作品タイトル不明
267話:今かけるべき言葉
仲間に手を引かれ、ジルコニアは軍団要塞のなかを走っていた。
全速力に近い速度で走っているにもかかわらず、体の感覚がまったく感じられない。
自分はいったい、何をしているのだろう。
積年の恨みをようやく果たすことができたというのに、まったく気分は晴れていない。
ただただ、途方もない虚しさが残っただけだ。
あのアーシャという娘の憤怒の形相と、彼女が叫んでいた言葉が、頭にこびりついて離れない。
「ジルコニア様!」
半ば引きずられるようにして足を動かしているジルコニアに、手を引いている壮年の男の志願兵が叫ぶ。
ジルコニアは顔を上げ、彼を見た。
「今は余計なことを考える時ではありません! しっかりしてください!」
ジルコニアが虚ろな表情で彼を見つめる。
「……うん。ごめんなさい。自分で走れるから、手を離して」
消え入るような声でそう答え、再びうつむいてしまうジルコニア。
彼は戸惑った様子ながらも、それ以上は何も言わずにジルコニアの手を離した。
「このまま要塞を出て森に逃げるぞ! 全員、離れるな!」
ジルコニアに代わって彼が皆に指示を出し、そのまま軍団要塞内を走り抜ける。
しばらく走り、自分たちが侵入した要塞の出入口へとやってきた。
途中、敵兵を何人か見かけたが、誰一人としてジルコニアたちに向かってはこなかった。
それどころか、誰も彼もが怯えた表情をし、なかには悲鳴を上げて逃げ惑う者すらいた。
「ジルコニア様!」
まったく妨害を受けずにジルコニアたちが軍団要塞の外へと飛び出した時。
暗闇の中から、完全武装のアイザックとハベル、その後ろから複数のグリセア村の村人たちが駆け寄ってきた。
皆、ジルコニアの姿を見てほっとした表情をしている。
「ジルコニア様、お怪我はありませんか?」
虚ろな表情で走り続けるジルコニアに並走しながら、アイザックが尋ねる。
ジルコニアは少しだけ顔を上げてアイザックを見ると、再び視線を落とした。
「……ない」
ぼそりとつぶやくジルコニア。
アイザックはそんな彼女に戸惑った様子ながらも、再び口を開く。
「カズラ様が森でお待ちです」
アイザックの言葉に、ジルコニアの顔が強張る。
その時、砦の方角から、カノン砲の砲撃音が響き渡った。
ジルコニアがその方向に目を向けると、もうもうと立ち上る複数の黒煙と、その地点を真っ赤に照らす紅蓮の炎が見て取れた。
どうやら、火炎弾がいくつも投擲されているようだ。
ジルコニアたちは思わず足を止め、その光景に見入ってしまう。
そうしている間にも、大きな爆発音が連続で響き、真っ赤な炎とともに黒煙がいくつも立ち上った。
小さな爆発音も立て続けに起きており、微かながら悲鳴や叫び声まで聞こえてくる。
「カズラ様の指示で、こちらの軍勢は敵に全面攻勢をかけています。全砲撃兵器を撃ちまくり、手投げ爆弾も全部隊に使用指示が出ました。ジルコニア様の下へ敵を向かわせないためにです」
唖然とした表情になっているジルコニアに、ハベルが静かに言う。
「……」
「ジルコニア様。カズラ様は激怒していると思います。くれぐれも、お会いした際はお言葉にお気をつけください」
「……うん」
「行きましょう」
ハベルにうながされ、再び皆が森へと向かって走り出す。
しばらく走ると、森の中に明かりを見つけた。
すると森の中から、一良がバレッタ、リーゼ、そして数十人の近衛兵たちとともに駆け寄ってきた。
「お母様!」
その脚力で真っ先にジルコニアに駆け寄ったリーゼが、彼女の腕を掴む。
「よくぞご無事で! どうして、あんな――」
「ジルコニアさん!」
続けて駆け寄った一良が、両手でジルコニアの肩を掴む。
その勢いに、リーゼは慌てて一歩下がった。
ジルコニアはびくっと体をすくめ、彼を見る。
「無事でしたか! って、この血は!? 怪我したんですか!?」
全身血塗れのジルコニアの姿に、一良がぎょっとした顔になる。
「い、いえ。これは、返り血です」
「返り血……」
一良が言い、ちらりと彼女の背後に控えている志願兵のなかの1人に目を向けた。
リーゼたちは気づいていないようだが、その志願兵は生首を小脇に抱えていた。
やはりそういうことか、と一良は頭のなかでつぶやき、深く息を吐いた。
表情を強張らせて視線を落としているジルコニアに、泣き笑いのような表情を向ける。
「……そっか。無事でよかった」
「え……」
その柔らかい声色に、ジルコニアが再び一良を見る。
一良はそんな彼女に微笑むと、背後の兵士たちに目を向けた。
「砦に帰りましょう。皆さん、ラタをお願いします」
「はっ!」
一良の指示を受け、近衛兵たちが森へと手を振る。
すると、森の中で待機していた兵士たちが、ラタを連れてこちらに向かってくるのが見えた。
「あ、あの、わ、私――」
「いいんです」
何か言わねばと口を開くジルコニアに、一良が微笑む。
「ジルコニアさんが無事なだけで、十分です。よく無事で、戻って来てくれましたね」
一良はそう言って、ジルコニアの頭に手を伸ばす。
まるで親が我が子にするかのように、よしよしと優しく撫でた。
「ずっと、つらかったですね。帰ったら、ゆっくり休んでください。何も心配はいりませんから」
「あ……」
つうっとジルコニアの瞳から涙が流れ、強張っていたその表情がみるみるうちに崩れていく。
「あ、あああっ! わ、私っ……うあああ!」
ジルコニアが一良にすがりつき、ぼろぼろと涙を流して大声で泣きじゃくる。
一良はそんな彼女を抱き締めると、その頭を優しく撫でるのだった。
その頃。
砦の弾薬庫では、何人もの兵士たちがばたばたと走り回っていた。
そこかしこで、ガソリンの入ったドラム缶を運び出す兵士や、手投げ爆弾を両手で抱えて北の防壁へと走る兵士の姿が見られる。
突如下された命令により、当初予定されていたよりもはるかに多い量の弾薬や火炎弾を運び出すことになったのだ。
「な、なあ。こんなに一度に使っちまって大丈夫なのか?」
弾薬庫から火薬の詰まった木箱を運び出した兵士が、それを荷車へと載せながら相方の兵士に尋ねる。
「これ、あんまり補充は利かねえんだろ? 戦いが何カ月続くか分からないってのに、たった一回の戦闘でこんなに使っちまったら……」
「んなこと言ったって仕方がないだろ。今回の敵の攻勢が、本腰を入れたものだってナルソン様が判断したんじゃないのか?」
「マジかよ……ってことは、敵さん、今夜ケリをつけるつもりなのか」
「かもな。まあ、それならそれで好都合だろ」
相方の兵士が、どすん、と荷車に木箱を載せながら、自信ありげな表情を浮かべて言う。
「この砦を取り返した時、お前も新兵器の威力は見ただろ? 敵が全力で来てくれるんなら、まとめてドカンだよ」
「ま、まあ、確かにそうか。固まって進んでくる連中の中に、あれを投げ入れたら……」
そう言って、2人は少し離れた場所でドラム缶を荷車に載せている兵士たちを見やる。
砦で見た火炎弾の威力は、言葉では言い表せないほどにとんでもないものだった。
いくらバルベールの兵士たちが精強であろうとも、防御塔がまるごと大炎上するほどの威力の火炎弾を食らってはひとたまりもないだろう。
今頃、前線の敵兵たちは地獄を見ているはずだ。
「おーい! 手伝いに来たぞ!」
2人が話していると、見知った顔の兵士が駆け寄ってきた。
「あれ? ウッド、お前重装歩兵だろ。何でこんなとこにいるんだ?」
駆け寄ってきたウッドベルに、兵士たちが怪訝な顔を向ける。
しばらく前から、ウッドベルはちょくちょく弾薬庫にやってきていて、兵士たちにあれこれ差し入れをしては雑談していっていた。
彼曰く、「メルフィの父親である未来のお義父さんと親睦を深めるため」とのことだったのだが、肝心のお義父さんに見つかると「サボってるんじゃない!」と怒鳴りつけられて追い返されていた。
そうやって怒鳴られてもウッドベルはめげずに、何度もやって来ては、お義父さん、お義父さん、と彼に愛想を振りまいていた。
そのおかげか、最近では以前よりも当たりは柔らかくなっているようだ。
「いや、俺、防塁掘りで手を痛めちゃってさ。まだ槍がまともに持てないんだよ。それで、こっちの手伝いに回されたんだ」
「うへぇ。なんつータイミングで、お前ってやつは……」
「隊長(メルフィの父親)に見つかったら、また叱られるぞ? こっちはいいから、他の手伝いに回った方がいいんじゃないか?」
こそこそと背後を気にしながら言う兵士たちに、ウッドベルが苦笑を向ける。
「んなこと言ったって、指示されたのがこの場所なんだよ。命令無視ってわけにはいかないだろ」
「いや、それでも隊長に見つかったら――」
「おい! そこのお前ら、何をしている! さっさと動け!」
兵士の一人が言いかけた時、弾薬庫から木箱を抱えて出てきた壮年の兵士が彼らに怒鳴った。
「もたもたするんじゃない! 前線では――」
「あっ、お義父さん!」
怒鳴る兵士に、ウッドベルが手を振る。
彼の彼女、メルフィの父親だ。
「ん? ウッドベルか? 何でここにいるんだ?」
「手首がまだ治ってなくて、こっちの手伝いに回されました!」
その言葉にメルフィの父親は一瞬ほっとした顔になったが、すぐに表情を引き締めた。
「……そうか。よし、こっちに来い!」
「はいっ!」
ウッドベルが元気に返事をし、彼の下へ駆け寄る。
彼は兵士たちに目を向けた。
「お前らは、早く火薬箱を防壁へ運べ!」
「「はっ!」」
兵士たちは背筋を伸ばして返事をすると、1人ずつ荷車を引いて大急ぎで北の防壁へと駆けて行った。
傍に来たウッドベルに、メルフィの父親が目を向ける。
「人手が足らなくてどうにもならなかったところだ。ウッドベル、火薬箱を運び出すのを手伝え」
「了解です!」
彼に連れられて、ウッドベルが弾薬庫の中に入る。
ウッドベルが弾薬庫内を見渡し、「へえ」と声を漏らす。
中では複数の兵士たちが、床に積み上げられた火薬や砲弾入りの木箱を抱えては外に運び出していた。
「ウッドベル、手首はそんなに悪いのか?」
木箱へと歩み寄りながら、メルフィの父親がウッドベルに言う。
「ええ。どうにも痛みが引かなくて。腫れたりはしていないんですけど、筋をやっちゃってるみたいなんです」
「そうか。木箱は持てそうか?」
「槍を使うみたいな捻る動きをしなけりゃ大丈夫っす!」
「分かった。ここにある火薬と砲弾を、ありったけ防壁に運べという指示が出ている。荷車に積んだら、お前が防壁へ運べ」
「はい!」
「よし、そっちを持ってくれ」
2人で協力して、木箱を持ち上げる。
中身は砲弾のようで、かなりの重量だ。
「重いぞ。気をつけろよ」
「大丈夫です!」
えっちらおっちらと木箱を荷車へと運び、どすん、と荷台に載せる。
次の木箱を取りにウッドベルが向かおうとすると、メルフィの父親がその肩にぽんと手を置いた。
「その手首、しばらくは治りそうにないな?」
「え?」
真剣な表情でじっと目を見つめられ、ウッドベルがきょとんとした顔になる。
そして、にかっと笑った。
「そうっすね! どうにも痛みが引かなくて。はは」
「そうか。後で私のほうから、こっちの隊への配置換えの申請を出しておく」
「分かりました! お義父さん!」
ゴン、とメルフィの父親がウッドベルの頭をどつく。
「調子に乗るな。バカ者が」
「へへっ、すんません」
そうして次々に荷車に木箱を載せる。
ある程度木箱を積んだところで、メルフィの父親がウッドベルの背を叩いた。
「よし、急いで持っていけ! 置いたらすぐに戻ってこいよ!」
「はい! んじゃ、また後で!」
ウッドベルは荷車を引き、北の防壁へと向けて駆け出した。