軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

04◇夏を夢見ること02

ラウラは打ち震えていた。今日作ったチョコレートケーキが会心の出来で。外はサクッとしているのに、中はしっとり。至高と言っても過言ではない美味しさだった。

(ツェツィーリヤ様をお招きしててよかった)

もう少しで到着するはずだ。ミントのドレスを整え、ラウラはツェツィーリヤの分を美しい皿に載せる。

イヴァンはまだ訪れない。忙しいのかもしれない。

そっと二人分残しておくよう言づける。

本日のセルゲイにかわいいのお墨付きを貰った、頭のてっぺんで揺れる赤いリボンを結び直し、ラウラは庭にセッティングされたお茶会会場へと急ぐ。

夏の日差しが、窓越しでも肌を刺す。木陰に用意してもらってよかったと自分の采配に酔いしれた。

庭に出れば、セルゲイが執務を行っている部屋が見えた。弟のエリックスを手伝っている形らしい。

(お忙しいのかな)

特に上手にできた日に限って来ないなんて、損な人だ。呼びに行ってみたい気もしたが、冷たくされたらその場でやけ食いしてしまう。

触らぬ神に祟りなし。どうせ、イヴァンがまたへらへら笑いながら取りに来るだろう。

◇◇◇

暫くすれば、淡い桃色のドレスに身を包んだツェツィーリヤが手を振りやって来た。

「美味しいチョコレートケーキが食べれると聞いて来たわ」

タイミングよく、ラダがガーデンテーブルの上にチョコレートケーキを置く。生クリームとオレンジのくし切りが添えられていて、イオシフたちの笑顔が浮かぶようだった。

「本当に美味しそう。早速いただきましょうか」

「はい」

(本当に美味しそう。というより、ちゃんと美味しいんだけど)

目の前に見た目麗しい令嬢がいるのに、考えてしまうのは懐かない野良猫のこと。

ため息が漏れてしまった。世には、仲のよくない夫婦などごまんといる。それだけでは飽き足らず、冷遇なんてことも珍しくない。ラウラは事情が事情なのだし。

恵まれている、のだろう。夫は冷徹だが、暴力を振るわれるどころか、セルゲイの手つきは優しい。

「――セルゲイ様と、一緒に食べたいなぁ」

「あらそうなの?」

「あ」

(私今、声に出してた!)

サーッと顔を青くするが、ツェツィーリヤは気にした様子はない。

ふんふん、そうなのね? 意味ありげな視線を送ってくる。

手を叩いたツェツィーリヤはにっこりと花のように笑った。

「呼び出しましょう」

「え、ご迷惑じゃ……」

「妻に構うのが夫の仕事よ」

ツェツィーリヤの言葉でラダが向かい、帰ってくる時にはセルゲイとイヴァンを携えていた。本当に来てくれるとは思いもしなかったため、慌てて立ち上がる。

マーニャがセルゲイの分の紅茶とチョコレートケーキを置いた。仕事が早い。

「ラウラ、なぜそんな顔している」

「いえ、だって……来てくれると、思っていなかったので」

手に力がこもる。顔を俯かせた。

「君に呼ばれたら、すぐ駆けつける。明日の約束などをされるのは、さすがに困るが」

「あの、これからも誘っていいですか?」

「ラウラが望むなら」

セルゲイがラウラの作ったお菓子を食べているところを見るのは、これが正真正銘初めてだった。まじまじ見つめれば、生クリームを絡めたチョコレートケーキがぱくりと消えていく。

(大きなお口……)

毎日の食事でも考えていたが、対ケーキともなれば余計に目立った。食べっぷりに感動していれば、セルゲイは行儀よく口を布で拭う。

「美味しかった、ありがとうラウラ」

「いいえ。……んふふ」

「なにかおかしかったか?」

「いえ……、んふふっ」

セルゲイが片眉を上げながら腕を組んだ。

ツェツィーリヤは甘い甘いとチョコレートケーキを頬張っている。

視線を感じれば、イヴァンがよだれを垂らしそうな顔をしながら、ラウラの皿の上に残されたチョコレートケーキを、鷹の如く狙っていた。さすが騎士と言うべきか。圧の強さに押されそうになるが、負けじとそっと手のひらで隠せば、イヴァンははっと焦点が定まった顔に戻った。

ぐしぐしと袖で口元を拭っているから、よだれを垂らして見えたのは幻覚ではなかったのかもしれない。

イヴァンの分もちゃんと残っていると、親指を立てる。彼の顔が華やいだ。

ガーデンチェアに背を預ける。

静かな時間だった。草が風に吹かれる音、葉が擦れるたびに形を変える影、ツェツィーリヤのもの柔らかな微笑に、セルゲイがラウラを揺り起こすように名前を呼ぶ。

様々な音に耳を傾ける暇が、ラウラに生まれている。静か、舌の上で転がした。思考が途切れ途切れになって、次第にぷっつり切れる。恐怖はなく、眠る直前の安らぎに近かった。

クロウ家では、自分の意見をよく聞こうと躍起になりすぎていたのかもしれない。そうしなければ、彼らの感覚に吞まれそうな気がした。ラウラ自身を守るために、自分の意見だけで世界の音を満たす必要があった。

心の奥底に眠る孤独を、劣等感を、本当に理解できるのは誰であって自分だけのはずだから。いつだってよく考えて判断してきた。他人の無遠慮な意見には耳を傾けずに。

『ラウラ、お前は本当にアリーナと違ってかわいげがないな。勉強なんて女にとっては足しにもならないんだから辞めろ』

『他の女と親しくするな? ハッ、嫉妬か! 俺に指図するな、黙って付き従っとけ』

(そっか、今はこの流れに、身を任せていいんだ)

悪いところには連れていかれないはずだから。

ツェツィーリヤは用事があるの、と想像よりずっと早く帰ることになった。

「もういいのですか?」

「えぇ、とっても甘かったから」

「? 次は少し砂糖を減らしてみますね」

「そういうわけではないからいいのよ」

謎掛けのようだった。

ツェツィーリヤに、ラウラとセルゲイは横並びになって挨拶をした。

「また来てくださいね、ツェツィーリヤ様」

「えぇ、元気でね二人とも」

「さよなら、ツェツィーリヤ」

(……名前)

当たり前だが、ツェツィーリヤは名乗らずともいいのはなぜだろうか。まだ関係構築が足りていないのかと悩みながらも、従姉妹の彼女には敵わないと突きつけられた気分になった。未だにラウラは名前と役職を名乗ることを義務付けられているのに。

笑顔から一転、ぶすくれた顔になれば、ツェツィーリヤの人差し指が、ラウラの膨らんだ頬に触れた。

「そんな顔していると、染みついちゃうわ。笑いなさい」

にこ、無理矢理上げた口角は痛々しいものだった気がするのに、ツェツィーリヤは満足そうに頷く。

「笑顔が一番女の子を引き立てるのよ」

「はい」

「よくできたわね」

笑顔笑顔。意識して笑うように気をつければ、感じていた壁のようなものはいつの間にか消えていた。

◇◇◇

ツェツィーリヤは帰ってしまったが、セルゲイはまだ時間があるようなので、お茶会は続行することとなった。

「ラウラ」

(男性にこう思うのって失礼かもだけど、もしかしたらセルゲイ様ってかわいい?)

なにか望みでもあるのか、こちらを真摯に見つめるセルゲイに射抜かれる。

けれど、取り立ててかわいいところがないラウラを「かわいい」と言う人も目の前にいるのだし、そういう感性を持つラウラだっておかしな人ではないのだ。おそらく、が付くが。

「どうかしたのですか?」

つとめて冷静に振舞おうとしたが、

「この甘いもののおかわりは、あるだろうか?」

ラウラは見事ノックダウンされてしまった。

(おかわり……そうよね、「白くて甘いホニョホニョしたの」って名前全然思い出せてないけど食べたいと思うくらい甘党だもの……。でもおかわりって、かわいい)

「勿論、何個でも食べてください!」

「奥様ー、僕の分もいただけないですか?」

「許しましょう」

「ははー、ありがたき幸せ」

仰々しく手を掲げ、イヴァンはマーニャからチョコレートケーキが載った皿を受け取っている。

セルゲイとイヴァンは、美味しそうに食べ始めた。自分で作ったものを、こんな風に食べてもらえると気持ちがいい。

「奥様は料理上手ですね」

「私は幸せ者だ」

「褒めてもチョコレートケーキしか出てきませんよ」

それがいいんだ、セルゲイは皿を差し出してきた。三個も食べれるのかと目を瞬かせる。ラウラはもう見るだけで胸やけを起こしそうだった。

「本当に食べるんですか?」

「あぁ」

「本当の本当に? お腹痛くなっちゃうかもしれませんよ」

「――構わない、食べれる内に食べておくんだ。一生忘れたくない味だからな」

一生忘れたくないなんて、褒め殺しにする気かと問いだたしたくなった。セルゲイはいつも通りの憮然とした表情なため、自分の言葉がどれほどラウラを喜ばせたかなんて露とも知らないのだろう。

紅茶を飲みながら、セルゲイが食べている姿をつぶさに見つめる。

(――酷い人)

離婚を掲げながら、それでもラウラの心の柔らかい部分に触れてくる。さりとて、それを許してしまう自分も大概だ。離婚するなら、急に突き放してくるくらいなら、最初から冷たくされた方が希望なんて持たず楽だった。

期待して、傷ついて。終わらないイタチごっこはもう飽きたというのに。

(馬鹿な私)

セルゲイの心の内を覗けたら、胸の底で燻る気持ちに名前はついただろうか。

◇◇◇

「お耳を貸していただけませんか、奥様」

「あら、私のお耳は高いわよ」

「十分見合った対価を提示できるかと」

なるほど聞かせていただこう。

指を組み、イヴァンに耳を貸す。オレンジゼリーの戦利品を両手に持ちながら、イヴァンは人目をはばかるようにラウラの耳に口元を寄せた。

「――旦那様、一週間後に誕生日です」

「……イヴァン」

「はい」

「っあなたってば最高ね!」

「よく言われます」

誕生日。生まれてきたことを尊び、新たな一年の最良を願う日のこと。

精一杯、お祝いしなくては。ラウラは心の底から、使命感のようなものがメラメラと湧き上がる。スプーンを松明に見立てて掲げた。

「その、食堂を飾り付けたりしたら、セルゲイ様怒るかしら?」

「いえ大丈夫でしょう。足止めは、不肖イヴァンが務めさせていただきますよ」

「飾り付け、皆にも手伝ってもらっていいかしら?」

「「「喜んで!」」」

ゼリーを貰うためキッチンに集合していた使用人たちが、ゼリーを持ち上げ賛同してくれた。

(楽しみ。セルゲイ様、喜ぶかしら)

イヴァンが神妙な顔つきで人差し指を唇に当てる。

「誕生日パーティーは、内密に進めましょう。サプライズです」

「いいわね、採用します」

「光栄の極みでございます、奥様」

うやうやしく礼をするイヴァンに苦笑しながら、ラウラはセルゲイへ送る誕生日プレゼントを考えていた。

セルゲイを観察しながら、なにがほしいのか考える。せっかく渡すなら、喜んでほしい。

珍しくイヴァンを連れず一人で歩く彼は、またもや難しそうなしかめっ面していて、しめたと聞き耳を立てた。

「なんだったか……黒くて、白もあって……」

(あれ、お菓子の話じゃない??)

もっと違うものだったのかもしれない。早とちりだったと退散しようとしたが、

「――甘くて、さくっとしたような……」

「……もしかしてチョコレートケーキのこと?」

あんなに食べてやはり名前を憶えていないとは。もはやあっぱれだった。

(もう、それじゃあ私の名前を憶えてくれるのだってずっと先ね)

だが、プレゼントは決まった。

一週間後。

日が昇り始めた時間に起床し、うつらうつらするラウラをラダとマーニャが磨く。セルゲイの髪の毛の色である紫のドレスは、袖口が花弁のようにひらひらしていて、金糸の刺繍がよく映えている。

エプロンをつけ、キッチンに向かった。

キッチンでは、イオシフ主導の下、豪華な食事が用意されていた。小さいがいろんな味があるサンドイッチに、皿に品よく盛り付けられたローストビーフ、瑞々しい宝石のようなサラダ。

そんな凄いご飯たちに気後れしそうになりながらも、ラウラは昨日のうちに作っておいた冷蔵庫から、チョコレートケーキを取り出した。生クリームをたっぷりとかけてから、ベリーを飾る。最後にミントを散らせば、とってもすてきな誕生日ケーキが出来上がった。

「おいしそうですね」

「うふふ、でもイオシフたちのに比べたら、初心者丸出しよ」

「ははっ。この世に妻の料理より美味しいものがあると答える男はいませんよ」

「そうですよ、せっかく美味しそうなケーキなんですから自信を持ってください」

レフにも背中を押された。他のシェフたちも、次々に褒めたたえてくれる。

照れくさく、頭を掻く仕草をしてから食堂の飾り付けに向かった。

昨日、セルゲイが寝静まった後飾り付けを進めていたお陰で、残るは最終チェックだけだった。

花、きれいに咲いてる。テーブルクロス、しわ一つない。カーテン、ちゃんと留められている。朝日がいい感じに差し込んでいた。

使用人たちに声をかけ所定の場に着いてもらってから、セルゲイを呼びに行く。当初の予定時刻を少し超えてしまった。イヴァンが涙目になりながら、口八丁でセルゲイをその場に留めている姿を想像し、歩みは早くなる。

途中、エントランスが見渡せる吹き抜けの廊下を通った。

『一年後である、王国歴七百九十二年四月に離婚!』

(今日くらい、見て見ぬふりをしたって神様も怒らないよね)

だって、セルゲイの誕生日を祝えるのはたった一度きりなのだから。

顔を逸らして。前だけを見据える。

扉をノックすれば、すぐにセルゲイは出てきた。眉根が寄っていて、不機嫌そうだ。その後ろでイヴァンは安堵したようにため息をついた。肩を落とし、疲れ切っている。

そっとドレスを持ち上げた。

「おはようございます、そしてお誕生日おめでとうございます、セルゲイ様。私はラウラ・エルゼ・フォレスター、あなたの妻です」

「……そうか、私は今日、誕生日だったのか」

「はい!」

「かわいい」

「ありがとうございます」

ラウラも慣れてきて、かわいいは挨拶の一部になってきていた。

「誕生日も、ありがとう」

「その言葉を言うのは早いですよ、今日は長いですから。でもありがたくいただきます」

ありがとう、もう一度セルゲイは噛みしめるように言った。

――使用人たちは今か今かとセルゲイの訪れを待ち構えている。手にはクラッカーが握られていた。

クラッカーの軽快な音が鳴って。ラウラと目を見開いたセルゲイが紙吹雪のシャワーにまみれるまであと――