作品タイトル不明
310話:信用できる?
「……え?」
ぽかんとした顔で気の抜けた声を一良が漏らす。
バレッタたちも、唖然とした顔になっていた。
「書状には、『部族同盟は対バルベール戦線として貴殿ら同盟諸国と共闘したい』と記されていた。彼らの全面攻勢に呼応して、我々にも攻勢を望むとのことだ。蛮族の族長たちの署名もあったらしい」
「アロンドって、ハベルの兄のアロンド・ルーソンよね?」
「そうだ。これまでの行いを詫びる内容の書状も一緒に送られてきた。これがその内容だ」
ナルソンがメモ紙を取り出し、ジルコニアに手渡す。
「ええと……『急に姿を消したことを深くお詫び申し上げます。私は今まで――』」
ジルコニアがアロンドからの書状を読み上げる。
突然姿をくらましたことに対する謝罪。
今までバルベール元老院に潜入し、彼らの信頼を得て情報を集めていたこと。
バルベール軍が首都から砦に出撃したと同時に逃亡し、蛮族領へと侵入したこと。
部族の族長の1人にアルカディアとバルベールでの開戦を伝えて説得し、すべての部族を説得させてバルベールに全面攻勢をかけるように働きかけたこと。
バルベール北西の港湾都市ドロマを計略によって無血で占領したこと。
その他、アロンドがバルベールに侵入中に手に入れたバルベール軍の配置場所と軍団の構成内容、各軍団長の性格から各地の街や都市の食料備蓄量まで、事細かに記載されていた。
そのあまりにも詳細な情報に、一良たちはただただ唖然とするばかりだ。
「ま、まさか、そんなこと……」
愕然とした顔のリーゼ。
てっきり、アロンドはバルベールに亡命してアルカディアの情報を売り渡したものとばかり思っていた。
それがまさか、このような大それたことをしていたとは。
「書状を携えて来た者は蛮族の兵士と、捕虜になったバルベールの漁師とのことです。証拠として、バルベール元老院の認印付きのドロマの地図の原本を携えていたそうで」
「夜中に沖合に大量の筏を浮かべて松明を灯し、さも大艦隊がいるように見せかけて降伏をうながした、か。ちょっと信じられないわね」
ジルコニアがメモ紙に目を落としながら言う。
「天候によっては、あり得ない話でもないな。たとえば大雨に紛れていれば海上の視界は悪くなるだろうし、偽装工作もしやすくなる。そう都合よく、雨に合わせて筏を用意できるのかは分からんが」
「ということは、アロンドさんは裏切っていなかったということですね?」
じっとジルコニアの持つ書状を見ていた一良が、ぽつりと言う。
「書かれている内容はこっちが得ている情報と同じものがいくつもありますし、信用できそうです。アロンドさんは、ずっと1人でアルカディアのために動き回っていてくれたってことですよね?」
「それは……」
ナルソンが口ごもる。
ナルソンとしては、そう簡単に彼を信用することなどできないと考えていた。
以前、ジルコニアが捕らえられていた際に、ティティスから水車、製粉機、スクリュープレスの話をされたと聞かされている。
それらはアロンドが持ち出した設計図と同じものであり、彼がバルベールにそれらを渡したと考えていいだろう。
何より、自分に何も話さずに勝手に姿をくらましたという事実が大きすぎた。
「私としては、ただの日和見的行動に思えます」
一良にどう答えようか悩んでいるナルソンに代わり、バレッタが口を開く。
「アロン……あの人は機械の設計図をいくつも盗み出し、ナルソン様にさえも何も言わずにバルベールへ亡命したんです。砦を巡る戦いの詳細も知っているでしょうし、旗色が悪くなったと判断して部族領へと逃げたんだと思います」
バレッタが一良を見る。
その真剣な眼差しに、一良の目に動揺が走った。
「カズラさん、あの人を信用するのは危険です。書状に書かれている情報には正しいものもあるとは思いますけど、嘘というものは真実の中に隠すものです。彼を忠臣のように考えるのは、やめるべきです」
「……」
「信じたいという気持ちと、信じられるかというのは別問題です。こちらの作戦は上手くいっているんですから、そこにあえて不確定要素を入れるべきではありません」
「……そうね。バレッタの言うとおりだと思うわ」
ジルコニアが頷く。
「本当に蛮族に与しているとしたら、それこそ土壇場になって手のひらを返してくるかもしれない。蛮族の戦力も未知数なわけだし」
「うむ。そう考えるべきだろうな」
「……そうですね」
ジルコニアとナルソンの言葉に、一良が苦悩の表情で頷く。
バレッタの言うとおり、アロンドを全面的に信用して蛮族と共闘することにした場合、下手をすれば脇腹を突かれて大損害を被る可能性だってあるのだ。
一良としてはイステリアで彼と一緒に仕事をしていた時の彼の誠実さと頼もしさが強く印象に残っており、彼が姿を消してからもずっと「ひょっとしたら」と考えることが何度もあった。
バレッタに指摘されたように彼を信じたいという気持ちがあることは確かだが、現実問題としてそれは無理だろう。
自分の気持ちを優先させて、国全体を危険に晒すべきではない。
「バレッタさんの言うとおりです。さっき俺が言ったことは忘れてください」
考えを振り切った顔で言う一良に、バレッタがほっとした表情になる。
「はい。ナルソン様、蛮族からの要請にはどう返答するおつもりですか?」
「とりあえずは、了承したと返答しようかと思う。ここで突っぱねると、蛮族軍と遭遇した途端に戦闘にもつれ込む危険を生むからな」
「なるほど。それがいいかもしれないですね。ですが、軍を並べてバルベール軍と戦闘を、という状況にはならないように気を付ける必要があるかと」
「ああ、もちろんそこは注意しよう。しかし、バルベール海軍に拿捕されずに、使者はどうやって海を渡って来たのだろうな……」
「……ナルソン。1つ提案があるんだけど」
考え込んでいたジルコニアが、ナルソンに声をかける。
「どこかのタイミングで、アロンドと顔を合わせる機会を作れないかしら? 蛮族からの使者として呼び出すとか」
「む、作れるかは分からないが……どうしてだ?」
「首を刎ねてしまおうと思って」
その言葉に、バレッタ以外の3人がぎょっとした顔になる。
「もう、あの男のせいであれこれ悩まされるのは懲り懲りよ。殺してしまったほうが、さっぱりしていいわ」
「い、いや、でも、そんなことをしたら蛮族と戦争になっちゃいますよ。アロンドさんは、族長たちに取り入っているほどに信用を得ているんでしょう?」
一良が慌てて止めに入る。
「それだって本当かどうか怪しいですよ。族長たちの署名が本物かどうかの判別なんて、できないんですし」
「それはそうですけど、首を刎ねるってのはさすがに……」
「そうだぞ。まずはバルベールを屈服させてからだ」
「むう……」
一良とナルソンに窘められ、ジルコニアが不満そうな顔になる。
「と、とりあえずは、もし彼に会えたとしても穏便にやり過ごすのがいいと思います。策に乗ると見せかけておけば、蛮族も油断してくれるかもしれませんし」
リーゼの一言に、一良とナルソンがうんうんと頷く。
「ああ、それがいいだろうな。殿下やイクシオスたちにも相談して決めるとしよう」
ナルソンが扉を開き、部屋を出て行く。
皆がぞろぞろとその後をついていくなか、リーゼがこそっとバレッタに歩み寄った。
「ねね、ちょっと待って。アロンドのことだけどさ」
「はい?」
バレッタが足を止める。
部屋には、バレッタとリーゼの2人きりとなった。
「もしかしたらさ、カズラが言うように、アロンドは本当に元から蛮族をけしかけるためにバルベールに侵入してたってことはないかな?」
バレッタの表情を窺うように、リーゼが聞く。
「どうしてそう思うんです?」
「だってさ、あの人が持ち出した設計図って確か、水車、唐箕、製粉機、鉱石粉砕機、スクリュープレス、あと新型ハーネスでしょ? 鍛造機とか高炉の設計図だって、あの人の立場なら上手くやれば持ち出せたのに、そうしなかったよね?」
「そうですね」
「でしょ? それに、バルベールで新型ハーネスが使われ始めたって報告もないし。あんな目立つもの、使ってたらバレないはずがないよ。しかも、アロンドがいなくなった時に、あの人の今後の業務予定を分かりやすくまとめた資料まで、あの人の部屋に置いてあったじゃん。おかしくない?」
「はい、おかしいですね。軍事的に大きく役立つ設計図は渡していないようにも思えますし、彼が消えた後のイステリアの事業に支障が出ないように資料を用意したと考えられます」
すぐに頷くバレッタに、リーゼが小首を傾げる。
「え? じゃあ、本当はバレッタもアロンドは裏切ってないかもって思ってたりするの?」
「はい。でも、あの人は信用できませんから。まともに相手をする必要はありません」
きっぱりとバレッタが言い切る。
そのどこか迫力のある声色に、リーゼが少し引き気味になる。
「う、うーんと……それって、前にアロンドがカズラをバカにした……から?」
以前、バレッタがアロンドに口説かれた際に、彼が一良を貶す発言をしたという話をリーゼは思い返す。
アロンドがどういう台詞を吐いたかまではリーゼは聞いていなかったが、かなり酷い貶し方をしたようなことをバレッタは言っていた。
「ええ。カズラさんをあんなふうに貶した人なんて、私は絶対に信用しません」
吐き捨てるように言い、そのままスタスタと部屋を出て行ってしまった。
「うーん……でも、こんなことするつもりだったなら、どうしてバレッタを口説いたりカズラを貶すようなことを言ったんだろ? 感情に任せてそんなことするほど、あの人はバカじゃないと思うんだけどなぁ」
リーゼは合点がいかない顔で首を傾げ、バレッタの後を追うのだった。
その頃、部屋に戻されたティティスとフィレクシアは、テーブルを挟んでイスに座り、一息ついていた。
「うう、痛い……あのシルベストリアって人、いくらなんでも乱暴すぎますよ」
フィレクシアが真っ赤になった右腕を摩る。
かなりの力で握られたようで、くっきりとシルベストリアの指の後が赤く残っていた。
「フィレクシアさんがあんな真似をするからです。下手すれば殺されてもおかしくない立場なのですから、今後は注意してください」
やれやれといった顔のティティス。
自分もセレットに腕を捻り上げられて、肩を少し痛めてしまっていた。
「それにしても、アルカディアの女性兵士は相当の鍛錬を積んでいるようですね。握られただけで、腕がそんなふうになるなんて」
「本当に腕を潰されてしまうかと思いました……いたた」
フィレクシアが腕を摩り、ため息をつく。
「あのウリボウたちを使役しているのもそうですけど、アルカディアはどうなっているんでしょうかね? 南の海を越えたどこかの国から、技術協力でもされているのでしょうか?」
「そうですね……11年前は4カ国共同で我が国とやっと戦っていたような小国が、たった5年でここまで強力になるなんて。先ほどナルソン様が言っていましたが、神の助力というのもあながち嘘ではないかもしれませんね」
ティティスの言葉に、フィレクシアが顔をしかめる。
「ティティスさん、神様なんてこの世にはいないのですよ。もしいるのなら、この世界から争いや貧困はすべて消え去っていないとおかしいじゃないですか」
「冗談ですよ。怒らないでください」
「まったくもう……そういえば、ティティスさん。ジルコニア様を探していましたけど、何かお話ししたいことでもあるんですか?」
フィレクシアの質問に、ティティスが暗い顔になる。
「……ええ。アーシャさんの件について、聞きたいことがあって」
「アーシャさん? どうして彼女を殺したのかってことですか?」
フィレクシアが小首を傾げる。
「アーシャさんのことは、ラースさんが言ってたじゃないですか。彼女がジルコニア様に、『殺してやる』って宣言してしまったからだって」
「はい。ですが、そのことについてどう思っているのかな……って」
ティティスの目に涙が滲む。
短い期間ではあったが、親しく話す友人として、ティティスはアーシャのことがとても好きだった。
同性で日頃から言葉を交わすのはフィレクシア以外には彼女しかおらず、とても真っ直ぐな心を持つアーシャは肩の力を抜いて話せる数少ない友人だったのだ。
それに、彼女が殺されてしまったのは、カイレンがマルケス将軍を殺そうとして、ジルコニアと共謀したことが原因だ。
心から信頼していたカイレンの非情な行いに、ティティスの心は酷く疲弊していた。
「ティティスさん、仕方がないことだったのですよ。カイレン様にもジルコニア様にも事情があったのですし、今さらそれを掘り返すのはよくないですよ」
「分かっています。それでも、どうしても聞きたくて」
「むう……私が言えた義理じゃないですけど、ジルコニア様の返答次第ではティティスさんがジルコニア様に食ってかからないか私は心配なのです」
フィレクシアが困り顔で言う。
「毒の兵器を使うかどうかでも私は言いましたけど、一番厄介なのは怨恨なのですよ。もし何かあったら、今度はティティスさんがジルコニア様に殺されかねませんよ?」
「……フィレクシアさんは、気にならないのですか? アーシャさんと、あんなにも仲良くしていたじゃないですか!」
ティティスがフィレクシアを睨み、声を荒げる。
「友人が、無残にも殺されてしまったのですよ!? それも、カイレン様の策が原因で!」
「ティティスさん、優先順位なのですよ」
フィレクシアが心配げな顔でティティスを見る。
「私だって、アーシャさんのことは好きでした。でも、彼女は死んでしまった。そして、私たちはアルカディア軍の捕虜になっています。やりたいことと、やるべきことは別個に分けて考えないと、未来が閉ざされるのですよ」
「……フィレクシアさんは冷静なんですね」
ティティスが声のトーンを落とし、うつむく。
そんな彼女に、フィレクシアは少し寂しげに微笑んだ。
「いいえ。私はただ、薄情なだけです。カイレン様にどうやったら気にかけてもらえるかってことが1番で、他のすべての優先順位を下げているだけですから」
フィレクシアが赤く腫れた腕を摩る。
「カイレン様に大切に想ってもらえるのなら、他はどうでもいいです。『フィレクシアのおかげで今の自分がある。俺にはフィレクシアが一番大切だ』と心から言ってもらえるのなら、その後殺されても文句はないのですよ」
「……どうして、そこまで?」
「私は、忌み子なのですよ」
ティティスが顔を上げ、フィレクシアを見る。
彼女はうつむき、腫れた腕を撫で続けていた。
「父は蛮族。母親はその人に犯されて、生まれてきたのが私です。母は私を産んですぐに病死だか殺されたかで、私は顔も見たことがありません」
「……」
「8歳くらいまで、家畜同然の扱いをされてはいましたが、どうにか生きていられるくらいの食べ物は与えてもらえてました。でも、すぐに熱を出して寝込んでしまう私を、村の人たちは役立たずだと見限ったのでしょうね。真冬の森の中に捨てられてしまったんです」
「……そこを、カイレン様に救ってもらったのですか?」
「はい。偶然、軍団の兵士さんが見つけたと聞いています。気が付いた時には、兵舎のベッドに寝かされていました」
フィレクシアがその当時を思い出すように、目を細める。
「目を開いた私に、カイレン様は『おっ、気が付いたか?』って、微笑みました。私が人生で最初に目にした、自分に向けられる温かい笑顔でした」
言葉を失うティティス。
今までフィレクシアの出自については何も知らなかったし、初めて顔を合わせたのもここ1年ほどだ。
カイレンが彼女のことを話題に出すこともそれまでなかったので、それまでその存在すら知らなかった。
初めて顔を合わせた時に「誰よこの女」とばかりに彼を問い詰めたのだが、彼は「話題に出なかっただけで、隠してたわけじゃないって」と困り顔をしていた。
あの時の彼の表情からして、あれは本心だろうとティティスは思っている。
「体調を取り戻した後、私は首都に送られました。カイレン様の旧知のかたの家でお世話になっていたのですが、お願いしてお仕事のお手伝いをさせてもらうことになったんです」
「それで、職人の道を進むことになったのですか」
ティティスの言葉に、フィレクシアがにっこりと微笑む。
「はい。私は、見捨てられないようにって必死だったのですよ。もしこの人たちに嫌われたら、また捨てられてしまうかもって」
でも、とフィレクシアが続ける。
「カイレン様は首都に来るたび、私の様子を見に来てくれました。あれができるようになった、これができるようになったと言うたびに、『やるじゃないか。その調子だぞ』って頭を撫でてくれたんです」
嬉しそうに言うフィレクシアに、ティティスの表情が和らぐ。
カイレンの温かい面を聞くことができて、ほっとしている自分がいることに気が付いた。
「それで、カイレン様に褒めてもらうことが私の目標になりました。もっと褒めてもらいたい。カイレン様に必要とされたい。カイレン様を独り占めしたいって思うようになったのですよ」
「……そうでしたか。そんなことが――」
「だから! やっとカイレン様に呼んでもらえて大喜びで軍団に来た時にティティスさんを見た時は、私は白目を剥くくらいショックだったのですよ!」
突然憤慨した様子で叫ぶフィレクシアに、ティティスが口を半開きにしたまま固まる。
「私がいない間にカイレン様をたらし込んでいたなんて! ちょっとスタイルがいいからって調子に乗らないでください! ティティスさんが親切な人じゃなかったら、毒を盛ってやっているとこだったのですよ!」
「え、きゅ、急に何を」
「カイレン様と結婚するのは私なのです! 絶対に奪い返してやりますからね!」
「フィレクシアさん、落ち着いて――」
「やかましい! 大声で喚くな!!」
バン、と扉が開いて憤怒の形相のセレットが姿を見せ、ティティスとフィレクシアがびくっと体を跳ねさせる。
セレットの後ろでは、「ああっ」とシルベストリアが残念そうな顔でセレットに小さく手を伸ばしていた。
「次に騒いだら飯抜きにするぞ! 分かったか!?」
「申し訳ございません。もう騒ぎませんので」
「ご、ごめんなさいです」
ふん、とセレットが2人を睨み、乱暴に扉を閉める。
扉の向こうから微かに「いいとこだったのに……」と残念がるシルベストリアの声が2人の耳に届いたのだった。