作品タイトル不明
受付嬢三年目・魔法世界の悪魔
『吾の名はシュテーダル』
博士の口からその名が出ると、貴族席がどよめいた。
『魔物の王であり始まりであり――お前たちの始祖らが作り出した神である』
「神?!」
「あれはいったい何を言っているのだ!」
シュテーダル。
その名前には聞き覚えがある。ドーランの城で現れた魔物が口にしていた名前だ。
貴族達の一部が身体を震わせながら声をあげている。
『長き間、吾の身体を再生するのに随分と時間がかかった。だがそれもお前たち人間の魔力のおかげでようやく終わる』
魔物の王、始祖らが作り出した、それが意味するものは創造物語集で語られているものに近い。
……そんな馬鹿な。だってあれは作り話のはずだ。何千年も前のことを面白おかしく短編にしたもので、史実に忠実に作られたわけではないのに。
「伯爵の身体に何をした」
ロックマンは私とヘルドランさんを腕から離すと、立ち上がりながら冷静にそう問いかけた。
冷静な声のはずなのに、どこか、そう、私にも向けたことがないような大きな怒りを含んだ低い声だった。
自分に向けられたわけではないのに少しだけ肩が上がる。
けれどなぜ博士があんなところにいるのだろう。
瞳の色もまるで魔物のように光っている。それにこの声は夢で聞いた声と同じものだ。博士の身体はそのまま宙に浮いて私達を見下ろす。
『何をした? この男は幾年も前から魔物の力に見せられ、吾をよおく手助けしてくれた』
「手助け?」
『吾の誘惑に負け操ることなど容易い』
口ぶりからするに接触をしたのはだいぶ前のことらしく、どうやってアリスト博士が誘惑され、堕ち、操られる経緯になったのか詳細は預かり知らないところではあるが、細かく説明をされなくとも話の節々にある言葉でなんとなく状況は分かってきた。
きっと博士は魔物の研究に没頭していた。それは純粋な思いで成されていたはずだった。少なくとも途中までは。
「どういうことなのかしら」
「まぁおおかた、口説かれて骨抜きにされて溺れたんだろう」
「所長…騎士団長…」
観客席側にいた所長と実況席のほうにいた騎士団長が、私達の後ろに立っていた。所長は氷ばかりが貧血になっているのだと競技場内のことを教えてくれ、心配して私の傍まで来てくれたらしい。
騎士団長はロックマンの隣に立ち、その肩に手をかけて、気づけずすまなかったと謝っていた。
それに対して奴は何も言わない。けれど言わない、ではなく言えないのだと思う。一番近くにいたのは、騎士団の中ではロックマンだったはずだからだ。
アリスト博士は大陸中でも名のある優秀な研究者だ。その博士を、各地に出没していたという、意思をもつあの魔物が目をつけないはずがない。
あのとき私が城で見た魔物は、どこか余裕と自信を持っていた気がする。
恐れることなく敵地に現れて、各所に出没する。
もしかしたら、あの頃はもうすでにアリスト博士へ接触をしていたのかもしれない。
『誰にも負けぬ強大な力を手に入れ、逆らうものをなくし、吾以上の力をもつ生き物をこの世から全て排除する。人間からどのように魔力を吸い取れるのか試しを重ねては、この男はそれを見事に成功させた』
おそらく魔物側には分かったのだろう。
博士の中の純粋な探求心に付け入る隙があったこと、一歩間違えてしまえば、人間側の命を脅かす危険性を持ってしまう知識を持ち得ていたことを。
「二年前に森で男が襲われた。後日身体検査をしたが、微々たるものだが貧血の症状があった。あれは伯爵の仕業だということか」
ロックマンはアリスト博士……魔物の笑い声に眉をぴくりと動かすことなく、視線を上げてまた冷静にそう問いかけた。
二年前。
森で男が襲われた事件には覚えがある。男はゴーダ・クラインという人で、草食獣の牧場を経営していた。サタナースとベンジャミンが行方不明になっていた彼を森の中で見つけたけれど……あの時の犯人がアリスト博士なら、このシュテーダルと名乗る魔物が言うように、あれは「試し」のうちの一つであり、ロックマンが予想したとおりの真相なのだろう。
人づてに聞いただけだがアリスト博士にもあのゴーダ・クラインさんについての事件について騎士団が助言を仰いだらしいとゾゾさんから聞いていた。それがまさか本人がやったことだとは誰が想像できただろうか。
「ロ、ロックマン」
「なに?」
「あんた、大丈夫?」
けれど、なぜ奴は、ロックマンはこんなにも冷静にいられるのだろう。きっと今の今までロックマンは博士がそういう状態にあると気づいていなかったはずだ。
以前会ったときの二人の親しげな様子を思い出す。
ロックマンが子どもの頃にお世話になっていた人でもあるのだ。そこらの知り合いの人間とは訳が違う。
『長話をしている暇はない。大陸の生き物はこの場所以外すべて全滅させた』
全滅と言えど、集めた氷の力を使い生物としての動きを止めただけだがな、と魔物はそう言った。
ことの成り行きを、突然のことながら大人しく見守っていた観客席にいる人達は今度こそそのざわめきを大きくする。
「見ろ! 国中が凍ってるぞ!!」
「いやぁああっ」
「家族は?!」
「どうなってんだよ!!」
中には置かれている状況に気づいて悲鳴を上げる女の人もいた。
この競技場は空に浮いているので、見ようと思えば下の王国を見渡せる。
私にはどうなっているのかまったく見えないが、本当に凍っているのだろう。冗談でここまで騒げない。幻覚でもない。
大陸のこの場所以外、ということは仕事をしている母や父はもうきっと。
騎士や城を守る兵士達が、魔物が取り憑いているアリスト博士へ攻撃魔法を仕掛けるもことごとく破られる。博士へ届く前に同じ技で返されてしまっていた。
「そちらの目的はなんだ」
王様が観客席からゆっくりと降りてくる。護衛の騎士達に周りを厳重に固められながら、魔物に操られているアリスト博士に問いかけた。他国の王族もいるなか、先頭をきってその意図を求める。ゼノン王子も急いでその隣についたのが見えた。
王様の問いかけに魔物はまた笑う。
『集めた氷の力で吾の愛しい氷をよみがえらせ、この世を吾の力で支配することだ。誰にも邪魔をされず、吾に従う者だけがこの世で生きられる……!』
そこらじゅうからゴクリと息をのむ気配を感じた。
『よいことを教えてやろう。この大陸はもはや、お前たちの住み処ではない。魔法を使わないほうがよいぞ? 使えば使うほど我の身体へ吸収されるからなぁ。そこの氷の娘を寄越せば、魔獣らを放つことなくお前達を生かしておいてやる。一生奴隷として扱ってやろう』
宙に浮いていたアリスト博士もといシュテーダルは、下へと降りてこちらへ手を伸ばしてくる。
『お前の中には美しい輝きが見える。愛しい氷そのものだ。その力が手に入れば、もう吾に必要なものは他にない。しかし妙な衣と貴様の守りのせいで、この場所といい今まで吸いとれなんだ、小僧――』
「うだうだベラベラよく喋るじゃない」
「ナナリー」
長話うんぬん言うくせに自分が一番長たらしく喋っているじゃないか。
我慢ならなくなってシュテーダルに向かい口を荒げた私を、ゼノン王子が名前を呼んで静止する。
横にいるロックマンの表情を見ていた私は、いつか小さくなってしまったあの時の奴の寂しそうな顔が浮かんだ。今もじっと、意識のないアリスト博士を見て無表情になっているけれど、こいつは冷静なんかじゃない。
「アリスト博士を返してよ」
ゼノン王子の静止を無視してシュテーダルに言い放つ。
「っ私のお母さんとお父さんを返してよ」
憤りを感じる。
冗談ではない。
魔物は妙な衣を羽織ってロックマンの守りを受けている人間を狙っている。氷の娘というのは、今この場で横になり妙な衣――私の制服をかけているヘルドランさんのことだろうか。
氷の魔法使い達の血を集めていたのは、この魔物が言っているとおり何故か氷の始祖を甦らせることで、自分以外に力をもつものを排除することだ。氷の始祖が甦るというのが本当ならば、そして創造物語集にあるとおりこのシュテーダルという魔物が五つの型の力を持っているとするならば、それはすなわち全ての力に対して対抗が可能になるということになる。それこそ強大な力そのものだ。
それだけは必ず避けなければならない。
「執念深いただの怨念の塊みたいな奴に、私達の大切な人を奪われてたまるもんか!!」
攻撃魔法を使い氷柱をシュテーダルに向けて放った。
アリスト博士自身を死なせてはいけないので傷を作るぐらいにはと腕や足を狙う。
跳ね返されると思っていたが、魔物の防御をものともせず氷柱は博士の身体に傷を作る。
傷を作れたことに周りの騎士や兵士が期待を込めた顔を私に向けて、もう一撃だと観客席の人達から発破をかけられた。
『ふははは! 威勢のよい娘だ。吸いとり尽くされると知らず魔法を使い続けた愚かな血を持った連中よ。氷の血はその中でもきわめて尊い。その血を浅ましい人間たちが持つことは許されない』
シュテーダルは再び宙へ浮き、頭上に黒い竜巻を起こしはじめる。
おそらく攻撃を仕掛けてくるのだろう。
「ちょっとあんた、こんな時だけどヘルドランさんから離れちゃ駄目よ! あいつが狙ってるのはヘルドラ――」
「いいや」
ロックマンは私の前に立ち、背を向けた。
「ムイーシアじゃない」
そう言うと奴は金の杖を構えはじめた。
シュテーダルに向けて構えたその杖の先からは、緋色の炎の光が生まれる。
まるで私を背に庇うような体勢に、何をしているのだと腕を引っ張ろうとしたけれど、
「君だ」
辺りが光に包まれた瞬間、ロックマンのその言葉だけが耳に届いた。