作品タイトル不明
第十六幕 始まりの合図は三回扉を叩くこと
エリティアは怪訝そうな顔をして侍女と護衛に視線を向ける。
「誰、今のは」
「いえ、私ではありません」
「では一体誰が」
三人が不安そうな表情で周囲を見回したときだ。
不穏な空気を切り裂いて、部屋に男の声が響く。
「おいアンジェリーナ、気を抜くな」
声の主が護衛ではないことに気がついてエリティアは青ざめた。
彼らの視線が椅子に座るアンジェリーナへと引き寄せられる。
いつのまにかアンジェリーナの椅子の横には男――――アレスティオが立っている。彼の手に握られているのはジルベルトが置いて行った魔道具、リゾルド=ロバルディア王国特製の姿を消す効果が付与されたペンダント。
手のひらを彼に向けてアンジェリーナはにっこりと笑った。
「この場に私一人だとは申し上げておりません」
「だましたわね、ずるいわよ!」
「ずるいとおっしゃいますが、一人を三人で囲むのは卑怯というものです」
侍女が青ざめた顔でエリティアに寄り添うと、護衛が二人をかばうように前に出てアレスティオを睨みつける。
「きさま、どこから湧いて出た⁉︎」
「この距離で吠えるな。こわがっているように見えるぞ」
鼻で笑ったアレスティオに、アンジェリーナは苦笑いを浮かべる。
緊迫した場面で、相手をあおるのは彼の悪い癖だ。
からかわれたとわかって護衛は顔色を変えた。
「何者だ!」
途端にアレスティオが呆れた顔をした。
「他国の王族の名前と顔くらいは、王女付きの近衛騎士なら知っていて当然だと思っていたが……この国は違うのか」
「さっきから言わせておけば、さっさと名乗れ!」
伏せていた目蓋を開けて、アレスティオは護衛と視線を合わせる。
虹彩は太陽のようなオレンジ色、角度によって金や銀の光が混じっている。瞳孔が縦に割れた独特の瞳が露わになって、護衛は息を呑んだ。
「目の色がファイアオパール――――スワラティ竜王国、アレスティオ=スワラティ第三王子殿下です」
隣に立つ侍女が告げた名を聞いてエリティアは鼻で笑った。
「ふふ、面白いわね。でもあなたに見られたからってどうということはないわ。我々はこの娘に危害を加えたわけではないもの。お話ししただけよ、そうでしょう?」
「そうですね、今のところはまだ脅し文句ともとれる台詞を口にしただけです」
エリティアはアンジェリーナに視線を向ける。彼女の刺すような視線を軽く受け流してアンジェリーナはのほほんとした顔で答えた。
すると三人はあからさまにほっとした顔をする。
けれどアレスティオは薄く笑って、表情を消した。
「残念だが安心するのは早い。我々はこの部屋にあなたが押し入ったという状況証拠さえあればいい」
「は?」
「今必要なのは、証言が握りつぶされない身分。他国でも王子なら十分でしょう」
言っている意味がわからない。そんな顔をした彼らにアンジェリーナは部屋の内側に視線を巡らせてから、ニイと笑った。
「さっき伝えましたよね。ここは ジ(・) ル(・) ベ(・) ル(・) ト(・) 様(・) の(・) 部(・) 屋(・) なんですよ」
「……え?」
「王女殿下は、第二王子殿下にジルベルト様との接触を禁じられていましたよね。女性が男性の部屋に押しかけることを世間では何というのでしたか」
「一国の王女がずいぶんと大胆なことだ。しかも侍女と護衛を連れて、窓と扉を締め切った密室の中で何をするつもりだったのやら」
ようやく意図に気がついたのか、三人の顔色が変わった。
ここから追い詰めるのはアレスティオの役目。アンジェリーナは無言のまま、この人達気持ち悪いという目線で援護する。
「王女殿下は男性を口説くために宿まで足を運んだが不在だった。そこでこれ幸いと許可もなく部屋に押し入り騒ぎを起こした。知られたら貴族女性にとって致命的な醜聞でしょうな」
「それは、娘がこの部屋がいいと言ったからよ!」
「それではここに来られた本当の目的をお話になられては? それはそれで叱られそうな気がしますけれどね」
硬貨の入った袋を視線で指しながらアレスティオが冷ややかに笑った。
どちらにしても詰んでいる。それと気がついて、目の前にいる三人の顔色がさらに悪くなる。アンジェリーナを睨みつけていたエリティアの表情が歪んだ。
「……謀ったわね。うまく事が運んでさぞかし喜んでいることでしょう!」
「とんでもない。王女殿下が何もなさらなければ、何も起きなかった。その程度の話です」
アンジェリーナとしては、あくまでも保険のつもりだった。
ジルベルトが呼び出されて不在にすれば誰かが接触するかもしれない、そんなふうに予想しただけだ。もちろん、この時点では王女自ら突撃してくるなんてことは欠片も想定していない。
「この期に及んで私に会いにくるなんてないですよねー」
「まさか、そこまで愚かじゃないだろう」
「それでも何かあったときの合図くらいは決めておくか」
同じく留守番組のアレスティオが提案したので、アンジェリーナは事前にジルベルトを間に挟んで軽口を叩きながら、さらっと打ち合わせしておいたのだ。
始まりの合図は扉を三回叩くこと。
それがノックもなく、いきなり扉を開けたときはアンジェリーナも焦ったけれど、アレスティオは廊下で押し問答をしている気配だけで察してくれたらしい。
彼は万が一のためとジルベルトが貸した魔道具を使って、屋根を伝い、窓からひと足先にジルベルトの部屋へと潜入していた。
いつになく真剣な表情でアンジェリーナはエリティアと視線を合わせる。
「これ以上、大事にする気はありません。ジルベルト様に手を出さないでください。私が望むのはそれだけです」
「……なぜ、おまえがそれを決める」
「私が守るものは、私が決めます。ジルベルト様……、ジルは私が守る人です」
アンジェリーナが言い切った途端、エリティアの柔らかな茶の瞳の奥で、憎しみが燃え盛る炎のようにちらついた。彼女の醜く歪んだ顔が近づいて、アンジェリーナにだけ聞こえる声でささやいた。
「勝ったつもりでいるのでしょう、愚かな娘」
「何が言いたいのです?」
「あなたのジルは、果たしてこのままあなたを好きでいてくれるかしら?」
薄く笑ったエリティアに、嫌な予感がしてアンジェリーナは青ざめた。
言っている意味がわからない。けれどジルベルトの身に何かが起きている、そんな予感が増した。勝ち誇った顔でエリティアは口角を上げる。
「あなたは知らないでしょう。彼が今日何のために兄に呼ばれて、何を話し、そして何を口にするのか。でもね、それを私は全部知っている」
「ジルに何をしたのです!」
青ざめたアンジェリーナの顔に近づいて、エリティアは耳元でささやいた。
「特別に教えてあげる。ヴェルニローザ呪王国製の特別な薬があるの。その呪い薬を飲んだ人間は、特定の人間に関する記憶をすべて忘れてしまう。あなたの瞳と同じ、まがまがしい紫色の瓶に入れて取引されるのが特徴なのよ、知っているかしら?」
「まさか呪術師の忘却薬……」
「知っているなら話が早いわ。飲ませるときに複雑な手順があるのは面倒だけど、必ず呪いの効果を発揮する。もうそろそろ忘れているのではないかしら、あなたのことなんて、全部」
ふふっと笑って、エリティアは窓の外を指した。
その仕草でアンジェリーナは宿の外に喧騒が近づいてきていることに気がつく。それが誰のものかなんて、思い当たる人物は一人しかいなかった。
ガタンと大きな音を立てて、アンジェリーナは椅子から立ち上がった。
「なぜこんなことを!」
「魔除けの聖女、アンジェリーナ。あなたが噂と違って無能で役立たずでないのなら、なぜ私の婚約者は魔獣に襲われて死んだ?」
「は? でも、それは」
「いいことを教えてあげる。絶望とはね、足掻いても逃げ出せない水底のようなもの。深く暗い水の底に、あなたの大切な人を引きずり込んであげるわ」
絶望が、人を魔物にする。
姿形は魔物と違っても、エリティアの心は魔に染まっていた。それと気がついて、アンジェリーナは一気に背筋が寒くなる。
とりつかれたような暗い眼差しをして、エリティアは椅子から勢いよく立ち上がった。
「守るものは私が選ぶですって? 冗談じゃない、おまえに私の人生を決める権利はないわ。だったらおまえも愛する人間を失って絶望すればいい」
勝ち誇った顔で、エリティアは高らかに笑った。
「巷で話題の真実の愛とやらは勝つのか。さあ、試してみましょう?」
アンジェリーナが止める間もなく、護衛が開けた扉からエリティアは足早に宿の外へと駆け出していく。呆気に取られたアンジェリーナは、一歩遅れてアレスティオとともに外へと飛び出した。
「ジル!」
見慣れた背中を見つけて、思わずアンジェリーナが叫んだ。同時に視界には、とんでもない光景が飛び込んでくる。
こちらに背を向けたジルベルトを絡めとるように、あろうことかエリティアが抱きついていたのだ。
硬直したように動かないジルベルトの首に手を回すと、エリティアは毒のような甘い言葉を注ぎ込む。
「私を好きになって、 お(・) 願(・) い(・) よ」
切なる願いを込めて、エリティアはジルベルトの耳に注ぎ込んだ。それから青ざめたアンジェリーナの顔を見て、もう一度耳元に唇を寄せる。
「魔除けの聖女なんて忘れて。ね、 お(・) 願(・) い(・) 」
アンジェリーナの顔から血の気が引いた。
繰り返し、繰り返し。注ぎ込まれる甘い毒のような願い。
――――あの声で繰り返し『願えば叶う』。そういう質のものだ。
ジルベルト自身の言葉がアンジェリーナの心臓を激しく揺らした。
あの美しい声で、何回願えば叶うのか。今、忘却薬の効果は?
私のことは……本当に覚えている?
想像するほどに、嫌な考えばかりが浮かんだ。
動けないでいるアンジェリーナの視線の先で一瞬身を震わせると、ジルベルトの手が動く。その手の動きが、アンジェリーナの目にはまるでエリティアを抱きしめるかのように動いて見えた。
アンジェリーナの鼓動が早くなって嫌な音を立てる。
ジルベルトが他人を警戒するときの冷ややかな眼差し。それが自分に向くかと思うと耐えられなかった。
そしてもっとも耐えがたいのは、甘くとろけるような眼差しが自分以外の人間に向くこと。
――――おばあさまのときのように、私はまた愛する人を失ってしまうのか。
視線の先でジルベルトが振り向こうとしている。振り向いたとき彼の眼差しがどんな色に染まっているのか、そう思うだけでアンジェリーナの心臓は限界だった。
無理、これ以上は無理よ。
ジルベルトが完全に振り向く前、アンジェリーナは背を向けて走り出した。
「アンジェリーナ!」
アレスティオのあわてたような声が聞こえたけれど、どうしてもアンジェリーナは振り向くことができなかった。
――――
アンジェリーナが逃げ出したのを見てエリティアは口角を上げる。
真実の愛に勝った、そう思ったから。
騒ぎを聞きつけて何事かと周囲に人が集まってくる。
「アンジュ?」
だから完全に振り向いたジルベルトが、エリティアを手荒く引き剥がし、アンジェリーナの愛称を呼んだのを聞いて血の気が引いた。
「おかしいでしょう、どうして!」
エリティアの疑問は無視してジルベルトは声を張り上げた。
「衛兵!」
「は、はい!」
誰かが通報したのだろう、駆けつけてきた巡回の兵士達がジルベルトの元へと走ってきた。ジルベルトの迫力に圧倒されたようで、直立不動で整列する。
ジルベルトはそのままエリティアを彼らの眼前に突き出した。
「この女性は同意なく男性に抱きつき、危害を加えた。傷害行為で現行犯だ、連れて行け。ついでにそっちの侍女と護衛らしき男は仲間だろう。まとめて連行するんだ」
「ちがうわ、私は王女よ。こんな扱いは不敬です!」
侍女と護衛が取り押さえられて、エリティアが悲鳴のような声を上げた。王女と聞いた兵士の手が一瞬止まって、周囲がざわめく。けれどジルベルトは冷静に言葉を切って捨てた。
「傷害は立派な犯罪行為、そんな行動を一国の王女がするわけがない」
「は、え、ですが王女」
兵士にすれば目の前にいる女性は顔も姿形も王女の絵姿にそっくりだった。
けれど真っ青な顔をした兵士の言葉を上書きするようにジルベルトは声を張り上げる。
「淑女教育の最高峰を王女は受けている。公衆の面前で人目も気にせず、はしたなく男性に抱きつくなんてありえないだろう。つまり、この女性は王女を詐称するよく似た偽物だ。それとも……」
言葉を切ったジルベルトは、気合を込めて兵士をにらんだ。
「これがラグイアーナ王国の王女だと言い張るのか!」
「いいえ、違います!」
気合い負けした衛兵は直立不動で即答した。
想定外の展開に呆然としていたエリティアは叫んだ。
「違わないわ。私はエリティア、王女よ!」
「ちなみに王女を詐称する者は極刑だ、連れて行け」
「は、はい!」
ジルベルトが特務部隊隊長だったころの態度で立て続けに指示を出すと、兵士達はあっさり従った。兵士は騒ぐ王女の腕をつかみ、抵抗する護衛と侍女を縄で縛る。
途端に興味をなくしたジルベルトは背を向けた。
兵士のうち一人が、こっそりジルベルトの姿を盗み見て別の兵士にささやいた。
「おい、あの方はどこの隊に所属する隊長だか知っているか?」
「知らん、だがあれだけ指示に慣れている人間が一般人ではないだろう。きっと俺達が知らないだけで隊長格の誰かだ」
「それもそうか」
それ以上は疑問に思うこともなく、指示に従う兵士達を見てアレスティオは苦笑いを浮かべる。アンジェリーナを探すために、走り出そうとしたジルベルトへと視線を向けた。
「悪い奴だね」
「だましたわけじゃない、彼らが勝手に勘違いしただけだ。それよりもアンジュはどっちの方角に行った?」
「あちらですよ、すごい勢いで走っていきました」
背後から聞き慣れた声がして、ジルベルトは振り向いた。視線の先にはジャミルが顧客と思しき女性に付き添っている。彼の指先は大通りを示していた。
「後始末は我々が引き受けます。私も第一王女殿下に言いたいことがあるので」
ジルベルトは無言でうなずくと、小さく見えるアンジェリーナの背中を追って走り出した。可能な限り速度を上げてジルベルトは走ったけれど、人の波を器用にくぐり抜ける黒と紫の小さな背中は、追いつけそうで、どうにも追いつけない。
背を追いながら、ハッと気がついてジルベルトは唇を噛んだ。
「……そうか、アンジュの足が速いのは人から逃げるためか」
人と戦う術を持たない彼女は、逃げることでしか自分を守ることができなかった。
大事なことを、こんなふうに気づかされるなんて。
焦りをにじませて、ジルベルトは見失わないようにと速度を上げた。
後悔も、懺悔も。まずは捕まえてからのこと。