作品タイトル不明
38.
文芸部の部室は、昼ご飯の良い匂いに包まれていた。
奉太郎は聖華の作った弁当を見て、内心で舌を巻く。
(朝から、こんな手の込んだものを作るなんて……)
色とりどりのおかず。米は冷凍やパックではなく、今朝方炊いたのだろう。
ふっくらとたかれた米で作られたおにぎりが、ラップ巻きになっている。
「あっ、そうだ阿智くん。はいこれー」
対面に座る聖華が、自分に向けて、パリッとした手巻き用の海苔を渡してきた。
「これは?」
「いっつじゃぱん海苔!」
……離れたところでこちらを見ていた深雪が、ハァと深々と息をつく。
「なぁに、みゆきん?」
「ジャパニーズ、ね」
「? あっ、あ、あ、あわわ……ううう~……」
自らの間違いに気づいた聖華が、顔を真っ赤にさせる。
「高校生なのに……」
「うるひゃいっ」
聖華から海苔を受け取るとき、偶然彼女と目が合った。彼女はふにゃりと笑って、奉太郎を見て笑った。
「何か楽しいことでもあったの?」
「阿智くんが笑ってるからっ」
「え……?」
彼は初めて気づいた。自分の頬に触れてみる。確かに、口の端はつり上がっていた。自然と笑っていたらしい。
(なんで……?)
困惑する奉太郎。今度は聖華もまた、不安そうな表情になった。
「何かあった……?」
鏡みたいだ。
奉太郎は聖華を見て正直にそう思った。
自分の心を写す鏡。でも不思議なのは、彼女がいなかったら、笑うことも戸惑うこともなかった。
聖華は、自分の中にある感情を引き出してくれる。それを写して見せてくれる。
「何も。海苔ありがとう」
「むぅ……」
やはりさっき困惑していたことに対して、聖華は疑っているようだ。
「昼神さんって、ほんとに高校生? って思ってさ」
「あー! そういうこと言っちゃうんだっ。もー、阿智くんひどいー」
花が咲いたように彼女が笑う。彼女の笑顔が癒やしとなる。それに奉太郎自身気づいていた。
「そんなこと言う阿智くんには、もうお昼作ってきてあげませんよーだ」
「あれ? 作り過ぎちゃったからお裾分けって、ていじゃなかった?」
「あわわわ……」
コロコロと変わる表情。
彼女という存在が、彼の乏しかった感情に起伏を与えてくれる。
他者に自分を作り替えられる。しかしそこに、不快感はまったくなかった。
もっともっと振り回して欲しいとさえ、思ってしまう。それはどうしてか。
答えを口にすることは簡単だ。とてもシンプルな答えになる。
だが、彼は言えなかった。たとえ、それが簡単な問題だとしても。
誰も、人のココロなんて分からないのである。本心は分からない。
「昼神さん」
好きだ。
そう真っ直ぐ心の内を、言えない。
「面白いね」
と思わず照れ隠しでそう言ってしまう。いわば逃げの一手。しかし。
「ふへー♡」
笑ってくれる彼女が見られて、それで満足してしまう自分がいる。
勇気が出せない自分の情けなさを上書きするほどの、確かな満足を。
だから、今は本心を打ち明けられないのだった。