作品タイトル不明
03◇夏を夢見ること01
(なんだ、なーんだ)
セルゲイはお菓子を食べてくれていたらしい。それも、もう一回所望するほど気に入ってくれるとは。
イヴァンにちゃんとお菓子の名前を言われているはずなのに、名前がまったくもって思い出せないから、アンコールを言い出すこともできず一人で悩んでいたのだろう。
(ちょっと、かわいいかも)
冷徹、に『かわいいところもあるかも』が枕詞としてニョキッと姿を現した。
セルゲイの髪の毛の色である、紫色のドレスを着て食堂に向かう。いつもは眩しいだけの朝日が、なんだか爽やかで心地よかった。
ふんふん歩くラウラの後ろを、ラダとマーニャも頬を緩めながら付いてくる。
「あ、セルゲイ様」
彼も丁度、朝食のため食堂に向かうところなのだろう。約束なんてしていないので、会うのはもっぱら食堂なため珍しい。
やっぱり朝は弱いらしく、部屋から出たばかりのセルゲイは、眠そうにしている。イヴァンが甲斐甲斐しく支えていた。
普段なら、まぁっ! となる場面だが、今日のラウラは機嫌が良かった。むしろ、イヴァンありがとー、ハグをしたいくらい。
イヴァンは嘘つきではなかったらしい。
羽のように軽やかに歩み寄る。セルゲイの瞳がラウラを映した。
「おはようございます、セルゲイ様。私はラウラ・エルゼ・フォレスター、あなたの妻です」
にっこり微笑んでから、こちらを見つめるイヴァンにアイコンタクトを送る。
『イヴァン、ありがとう!』
ぱちん、ぱちん、何度もウインクしていれば、二人の間にセルゲイが割って入った。長身の彼のせいで、イヴァンが見えなくなる。
「セルゲイ様?」
「そんなかわいいことをイヴァンにしないでくれ」
「え、あ……はい」
今のアイコンタクトはかわいかったのだろうか? 相変わらずセルゲイの感性が不明だ。
「わかっているだろうな、イヴァン」
「ちょっと待ってくださいって旦那様〜、今のはあれですよ、『今日も旦那様かっこいい』ですよ」
「……そうなのか?」
(ちょっと、イヴァン?!)
本来ならそれに乗っかるべきだったかもしれない。けど淑女として奥ゆかしく育てられたラウラは、そんな大胆なアイコンタクトを取っていたとは到底言えなかった。
「ち、違います。昨日食べたお菓子の味を、セルゲイ様に聞きたくて――」
「――そうか。ラウラは、『三つ、不要な会話を禁じる』を忘れていたようだな」
セルゲイが、二の句を継げないラウラの横を通っていく。
「奥様……」
マーニャの温かい手が背に添えられ、意識が浮上した。
仲良くなれそうだと思った。仲良くなれるなら、そっちのほうがずっといい。一年後離婚するとしても、憎み合うために嫁いだわけではないのだから。
(ちょっと堪えるかも)
かわいいかも、なんて思ったらすぐに冷徹な面が現れる。
懐かない野良猫のようなセルゲイに、ラウラだけがポツンと取り残された気持ちになるのだ。
◇◇◇
「今日はチーズケーキにしよっかな」
クリームチーズが沢山あるのを見つけ、今週のお菓子はチーズケーキになった。
ルラ王国は温暖な気候なため、クリームチーズは寒冷なミシェラ王国から輸入したのだろう。仲を取り持てている、それだけでラウラが嫁いできた意味があるというものだ。
クリームチーズと砂糖、絞ったレモン汁を混ぜて、滑らかになるまでかき混ぜる。
そこに卵と小麦粉を入れ、仕上げに生クリームも合わせてから型に流し込んだ。
「すごい、あっとう間にできるんですねぇ……。これなら私も作れそうです」
料理は苦手だと公言してるマーニャが感心したように目を輝かせている。
ラダは真面目にメモ帳にレシピを書いていた。『奥様のレシピ帳』を作ると意気込んでいるのだとか。気恥ずかしい。
「混ぜるだけだから、クロウ家で一番頻度が高かったのはこれかも」
チーズの香りがふんわりと部屋を包む。
焼き上がってから冷まし、切り分けたタイミングでイヴァンがひょっこり顔を出した。
「今日はチーズケーキですか? こっちだとあんまり見ないお菓子ですね」
「そうなの」
イヴァン用。もう一つ、他の人より大きめに切り分ける。
「はい、どーぞ」
「お、この大きいのは僕のですか?」
「違うわ。……届けてくれるんでしょう?」
ラウラがどこからか、セルゲイがちゃんと食べていることを知った。暗に言われ、にまー、イヴァンが口角を上げる。
「はい、お望みのままに」
「よろしくね」
そこで、家令のマルクがやって来た。耳打ちされる。
「奥様。旦那様の従姉妹であらせられるツェツィーリヤ・フィオ・レーティナ様がおいでです。――奥様を名指しで」
「あらあらあら……」
(姑イビリ、というのが待っているのかしら)
セルゲイの両親は既に亡くなっているため油断していた。母代わりの関係の方がいてもおかしくないのに。
ラウラは、洗われるのを待っているボウルたちをチラと見た。
「でもこれを洗ってから行かないと……」
「奥様、これくらい私たちがやりますよ」
イオシフが胸をとんと叩く。
「そうです。逆にいつも自分で最後までやっている方が、僕たちは驚いたくらいですよ」
レフも加勢する。
確かに、洗い物をする令嬢なんて聞いたことがない。ラダたちに、あかぎれができないようにと丹念にクリームを塗られているお陰で傷一つない手を眺める。
「では、今日は甘えてもいい?」
「はい、勿論です」
エプロンを取り、応接間に向かう。チーズケーキをお出しするよう指示を飛ばしてから、マーニャに髪を整えてもらう。
「――行きましょう」
ラダとマーニャを連れ、応接間に入室する。
優雅に紅茶を飲みながら待っていたのは、セルゲイの遺伝子を多分に感じさせる美女だった。金髪は緩やかなウェーブを描いていて、前に座れば甘やかなラベンダーの香水が鼻をかすめた。ゆったりと穏やかな笑みを浮かべていて、緑色の瞳からは感情が読み取れない。艶やかな水色のドレスがよく似合っている。ラウラにない膨らみのあるツェツィーリヤは、デコルテが映える、胸元が開いたドレスが美しさを引き立てていた。
「ようこそお越しくださいました。私はラウラ・エルゼ・フォレスターと申します」
「わたくしは、ツェツィーリヤ・フィオ・レーティナよ。セルゲイとエリックスとは従姉妹なの。結婚おめでとう、仲良くしてちょうだいね」
鈴を転がしたような声にうっとりしていれば、
「――それで、セルゲイとはどう? あの子、あまり口達者な方ではないもの」
「大変よくしていただいてますよ」
扇子で口元を隠し、こちらを窺うツェツィーリヤにそつがない返事をする。
「そう、ならいいの。耐えかねたら言ってちょうだい、躾けてあげるわ」
(躾。……躾??)
可憐な声で告げられた言葉に戸惑う。幻聴だったのだろうか。
「ミシェラの民は、大人しい人が多いもの」
ミシェラ王国は冬などは寒すぎて、体力などを無駄遣いしないため結果的に 大(・) 人(・) し(・) く(・) なる。
しかしだからこそ、冬支度ではせわしなく動き回っているのだが……。
「難しく考えないでいいのよ。わたくしの知り合いは、あなたを含めて皆大人しいというだけだから」
「そうですか……」
「と言っても、二人だけなのだけど」
茶目っ気たっぷりに笑われ、ガクッと力が抜けた。
「二人だけで国民性を決めるのは、早計すぎる気が……」
「うふふ」
いつの間にか凝り固まっていた体はほぐされていた。
チーズケーキが運ばれてくる。
「あらまあ、わたくしチーズケーキが好きなのよ」
「そうなのですか?」
「えぇ、もう一人の知り合いにいただいてからね」
言葉に偽りがないのだろう。いそいそとフォークを手に取り、チーズケーキを口に運んだ。
「美味しいわねぇ」
「良かった、それ私が作ったんです」
「まあ!」
まじまじと観察される。そこでようやく、ツェツィーリヤと目が合った気がした。
まるで、なにかの試験に合格したようだった。
「そう……。すてきね」
パクパクと次々に口にチーズケーキを運び、ツェツィーリヤの皿は空っぽになった。
「わたくし、きっとこのチーズケーキの味を明日もあさっても思い出すわ」
「また作りますね」
「作る時は必ず呼んでちょうだいね」
えぇ、必ず。真面目にこっくり頷けば、ふっと微笑まれた後ツェツィーリヤは空を見つめた。
ポツリと、
「セルゲイは食べれなくて残念ね」
(多分、今頃食べてると思いますけど??)
セルゲイの従姉妹だ、納得してしまった。掴みどころのない感じがそっくりだ。こちらの方は野良猫というより、高貴な猫といった風だが。
◇◇◇
それからも二人でのんびり話に花を咲かせていれば、扉を叩かれる。
「いいわよ、入ってらっしゃいな」
「――失礼する」
予想通り、セルゲイとイヴァンだった。
もうチーズケーキは食べたのだろうか? それともこれから?
気が急いていると、イヴァンと目がぱっちり合う。ピッ、親指が立てられた。
(食べて、くれたんだ……)
ひっそりと頬に手を当てている横で、セルゲイとツェツィーリヤは対峙している。
「なぜラウラを名指ししたのですか?」
「おしゃべりしたかった、これ以上の説明が必要?」
セルゲイが怯む。なんだか珍しい光景だった。
(敬語使ってるし)
躾、という言葉からも頭の上がらない相手なのだろう。
セルゲイがラウラの側に来た。
「なにかされていないか?」
「楽しくお話していただけです」
「嫌味を言われたりは、」
「――セルゲイ?」
肩が跳ねる。ツェツィーリヤの周りが吹雪いていた。こういうところもセルゲイに似ている。
「女子会に横入りしないでほしいわ。心配ごとが消えたならさっさと散りなさい」
ツェツィーリヤ様に虐められてません! 誇示するため、セルゲイを見上げウンウン頷けば、彼は手で目を覆い天を仰いだ。
「かわいい……」
ラウラは自分の容姿が優れていない自覚がある。こうして何度もかわいいと言われると気恥ずかしいが、一日に一度だけなのだからと甘受していた。
「えぇ、ラウラはかわいらしいわよね。今度服を見繕わせてちょうだい」
「まだこの家に来てから着ていない服が山ほどあるのですが……」
「山にしておけばいいのよ」
豪胆な人だった。
ツェツィーリヤの服装は、流行を取り入れていてお洒落で、少しドキドキする。
彼女と同じドレスだとラウラは着られている感じになってしまうが、きっとツェツィーリヤはそれも込みで考えてくれる。背格好が同じくらいのアリーナに、可愛いドレスは取られるばかりだった。自然と地味なドレスを選ぶようになっていたが、この一年はそうしなくてもいいのだと腑に落ちると同時に、乙女心がくすぐられる。
「ツェツィーリヤ様はとてもおきれいなので、嬉しいです」
「わたくし、妹がほしかったのよねぇ」
ハグされれば、豊かな胸に溺れそうになる。あっぷあっぷしていると、脇に手が差し込まれ持ち上げられた。間近にセルゲイの顔がある。
「私の妻ですよ」
「狭量な夫はつまらなくてよ」
火花を散らす二人に呆れていると、ふとセルゲイが目を瞬かせた。ツェツィーリヤの横を見つめる。首を傾げた。
「今日は一緒ではないのですか?」
「ついてきてないのなら、そういうことよ」
ツェツィーリヤは髪を払う。かわいらしい容姿のアリーナですら太刀打ちできそうにない、純然たる美女だった。
「そろそろお暇するわね」
「ツェツィーリヤ様、本日はありがとうございました」
「わたくしも楽しかったのよ」
セルゲイから降ろされたラウラがお辞儀をすれば、扇子で口元を隠しながらツェツィーリヤは目元を綻ばせた。
「ねぇ、わたくしとお茶飲み仲間になってくださらない? 最近いなくなってしまって、寂しかったのよ」
「私でよければ」
「十分よ」
ツェツィーリヤは、美しい立ち振る舞いで帰って行った。