作品タイトル不明
309話:彼方からの書状
敵の大軍へと向かって砂埃を巻き上げながら駆けて行く味方の騎兵隊を、リーゼは歯を食いしばりながらじっと見つめる。
ぎゅっと握った両の手のひらに爪が食い込み、ぽたぽたと血が滴り落ちていた。
――カイレン将軍は何をしているの!?
焦燥と怒りのこもった目で、混乱に陥る元老院軍団中央部へと目を移す。
その瞬間、左右の耳に、どかん、どかん、というカノン砲の砲撃音が連続して響いた。
負傷した元老院議員を助けようと駆け寄っていた1人の敵兵の頭にそのうちの1つが直撃し、パッと赤い霧が舞うのが一瞬見えた。
歓声を上げて突撃する騎兵隊の先頭が、ターボライターで火炎壺に着火している様子が目に入る。
それと同時に、バルベール軍前衛部隊の背後から、無数の矢が放たれた。
雨あられと飛来する矢の直撃を受けた騎兵たちが、もんどりうって転倒する。
矢をかいくぐった数騎の騎兵が、敵へと肉薄してその目の前に火炎壺を投げつけた。
ボン、と音を立てて地面が炎上し、その真ん前にいた敵兵たちが足を止める。
矢を受けて落馬した騎兵が、火炎壺が割れてしまい火達磨になる。
炎上したその場所に後続の数騎が突っ込みそうになり、慌てて進路を変えて隊形が乱れた。
すさまじい勢いで騎兵が矢の餌食になるなか、それをかいくぐった者たちが次々に火炎壺を投擲していく。
進路上のそこかしこが炎上したために、防御塔付近の敵軍が足を止める。
それとほぼ同時に、敵軍の後方でラッパの音が鳴り響いた。
「っ! 砲撃中止!」
「砲撃中止!」
リーゼの叫びを受け、バレッタがカノン砲部隊に指示を出す。
ほどなくして、敵軍全体の前進がぴたりと止まった。
バレッタが双眼鏡で敵軍を見る。
突然の後退命令に、驚いた様子の敵兵の顔がよく見えた。
再び、ラッパの音が鳴り響く。
「……敵軍、後退を始めました」
動揺した様子ながらも後退を始める敵軍を見て、バレッタがぽつりと言う。
「……っ」
リーゼは無言で歯を食いしばり、うつむいた。
「う、上手くいった……のか?」
「そのようですな。さて、問題はこの後です」
陣地へと後退していく敵軍を見つめながら言う一良に、ナルソンが答える。
ティティスとフィレクシアはほっとした様子で、去って行くバルベール軍に目を向けていた。
「バルベール軍が撤退するならよし。撤退しないなら、今度はこちらから総攻撃をかけます」
「大丈夫です。カイレン様は約束を守ります」
「そうなのですよ! 第一、今退いておいてまた後で攻撃なんてことになったら、司令部が軍団長たちに叩かれます!」
ティティスとフィレクシアが自信ありげに言う。
「そうなるといいのだがな」
ナルソンが近場の兵士を伝令に走らせ、戦闘態勢解除を全軍に知らせる。
防御陣地で待機している兵士たちは、突然のバルベール軍撤退に困惑している様子だ。
勝利の歓声を上げるでもなく、「なんだこりゃ」といった雰囲気でざわついている。
「後はカイレン将軍からの連絡待ちだな。殿下、戻りましょうか」
「いや、俺は怪我した騎兵たちのとこ行ってくる。ルティ、行くぞ」
「えっ、子供たちも連れて行くの? さすがにそれは……」
ルティーナが困惑した様子で、子供たちを見る。
「前にも言っただろ。どんな人たちのおかげで自分が生活してられるのかは、ちゃんと知っとかなきゃダメだ。皆、こっち来い」
ルグロはそう言うと片膝をついてしゃがみ、子供たちに視線を合わせた。
「これから、国のために戦って怪我しちまった兵隊さんたちのとこへ行く。酷い怪我をしてる人もいるし、死にかけてる人だっているだろう。でも、泣いたり怖がったりするんじゃねえぞ」
「はい。分かりました」
「大丈夫です。私は泣いたりいたしません」
しっかりと頷くルルーナとロローナの頭を、ルグロがくしゃっと撫でる。
「よく言った。リーネ、ロン、お前らも姉ちゃんたちを見習って、ちゃんとしとけな?」
「はい!」
「分かりました!」
元気に頷く下の子2人に、ルグロがにっと笑う。
「おし。兵隊さんたちに会ったら、ちゃんとお礼を言うんだ。死にかけてる人には特にな。できそうなら、手を握って『ありがとう』って言ってやってくれ」
「「「「はい!」」」」
ルグロは立ち上がり、家族を連れて丘を下って行った。
一良は自分も行こうかと考えたが、ティティスたちを放っておくわけにもいかないと考え直した。
「俺たちも戻りますか。ティティスさん、フィレクシアさん、行きましょう」
「はい」
「分かりました!」
元気になった2人とシルベストリア、セレットとともに、一良も砦の門へと向かう。
そうして歩いていると、バレッタとリーゼが駆け寄って来た。
「カズラ、お疲れ」
「カズラさん、お疲れ様です」
「2人ともお疲れ。……リーゼ、どうした? 顔色が悪いぞ?」
疲れた顔をしているリーゼを、一良が気遣う。
「ん、ちょっとね。それより、殿下ってどこにいるか知らない?」
「ルグロなら、家族と丘を下って行ったよ。怪我人に声をかけてくるって言ってた」
「そっか。私も行ってくる。カズラたちは、先に戻ってて」
リーゼがルグロたちを追い、丘を駆け下りて行く。
バレッタはそれを見送り、一良に顔を向けた。
「私は治療院で怪我人の受け入れ準備を手伝おうと思います。カズラさんも来てくれませんか?」
「分かりました」
「シルベストリア様、ティティスさんたちを部屋に送ってあげてください」
「はいよ。お前たち、付いて――」
「私も一緒に行かせてください! 治療院を一度見てみたいぎゃあっ!?」
そう言って一良の腕を掴もうとしたフィレクシアの右腕をシルベストリアが即座に掴み、すさまじい握力で握り締めた。
「次にふざけた真似をしてみろ! 二度とこの腕を使えなくしてやるぞ!」
「ひぎいいい!? やめて! 放してっ! ぎゃああ!?」
「や、やめてくださっぐっ!?」
驚いてシルベストリアに手を伸ばしたティティスが、セレットに腕を捻り上げられた。
「ちょ、ちょっと!」
一良が慌ててシルベストリアの手を掴むと、彼女はぱっと手を離した。
腕を捻られているティティスは、痛みのあまりに声が出せない様子だ。
「セレットさんも放して! 俺は大丈夫ですから!」
「はっ」
セレットがティティスを解放する。
フィレクシアは掴まれた右腕を摩りながら、ぶるぶると震えて泣きそうな顔になっていた。
「え、えっと……2人とも、大人しく部屋で待っていてください。フィレクシアさん、腕は大丈夫ですか?」
「ひっぐ……折れてるかもしれないです……」
「そんなわけあるか。ほら、付いて来い」
シルベストリアたちに連れられて、ティティスとフィレクシアは宿舎へと戻って行った。
「う、うーん……いくらなんでも、やりすぎな気が」
「今のはちょっとかわいそうでしたね……怪我をさせないように、後でシルベストリア様には言っておきますね」
去って行く彼女らの背を見送り、一良とバレッタは治療院へと向かったのだった。
その日の夜。
治療院では、矢を受けた兵士や火傷を負った兵士たちの治療が続けられていた。
一良とバレッタは食事もそこそこに治療の手伝いを続けており、リーゼとジルコニアもそれに加わっている。
幸いなことに火傷を負った兵士は少数で、ほとんどの怪我人が矢による負傷だ。
日本から持ち込んだ火傷用の軟膏や鎮痛剤、麻酔用の精油は在庫が潤沢にあるので、今のところ治療は順調である。
先ほどまではルグロたちもいたのだが、今は子供たちを風呂に入れるために宿舎へと戻っていた。
「はい、お粥です。食べられそうですか?」
落馬で両腕を骨折してしまった若い兵士に、リーゼがスプーンを口元に運ぶ。
重傷者のケアで忙しい看護人や医者に代わり、自分が彼の食事の介助をすると申し出たのだ。
「はい! いただきます!」
「ああくそ! 俺も腕を折っておけばよかった!」
「リーゼ様に物を食わせてもらえるなら、俺こんな腕いらねえよ」
周囲のベッドに横たわる仲間たちから羨望の眼差しを受けながら、彼が口を開く。
リーゼがその口にスプーンを差し込んだ次の瞬間、彼は「ぶほっ!」とむせ返った。
「げほっ! げほっ!」
「あっ!? ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
「す、すみません、粥が熱くて……ごほっ、ごほっ」
「うう、本当にごめんなさい。慣れていないもので……」
「いえ、大丈夫ですので」
その様子に、見ていた兵士たちは「ざまあみろ」とニヤつき顔になる。
だが次の瞬間、彼らは驚愕に目を見開いた。
「ふーっ、ふーっ……はい、これでどうでしょうか?」
「いいい、いただきます!! ありがとうございますううう!!」
リーゼのまさかの行為に、それまでニヤついていた兵士たちは「どうして俺の腕は折れてないんだよ!」とか「何だよもおおお!」と悔しがっている。
リーゼはその様子にくすくすと笑いながら、食事介助を続けている。
「うわ、いいなぁ。やっぱり、リーゼ様って素敵ですよね……」
ベッドに腰掛けて一良から右腕に薬を塗り直してもらっていた若い貴族兵が、羨ましげに言う。
「はは。ほんと、彼女は人気ですよね」
「そりゃあ、ものすごい美人ですし、私らみたいなのにも分け隔てなく優しいですし、憧れの的ですよ。あんな人を奥方に迎えられるカズラ様が羨ましいです」
「え? いや、俺はそんなんじゃ……」
「またまた。今さら隠さなくてもいいじゃないですか。誰も彼もが噂してますよ? いつ結婚の発表があるんだろうって」
「ええ……」
一良は困った顔をしながらも、彼の腕に薬を塗り終えた。
ガーゼを当て、きつくならないように注意しながらテープで止める。
指先から二の腕まで、彼の腕はガーゼで真っ白だ。
「はい、できました。痛みは大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ここに来た時は叫びたいくらいに痛かったのに、今は少しピリピリするだけですよ。精油と鎮痛剤でしたっけ? 本当にすごい薬ですね」
「腕はあまり動かさないでくださいね。頭はぼうっとしませんか?」
「少しふらつきますが、大丈夫です。あの……俺はまた、剣を持てるようになるでしょうか? 火傷って、皮が突っ張って動かせなくなるって聞いたことがあって」
「薬もいいものがあるし、そこまで酷い火傷じゃないから大丈夫ですよ。すぐに良くなりますから」
先ほど薬を塗りながら雑談をしたのだが、彼は貧しい下級貴族の出身で、家一番の出世頭らしい。
鐙の登場で騎兵隊に増員募集があったので手を上げたところ採用の運びとなり、両親は大喜びだったそうだ。
そんな境遇ゆえ、もし自分が働けなくなったら、と心配でならなかったのだろう。
騎兵隊は警備兵や重装歩兵よりも、頭一つ分給金が高い。
その分訓練は厳しいし、実戦では危険な戦闘に駆り出されることが多いのだが。
「それにしても、よくあの状況で袖を引き千切れた……というか、普通は引き千切るなんて無理じゃないですか?」
彼は騎兵隊として敵陣へと突撃した際、火炎壺を投擲する直前に敵の矢が壺を直撃し、右腕全体が炎に包まれてしまった。
その時の彼は手袋をすぐさま外したうえに、袖を引き千切って投げ捨てるという離れ業をやってのけたのだ。
手袋だけならともかく、分厚い鎧下の袖を力任せに引き千切るとは、にわかには信じられない話だ。
「いやぁ、あの時は死ぬかと思って……無我夢中で叫びながら引っ張ったら、バリッて肩口から裂けたんですよね」
「火事場のバカ力ってやつですかね……そのせいで、左手の指が3本も折れてるんじゃないですか?」
彼の左手は親指、人差し指、中指の3本がぽっきりと折れてしまっており、今は包帯でぐるぐる巻きにされている。
その時は右腕が燃えたことで頭がいっぱいで、帰還後に仲間から「左手がえらいことになってるぞ」と指摘されて初めて気づいたらしい。
折れた指で手綱を掴んでラタを操っていたというのだから、痛みを感じていなかったことが不思議でならなかった。
そのうえ右足のふくらはぎにも矢が突き刺さっていて、ラタから降りて歩いている時に「それ平気なのか?」と言われてようやく気付き、絶叫しながらその場で転げ回ったとのことだ。
「はは。かもしれませんね。でもまあ、そのおかげで火傷が軽く済んだんですから、儲けものですよ」
明るく笑う彼に、一良も頬が緩む。
「本当に、よく頑張ってくれましたね。今は治療に専念して、早く良くなってください。食事もいいものが出ますから、毎食しっかり食べてくださいね」
「はい! ありがとうございます!」
そうして一良がイスから立ち上がった時、ナルソンが建屋に入って来た。
皆が慌てて姿勢を正そうとするのを、「そのままでいい」と片手を上げて制する。
「カズラ殿、お話が……ジル、リーゼ、バレッタも来てくれ」
ナルソンに呼ばれ、皆が集まる。
「皆に聞いてもらいたいことがあってな。場所を変えよう」
奥の薬品置き場へと向かうナルソンに、一良たちは「なんだろう?」と顔を見合わせながら後を追った。
最後に部屋に入ったバレッタが扉を閉める。
ナルソンは皆に振り向いた。
「バレッタ、治療は順調か?」
「はい。2人だけ重度の火傷を負っている人がいますが、今は落ち着いています。矢傷を負った人たちは、全員お医者様が適切に処置してくださいました」
「そうか。医者たちだけでも診れそうか?」
「大丈夫かと。今後の看護のしかたは伝えてありますので」
「ナルソン、話って? 何か問題でも起こった?」
ジルコニアがナルソンを急かす。
バルベール軍がまた妙な動きを見せたのでは、と気が気ではないのだ。
「それがな……私の下に書状が届いたんだ」
ナルソンが困惑した様子で言う。
「書状? カイレンから?」
「それも来たが、もう1つ届いてな。つい先ほどグレゴリアの港に漁船で届けられたと、無線で連絡があったんだ」
「グレゴリア? あっちに張り付いてるバルベール軍が送りつけてきたの?」
「いいや。バルベール北方の蛮族からだ」
「は? 蛮族から?」
「うむ」
怪訝な顔をするジルコニアに、ナルソンが頷く。
そして、驚くべき言葉を口にした。
「書状の最後に、蛮族の族長たちと……アロンドの署名があった」