作品タイトル不明
11◇あなたを愛すること02
バージンロードを歩く。脂下がった笑みを浮かべる両親、眉尻を下げたツェツィーリヤ、細々とした付き合いのあった親戚。
奥に立ちラウラを待つのはニコライ。
「よく似合っているぞ」
隣に立てばそう声をかけられたが、ラウラはまっすぐ前を見据え聞き流した。
式が始まる。
神父のありがたい話が長々と続き、ラウラはグローブをはめた手を持て余していた。置き場がない気がしたのだ。
セルゲイと結婚した時、ラウラは結婚式がないことにモヤモヤしたが、今思うとあれくらいが先進的でいいのかもしれない。あくびを噛み殺す。退屈なだけで、なんの意味もない儀式だ。
好きな人となら、感想も変わったかもしれないが。
こんなプリンセスラインのドレスではなく、すっきりとしたラインのドレスを着て。花よりパールがついた髪飾りの方が好みだった。そして、隣に立つのは――
「――……もし? 大丈夫ですか?」
いけない。現実逃避をしすぎた。
「ごめんなさい、昨日あまり眠れてなくて」
敬虔なる神の徒である神父は、慈愛に溢れる顔でラウラを許した。再度、朗々と語り上げる。
「あなたは夫を愛することを誓いますか?」
「誓います」
ニコライにも同じ質問をし、彼は堂々と答えた。ぬけぬけとした男である。
信者は神の教えを忠実に守る。けれどそれは本当に、自分の意見がないとはいえるのだろうか? その神を信仰すると決めた時点で、既にその人は自分の意志で決めている。
この世に真実、自分の言葉より信じられるものがあるのだろうか。
ラウラにはなかった。信じることは罪だった。
『お母様、私のこと好き?』
『好きでも嫌いでもないわ。あぁ、アリーナの泣き声が聞こえる。もう、私を困らせないで』
だって信じてしまったら、ラウラは壊れてしまう。
ラウラが自分の声だけで世界を満たすようになった言葉たちが、脳を揺らした。
切り捨てたはずの言葉を、なぜ今になって思い出すのか。
有名なおとぎ話は沢山ある。眠れない子どもを寝かしつけるための、明日への希望にあふれたおとぎ話たちが。
そのどれもが、方法は違えどハッピーエンドに辿り着く。――でも、ハッピーエンドの後は? 彼らは最後まで、ハッピーエンドでいられたのだろうか。
ラウラは今どこに立っている?
まだ話の途中なのか、ハッピーエンドを迎えたのか、おとぎ話にはもう記されない場所にいるのか。それを知る人はいない。死ぬ直前になってようやく、人は知るのだと思う。
「では、婚姻届けにサインを」
ペンを握っていた。なにも考えず書きかけて、手が止まる。
それっきり動かなくなってしまったラウラを、神父が心配そうに覗き込んだ。
隣で焦れたような顔をしたニコライが、おい早くしろ、と攻め立てるけどラウラはもう動けなくなってしまった。
――自分の名前が、わからなくなってしまったのだ。
『ラウラ』はわかる。けどそれ以降の部分が、丸ごと抜けてしまった。ラウラ・エルゼ・フォレスターしか出てこない。これは困った。でも思考が止まってしまった。呆けたように宙を見つめる。思い出したくないのかもしれない。
自分は、あの屋敷で過ごすうちに、すっかり『ラウラ・エルゼ・フォレスター』が染みついてしまったようだった。
忘れていく、古い暮らし。本人でも気づかぬ間に記憶が失われるということは――それでも思い出したいと思うことは、本当に不幸なのだろうか? セルゲイは、不幸だった?
ラウラはそんなことを考えていた。
ラウラはセルゲイと離婚した。それが彼のためだと、信じて疑わないで。
けど、違ったのかもしれない。セルゲイに一言聞けばよかった。……いや、聞いていた。答えは出ていた。
『……私たち、離婚、するでしょう? けどこうやって、一緒にいれる間は、仲良くしていいですか? 私といるの、その、楽しいですか?』
『楽しい』
どうしてあの言葉を、もっと真剣に受け止めなかったのだろう。
ラウラにとってもセルゲイにとっても、決して軽い言葉ではなかったはずなのに。
セルゲイもまた、自分の意見を持っているのだという当たり前のことに、なぜ気を割けなかったのだろう。
その意見に耽溺する必要はなかった。ただ知っておくべきだった。
隣に腰を下ろした人が、なにを考えてどんな意見を持って人生を送っていたのか。隣に腰を下ろすまで、どのような葛藤を抱えていたのか。
何も考えず、
『ずっと側にいていいですか』――それだけで十分だった。
神父の顔を見上げる。神に許しを乞う。
「私、結婚したくないです」
ぽろぽろと表情を偽っていたものが落ちて。現れたのはなんともまぁ情けない顔だった。
「……っそんなの許されるわけないだろう!」
ニコライが激高した。
「もう『ラウラ』までは書かれてるんだ! 今更反故にはさせないぞ!」
そうだ、途中までとはいえもう書いてしまった。時間を巻き戻す術はない。
唇を噛みしめれば、前方から「おっとっと」不思議な掛け声が聞こえてきた。
目を向ければ、神父が燭台に立てられたろうそくで、紙を燃やしてしまったようだった。今しがた名前を記入した婚姻届けだった。神父がお茶目に、てへと舌を出している。大層反省した様子なので、神様も彼を咎めたりしないだろう。
ラウラは扉に向け駆け出した。ニコライが手を伸ばすが、するりと避ける。
ドレスの裾を持ち上げ走るのは大した苦ではなかった。ニコライの身長がラウラと変わらないくらいのため、かかとが低い靴を履かされていたのが功を奏した。
「ラウラ! お前まで逃げる気か!」
両親たちが行く手を阻もうとしたが、ポリーナたちが押さえ込んでくれた。ラウラを幼いころから見守ってくれた彼女たちは、一歩も引かず両親を阻む。
「お嬢様! お行きください!」
「ありがとう……!」
走り続ける。ツェツィーリヤの護衛騎士が、扉を開けてくれた。
「頑張って。ここはお姉ちゃんがどうにかするから」
「はい、お姉様」
扉を潜り抜けた。
どうやってセルゲイの下まで行こう。ウエディングドレスを売れば、多少なりともお金にはなるはずだ。辻馬車を乗り継げば、きっと辿り着ける。
体が軽くて、考えるより先に動いてしまいそうだった。
ツェツィーリヤの護衛が扉を閉めた。彼女は扉の前に立ち塞がる。
追い付いたニコライが吠える。ツェツィーリヤが自分より身分が高いとわかっているのか、手を出そうとはしてない様子だが、いつ噛みついてくるとも限らない。護衛たちの目つきが険しくなる。
「そこをどけ! ラウラは逃がさないぞ!」
「いやね、見苦しい男は嫌いよ」
「邪魔する気か!」
「そうよ」
ツェツィーリヤはニコライを見てない。瞳の奥にあるのは、ラウラともう一人のことだけ。
唇を震わせた。
「……半年、たった半年よ? それでわたくしは大切な人を喪った。今度こそ、大切なお茶飲み仲間を失くすわけにはいかないのよ――!」
そのためならここで、何年何十年でも食い止めてみせる。
彼女が、愛する人に会えたなら。
ようやくツェツィーリヤが救われる気がするのだ。
早速ウエディングドレスを売ろうと勇んでいると、ふと丘の上に誰かが立っていることに気づいた。
「――セルゲイ様、」
呼びかけられた男は振り返った。
「どうして、ここに、」
「どこかで会ったことがあったのか? ……まぁ、いい。私はとある女性を捜しているんだ。そしたらイヴァンに、クロウ家というところに行ってみてはどうかと言われた。よかったら、クロウ家まで案内してくれないか?」
息を切らしながら、彼の言葉に耳を傾ける。
(……イヴァン)
ありがとう。
ラウラはドレスの裾を整え、ヴェールを上げた。顔があらわになる。
慣れ親しんだ礼をした。男の顔がハッとする。
「おはようございます、セルゲイ様。私は、亜麻色の髪でぱやぱやした雰囲気の、た、多分レモンの味がする女性改め――ラウラです」
自分の意見を、目の前に立つ人に聞いてほしかった。同じくらい沢山聞かせてほしかった。
「少し、話をしたいです。私の好きな人ね、毎日記憶を忘れてしまうんですよ。だから、その人に辛い想いをさせたくなくて離れることにしました。でも気づいたんです、私が覚えていたらいいんだって。いろんな約束をして、私がしっかり記憶して、一緒に出かけるんです。――私が彼を、未来に連れて行くの」
こそっと、子どもが内緒話をするように、服を引っ張って耳に口元を寄せる。
「その人と結ばれたくて、無理矢理仕組まれた結婚式から逃げてきました。それで、今その結婚式から逃げてまで会いたい好きな人を捜しているんですが、心当たりはありませんか? 紫髪でしゅっとした雰囲気で、毎日私を忘れるのに毎日私に一目ぼれしてくれる男性なのですが」
彼は屈んだまま、今度はラウラの耳に自身の口元を寄せた。
「それなら一人心当たりがある、かわいい人。その前に自己紹介をしていいか? 私は、紫髪でしゅっとした雰囲気で、毎日記憶がリセットされる、そして今しがた君に一目ぼれをしてしまった男改め――」
Fin