細めた。
「タチアナのものだし、かまわないが。何に使うんだ?」
「旅行資金にします」
「旅か、どこへ行く?」
「まだ決めていませんが……少なくとも、この国には戻ってきません」
一瞬言葉につまって、でも次の瞬間にタチアナははっきりとそう答えた。
迷いのない眼差し、それを一寸見つめていたリヤはふっと表情をゆるめる。
「子供が大人になるのは早いねぇ」
「えっ、私が成人してからけっこう経ちますよ?」
「独立する、そういう意味で大人になった。さて、ちょっとお待ち」
リヤは奥から木箱を二つ持ってきた。
タチアナが受取証書に署名をすると二つのうち、まず一つをタチアナに手渡す。
開けてみるとそこには驚くくらい現金が詰まっていた。
「それは全部タチアナのものだ」
「嘘でしょう、こんなにたくさん」
「運用を任せてくれたからね。こっちもいろいろ試せて楽しかったよ」
タチアナが苦笑いを浮かべるとリヤは眼鏡を光らせてニヤリと笑う。
こういうときにタチアナはこの店の闇を感じるのだ。
それからリヤはもう一つ、木箱をタチアナに渡した。
「これは?」
「おばあさまから預かった。これもタチアナにあげる」
「え?」
「一つずつ、一つずつ。おばあさまがタチアナと旅行に行くために揃えていったものだ。預かったときにね、おばあさまはこうも言っていたんだよ。『いつまで元気でいられるか自信がない。だから魔獣の大移動が終わっても私が取りに来なかったら、いつかタチアナにあげてほしい』とね」
リヤの表情に翳りが生まれる。タチアナは息を呑んで、彼女の横顔を見つめた。
……おばあさま、こんなに楽しみにしていたんだ。
目元に涙を浮かべたタチアナにリヤは柔らかな眼差しを向ける。
「開けてごらん。きっと今のタチアナに必要なものが詰まっているはずだ」
そういえばおこづかいの他にもう一つお店に預けているものがあると、言っていた。
震える手でタチアナは木箱の蓋を開ける。
「これは」
「おこづかいと、タチアナの旅券だ」
旅券を広げたタチアナの視線が一点に釘づけとなる。
保証人の欄におばあさまの名前がある。そして、その隣には。
「続柄、子。つまり私がおばあさまの娘という意味ですか?」
「年齢的には祖母と孫だろうって説得したのだけれどね。どうしてもタチアナを娘にしたかったんだって。この国の法律ではたとえ血のつながりがあっても祖母が孫の保証人にはなれないと決まっているから」
けれどタチアナとおばあさまには、そもそも血のつながりはなかった。
「それでもあの人はね、無理を通してでもタチアナと家族になりたかったんだよ」
書類上だけでもいいから、タチアナと家族になりたい。
そんなおばあさまの願いを叶えるためにリヤもちょっとばかり力を貸した。
「安心していいよ。手間も時間もお金もかかったが、正規の手続きを踏んだ本物の旅券だ」
「おばあさま……」
「旅券はそのまま身分証の代わりにもなる。これがあれば他国で就職もできるだろうし、家だって借りられるだろう。もちろん好きな人ができたら結婚をして、いつかもっと大きな家族ができるかもしれない。よかったね、きっとこれからのタチアナの人生で助けになる」
家族を失ったタチアナに新しい家族を。
理解した途端、タチアナの瞳から涙がこぼれ落ちる。
頬杖をついて柔らかな微笑みを浮かべたリヤはタチアナの瞳をのぞき込んだ。
「世の中にはまがい物の愛があふれている。おばあさまの愛を本物にするかはタチアナ次第だ。大事に生きるんだよ」
鼻を啜るタチアナに鼻紙を差し出して、リヤは手早く木箱のお金をまとめる。
古ぼけた財布にざっとお金を詰めてタチアナに渡した。
「危ないから残りは口座に預けてあげる。この番号をギルドで照会すれば他国でも引き出せるよ」
紙に書いた番号を手渡しながら、リヤは小さく笑った。
「さあ、もうお行き。今日は戴冠式と結婚式のおかげでどこも賑わっている。身の安全のために使用人を一人つけてあげるから身支度を整えて、国境検問所に向かうといい。そこから先は自分一人の力でがんばりなさい」
「ありがとうございます、何から何まで」
「おばあさまには借りがある。このくらいはしないと旦那にも叱られてしまうよ」
過去を懐かしむように笑って。リヤは木戸を差した。
「そうだ、旅行のついでにおばあさまが行きたがっていた温泉へ寄るといい。それが恩返しにもなる」
「そうします。お世話になりました、リヤさんもいつまでもお元気で!」
「悪名高い金貸しの婆さんに元気でというのはタチアナくらいだよ。長生きはするものだね」
目を見開いて、リヤは軽やかに笑った。
タチアナは深く頭を下げると、使用人と一緒に店を飛び出していく。
――――
誰もいなくなった店内で、指揮棒のように指を振りながらリヤは笑った。
「私の見立てによると、旅に出る理由は男だね。トゥテ飛竜研究所の秘蔵っ子も隅に置けないな」
リヤ自身も若いころに使用人だった夫と恋に落ち、駆け落ちしてこの国に逃げてきた。だから何となくわかる。ただ残念なことに、タチアナの顔は女が厄介事から逃げるときのものだけれど。
おばあさまとの出会いはリヤが夫と共にこの国に逃げる途中で魔獣に襲われたところを救われたときだった。
「あのときのおばあさまは、女の私から見てもそれはもう惚れ惚れするくらいかっこよかったわ」
鮮やかに魔獣を駆逐する姿が素敵だったと、思い出したリヤはうっとりとした顔でため息をつく。
おばあさまはその後も隙を突いて襲ってくる魔獣や魔物を退けて、安全確実に二人をこの国まで送り届けてくれた。さらにリヤと夫がこの国で商売ができるようになったのは、いち早く馴染めるように手を尽くしてくれたおばあさまのおかげ。
恩人が大切に育てた秘蔵っ子だ、リヤにとっても大事な娘。
そういえば、おばあさまはタチアナのことをこう言っていたっけ。
「魔力量は多くないけれどタチアナは一滴もこぼすことなく丁寧に魔力を使い切る。仕事の丁寧さは、相手への敬意であり優しさだ。そういう治療師は竜に愛される。竜に愛されるということは、間違いなく神にも愛されている証拠なのだよ」
たしかにちょっとばかり人より運がいいのだよね、あの子は。
神に愛されしトゥテ飛竜研究所の秘蔵っ子。多少便宜を図ったとして罰なんか当たるものか。
「本当はもっと助けてあげたいけれど、かわいい子には旅をさせるものだと言うからね。それに私がこれ以上に手を出しては逆にあの子が危険だ」
旅券は正規のものではあるが、おばあさまの願いを叶えるためにいろいろ細工した。今になってみるとタチアナの存在を消して、旅の行き先を曖昧にできるだろう。
我ながらうまい手を考えたものだ。
スワラティ竜王国の深く黒い闇はリヤの領分。何をしたかなんてタチアナは知らなくていい。
「さあ、最後の仕上げだ」
リヤは机の上にある蝋燭の火でタチアナの署名した受領証書を燃やした。そしてパチンと指を弾く。
魔法が発動して、灰も残さず一瞬にして紙は消え去った。
「これでよし。ここにタチアナという娘は来なかった。この店とも一切、関わりはない」
情には情を、恩には恩を。
そして愛には愛を返す。そんなこと、至極当然のことじゃないか。
リヤはいつもの皮肉げな笑みを浮かべて帳簿をめくる。
「さて相手の男はここまでたどり着くことができるか。顔くらいは拝ませてもらいたいものだね」