作品タイトル不明
銀狼とギルド受付嬢の婚約騒動 5
予想に反して、ローグウェイは、ものすごく迷惑そうな顔をしてこちらを見た。
「はぁ。お前ら……なんで来た」
整えられた部屋にいるローグウェイは、暴力を振るわれたような形跡はなく、エレナはほっと息を吐く。
だが、少なくともローグウェイは、その足を鎖で柱に止められ、魔法が発動できないように、魔道具の首輪を付けられていた。
「なんでは、こっちです! どうして黙って連れていかれたんですか」
「――――それを聞いてどうするんだ。エレナ? お前は、ハルト公爵家の人間だ。ローグウェイの人間である俺に関わってはいけないだろう。ギルドの解雇通知も出しておいた。その姿を隠すことなく、レイ・ハルトのそばなら幸せになれるだろうから、帰りなさい」
その時、太陽の最後の光が、遠くの山並みに沈んでいった。
ローグウェイは、その瞳をそっと片方の手で覆い隠した。
「なあ、頼む。アーノルド、連れて帰ってくれ」
「――――ギルド長への恩は、俺も返せてはいません。あなたがいなければ、俺はとっくに野垂れ死んでいた」
「……そうだな。なら、俺の救った命をドブに捨てるなんて許さん」
「はっ、恩人を助けるために使うなら、ドブに捨てたなんて言えません」
部屋に魔道具の明かりが灯る。
ゆるゆると、ディアルト・ローグウェイが、その瞳をエレナとアーノルドに向けた。
「――――ああ、夜が来たか。残念ながら、魔道具は手元にない。覚悟しろ」
「ぐっ?!」
あっという間に、黒い文様が、その腕を覆っていく。右目の周囲の文様は、まるで呪いを受けたかのようだ。そして、鷲のようなかぎ爪。そして、黒から色を変えた禍々しい紅の瞳に見つめられた瞬間、アーノルドが膝をついた。
身動きをとることができないらしい、アーノルドの上半身をエレナは抱き起した。
「――――これは」
荒い息の隙間から、ようやくといったふうにアーノルドが声を出す。
「エレナとは、反対の力だろう。精霊から見放された存在だ。俺は」
瞳の色を変えて、今見えている手の甲も、右目の一部も蔦のような黒い文様で覆われたローグウェイは、自嘲を感じさせる笑みを浮かべた。
「本当に。誰とも関わらないと決めていたのに」
床に座り込んだエレナに、ローグウェイはしゃがみ込んだ。
確かに、変わってしまった姿と、魔力を奪ってしまう力は、人を恐れさせ、遠ざけるのに十分だ。
「うそです」
「エレナ?」
「――――だって、ギルド長は、出会った瞬間から、私にやさしかったじゃないですか!」
その瞬間、歪んでいた笑顔が、一瞬緩んで、困ったようにローグウェイは微笑む。
「そうだな……。人間らしく生きようとしてみた日々は、そんなに悪くなかった」
それは、あの日、誰も見ることができなかった夜の紅の瞳を、彼女が真っすぐに見た瞬間からだ。予言師の言葉を借りるのは、どこか癪だが、ローグウェイが後悔していないことだけは確かだった。
「ここは、俺が何とかするから、帰りなさい」
エレナの力は、ローグウェイには及ばないらしい。
魔道具の首輪が、あっという間に砂のように崩れて消える。
浮かんだ魔法陣は、アーノルドの魔法陣が子どもが描いたものではないのかと思えてしまうほどに、精巧で芸術的だった。それに加えて、エレナの足を掴む、小さな手のように伸びてきた魔法陣部の一部が禍々しい。
「――――やだっ! 私も一緒にいます!」
「……本気か? もうあの男の元に、返してやれないぞ?」
「本気ですっ! だから」
「ふっ……」
小さく短い笑い声が聞こえ、エレナが思わずその瞳を真正面から見つめる。
(変わらず、柘榴石みたいで、きれい)
大事なものを慈しむように見ている、その瞳は、エレナにとってはただ美しいだけのものだ。
けれど、魔力はこの世界で生きるために欠かせない力。夜になるたびに、望まない力でそれを奪ってしまうのだとしたら、きっとローグウェイの人生は孤独の中にあったのだろう。
「その言葉で、十分だから。そんな顔しないでくれ」
エレナとアーノルドの足元で、魔法陣が目を開けていられないほどの光を放つ。
まぶしさに目を細めながらも、なおエレナはローグウェイを止めようと手を伸ばした。
その瞬間、扉が開き、全員の視線がそちらへと向く。
「っ……。レイ様!」
それまで何とか維持していた堤防が一瞬にして崩壊してしまったように、エレナのスミレ色の瞳から、涙があふれだす。
そこには、王立騎士団の儀礼服を纏ったままのレイが、息を弾ませて立っていた。