軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第五十六話 赤字の夏と水不足と

翌日、王太子執務室。

「こちらが収支報告書です」

私が分厚い書類を机に置くと、イザベラ様が身を乗り出す。

「あれだけ売れたのですもの! さぞかし莫大な利益が出たのでしょうね!」

「民の笑顔はプライスレスとは言いませんけれど、黒字は確実よね?」

なぜかカトレア様も当然のように執務室で、扇子風のバチを揺らしている。

私は眼鏡の位置を直し、無慈悲な事実を告げる。

「売り上げは過去最高記録です。ですが、イザベラ様。イセエビなどの数々の最高級食材の仕入れ値が売値を上回っています。一杯売るごとに赤字です」

「なっ……!?」

さらにカトレア様の影から、すっと進み出たエステナが眼鏡の位置を直し、無慈悲な事実を告げる。

「カトレア様、氷河からの輸送費と美容液シロップの原価、さらに太鼓持ち軍団への特別手当が高すぎます。こちらも大赤字です」

「まあ……!?」

二人が絶句する。

そう、彼女たちは金貨一枚という高値で売ったが、原価は金貨二枚かかっていたのだ。

貴族の金銭感覚による敗北である。

「唯一の黒字は、私が売っていた『水』と『麦茶』と『胃薬』だけです。この利益でかろうじて屋台の設営費はトントンにしました」

部屋に沈黙が流れる。

そこへ、殿下が頭を抱えながら口を開く。

「金はいい。問題はこれだ」

殿下が広げたのは、今朝の新聞だ。

一面に屋台で笑顔を振りまくミハイル殿下の写真と、カトレア様が身悶えている姿。さらに鬼の形相で焼きそばを焼くイザベラ様の写真。

『第二王子、お忍びで夏祭りに参戦! 侯爵令嬢カトレア様が大接近!? 愛の共同作業へ発展か!』

『公爵令嬢イザベラ様が的屋組織までも傘下に置いたのか!? 夏祭りで進んだ裏の全貌とは!?』

「傘下も裏もないわ!? 人聞きが悪いわね!」

イザベラ様がバンッと机を叩いて立ち上がる。

「リリアナ、すぐに訂正記事を出させなさい!」

「『事実無根』と抗議すればよろしいですか?」

私がメモを取ろうとすると、イザベラ様は扇子をビシッと突きつける。

「いいえ! 『的屋組織』ではなく『愛の厨房部隊』よ! 『傘下』ではなく『慈愛による保護』よ!」

「……そっちですか(事実は否定しないんですね)」

その横で、カトレア様はうっとりと新聞を切り抜いている。

「素敵! 『愛の共同作業』ですって! これはもはやミハイル様と実質的な婚姻届の受理と同じよ! おーほっほっ!」

訂正の方向を間違えているイザベラ様と、幸せな幻覚を見ているカトレア様。

この個性豊かな面々がいる限り、私の胃が休まる日は来ないのだが……ふと見ると、エステナも小さくため息をつきながら、懐から胃薬を取り出していた。

その疲れた横顔を見ると、彼女も苦労しているのだろう。

私たちは無言で視線を交わし、静かに頷き合った。

屋台での激闘から数日後。

執務室に冷やしたタオルを首ではなく、胃に当てて虚空を見つめる殿下の姿があった。

「……リリアナ、あれから胃が重いのだ」

「物理的にですか? それとも精神的にですか?」

「両方だ。イザベラが『優勝記念・イセエビ食べ尽くしパーティー』を三日三晩開催したせいで、俺の血液は甲殻類のエキスでできている気がする。当分エビは見たくない」

殿下はまだ、げっそりしている。

あの日、イザベラ様の「私の 情熱(エビ) を食らいなさい!」という号令のもと、王宮の食卓は赤一色に染まっていたのだ。

その重苦しい空気を、またしても物理的な衝撃が打ち砕く。

「バンッ!」と執務室の扉が豪快に吹き飛んだ。

「リリアナ、殿下、大変よ! 夏がまだ終わっていないわ!」

今日のイザベラ様は探検家のようなカーキ色のベストに、ショートパンツ。そして背中に大きなリュックサックを背負い、手には扇子ではなく、なぜか高級木炭を持っている。

「今日はどうされたのです? 探検にでも行くのですか?」

「いいえ、『アウトドア』ですわ! 海を制した次は山よ! 今こそ未開の地で火を囲み、肉を焼く『 BBQ(バーベキュー) 』を行うべきですの!」

イザベラ様が木炭をデスクに叩きつける。

殿下が即座に拒絶反応を示した。

「断る。俺は今、消化の良い粥が食べたいのだ。脂っこい肉などいらん」

「まあ! あなたったら、私の『焼き奉行』姿を見たくないのですか!? 大自然の中で私が焼く肉は、愛のスパイス(物理)が効いて絶品ですのよ!」

「絶望の未来しか見えん」

殿下の拒絶は固い。

だが、私はイザベラ様が持参した一枚の書類――『辺境調査依頼書』を見て眼鏡を光らせた。

「殿下、ご再考ください」

「リリアナ? まさか、お前までBBQがしたいと言うのではないだろうな?」

「いえ、ここを見てください。行き先候補の『ランダム村』。ここから王都の水源となる巨大な『王立ダム』がある地域ですが、原因不明の水不足で緊急調査要請が来ています」

「水不足だと? ダムが干上がったとでもいうのか?」

「分かりません。ですが、もし解決できれば王太子としての功績になります。ついでに現地は高原地帯。避暑地としても最適かと」

「なるほどな」

殿下の瞳に光が宿った。灼熱の王都を離れ、涼しい高原で粥をすする。それなら悪くないと。

「よし、行くか。ただし、あくまで公務だ。遊びではないぞ」

「もちろんですわ! 公務(キャンプ) ですわね! それなら、友人たちに『串』の準備をさせてきますわ!」

私たちは、それぞれの思惑(イザベラ様は肉と火遊び、私と殿下は避暑と公務)を抱き、北東の山岳地帯へと向かうことになった。

王都から馬車で半日。

私たちは巨大な石造りの堤防がそびえ立つ、ランダム村に到着した。

目の前には空を塞ぐような巨大なダムの壁。

本来なら、ここから豊かな水が放流され、川を潤している。

――そのはずだった。

「枯れているな……」

殿下が川底を見下ろして呟く。

川の水位は極端に下がり、川底の石が露出している。村の畑までも乾燥し、ひび割れ、作物はしおれていた。

村長が涙ながらに訴えてくる。

「殿下、よくぞお越しくださいました! 見ての通り、ダムの水門を開けても、なぜか水がほとんど流れてこないのです! このままでは村は干上がってしまいます!」

「ダムの貯水量は?」

「それが満水なのです。上流の湖はいつも通りですが、放水口から水が出ないのです。まるで何かが『栓』をしているようで……」

奇妙な現象だ。

私が首をかしげていると、乾いた川底から聞き覚えのある「高笑い」が響いてきた。

「おーほっほっ! お困りのようですわね、皆様! ですが、ご安心なさい! この『水』の支配者、カトレア・フォン・シュトゥルツフルートが来たからには、もう渇きとは無縁ですわ!」

振り返ると優雅なパラソルの下、ティーセットを広げているカトレア一派の姿があった。

今日の彼女は水色の登山用ドレスに、頭には『キノコの盛り合わせ』帽子を被っている。

「カトレア! なぜ貴女がこの辺境にいるの!?」

イザベラ様が叫ぶ。

カトレア様は優雅に紅茶を啜り、鼻を鳴らす。

「ふっふん。奇遇ね、イザベラ。私はこの村の『名誉復興顧問』に就任したのよ。先日のビーチでの敗北。あれは『水不足』が原因だったと分析しましたの」

「風のせいだと言っていなかったかしら?」

「細かいことは気になさらず! とにかく、私がこの村の水不足を解消して差し上げるわ!」

カトレア様の背後では、エステナがダムの設計図を広げる。

「現在、ダムの配管内部に『正体不明の閉塞物』を探知しました。原因は物理的な詰まりです」

「なるほどね。それなら私の華麗なる指揮で、その詰まりを取り除いてあげるわ! 見てらっしゃい、肉臭いイザベラとは違う、清流の如く流れるスマートな解決をね!」

カトレアが挑発的に笑う。

その嘲笑がイザベラ様の逆鱗に触れた。

イザベラ様はリュックから、トングを取り出し、カトレア様にビシッと突きつける。

「上等よ、カトレア! どちらがこの渇きを潤せるか、プライドを賭けた勝負よ!」

「いいわ! 私が勝ったら、貴女には高らかに勝利宣言をしてもらうわ! 私の名前を高らかにね!」

村の存亡をかけた調査は、いつもの泥沼の争いへと発展した。