軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第五十七話 BBQは公務です

私たちはダムの上流、貯水湖の 堰堤(えんてい) へと移動した。

眼下に広がるのは、水を満たした巨大な湖面。

だが、その水面は不気味なほど静止している。本来なら放水口へと向かうはずの水流が、完全に止まっているのだ。

「状況を確認しました」

エステナが分厚い図面を広げ、眼鏡を光らせた。

「このダムは湖底にある取水塔から水を取り込み、地下トンネルを通って下流へ流す構造です。現在の症状から見て、湖底50メートルにある取水口のスクリーン(ゴミ除けの格子)が、何らかの 堆積物(たいせきぶつ) で閉塞しています」

「蛇口にゴミが詰まっているということね」

「簡単に言えばそうです。ですが、水深50メートルの水圧は約5気圧(約50トン)。生半可な手段では手出しできません」

エステナの冷静な解説に、カトレアが優雅にバチ風の扇子を開く。

「あら、庶民には難解な物理学ですこと。けれど私には解決策が見えているわ! 詰まりが取れないなら、内側から『衝撃波』で粉砕すればよろしくてよ!」

カトレアが指を鳴らすと、太鼓持ち軍団が巨大なラッパのような魔道具を運び込んできた。

「ご覧なさい! シュトゥルツフルート家に伝わる最新理論『共振破壊』よ! 特定の周波数の音波を水中に打ち込み、振動で汚れを剥ぎ取るのよ!」

「なるほど、眼鏡の超音波洗浄機と同じ原理ですね。理論上は完璧です、カトレア様」

エステナが肯定する。

カトレア様は勝ち誇った顔で、ラッパの先端を湖面に向けた。

「さあ見なさい、イザベラ! これが知性! これが文明の利器! 貴女のような野蛮人が肉を焼いている間に、私が解決するわ!」

ブォンと重低音が響き渡ると、湖面に細かな波紋が広がっていく。

「ふっふん、これで終わりよ! ……ん?」

数分経ってもダムの水位は変わらず、水が流れる気配もない。

「……あら? おかしいわね。ならば最大出力よ!」

カトレア様が叫ぶが、湖は沈黙したままだ。

私はため息をついて殿下に耳打ちする。

「あれは失敗ですね」

「なぜだ? 理屈は通っているように聞こえたが」

「理論は正しいのですが、相手が悪いです。ここは眼鏡の洗浄機の中ではなく、広大な湖です。音波のエネルギーが拡散しすぎて、水深50メートルの底に届く頃には、そよ風程度に減衰しています」

「なるほど。無駄骨というのやつか」

カトレア様たちが「け、計算が合わないわ!」と慌てふためく横で、イザベラ様は全く別の問題に直面していた。

「許せませんわ……」

イザベラ様がBBQコンロの前で肉を睨みつけている。

「どうされました、イザベラ様? 火加減なら完璧かと思いますが」

「リリアナ、火加減ではなく温度の問題よ!」

イザベラ様は用意されたエールの樽と、下味をつけた塊肉を指差す。

「ここに来るまでの道のりで、エールも肉も常温になってしまったのよ! こんな、ぬるい状態じゃ最高のパフォーマンスが出せないじゃない!」

「……えっと、イザベラ様。確かお肉は焼く前に常温に戻しておいた方が、中まで均一に火が通って美味しくなると、料理の本で読みましたが?」

私が正しい知識を伝えると、イザベラ様は「ふふん」と鼻で笑い、扇子でノンノンと横に振る。

「甘いわね、リリアナ! それは『凡俗な肉』の話よ! ご覧なさい、この肉のだらけきった脂身を!」

イザベラ様は肉を指差す。

私には美味しそうなサシに見えるが、彼女は違うらしい。

「ぬるま湯に浸かって緊張感を失っているわ! これを焼いても締まりのない味になるだけよ! 一流の肉ならば、焼かれる直前まで冷徹な環境で身を引き締め、精神統一をしておくべきなのよ! 貴族の教育と同じだわ!」

「そ、そうなんですね……」

まさか肉にまで精神論を持ち込んでくるとは思わなかった。

「ああ、根性を叩き直したいわ! このたるんだ肉とぬるい酒を、キンキンに冷えた世界に沈めて、引き締めてあげたいのよ!」

イザベラ様にとって、ダムの故障などどうでもいいのかもしれない。

今はただ肉と酒にスパルタ教育を施したい、その一心だ。

イザベラ様はギラギラした瞳で湖面を見つめると、ハッとした顔をする。

何か嫌な予感がしてならない。

「そうだったわ! 『水温は深ければ深いほど低い』と、昔の家庭教師が言っていたわ!」

「ええ、まあ湖底なら4度くらいでしょうけれど」

「それよ! 今すぐこの肉と酒の樽を湖の底へ沈めればいいのよ!」

早速、イザベラ様が取り巻き軍団に指示を出す。

彼女たちは乗ってきた馬車の『予備の車輪』や『鉄の錨』、さらにはイザベラ様のトレーニング用の『鉄アレイ』などをかき集め、巨大な鉄の檻を作り上げた。

その中に、大量の肉塊と酒樽を詰め込む。

「総重量300キロ! これぞ『極寒修行用・肉塊アンカー』よ!」

「イザベラよ、それをどうするつもりだ?」

「簡単なことですわ! クレーンがないなら人力で吊るすだけですの! さあ、皆様! 位置についてくださる!」

イザベラ様がダムの 堰堤(えんてい) の中央――取水塔の真上に陣取った。

カトレア様は不思議に思い、手を止めて呆れたようにこちらを見る。

「イザベラは何をしているのかしら? ……ま、まさかゴミを不法投棄でもするつもり!?」

「失敬な! これは調理(教育)よ! さあ、投下よ!」

イザベラ様の号令と共に、およそ300キロの鉄塊が湖へ落とされた。

頑丈な鎖がジャラジャラと音を立てて伸びていく。

「ドパァン!」と凄まじい水柱が上がり、鉄塊が沈んでいく。

イザベラ様たちは必死に鎖を支え、途中で止めるつもりだった。

だが、イザベラ様は知らない。

慣性の法則というものがあることを。

「お、重すぎるわ!」

「イザベラ様、勢いがつきすぎて止まりませんわ!」(取り巻き軍団)

物理法則は無慈悲だ。

重力加速度がついた300キロの鉄塊を、人力で急停止させるなんて、とてもではないが不可能だ。

鎖は止まることなく伸び続け、湖の底から鈍く重い衝撃音が轟いた。

足元の堰堤がぐらりと揺れる。

「な、何事だ!?」

「着底しました! ……いえ、底ではありません!」

鎖を握っていた取り巻きの令嬢が叫ぶ。

次の瞬間、湖面に巨大な渦が発生した。

先ほどまで静止していた水が勢いで回転し始め、中心へと吸い込まれていく。

「……水が流れていく?」

エステナが小さく呟いた。

「カトレア様、取水口です。イザベラ様が落とした鉄塊が、偶然にも取水口のスクリーンに激突し、詰まっていた堆積物を物理的衝撃で叩き割ったものと思われます」

カトレア様の音波ではビクともしなかった、長年蓄積された土砂と流木の塊。

それが食欲と精神論に突き動かされたイザベラ様による『300キロの肉塊』により、粉々に砕け散ったのだ。

「あなた、やりましたわ! ご覧になって! この激流こそが、たるんだ肉とぬるいエールを芯まで冷やし、叩き上げる『極寒の滝行』ですわ!」

「おい、イザベラ! 寝言を言っている場合か! 見ろ、このままでは俺たちまで呑み込まれるぞ!」

殿下の絶叫が轟音と重なる。

栓が抜けた風呂桶などという生易しいものではない。その水圧と引力は、湖上の浮遊物を引きずり込む。

カトレア様たちの乗るボートや、高価な音波装置も例外ではない。抗う術もなく、渦の中心へと流されていく。

「嫌ぁぁぁっ! 私の科学の結晶(ローン未払い)が!?」

「カトレア様、機材は諦めて手すりにしがみついてください」

カトレアとエステナが必死に手すりにしがみつく。

一方で、イザベラ様たちは未だ鎖を握りしめている。

「私たちの晩餐を放してなるものですか!」

「イザベラ様、排水の吸引力が強すぎます。人の力で対抗できるものではありません」

取水口に発生した強烈な渦。

鉄塊に繋がれた鎖は、今にもちぎれんばかりに悲鳴を上げ、このままでは肉と共にイザベラ様たちまで水底へ引きずり込まれる。

「肉の重みが……愛の重みが腕に食い込むわ!」

「精神論では解決できません! 諦めてください」

私が冷静に事実を伝えると、イザベラ様は額に汗を浮かべながらも、ニヤリと笑った。

「お断りよ、リリアナ。愛(肉)を自ら手放す女がいて? それに私の辞書に『あきらめる』という文字はないわ!」

その時だ。横から力強い腕が、イザベラ様の腰と鎖を掴んだ。

「馬鹿者! 死ぬ気か!」

アレクセイ殿下だ。

殿下は靴底を地面に食い込ませて踏ん張るが、圧倒的な力の前に、足が滑り引きずり込まれていく。

殿下は冷静に分析し、視線を走らせ、後方で待機していた馬車を鋭く睨みつけた。

「そこの御者! 後ろ向きに馬車を回すのだ!」

「は、はいっ!」

「リリアナ、それに令嬢のお前たちも鎖の端を馬車のフックに巻き付けろ! 今すぐだ!」

殿下の怒号が飛ぶ。

呆然としていた取り巻きたちが弾かれたように動き、鎖を馬車のフレームに固定する。

「殿下、連結しましたわ!」

「よし! 御者、馬に鞭を入れろ!」

殿下の合図と共に御者が鞭を振るう。

「ヒヒィン!」と馬たちが嘶き、四頭が同時に地面を蹴る。馬車の牽引力が鎖を伝い、イザベラ様たちを引き戻す。

「素敵ですわ、殿下! 私の愛(300キロ)が重すぎるからと、国家権力(馬車)まで総動員して受け止めてくださるなんて! その強引なリード! 改めて惚れ直しましたわ!」

普通なら悲鳴を上げるほどの衝撃。

だが、イザベラ様はその荒々しさに頬を紅潮させ、うっとりと叫んだ。

すると巨大な泡と共に、鉄塊が水面に浮上する。

取水口の詰まりが解消され、水が地下トンネルへと流れ込んでいったのだ。

下流からは「水が来たぞ!」と村人たちの歓喜の声が上がる。

「見なさい、リリアナ! 肉が輝いているわ!」

「……はい、物理的な衝撃で繊維がほぐれて最高の下処理がされたようです」

「違うわ! これは『更生』されたのよ! だらけきった脂身が、激流という荒波に揉まれて根性を叩き直され、角の取れた『丸みのある味(性格)』に生まれ変わったのですわ!」

物理現象を感動的な成長物語へと昇華させるイザベラ様。そんな勝手な勝利宣言とは対照的に、敗者のカトレア様が立ち尽くしていた。

カトレア様はずぶ濡れのまま、壊れたラッパを抱えて呆然としている。

「信じられないわ……。私の科学が、あんな野蛮な質量攻撃に負けるなんて……」

「カトレア様、データによれば単純な質量×速度のエネルギーは、小細工の数千倍の威力があるようです」

エステナもまた、眼鏡を割りながら敗北を認めたようだ。

その夜。

元通りになった川のほとりで、盛大なBBQパーティーが開催された。

イザベラ様が焼く肉は確かに絶品だった。

下処理(ダム破壊)によって柔らかくなった肉は、口の中でとろけて冷えたエールが喉を潤す。

「へへ、幸せだ……」

私が思いもしない一時の平和を肉と共に噛み締めている目の前で、変わらず二人が言い争っている。

「どう、カトレア! これが愛の味よ!」

「……わ、悪くはないわね。お、おおおお代わりをよこしなさい!」

カトレア様もプライドを捨てて肉にかぶりついている。

殿下も当初の予定だった粥のことなど忘れ、串焼きを頬張っている。

「うむ。味はしないが、肉質は柔らかいな。これなら粥でなくとも、いくらでも入るぞ」

「無理はしないでください、殿下」

私は満天の星空と、豪快に音を立てて流れるダムの放水を見上げる。

イザベラ様の感情論(主に食欲)と勘違いが、村のインフラ問題を解決したのであった。